真夏、甲子園球場で繰り広げられる高校野球に、選手も観戦する人たちも、「胸熱」となった。高校3年生になる私の甥っ子も、野球部に所属して甲子園を目指したが、夢の舞台に届かなかった。

すでに、大学でも野球を続けたいと言っているから、社会人になっても言いそうだ。そうなれば、岩城(いわぎ)島を取材した時の話をしてみようと思う。

 岩城島は、瀬戸内海のほぼ中央に位置する上島町(愛媛県)の島々の一つ。「青いレモンの島」として知られ、柑橘(かんきつ)栽培が盛んだ。

 ここに本社を置くイワキテックという会社がある。昭和34年に創業した地域企業で、造船関連製品の製造を行っている。しかし年々島の人口は減少し、若手の人材確保に苦戦。日本の物流を支える船の製造業は、次世代へ技術を継承していかなくては続かない。そこで野球人気に着目し、クラブチーム(硬式野球部)を創部。昨年8月にJABA四国地区野球連盟に加盟し、今年3月の四国大会で初の公式戦にも出場した。

 カーン! カーン! と乾いた音が鳴り響く。私がクラブチームの練習を見学に訪れたのは、今年の春。

仕事を終えた若手社員たちは、選手の顔に切り替わり、威勢よく声を上げながらバッティングをしている。

 「岩城島はもともと野球熱が高い地域柄なんです」と、練習の合間にクラブチームの村上太一部長が話を聞かせてくれた。彼は地元出身で、会社では副工場長を務める。2人の息子が野球少年だったこともあり、チームを任されているそうだ。

 「若手社員の採用は、基本的に島暮らしになるのでハードルが高く、3年間ゼロでした。ところがクラブチームを創部したら、半年で全国各地から20人以上も集まりました」

 若手社員20人のほとんどは、独立リーグや甲子園出場の野球経験者。野球と仕事の両立が叶(かな)う場所を求めて来たに違いない。また、監督の小野輝平さんも、全国屈指の強豪高校で野球をしてきた元選手。亡き祖父の故郷である岩城島で、新たな挑戦に闘志を燃やしているという。

 クラブチームは、仕事ではしっかり働き、地域では「応援してもらうチームになろう」と地元のイベントに参加したり、子どもたちにスポーツ教室を開催したりと活動している。そして野球では、「島から全国へ行こう!」と奮闘する。

 村上さんは、「選手もいつか引退する時期が来る。

その時、いかに会社に残ってもらえるか。社として一生懸命考えていく」と話を締めくくり、練習へと戻っていった。

【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No. 35からの転載】

KOBAYASHI Nozomi 1982年生まれ。出版社を退社し2011年末から世界放浪の旅を始め、14年作家デビュー。香川県の離島「広島」で住民たちと「島プロジェクト」を立ち上げ、古民家を再生しゲストハウスをつくるなど、島の活性化にも取り組む。19年日本旅客船協会の船旅アンバサダー、22年島の宝観光連盟の島旅アンバサダー、本州四国連絡高速道路会社主催のせとうちアンバサダー。新刊「もっと!週末海外」(ワニブックス)など著書多数。

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