■14歳で母になる決断「先生や両親に相談するという考えは1ミリもありませんでした」
――「14歳で母になって20年後…」という動画は1200万回再生され、話題になりました。SNSでの反響についてどう感じていらっしゃいますか?
【ゆかさん】率直に嬉しいです! 何気なく投稿したら、想像をしていなかった反響でした。ただ、出産当時にSNSがあったらもっと批判だらけだった思います…。出産した当初から色々取材のオファーがありましたが、年頃の娘のことを思い、20歳になるまで SNSも控えてお断りしていました。娘も成長した今の時代だからこそ、色々な意見やコメントも受け入れて今では親娘でTikTokやSNS投稿を楽しんでいます。もちろん好意的でないコメントもありますが、率直な嬉しいコメントをたくさんいただき嬉しい気持ちでいっぱいです。 出産して4年後にドラマで『14歳の母』が放送されたのがきっかけで周りから“リアル14歳の母”とよく言われてきました(笑)。 TikTok名はそのままです。
――実際に14歳で母になる決断をされるまでに、どのような経緯がありましたか?
【ゆかさん】もちろん未熟すぎましたね…。当時14歳の頭で色々考えましたが、私と産まれてくる子どもの将来を考えて、出産後の方向性を大人達がアドバイスとともにサポートしてくれました。
――妊娠が発覚した当時、率直にどう思われましたか?
【ゆかさん】当時は13歳でした。生理不順で、3ヵ月くらい生理がこなくても身体の変化には気づかなかったです。太ったお腹に違和感を覚え、もしかしたらと思い検査薬をしたら陽性反応。率直にどうしようと思いました。朝起きるたび悩んでいたら、どんどん時間が過ぎていったという感じです。当時仲の良い友人にだけは相談していましたが、友人も「まさか!」という感じでした。隠し通すことはできないとわかっていましたが、お腹が大きくなっても、当時の流行りの制服の着こなし方で、両親や学校にも隠し通せるまで、うまく隠そうと甘い考えでいました。
――どんどんお腹が大きくなるにつれて、不安などはなかったのでしょうか?
【ゆかさん】幼少期からポジティブで好奇心旺盛の性格だったので、頭のどこかで「最終的にはなんとかなる大丈夫」と考えていました。当時SNSは無かったので、わからないことは1人で本屋に行って調べていました。初めて本屋に行った帰り道、「今5ヵ月くらいなんだ」と、嬉しい感情になりお腹を労わりながら帰ったのを明確に覚えています。その日から身体を気遣いながら過ごしはじめました。先生や両親に相談するという考えは1ミリもありませんでした。反抗期だったこともあり、塾に行くなど、何かと理由をつけて食事や寝る時間以外は両親を避けていました。
■突然の妊娠報告にパニック状態の両親「初めて私のお腹に直面したときの表情が未だに忘れられません」
――娘さんが生まれた当時、ご自身の心境に変化はありましたか?
【ゆかさん】両親にとっては、あまりにも突然の出来事だったと思います。産まれてくる子と私の将来を一気に考えさせられました。何度も何度も家族会議をし、今後の将来のさまざまなパターンを予想し考えました。一生この子を何があっても守っていく、とにかく私の宿命だと。14歳と未熟でしたが、母になったその日から自分の子どもに対する愛情はいくつになろうと変わらないですし、年齢は関係ないです。ただ若すぎた出産の故に、厳しいことや苦難も数えきれないほどありました。
――10代で娘さんを育てていくなかで、大変だったことやつらかったことはありましたか?
【ゆかさん】出産してからすぐは私より両親への批判の方が大きかったです。職場兼自宅で同じ屋根の下で生活をしていて、なぜ子どもの妊娠に気づかなかったのかと。娘がその年齢になったときに、いかに親子間でコミュニケーションがなかったかを痛感しました。私の反抗期と母の更年期が重なり、いつもイライラしていた母に相談できる環境ではなかったですし、外見では全くわからないように隠していた私にも原因がありました。
両親が初めて私のお腹に直面したときの表情が未だに忘れられません。医師からの「いつ産まれるかわかりません」の一言は、一生忘れることのない瞬間でした。もちろん両親はパニック状態です。両親とは裏腹に、私は「ついにこの日が来た」とほっとし、母親になるんだとあらためて実感しました。当時病院側も14歳の出産の対応は初めてだったようで、15人程の看護師さんに囲まれて安産で、無事出産することができました。
――中学生当時、学業をいかに続けていくか、その先にある就業については、どのように話し合われ、判断されたのでしょうか?
【ゆかさん】両親や親戚のおかげで出産してからも中学校に通いました。実家が理髪店ということもあり、幼少期から美容師にさせたいという両親の思いや、将来の働き先のことを考えて、卒業後は美容室でアルバイトをしながら美容専門学校に行き、17歳で免許を取得しました。
■23年経ち親子でメイド喫茶の経営も「娘が幸せでいてくれることが私にとって1番最高の幸せです」
―― 母としてこれだけは絶対やり抜こうなど、育児で大切にされていたことはありますか?
【ゆかさん】親子のコミュニケーションを大切にしました。「怒るのではなく、教える」「同じ目線で考える」「楽しい時間は全力で」など娘が明るくいつも笑顔でいれる環境を整え、友達も大切に。自然といつも目の届く範囲で何かあったらすぐに気づいてあげられるように意識していました。
――投稿を拝見していると、娘さんと一緒にメイド喫茶を経営されていたり、友達のように仲睦まじかったり、母娘という一言では語れない絆のようなものを感じました。娘さんとの関係性はこの23年でどのように変化しましたか。
【ゆかさん】高校卒業と同時に娘がやりたいと言ったことは二人三脚でやってきました。メイド喫茶の経営は、娘がきっかけでしたが、知らない世界を知ることもできました。ビジネスパートナーとしてコロナ禍やさまざまな苦難を乗り越えることで、親子で良い経験ができたと思います。次のステップにいくために、現在娘は家業の仕事に切り替え、私は主婦業に戻り、娘の将来に繋がるよう親として見守っています。
――ゆかさんにとって娘さんはどんな存在ですか?
【ゆかさん】娘であって妹みたいですし、時には友達みたいな関係です。今は時間が合えば、どこでも一緒に行き、年頃の娘のおかげで美容や流行り、おしゃれを一緒に楽しむこともできて心友(しんゆう)で最高で最強のパートナーだと思っています! 成人してから視野も広がり、楽しい空間を一緒に過ごしています。娘も素敵な人と出会い、幸せでいてくれることが私にとって1番最高の幸せです。