※本稿は、勝丸円覚『スパイは日本の「何を」狙っているのか』(青春出版社)の一部を再編集したものです。
■“手の届きそうな女性”がハニートラップをしかけてくる
中国には非常に巧妙な手口が存在します。それは、中国に出張した日本人ビジネスマンに対して“通訳の女性”が仕掛けるパターンです。顧問先の企業でも、実際にこうしたケースがありました。
プロジェクトで中国に赴いた日本人メンバーに対し、現地側が用意するのは「手の届きそうなレベルの美人」の通訳です。
あまりに美しすぎると警戒されるため、逆に“親しみを持てる魅力的な女性”を配置するのです。そして、プロジェクトの最後には、お酒を酌み交わす「打ち上げ」が用意され、自然な流れで、「じゃあ、あなたの部屋で軽く二次会でも」と提案されます。
部屋で待っていると、来るはずだった他のスタッフは「体調不良で来られなかった」とされ、結局、その女性1人が現れる。そして、何気なく撮った記念写真に、ベッドやバスルームの入り口が映り込んでいたり、あるいは隠しカメラでの動画撮影が行われていたり──。後日、それらが“証拠”として使われ、「何もなかった」と主張しても、もはや誰にも信用されない状況に追い込まれてしまいます。
■「中国での行動すべて」が監視されている
これは実際にあったケースであり、スパイ組織は「身体的な関係があったかどうか」ではなく、「そう思わせる証拠を作る」ことを目的として動いています。
この手口は、男性だけでなく女性にも当てはまります。たとえば、既婚女性が出張先で感じのいい男性通訳と記念写真を撮られ、それを基に「不倫の証拠」としてゆすられるケースもあり得ます。これは日本国内でも同様で、写真1枚でも社会的信用を崩すには十分なのです。
中国に渡航する際、あるいは中国国内と通信する際には、「こちらのやり取りはすべて監視されている」という前提で行動する必要があります。これは決して脅しでも過剰反応でもなく、実際に現地で活動している多くの日本人や専門家が体感している、現実的なリスクです。
まず、中国国内では、ホテルや商業施設などでの会話が盗聴されている可能性が高く、メール・電話・ファックスといった通信手段もAIによってモニタリングされているといわれています。
つまり、物理的に中国にいるときだけでなく、日本から中国に向けた通信も含め、「何をいったか」「何を送ったか」が逐一監視されているつもりでいなければなりません。
特に、政府批判や体制に対するネガティブな発言は、何気ない冗談のつもりでも重大なリスクとなります。実務の現場では、私は必ず「中国では政府批判につながる発言は一切控えてください」と事前レクチャーしています。
■「スマホ」「パソコン」の中身まで調べられる
さらに、2024年から中国では新たな法制度が整備され、「反スパイ法」や「刑事手続法」の強化が進められました。その中でも特筆すべきは、電子機器に対する検査権限の拡大です。これにより、空港の入国審査やセキュリティーチェックの際に、スマートフォンやパソコンの中身まで詳細に調べられる事例が急増しています。
実際、地方の国際空港でも検査にかかる時間が長引く傾向があり、デバイス内の画像や文書ファイルの中に“当局にとって不適切”と判断されるものがあれば、その場で提出を求められることがあります。
特に注意すべきなのは、習近平国家主席を揶揄する“くまのプーさんの画像”や、中国で規制されている宗教・政治的な表現、さらには偶然、ダムや軍事施設が写り込んでしまった風景写真などです。こうしたものは、たとえ日本国内で保存されたものであっても、「持ち込まれた場所が中国国内である」という事実だけで、逮捕の理由になります。
私が強調したいのは、「知らなかった」では済まないということです。中国では、本人の意図の有無に関係なく、「国家の安全を脅かす」と当局に判断されれば、それだけで身柄を拘束されてしまうリスクが現実に存在します。
■中国に“日本の常識”を持ち込んではならない
したがって、中国に入国する前には、スマートフォンやパソコン内のデータを完全に消去するか、まっさらなデバイスを使用するのが鉄則です。どうしても古い機器を使うのであれば、画像やドキュメントの中で不安のあるものは事前に削除しておくことが最低限の自己防衛です。
なお、私は現職を退いたあと、危機管理会社に所属していた時期がありました。その際、中国やロシアに出張する話が出たとき、私ははっきりと「行くなら辞めます」と会社に伝えました。
なぜなら、公安捜査官として長年、中国やロシアの情報機関と関わってきた私の顔は、当然ながら彼らのデータベースに登録されているはずで、入国すれば拘束・監禁のリスクが極めて高いからです。結果的にその話は立ち消えになりましたが、今も私は「中国・ロシアには一生行かない」と決めています。
中国渡航時の最低限の心得は以下になります。
1 通信内容は常に監視されていると心得ること。
2 政府批判やそのように受け取られそうな言葉は口にしない。
3 電子機器の中身を精査し、不要なデータは消去する。
