日本の大学に中国の若者が進学するケースが増えている。元警視庁公安部外事課の勝丸円覚さんは「過酷な中国の大学入試に比べ、門戸は広くコストも安いため人気が高まっている。
それに伴ってカンニング支援や面接代行などをうたう悪質なSNS投稿が問題視されるようになったが、もっと重大な問題がある」という――。(第2回)
※本稿は、勝丸円覚『スパイは日本の「何を」狙っているのか』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■日本の大学は中国よりも「難易度が低い」
ここ数年、中国人が日本の難関大学を受験するケースが増えています。学歴社会といわれる中国の激化する受験戦争という内情もありますが、あえて日本の大学を選ぶ理由は何か? ここでは中国側の戦略的な意図について述べます。
①「高考(ガオカオ)」の過酷さで“日本の大学”へ
中国の大学入試「高考」は、数百万から千数百万人が受験し、結果によって人生が決まる厳しい制度です。特に地方都市では競争が苛烈(かれつ)で、教育格差も顕著です。これに対し、日本の大学は「漢字文化」「比較的安全」「語学コストが安い」「入試が相対的にやさしい」といった魅力があり、かつてない規模の「日本受験ブーム」が起きています。
「中国で大学受験をするよりも、日本の大学のほうが難易度は低い」といっている受験生家族もいるようです。
偏差値が高い大学に人気が集中する傾向にはありますが、それでも中国での熾烈(しれつ)な受験戦争に比べると、日本のほうが門戸は広い、と中国の受験生たちには受け止められています。
■中国SNSでは“カンニング支援”を謳う広告も
②不正な「学歴ブローカー」の台頭──金銭で東大合格保証
中国人留学生の間では、不正入学を取り次ぐ「学歴ブローカー」が問題視されています。SNSやWeb広告上では、「東大合格保証8000万円」「早慶上智600万円」というように、学力や日本語力を問わずに合格を約束する業者が実在しています。
現場では、試験中にスマホで問題を撮影し、外部の解答チームからリアルタイムで解を送り込む「カンニング支援」や、小論文や面接の代行、さらには履歴書の書類偽造まで行われています。
こうした不正手段がSNSやWeiboで堂々と取引される現状は、日本の教育機関の危機を示しています。
こうして彼らは、「裏口入学」のように名門大学の学歴を金銭で買う構図を広めているのです。
■スパイが合法的に潜入できる入り口になる
③情報収集・スパイ活動と学歴売買のリンク
ここで忘れてはならないのが、「学歴の売買」と「スパイ活動」が相互補完的に結びつく構図です。中国の情報機関は、優秀な人材を「合法的に送り込む」ために、高額の学歴ブローカーや入試支援を活用する可能性があります。
つまり、たとえ個人が政治的志向を持たなくても、学歴を買って入学した後に、日本企業や研究機関に就職して情報収集を行う“情報要員”としての利用が考えられているのです。
このような状況は、大学全体の信頼低下にもつながります。不正入学が広がれば、真面目に学ぶ留学生も被害を受けますし、学歴という社会的な評価軸の一つが揺らぎます。日本の大学が進める「国際化」や「多様性」は、本来、学びと交流を前提とすべきですが、学歴を“商品化”する風潮が広がれば、その意味が失われてしまいます。
「学歴ブローカー」の存在を容認してはいけません。金で学歴を買う構造は、企業の採用基準の公平性が失われ、学問への信頼を失墜させます。
スパイ戦略との関連にも注意すべきです。学歴の売買はスパイの「合法的潜入」の入り口になり得ることを見逃してはいけません。

