毎年1月中旬頃から百貨店で行われるバレンタイン催事。中でもひときわ大規模で、一開催で49億円という驚異的な売上を上げるのが、ジェイアール名古屋タカシマヤの「アムール・デュ・ショコラ」だ。
しかし、当時同社の広報担当者だった犬飼奈津子さんは「今では有名なこの催事も、かつてメディアからはまったく注目されていなかった」という――。
※本稿は、犬飼奈津子『Passion Relations真・広報PR術 想いをこめた「物語」が共感の連鎖を呼ぶ』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。
■催事が注目されず、頭を抱える日々
名古屋タカシマヤで、今では“伝説の催事”と呼ばれるようになったチョコレートイベント「アムール・デュ・ショコラ」。2001年から始まったこのイベントは、今や売上が40億円を超え、連日メディアに取り上げられる日本最大級の催事に育ちましたが、実は初めからメディアの注目を集めていたわけではありません。
毎年2月のバレンタインシーズンになると、どのメディアもチョコレートの話題であふれています。当然、アムール・デュ・ショコラにも取材が来るはずだと信じ、プレスリリースを送り続けていましたが、まったく反応がなく、頭を抱える日々が続きました。
「なぜ、取材されないんだろう?」
思い切って、あるテレビ局の方に尋ねたところ、返ってきたのはこんな言葉でした。
「『バレンタイン』というと、若い女の子が男の子にチョコレートを贈って告白する文化ですよね。でもうちの視聴者層は40代以上の女性が多いので、ターゲットが違うんです」
その言葉に、私はハッとさせられました。
最初は、催事の名称も「バレンタインランド」という、いかにも“若者向けイベント”という印象のもので、「バレンタイン=若い女性のイベント」という見られ方が強かった時代背景もありました。私もその空気をどこかで前提にしていたのかもしれません。広報として、もっと多様な視点に立つべきだったと、今は思います。

実際には、2000年代頃からすでに“自分へのご褒美”としてチョコレートを購入されるお客様も多くいらっしゃいました。それにもかかわらず、私の広報視点は、その新しい流れを十分に捉えきれていなかったことに気づかされ、深く反省したのを今でも覚えています。
■転換点は「仲間のひと言」
「どうすれば、メディアの視聴者層に響く切り口を見つけられるのか?」
そんな悩みを抱えていた頃、ある“ひと言”が、私の心を大きく揺さぶりました。それは、私が広報に着任したのと同じタイミングで食品催事のバイヤーに就任した同期の男性社員の言葉でした。
彼とは、アムール・デュ・ショコラや北海道物産展などの企画で常に連携を取り合い、プレスリリースを作成する際にも常にコミュニケーションを取っていました。そんな彼といつものように「何をすれば、この催事をもっと盛り上げられるか?」と話していたとき、彼が私の眼をまっすぐに見てこんなことを言ったのです。
■お祭りのような高揚感を感じてほしい
「アムール・デュ・ショコラの会場を、花火大会みたいにしたいんだ。花火大会は混んでいるけれど、それも含めてみんながその空間ごと楽しんでいる。実際に足を運んだときにしか感じられない臨場感や、並んだ屋台を見ながら『どれを食べようか』と考える時間、あのお祭りのような高揚感をアムール・デュ・ショコラの会場でもお客様に感じてもらいたい。そんな会場にしたいんだ」
私はそのとき、彼のその言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなるのを感じました。正直なところ、それまで北海道物産展などと比べるとアムール・デュ・ショコラはメディアの反応も薄く、当初は広報としてもさほど注力しようと思っていませんでした。
しかしその瞬間、私のなかではっきりとした想いが芽生えたのです。