4 「悪気がなかった」では通用しない法体系であることを理解する。
中国に渡航する・中国とビジネスをするということは、“彼らのルールの中に入る”ということです。だからこそ、日本の常識をそのまま持ち込んではならないのです。
■「空港での記念撮影」はNG
海外旅行や出張の際、つい空港での記念撮影をしたくなる方も多いと思いますが、実は「空港での撮影」は多くの国で原則NGであるということをご存じでしょうか。
日本国内では、成田空港や羽田空港で写真を撮っても、とがめられることはほとんどなく、観光地と同じ感覚で記念撮影をする人も多いでしょう。しかし、海外では事情がまったく異なります。空港や港、ダムなどの重要インフラ施設は、戦争やテロの際に真っ先に狙われる「軍事的ターゲット」でもあるため、撮影が厳しく制限されているのです。
空港での撮影が禁じられている理由は、施設の構造や防犯設備が記録されてしまうことによるセキュリティーリスクがあるからです。その行為がスパイ活動やテロ準備行動と見なされる可能性があるということです。
一例を挙げると、私の知人の元外交官が、民間人としてアフリカ某国を訪問した際、空港内で何気なく写真を撮ってしまったことがありました。そのとき、すぐに空港職員に職務質問され、「何を撮ったのか」「画像を見せろ」と問い詰められたそうです。
彼が写真を見せたところ、職員は「こっちへ来い」と彼を空港の端へ連れて行き、パスポートの提示と画像の消去を要求してきたのです。その後、賄賂(わいろ)も要求してきました。
■「カメラで撮らないこと」が最善策
このような状況は、アフリカや中東、東南アジアなどでは決して珍しいことではありません。空港や警察、軍関係者が“違反行為”を口実にして賄賂を求めてくるケースは多く、軽率な行動が思わぬトラブルに発展するリスクをはらんでいます。
この元外交官はとっさに冷静な対応を取り、「日本大使館に確認させてくれ」と申し出たところ、職員の態度が一変し、「(面倒だから)行っていい」と、その場から解放されたそうです。この「大使館に確認する」という一言が、賄賂要求への有効な対抗策となることもあるのです。
本来であれば、空港内での撮影は「身柄拘束」の理由にもなり得ます。賄賂目的であろうと、違反行為を盾にされた場合には、その場から自由に動けなくなる可能性が高くなります。つまり、「撮らないこと」が最善の対策です。
私が官公庁や企業で講師を務めた際にも、こうした事例を紹介しながら、「海外では空港をはじめ、港湾、橋梁(きょうりょう)、ダムなどの重要施設は“撮影禁止が原則”である」と強調しています。
記念撮影をする場合は、周囲の状況をよく観察しましょう。「自分だけがカメラを構えている」状況は、危険信号の一つです。また、撮影禁止のマークや注意書きが出ていないかを必ず確認し、それでも不安であれば、撮影を控える判断が重要です。
■日本と海外では“常識”が全く違う
一方で、なぜ、日本ではこれほどまでに撮影が“自由”なのかという疑問も残ります。
日本の空港や鉄道施設では、防犯カメラの位置や警備態勢が無防備に露出しています。観光客が写真を撮り放題で、しかも、SNSなどで公開されている現状は、テロ対策やスパイ対策の観点からは非常に脆弱であるといわざるを得ません。
プロのスパイやテロリストは、写真や映像から防犯カメラの機種や配置、警察官や警備員の配置などを読み取る能力を持っています。実際に横須賀の自衛隊基地では、ドローンを用いた撮影による情報流出が問題視されたこともありました。
現状、日本にはこうした行為を明確に規制する法律がなく、取り締まりの難しさもあるのが実情です。しかしながら「他国では常識的にNGな行為」が、日本では許容されているという認識のギャップを知っておくことは、国際感覚を持った安全行動の第一歩です。以下、海外空港での「やってはいけない」チェックリストです。
1 空港・港湾・ダムなど重要施設では基本的に撮影禁止。
2 記念撮影の前に“周囲の状況”と“表示”を確認。
3 職員に職務質問を受けたら、「大使館に確認する」と伝える。
4 日本の常識をそのまま海外に持ち込まない。
海外では、「知らなかった」「記念撮影のつもりだった」では済まないケースが数多くあります。安全と自由を守るためには、まず、自分自身の無意識な行動にこそ目を向けることが大切です。
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勝丸 円覚(かつまる・えんかく)
元公安警察
1990年代半ばに警視庁に入庁し、2000年代はじめから公安・外事分野での経験を積んだ。数年前に退職し、現在は国内外でセキュリティコンサルタントとして活動している。TBS系日曜劇場「VIVANT」では公安監修を務めている。著書に、『警視庁公安部外事課』(光文社)がある。
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(元公安警察 勝丸 円覚)