秋篠宮家の長男、悠仁さまは今年、4月に筑波大学に入学され、9月には成年式を終えられた。武蔵大学社会学部教授の千田有紀さんは「天皇や皇室は、国民には親しみやすさと同時に、畏怖の念を持ってもらわなければならないのだが、悠仁さまにはそれが希薄だ。
ご自身がこれまでいかに重圧や困難を克服されてきたのかを、積極的に強調されてもいいのではないか」という――。
■成年式で見えた悠仁さまの緊張
悠仁さまが筑波大学にご入学されたあたりから、悠仁さまの近況を、メディアを通じてよく目にするようになった。私たちがよく知るファミリーレストランや牛丼チェーンに、ご学友と訪れられているようだ。高校時代にはあまり報道されてこなかった、こうした「普通」の大学生の生活は、非常に微笑ましい。東京からちょっと離れた筑波大学に進学されたのは、正解だったのではないか。
もしも都内の大学に進学されていたら、目撃情報も多くなり、自由は少なくなるだろう。また、母校を悪く言いたくはないが、東大の学生たちのなかでそういった「普通」の生活を送るのは、難しかったのではないかとも思う。入学をめぐって賛否両論の議論が起こったこともあり、いまのような“大学生らしい”生活は望めなかったのではないか。
もっとも、まさか電車に乗って、通学されることがあるとまでは想像がつかなかった。悠仁さまは、できるだけ「普通」の生活を体験されたいのだろう。これまでは難しかった、そして今後もいつかは難しくなるであろう生活を、ぜひ堪能していただきたい。悠仁さまの明るい笑顔が報道されて、国民に親しみをもってもらう機会が増えたことも、実によいことだと思う。

こうした悠仁さまの日常生活が報道される一方で、成年式の報道を見ると、不敬を恐れずに言えば、少々お気の毒であった。あまりに緊張されていらっしゃったからである。カメラワークは、「悠仁さまの緊張をいかに覆い隠すか」という点からも工夫されているようにも見えた。
■悠仁さまが背負ってきた重圧
私はかねて、「愛子さまを天皇に」という女帝論には、「愛子さまが気の毒である」「のびのびと自分の人生を生きていたただきたい」と言ってきたが、よく考えれば悠仁さまも同じである。
むしろ、その重圧は愛子さまを上回るものかもしれない。皇室に待ち望まれた40年ぶりの男児であり、現行の皇室典範では、実質的に自分の肩に皇統の行方がかかっている。しかし直系ではなく傍系であり、皇室典範の改正のさなかに自分が生まれたことによって議論も中断された。したがって「帝王学」も施されていなければ、侍従が教育係についたこともない。いまだかつてない「宙ぶらりん」の状態であり、さまざまなプレッシャーがのしかかってきている。ストレスを感じるのも当然であろう。
できるだけ露出を控えることで、ご両親が悠仁さまを守ろうとされてきたのだろうなと思うと、それはじゅうぶんに、理解可能である。そうしたご両親をはじめとする周囲の努力が、現在の悠仁さまの笑顔につながっているのだろう。

