“野人”の愛称で親しまれ、バラエティー番組でも活躍していた元プロレスラーの中西学(58)が、24日に配信された永田裕志のYouTubeチャンネルに出演。近影を公開し、永田とのトークに臨んでいる様子が話題を集めている。
永田が「引退されて、こうやって体が絞れた。だって、今95キロでしょう?130~140キロ近くあったから。でも、これ極端ですけど、別に体悪いところはないんでしょう?」と向けると、中西は「ないです。体が軽くなった。前までは、よく駅までウォーキングで行っていたけど、今はジョギングできるからね」とアピール。これには、永田も「引退して、いい体重の落とし方をしていますよね」とかみしめるように語っていた。
その後、2人は現役時代に抱えていた思いなどをトーク。ファンからは「昔の中西学さんに徐々に戻ってきて嬉しかったです」「涙腺崩壊しました」「かなりでかいのに、元がデカすぎるから小さくみえる」などといった感想が寄せられている。
中西は1967年1月22日生まれ、京都府出身。高校時代よりアマレスで活躍し、全日本選手権4連覇を達成。大学を卒業後の91年4月、新日本プロレスの「闘魂クラブ」に入団。92年に開催されたバルセロナオリンピックに出場した後、8月に新日本へ入門する。藤波辰爾に「SGタッグリーグ」のパートナーに抜てきされ、92年10月13日、スコット・ノートン&S・S・マシン戦でデビューする。95年3月、第6回「ヤングライオン杯」で優勝を果たすとアメリカ修行へ。
7月よりWCWマットに参戦し、クロサワの名で活躍し、96年9月に凱旋帰国する。97年5月3日、小島聡とのタッグで第31代IWGPタッグ王座に輝く。99年8月、「G1 CLIMAX」の決勝戦で武藤敬司を下し、同大会を初制覇。8月28日には、永田裕志とのタッグで第39代IWGPタッグ王者となる。09年5月6日、棚橋弘至を下し、デビュー17年にして悲願のIWGP王座初戴冠。第51代王座に輝いた。17年1月5日、後楽園ホール大会で棚橋弘至&田口隆祐とタッグを組み、SANADA&EVIL&BUSHIの持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦。中西がBUSHIを下し第10代王者となる。2020年2月22日中西学 引退記念大会にて引退した。
永田が「引退されて、こうやって体が絞れた。だって、今95キロでしょう?130~140キロ近くあったから。でも、これ極端ですけど、別に体悪いところはないんでしょう?」と向けると、中西は「ないです。体が軽くなった。前までは、よく駅までウォーキングで行っていたけど、今はジョギングできるからね」とアピール。これには、永田も「引退して、いい体重の落とし方をしていますよね」とかみしめるように語っていた。
その後、2人は現役時代に抱えていた思いなどをトーク。ファンからは「昔の中西学さんに徐々に戻ってきて嬉しかったです」「涙腺崩壊しました」「かなりでかいのに、元がデカすぎるから小さくみえる」などといった感想が寄せられている。
中西は1967年1月22日生まれ、京都府出身。高校時代よりアマレスで活躍し、全日本選手権4連覇を達成。大学を卒業後の91年4月、新日本プロレスの「闘魂クラブ」に入団。92年に開催されたバルセロナオリンピックに出場した後、8月に新日本へ入門する。藤波辰爾に「SGタッグリーグ」のパートナーに抜てきされ、92年10月13日、スコット・ノートン&S・S・マシン戦でデビューする。95年3月、第6回「ヤングライオン杯」で優勝を果たすとアメリカ修行へ。
7月よりWCWマットに参戦し、クロサワの名で活躍し、96年9月に凱旋帰国する。97年5月3日、小島聡とのタッグで第31代IWGPタッグ王座に輝く。99年8月、「G1 CLIMAX」の決勝戦で武藤敬司を下し、同大会を初制覇。8月28日には、永田裕志とのタッグで第39代IWGPタッグ王者となる。09年5月6日、棚橋弘至を下し、デビュー17年にして悲願のIWGP王座初戴冠。第51代王座に輝いた。17年1月5日、後楽園ホール大会で棚橋弘至&田口隆祐とタッグを組み、SANADA&EVIL&BUSHIの持つNEVER無差別級6人タッグ王座に挑戦。中西がBUSHIを下し第10代王者となる。2020年2月22日中西学 引退記念大会にて引退した。
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