「彼の想いを、広報として支えたい」
ただ商品をPRするのではなく、“彼の情熱ごと届ける広報”でありたい。そう強く思った私は、もう一度、ゼロからこの催事を見つめ直すことにしたのです。
■シェフにサインをもらい喜ぶお客様
そこでまず、アムール・デュ・ショコラという催事を私自身が「知る」ことから始めました。
現在のアムール・デュ・ショコラは、多くの有名シェフが連日のように来場し、お客様と直接交流することが最大の魅力のひとつとなっていますが、当時はまだ、名古屋タカシマヤと地縁のある岐阜出身の『シェ・シバタ』の柴田武シェフや地元・名古屋出身の『パティスリー・サダハル・アオキ・パリ』の青木定治シェフなど、限られたシェフのみが時折売場に立つ程度でした。
その当時はまだ「シェフが実際に売場でお客様と接点を持つこと」の価値に正直それほど注目していませんでした。ところが、実際に私自身がお客様目線で売場を歩いてみたところ、思いがけず心打たれる光景に出合ったのです。
それは、チョコレートのパッケージにシェフ直筆のサインをもらい、満面の笑みで写真を撮られているお客様の姿でした。それを目の当たりにしたとき、私は胸が熱くなりました。
これこそが、チョコレートを買う以上の価値であり、お客様がアムール・デュ・ショコラを訪れる大きな目的なのだ。お客様はただおいしいチョコレートを買いに来ているだけではない。憧れのシェフに会い、サインをもらい、言葉を交わし、新作の話を聞き、写真を撮る――そうした「交流そのもの」に大きな価値を見出していたのだと気づいたのです。
■お客様の期待を超える体験の創出
そして私は、「アムール・デュ・ショコラを花火大会のようにしたい」と語っていた同期の言葉を思い出し、さらに発想を広げて「アムール・デュ・ショコラをディズニーランドのようにしたい」と考えるようになりました。

ディズニーランドには、アトラクションや食事をはじめ、計算し尽くされたさまざまな魅力が「夢の空間」をつくりあげています。なかでも、“ミッキーやミニーに実際に会える”という体験は、その大きな魅力のひとつです。
アムール・デュ・ショコラも、まさにそれと同じ――“憧れのシェフに会える”という体験こそが、何よりも特別な価値を生み出していたのです。まずはアムール・デュ・ショコラにお越しくださるお客様の気持ちを「知る」という姿勢が、私の広報の出発点となりました。
■バレンタイン催事の物語を“つくり直す”
さらにもうひとつ、アムール・デュ・ショコラを広く知っていただくために取り組んだのが、「取材されるための物語」をつくり出すことでした。
先述したように、当初アムール・デュ・ショコラは、メディアの方々から「バレンタインのための催事」として見られており、それだけでは取材にもつながりにくい状況でした。結果として、取材されるに“ふさわしい”物語とは何かを問い直し、それをどう育て、伝えていくかが大事な視点になったのです。
メディアの方々との会話を重ねるなかで、私は次第にそのことの重要性に気づくようになりました。単なる商品紹介ではなく、イベントの背景や登場人物、物語が伴ってはじめて、人の心を動かす「伝えたくなる題材」になるのだということを、肌で感じるようになったのです。
「たとえば、地元の学生さんと有名ブランドのシェフがコラボレーションして商品を開発した、というストーリーがあれば、学生さんたちの奮闘ぶりも含めて取材しやすい。見ている方々も、そうした学生さんたちの姿に共感するのではないか」
アムール・デュ・ショコラをどうにかして取材していただけないかと模索していたとき、これまで北海道物産展などで密着取材をしてくださっていた親しいディレクターさんから、こんなアイデアをいただきました。私はすぐに当時のバイヤーの神谷健一さんに相談し、地元の製菓学校と人気ブランドとのコラボレーション企画を提案したのです。