■あの時皇室典範が改正されていたら…
それにしても、としばし考える。もしも小泉純一郎政権で皇室典範改定の検討が始まる前か、もしくは検討が進んで改定された後に、悠仁さまがお生まれになっていたならば、事態はこんなに複雑にならなかっただろう。
あの時もし、皇室典範が改正され、愛子さまが次期天皇になることが決まっていたならば、将来の皇位の継承は少なくとも現状よりははるかに安定していただろう。その後であれば、悠仁さまの誕生は、後継継承者候補が増えることになるので、さらに望ましい事態になったはずだ。
ヨーロッパの王室も、とくに次世代は女性による継承が増える見込みのようである。イギリスでは、現実には長子が男児だったため(ウイリアム皇太子の長男、ジョージ王子)、男児が王位を継承するが、その誕生前に法改正をおこない、性別よりも出生順位を優先するようになった。
こうした近代的な王族のありかたを踏まえて、天皇を国民統合の象徴とするという側面から考えれば、日本でも愛子さまが次代の天皇に就かれるほうがふさわしいだろう。国民の9割が、女子による継承、つまり実際には「愛子天皇」を望んでいるという事態は、こうした近代的な皇室のありかたに私たちが慣れているからでもある。
■「国民統合の象徴」か「皇統の継承」か
一方、いわゆる保守派の提案する「旧宮家の復帰」という提案も、わからなくもない。現在の皇統の皇統、系譜を眺めていると、「この『系譜』の先に、どこから系統を持ってくれば続いていくのか」という発想になる。こちらは天皇制を支えてきた、「万世一系」という物語(実はそれも近代において強調された、新しい神話かもしれないのだが)を生かすことによって、日本の伝統を紡いでいこうという立場である。
将来、無事に悠仁さまが結婚され、男児が生まれたならば、細々とでも皇統は繋がっていく。
もしそうならなかった場合は、旧宮家の誰かに養子に来てもらうか、どうしようもなくなったらその時点で「女系」になっても致し方ない、そのときに考えればいいといった感じだろうか。
系譜に焦点を当てているからこそ、実は「旧宮家のひとたちが、いまさら養子として皇室入りしていけるのか」といった、人々の具体的な生活に焦点を当てて考えられることが、あまりなされないのである。
こうした、「国民統合の象徴としての天皇」と、「万世一系の伝統の継承者としての天皇」という2つの立場は、天皇制に望むことがまったく異なるために、いつまでも交わることがない。
■国民と過程を共有してきた愛子さま
象徴天皇制は、生きている天皇を「象徴」という不自由な立場に置き、国民がそれを認め、感謝することにより、天皇がもっているであろうはずの特権性を不問に付すシステムだと個人的に考えている。
今上陛下も、侍従の教育を受け、厳しく自らを律してこられた。ところが皇位の継承問題が「宙ぶらりん」となったことによって、こうしたシステムは中断してしまっている。
愛子さまは、母である雅子さまがまさに優秀な外交官であられたこと、そして適応障害によって療養されていらっしゃったという特別な事情により、雅子さまから直接さまざまなことを学ばれている。それはいわば、「伝統芸能」を継承する家の雰囲気にも近いだろう。さらに、不登校やいじめ、摂食障害などの困難に向き合い、また国民もそうした過程を、ときに批判し、ときに応援しながら共有してきている。
■「宙ぶらりん」の皇位継承問題が行きつくところ
悠仁さまは友人に、「皇族として自分の自由が制限されることもあるが、嫌にならないか」と聞かれ、「そういう制限があるけれども、貴重な体験ができたりするんだ」と答えられたという(NHK 成年式へ 素顔の悠仁さま 2025年9月3日17時33分)。
伝聞に論評を加えることははばかられるが、悠仁さまは皇族として「貴重な経験」を積まれてほしい。ただ少なくとも国民は、「自分がいわば『貴重な体験』ができるのは、国民の期待があってのことだから、自分を律してそれに応えなければならない」という回答を望んでいた面もあるだろう。
そうした天皇や皇室の置かれている場所を理解されなければ、皇族は実は国民の税金によって支えられている特権階級であるという側面が、露呈してしまう。
「貴重な経験」である「特権」は、自由の制限や国民のために自分を律することと、ペアになっているからである。言い換えれば、国民には親しみやすさと同時に、畏怖の念を持ってもらわなければならないのだが、悠仁さまにはそれが希薄である。そのためにはむしろ、いかにご自身がこれまで重圧や困難を克服されてきたのかを、積極的に強調されてもいいのではないか。
皇統をめぐるあれこれは、早晩に解決されるべきである。いまの若い世代は、皇室にかんする関心を失いつつある。国民からの関心が低くなれば、国と国民統合の象徴である天皇制の存立基盤自体が、危うくなっていくことだろう。
皇統をめぐるあれこれは、結果として天皇制への関心の薄さに繋がっていく。国民からの支持を得ない天皇制は、どのようなものになっていくのだろうか。

----------

千田 有紀(せんだ・ゆき)

武蔵大学社会学部教授

1968年生まれ。東京大学文学部社会学科卒業。東京外国語大学外国語学部准教授、コロンビア大学の客員研究員などを経て、武蔵大学社会学部教授。
専門は現代社会学。家族、ジェンダー、セクシュアリティ、格差、サブカルチャーなど対象は多岐にわたる。著作は『日本型近代家族―どこから来てどこへ行くのか』、『女性学/男性学』、共著に『ジェンダー論をつかむ』など多数。ヤフー個人

----------

(武蔵大学社会学部教授 千田 有紀)
編集部おすすめ