■「ドングリのなる木を植える」「木の実を撒く」は効果が薄い
以前、某森林組合が、クマやイノシシが人里に出没するのを防ぐために「山にクリやドングリのなる木を植える」と言い出したことがある。
またクマ愛護を唱える一部の市民団体が、「クマは飢えているから里に出てくる」と主張して、山にドングリを運びばらまくという行動を取った。
どちらも山で木の実を食べて腹一杯になれば、里には現れないと考えたのだろう。
こうした発想には「クマは木の実が好き。山で十分に食べられたら、わざわざ人里に出てこないはず」という思い込みがある。だが、昨今の人里に出没するクマは、農地の作物を荒らし、市街地で生ゴミを漁ることが指摘されている。さらには家畜や人間を襲うケースも起きた。山に餌が十分にあっても人里に出てくるのではないのか。
本当のところクマは何を食べ、何が好きなのか。そこで昨今のクマ騒動を、各種の研究や観察事例を基にクマの食性という視点から考えたい。
■クマの餌の9割は植物質
まずクマは、北海道のヒグマ、本州・四国のツキノワグマいずれも雑食性動物だ。
ただし、餌の約9割が植物質だとされる。森に住むクマにとって、草木はもっとも手軽に得られる餌なのだ。実の成る樹木を発見すると、何度も通うことが知られている。
ただ6月から9月は、草木の若芽は伸びきって硬くなり、木の実はまだ実らせていないためクマにとって植物質の餌が減る。意外と夏は、餌が少なく飢える時期である。
■ハチミツよりもサケよりもアイスクリームに飛びついた
クマが食べる餌に対する観察例や実験例を紹介しよう。
まず全国的にクマの好物であるカキの実。むさぼり食うとされているが、何でも食べるわけではなさそうだ。
甘柿は、人間が品種改良して生み出した作物だ。ほかにも多くの農作物は、甘みを高め、渋み、苦みなどを減らすように品種改良を進めてきた。当然、人間が好む味にするためだが、クマにとっても好物なのだろう。
ヒグマを飼育している観光施設「のぼりべつクマ牧場」では、クマの好物に関する実験を行った結果を公表している。ヒグマの前にハチミツ、サケ、バニラアイスクリームを並べて、何を最初に食べるのかを試したところ、真っ先に食べたのがバニラアイスクリームだった。甘さでは負けないはずのハチミツよりもバニラアイスの方が甘い匂いが強いためかもしれない。果実でも、甘い実ほどよく食べたという。
■観光客のソーセージの味を覚えたクマは射殺された
北海道の知床財団は、観光客が車の中から若いメスグマにソーセージを与えた事例を報告している。するとそのクマは、毎年国道に姿を現すようになった。そして車列に餌をねだるようになったという。
新聞配達人がクマに襲われた事件のあった北海道南部の福島町では、観光客や登山者が「弁当やお菓子などのゴミを車から投げ捨てている」という声があった。また「畑に残飯を捨てる農家がいた」という報告もある。農家ならやってしまいがちだが、クマには美味しい餌の提供となる。そしてゴミの集積所が荒らされるようになったという。
平成11年度から21年度にかけて福島町を含む渡島半島地域で銃器によって捕獲されたクマ586個体の胃袋を分析した結果、7%に当たる42個体からゴミ袋が見つかった。
これは、人里に出没したり人を襲ったりしたクマは、ゴミを漁った経験を持つ確率が高いことを意味する。
■山に餌があってもより美味しい食べ物を求めて人里に出没する
クマが秋の川で獲るサケに関する調査もある。クマはサケを手当たり次第に捕まえて食べていたのではなかった。太った個体を見極めて獲り、しかも食べる際は頭や皮など脂ののった部位を選んでいた。一方で産卵を終えて脂の落ちたサケには目もくれないという。
人間が好む食べ物はクマにとっても好みらしい。言い換えれば、人間が美味しいと感じる食べ物は、クマにとっても美味しいのだろう。農作物や生ゴミを食べたクマは、そんな味がわかるグルメになったのだ。
クマだけでなく、イノシシやシカも、野の餌より農作物を欲しがる傾向にある。いずれも実験で確かめられているが、だから山に餌となるものが豊富にあっても、野生動物は美味しい餌を求めて人里に出没するわけである。
■「効率よく栄養を得られるか」で餌を選ぶ