■有名ブランドとパティシエ志望生のコラボ
するとありがたいことに、アムール・デュ・ショコラに出店しているなかでも、特に世界的に知られるブランドで、「フランスの至宝」とも称される『ミッシェル・ブラン』が協力してくれることになりました。
ミッシェル・ブランに直接指導してもらいながら、地元の製菓学校の学生さんたちが、名古屋タカシマヤ限定のコラボレーション商品を開発する。この企画は、パティシエを目指す学生さんたちにとっては、まさに夢のような機会でした。このプロジェクトは、開発の初期段階から完成、販売に至るまでの一連のプロセスをテレビで密着取材していただけることになったのです。
そして放送後、番組は大きな反響を呼びました。テレビ局からも「視聴率が好調だった」と感謝の言葉をいただきましたが、何より印象的だったのは、「学生たちが一生懸命つくったチョコレートを食べてみたい」という想いで、これまで足を運ぶことがなかった層のお客様が、多数来場してくださったことです。商品開発の“物語”に焦点を当てた広報の成功事例でした。
■関わる人々の“想い”に耳を傾ける
商品や販売の背景には、それぞれ物語が存在しますが、催事全体を象徴するような強い物語が、常にあるとは限りません。特にバレンタイン商戦のように、各百貨店がしのぎを削るなかでは、「より強い物語」を持つことが不可欠になります。
その場合、ときにはゼロから「物語をつくる」ことも必要です。どうすればメディアの方に興味を持っていただけるのか。その先にいる視聴者、つまりお客様の心を動かすには、どんな物語が必要なのか。
ひとつの物語だけでは届かないときも、いくつもの想いや出来事が重なり合うことで、大きな熱量が生まれることがあります。
その“熱”を感じられる企画を生み出すうえで、何よりも大切にしていたのが、「伝える」ことだけにとどまらず、まずは関わる人たちの“想い”にしっかりと耳を傾けることでした。
バイヤーの情熱、シェフのこだわり、そしてメディアの方が感じている現場の空気感。アムール・デュ・ショコラに関わる一人ひとりの想いに触れ、私自身が心を動かされ、そのうえで「この想いをどうすれば届けられるだろうか」と考える――。そんなふうに、広報としての視点を重ねながら、一つひとつの企画を丁寧に形にしていったのです。
■催事を取り巻く「信頼の輪」が広がった
メディアの方々からいただいたアイデアや視点の一つひとつを丁寧に拾い上げ、広報として形にしていくことで、少しずつメディアで取り上げていただける機会が増えていきました。そうした積み重ねが、「メディアに取材していただく」という一方通行の関係を超えて、「一緒に物語をつくっていく」関係性へと変化していったように思います。
そして、売場と広報が連携し、メディアや視聴者、さらにはブランドの方々や製菓学校の生徒さんたちなども加わり、“関係の輪”が少しずつ広がっていくのを私は肌で感じていました。
そして、このとき私は、はじめて心から思ったのです。これこそが「パブリック・リレーションズ=信頼の輪を育むこと」――広報の本質なのだと。

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犬飼 奈津子(いぬかい・なつこ)

PRデザイナー

Wo-one代表。名古屋駅の百貨店「ジェイアール名古屋タカシマヤ」で15年間、広報を担当。
「日本一露出する百貨店」を目標に、テレビ取材を年間約500件へと導く。バレンタイン催事「アムール・デュ・ショコラ」では、多数のメディア露出を通じて30億円の売上に貢献、店舗リピート率や顧客ロイヤリティ向上に寄与。独自の押しが強い広報スタイルが話題となり、情報番組出演時には「押しが強すぎると業
界で話題」とテロップを出されたことも。「広報・PRの力で、人や企業のステージを上げたい」との思いから、2023年6月に独立起業し株式会社Wo-oneを設立。企業の広報内製化や広報担当者の育成を支援している。また、KADOKAWA主催「広報・PR講座」講師、中日新聞社ビズトレWEB社内報講座講師、社内報アワード審査員、PRTIMES社プレスリリースエバンジェリスト、亀山ブランドアドバイザーなど、多方面で活動。「WO-ONE PR研究所」では、PR業界のコミュニティ形成や広報担当者のスキルアップ支援など、業界全体の成長にも力を入れている。

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(PRデザイナー 犬飼 奈津子)
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