■「スパイ大学の出身者」が日本の研究所で勤務していた
2023年6月15日、茨城県つくば市にある「産業技術総合研究所」に勤務していた中国籍の上級主任研究員(当時59歳)が、研究データを中国企業に漏洩したとして警視庁公安部に逮捕されました。この事件は、日本国内の研究機関が、いかに脆弱(ぜいじゃく)なセキュリティー体制の中で機密情報を扱っているかを浮き彫りにしたといえます。
まず、注目すべきは、この容疑者の経歴です。彼は中国国内において、スパイ教育を担うとされる複数の大学、いわゆる「スパイ大学」の一つに所属していた経歴があることが確認されています。これらの大学は、およそ7校存在し(国防7校)、軍事機密や先端技術に関する研究を担うだけでなく、諜報活動の人材育成も担っていると見られています。
さらに、この容疑者はかつて中国軍で研究者として勤務した経歴もあり、その後は、同じく国防7校の一つでもある、北京理工大学で非常勤講師として講演活動なども行っていたことが明らかになっています。
このような背景を持つ人物が、日本の研究機関に採用され、しかも、上級主任研究員という重要なポジションについていたという事実は、日本側の採用審査体制の甘さを示しているといっても過言ではありません。
■“チェック機能”が働いていなかった
また、彼は日本勤務中に本国への頻繁な出張を行っており、その際の行動日程などが報告義務として定められていなかった、あるいは実質的にチェック機能が働いていなかったという点も、企業や研究機関における管理体制の不備として指摘されます。
もちろん、経歴詐称が行われていた場合、その人物の本来の背景を事前に見抜くのは困難ではあります。
しかし、中国国内の大学に関しては、卒業証書を取り寄せることが制度上は可能ですし、それらの証書が本物かどうかをチェックする手段も存在します。したがって、応募段階で学歴を提出させ、特に軍事関連の経歴を持つ人物に関しては厳密な審査を行うべきなのです。
さらに、採用後のアクセス権限についても段階的に設定し、重要な研究情報へのアクセスは一定期間の観察後に限定的に付与するなどの体制作りが必要です。
これは中国人に限らず、すべての外国人、そして日本人社員に対しても公平に適用されるべきルールであり、差別ではなく、「リスク管理」としての必要条件です。
この点、アメリカではすでに厳しい対策が講じられています。諜報活動に関与した経歴があると見なされる大学の卒業生に対しては採用を見送り、採用した場合でも物理的・システム的にアクセス制限を設ける体制を構築しています。
■“善意”だけでは通用しない社会になっている
アメリカだけでなく、ヨーロッパでも同様の動きが加速しており、特に中国人の採用枠を縮小し、リスクを最小化する方向で進んでいます。
また、発覚した事例をもとに、特定の大学からの留学生については推薦枠の廃止や採用凍結などの措置を講じることもあります。これは日本の大学入試における推薦制度と同様の考え方で、ひとたび不祥事が起これば、その推薦枠自体が消滅するという、組織的な防衛措置の一環です。
日本も今後、こうした事例を踏まえて、採用段階・勤務段階の両方でスパイ活動への対策を強化していく必要があります。「善意を前提とする社会」では通用しない時代に突入していることを、強く認識すべきでしょう。
日本にはかつて14の大学に「孔子学院」が設置されていました。現在では減りましたが、いくつかの私立大学で中国語教育や文化紹介の名目で運営されてきた歴史があります。表向きには語学と文化の普及という形ですが、実際には中国政府のプロパガンダ機関と位置づけられており、欧米を中心とした主要先進国では、その危険性が明らかになったとして、次々に閉鎖されています。
特に北欧諸国では完全に設置禁止となっており、アメリカやカナダでも、孔子学院は学問の自由を脅(おびや)かすリスクや、情報工作の拠点になり得るとの理由から閉鎖されています。

■“過剰な好待遇”は情報戦の一環と見るべき
これは他人事(ひとごと)ではなく、日本の大学にも同様のリスクがあると考えなければなりません。
日本においては、国立大学は文部科学省の傘下にありますが、私立大学も私学助成を通じて税金の支援を受けています。そうした公的支援を受ける大学に対して外国の影響が及ぶというのは、本来、非常に慎重になるべき問題です。
しかも、孔子学院では中国語を学ぶ日本人学生に対して過剰な接待や優遇が行われることも少なくなく、中国に渡った際にはVIPのような扱いを受け、「中国の主張にも一理ある」といった発言をするようになるケースも実際にあるのです。
本来、自分の考えでそうした意見を持つのなら問題はありませんが、孔子学院を通じて接待や思想の刷り込みを受けることで、考え方が不自然に変わるというのは非常に危険な兆候です。これはまさに、中国政府による「ソフトパワー」戦略の一環であり、軍事的な力を使わずに相手国の世論や知識層に影響を及ぼすという情報戦の典型例だといえます。
もちろん、すべての中国人がそのような工作に関与しているわけではありませんし、良識ある親切な人が大半です。ただ、国家戦略として、こうした動きがあるという事実は知っておかなければなりません。そして、もし、自分がある日、過剰な好待遇を受けたり、特定の政治的な発言を誘導されるような状況に直面したとき、それが「偶然の親切」なのか、「意図的な布石」なのかを見極める冷静さが必要です。
■「情報リテラシー」と「危機意識」が重要である
中国はこうした戦略を、芸能人やジャーナリスト、学者といった影響力のある人物に対しても実行してきました。彼らが中国を訪れ、過剰に歓迎され、いい印象を持って帰国し、それをメディアで発信する。これこそが中国の望む影響工作の形です。
つまり、武力ではなく、「親しみ」を通じて他国の意識を変えようとするものです。
このような工作に対抗するためには、国家レベルでの対応だけでなく、一人ひとりの情報リテラシーと危機意識が重要になります。孔子学院や、その周辺で起こっていることをただの文化交流だと軽視せず、背景にどのような国家戦略があるのかを理解し、冷静に判断する目を養うことが求められます。
経済的な結びつきの強い現代において、完全に国交を断つことは現実的ではありません。だからこそ必要なのは「距離感」です。無防備に心を許すのではなく、節度ある付き合い方と、情報の取捨選択、そして、「これはどこから来た情報なのか」を常に意識する姿勢こそが、情報戦時代を生きる私たちに求められるスキルなのです。

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勝丸 円覚(かつまる・えんかく)

元公安警察

1990年代半ばに警視庁に入庁し、2000年代はじめから公安・外事分野での経験を積んだ。数年前に退職し、現在は国内外でセキュリティコンサルタントとして活動している。TBS系日曜劇場「VIVANT」では公安監修を務めている。著書に、『警視庁公安部外事課』(光文社)がある。

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(元公安警察 勝丸 円覚)
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