アートとは何か?
私の通う東京藝術大学で、しばしば投げかけられる問いである。
昨年、藝大美術学部の生徒たちと東京奥地の山あいで1泊したことがあった。
彼らと過ごすと、日常の中で周りを観察する視点、その解像度の高さに惹(ひ)きつけられる。
みんなで散歩をしていた時、道の脇に1本の柿の木が立っていた。秋の頃だったから葉は紅葉し、その多くは地面に落ちている。1人の女の子が葉を拾い上げた。真っ赤な中に黒や黄の斑(ふ)が飛んで鮮やかだ。その子はしばらくの間葉っぱを見つめ、そして柿の木の根に立てかけるようにして置いて、何も言わずにまた歩き出した。何も言わなかったけれど、私はそれを「展示したんだ」と思った。鮮やかに染まった落ち葉を見初め、そこに美しさを見出(みいだ)して、大事そうに、慈しむように置き直す。そこを通る人がその美しさに気付けるようにと願ってなのか、それとも柿の葉自身の美しさを讃(たた)えてなのか、いずれにせよその動作には愛情と名残惜しさが滲(にじ)み出ていて、この子は目に映る一瞬一瞬をこんなに大切にして生きているのか、と静かに感動したのだった。
藝大の裏の道には白い椿の木が生えている。3月には花が満開を過ぎて、白く美しいままぽとりと落ちるので道が椿で埋め尽くされる。
「アート」とは元々、ラテン語の「ars」に由来し、「人の手によるもの」という意味合いを包含する言葉だ。道端に咲く花を、それ自体の美しさをもって「アート」と形容できるかというと難しい。その美しさを見出す人がいてはじめてそれはアートとなるのかもしれない。だとすれば、花や葉を拾い上げ、それを置き直すという行為は紛れもなくアートだと思う。 小さなアートが生まれる瞬間に、わたしたちは日々立ち会っている。その尊い一瞬に気付けるように、目を、耳を、五感を開いていたい。
【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 19からの転載】
かにさされ・あやこ お笑い芸人・ロボットエンジニア。1994年神奈川県出身。