ただクマが人里に求める餌は、「美味しさ」だけではなさそうだ。人間なら一口食べても吐き出す渋柿をそれなりに食べるように、味覚が人間並に敏感というわけでもないらしい。むしろ栄養価が嗜好に影響するという。
クマは、夏こそ繁殖期で体力を使う。秋になると冬眠に備えて体脂肪を蓄えなければならない。できるかぎり栄養価の高いものを食べたい。ドングリより人が栽培した甘い果実や農作物の方が、効率よく身体を太らせられるわけだ。
なかでも栄養価の高いのが肉だ。植物質の餌は、甘い果実などを除けばカロリーが少ない。その点、肉はタンパク質と脂肪の塊であり、圧倒的にカロリーが高いのである。
ちなみに草食動物は、草を食べてもセルロースを分解できない。そこで腸内細菌によって分解されて糖やタンパク質に変わってから吸収する。ただ変換効率は高くないから、莫大な量の草を食べないと身体を維持できない。その点、肉はすぐに栄養となる。
たとえば「シマウマは1日20時間ぐらい草を食べ続けないと生存に必要な栄養を得られないが、ライオンは3日に1度ぐらい獲物を捕らえその肉を食べたら十分」とされる。それほど肉は、効率のよい餌なのだ。
■「OSO18」が家畜ばかりを狙ったワケ
しかしクマにとって、これまで肉を得るのは難しかった。野生動物は俊敏に逃げるし、また広く薄く生息しているので見つけることも至難だった。
ところが、近年は獣害対策に駆除したシカなどの死骸が山に埋められるようになった。駆除数は、全国でシカ年間70万頭以上、イノシシ50万頭以上にもなる。その死骸のほとんどが利用されることなく現地で処分される。クマが、それを掘り返して食べるのは容易だろう。これが肉の味を覚えるきっかけになったという指摘は多い。
これで肉の味を覚えると、次に襲うのは家畜となる。
北海道東部で放牧中のウシ65頭を相次いで襲撃したヒグマ「OSO18」は、餌のほとんどを肉に頼っていたというが、実は同地域で2002~22年に駆除された他のヒグマを調べたところ、OSOと同様の傾向が確認された。
クマは、学習能力が非常に高い。農作物や家畜、もしくは生ゴミを食べて美味しいと感じたら、親から子へ、さらに他のクマへも肉食の魅力は伝播しているのだ。
■人里に出るのが最もコスパがいい
生息数が増えたクマは、森に餌が足りなくなると、新たな餌を探して行動範囲を広げた。そこで農作物や生ゴミ、そして駆除されたシカなどの屍肉を見つけた。一度食べると、どれも美味しく、栄養価も高い。しかも農作物は大量に栽培している。同じく家畜も多数飼育されている。つまりクマにとって“収穫”は容易で、1日中動き回って餌を探す手間が省けるわけである。コスパを重視すれば、人里に出るのがもっとも適している。
そう考えると、クマの人里出没が相次ぐ現状を説明できるのではないか。
そして人間もあまり危険でないことに気づいたのではないか。それどころか積極的に餌を提供してくれる観光客もいる。もはや人里は、美味しい餌が多くて安全な新天地だと学習してしまったのかもしれない。
そのうちクマは、人間を簡単に捕まえて食べられる餌(しかも美味しい?)と気づくかもしれない。そうなれば、積極的に人を襲うようになる? あまり想像したくない未来像である。
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田中 淳夫(たなか・あつお)
森林ジャーナリスト
1959年大阪生まれ。静岡大学農学部を卒業後、出版社、新聞社等を経て、フリーの森林ジャーナリストに。森と人の関係をテーマに執筆活動を続けている。主な著作に『絶望の林業』『森は怪しいワンダーランド』(新泉社)、『獣害列島 増えすぎた日本の野生動物たち』(イースト新書)、『森林異変』『森と日本人の1500年』(平凡社新書)、『樹木葬という選択』『鹿と日本人―野生との共生1000年の知恵』(築地書館)、『ゴルフ場に自然はあるか? つくられた「里山」の真実』(ごきげんビジネス出版・電子書籍)ほか多数。
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(森林ジャーナリスト 田中 淳夫)