■令和版「100年人生ゲーム」の教え
皆さんは、子どもの頃、「人生ゲーム」で盛り上がった経験はおありだろうか。
「人生ゲーム」は、プレイヤーが人生を疑似体験する定番ファミリー・ボードゲームだ。アメリカで生まれ、日本では1968年に玩具メーカーの老舗、タカラ(現・タカラトミー)から発売された。
人生は一度きり。前世の記憶があるならいざ知らず、大抵の人は、まっさらな人生を歩んでいく。パイロットにもなりたいし、キャビンアテンダントにもなりたいし、宇宙飛行士にもなりたいし、お嫁さんにもなりたい……。たくさんの夢を抱きつつも、選べる人生は一つだけ。そんなことは百も承知だからこそ、「人生ゲーム」は面白い。現世では叶いそうもないライフコース、例えば「大金持ちになって人生の勝者!」になる夢をゲームでくらい楽しみたい。人生でとびっきりの大富豪になるか、はたまた人生のどん底に落ちるか。そのハラハラ感が、このゲームを息の長いものとしている。
ところがこの「人生ゲーム」、令和になってだいぶ様相が変わってきたといううわさを聞きつけた。
なにより私の興味をそそったのは、この「100年人生ゲーム」は、博報堂のシンクタンク「100年生活者研究所」との共同研究で開発されたということ。かなり本気のボードゲームとみた。さらに従来版「人生ゲーム」が、「なるべく早く、できるだけ多くお金を稼ぐ」のが主眼だったのに対し、令和版「人生ゲーム」の「100年人生ゲーム」では、「ゆっくり、自分らしく幸せになる」が、人生の目的とされている点だ。
■20歳時点で自分の価値観を選ぶルール
人生の目的は、本来人それぞれ違う。だから新しい人生ゲームでは、プレイヤーは20歳になった時点(つまり、20歳の誕生日のマスに到達した時点)で、自分の「価値観」を「健康マニア」や「家族想い」など14種類の中から選び取る。健康・趣味・ファッション・人間関係などの価値観をベースに、その後の「人生」は進んでいく。ゲーム内では選んだ価値観によって、その後の人生の特典も変わってくるというのが興味深い。
従来の人生ゲームでは、「自家発電で電気が売れた/3万ドルもらう」などお金を貯めるのが目的だが、このゲームで集めるのは「お金」ではない。ゲットして貯めていくのは、「ウェルビーイング・ポイント(通称ウェルポ)」。
ゲーム内に登場するエピソードの数々は、1万人以上の生活者から集めた実際の体験談に基づいているというのも面白い。机上の空論ではなく、現実に起こりうる出来事の数々がゲーム内に投影され、参加者にリアリティを感じさせているのだ。
たかがゲーム、されどゲーム。ボードは人生の縮図でもある。「もしかしたら将来、自分の身に起きるかもしれないこと」を疑似体験しながら、来たるべき「人生100年時代」に備えよう。そんなゲームが売れているという現象自体、家族社会学をライフワークにしてきた私にとっては、なにより興味深いことなのだ。
■『LIFE SHIFT』で明らかにされた寿命の衝撃
「人生100年時代」。このワードが初めて世界の人々に衝撃を与えたのは、リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットの著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)――100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)だった。日本語訳は2016年に出版され話題になった。その後、新型コロナウイルスの感染拡大で、これまでの生き方を見直そうという動きも進んだ。そこにも大きな影響を与えた書だ。
それまでも私たちは医療技術の向上や食生活の向上などで、人間の平均寿命がだんだん延びていることに薄々と気づいてはいた。特に日本では戦後、平和の時期が長く続き、人は死ななくなった。だがまさか平均寿命が100歳近くまで延びるとは、誰もが予想していなかっただろう。
この本は、次の3つのポイントにまとめられる。
① 人生はもはや「教育→就労→引退」の3ステージだけでは語れなくなった
② 新しい学びや働き方、人間関係の構築が必要である
③ 人生の価値は経済的成功だけでは測れない。「何が幸福か」はそれぞれ異なる
■長生きとは老後が15年延びること
確かに100歳近くなって、いくら「有形資産(土地や金融資産、社会的ポジション)」があっても、心が満たされていなければ寂しい老後を送ることになる。社会的勝者として豪邸を建てても、引退後に自分の周りに誰もいなければ心は満たされないからだ。家族関係、友人関係、健康、趣味、精神的支え。そうした「無形資産」はお金で買えないだけに、若い頃からの心がけがものをいう。まさに「100年人生ゲーム」の「ウェルビーイング・ポイント」的な世界観だ(というかこのゲーム自体、グラットンらの主張を下敷きにしていることが推察されるのだが)。
実際に「人生100年時代」は、すぐそこまで来ている。1960年の日本の平均寿命は、女性が70歳で男性が65歳だった。
長生きできることは喜ばしい。だが、現実はそれほどシンプルにはいかない。若い青春が15年延びるならいいが、老後が15年延びるとなれば、「リスク」も当然増えていく。体力も気力も衰え、もしかしたら十分な老後資金も持っていないかもしれない。ともに過ごす家族がいるかどうかもわからない。自分がどんな80歳を迎えているのか、私も含めて断言できないのが人生だ。
■100年人生の「幸せ」の再定義
本書『単身リスク』で訴えたいことは、ただひとつである。戦後から高度経済成長期を経て平成期に至るまで、我々日本人は、たぐいまれな向上心を持って「より早く、より多く」を目指してきた。人より早く出世コースに乗り、人より多く資産を築き、人より高い社会的地位を得る。
だが、時代は変わった。もはや戦後ではないし、昭和でも、平成ですらもない。令和の時代、私たちが目指すべきは、自分らしいペースで「ゆっくり、幸せに」なることなのではないか。
人生が60代で終わるなら、フルスピードで人生を駆け抜けてもいいだろう。多少無理を重ねて体を痛めつけようが、家族関係にひびが入ろうが、太く短く生きる人生もアリかもしれない。
だが、100歳まで生きるならば、60代で体や心がボロボロでは困るのだ。仕事人間で働き続け、定年退職と同時にハタと気づくと、家族が自分のもとを去っていた……そんな人生相談を、私は数え切れないほど受けてきた。
■自分らしく満足することが幸せの解
もちろん人生は多様である。幸せの「正解」など、この世に存在しない。私が言いたいのは、どうか「自分らしく、満足する人生」を送ってほしいということだ。
なぜ、今さらこんなことを改めて言うのか。
ここでのポイントは、「リスク」と「失敗」は同義語ではないということだ。人生に「リスク」はあっていい。誰だって未来を的確に予想することはできない。人生には思いもよらないこと、本来望まなかったことが起こりうるからだ。でもだからこそ、「リスク」をしっかりと理解したうえで、自分らしい人生の選択余地がある社会であること。それが、必要なのである。
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山田 昌弘(やまだ・まさひろ)
中央大学文学部教授
1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。主著に『パラサイト・シングルの時代』『希望格差社会』(ともに筑摩書房)、『「家族」難民』『底辺への競争』(朝日新聞出版)、『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか?』(光文社)、『結婚不要社会』『新型格差社会』『パラサイト難婚社会』(すべて朝日新書)、『希望格差社会、それから』(東洋経済新報社)など。
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(中央大学文学部教授 山田 昌弘)