日本各地でクマによる被害が相次いでいる。環境省発表の資料「クマ類による人身被害(速報値)」によると、2025年4月から8月末までに襲われた人は69人、うち5人が命を落とした。
■クマによる襲撃の一部始終がYouTubeに
手のひらの中に収まるほどの小さな機器に、電話はもちろん、地図帳も、スケジュール表も、動画再生装置も、カメラも入っている。誰もがいつでも動画を撮ることができ、それを簡単に世界中へ発信することができる。
そんな時代だから、インターネット上にはさまざまな「決定的瞬間」がアップされている。
2024(令和6)年に公開されたある動画が、大変な注目を集めている。公開から2年弱を経た現在、すでに65万回以上の再生数を達成している(※)。
※2025年9月時点では72万回再生。
山菜採りを生業とする人物が、とある山中でマイタケを採取しているところにツキノワグマと遭遇。あっという間に襲い掛かってきたクマとの攻防の一部始終を、ヘルメットに装着したビデオカメラが記録していたのだ。
カメラの主は、山中を歩くための杖代わりにしていた棒切れを、咄嗟の判断で拾い上げる。
■絶叫しても棒で叩いても止まらないクマの猛攻
目にも留まらぬ速さで駆け寄るクマ。
見た目は小さいがその動きは驚くほど敏捷で、何度も何度も鋭い爪を繰り出してくる。襲われている人物は「ホアー! ホアー!」と大声で叫びながら棒を振り下ろすが、クマは攻撃の手を緩めない。
時間にして、1分か、2分か。
とても長く感じられるが、実際のところは10秒にも満たない一瞬のことだった。腕をかまれ、足に爪を立てられ、もはやこれまで……と覚悟を決めたところで、クマは気が済んだのか、猛スピードで去っていった。
幸いに命に別状はなかったが、腕から激しく出血する様子が、リアルタイムの生々しい映像として残された。
日本は周囲を海に囲まれた島国でありながら、地形的には山間部も多く、北海道をはじめとして全国各地にクマが生息する。クマと人が接触することによる事故も度々発生しているが、中でも顕著なのが東北地方だ。
2024(令和6)年度のクマ類による人身被害の発生状況を見ると、東北地方の中でも秋田県が9件ともっとも多く、次いで岩手県が8件と続く(環境省「令和6年度クマ類の出没状況等について」より)。
■地元岩手にUターンして始めたこと
岩手県岩泉町に住む佐藤誠志(当時57歳)さんも、そんなクマ被害に遭遇した一人。
佐藤さんは「原生林の熊工房」という名のネットショップを経営している。扱っているのはペット用品の他に、キノコや山菜など、ご当地の美味しい食材だ。
毎日午前3時に起きると山に向かい、熟知したポイントを回って山菜類を採取する。山を下りた午後は採ってきた食材の加工や商品の梱包作業をし、夜は自身が運営するYouTubeチャンネルのための動画編集やSNSでの情報発信に時間を費やす。
佐藤さんは生まれたのも同じ岩泉町。地元の高校を卒業後、一旦は東京にある会社に就職したが、1年後には故郷へUターンしてスキー用品を扱う会社に転職した。
その後、盛岡市内の食品加工会社に転職。リンゴのレトルト食品を作る仕事に従事していたが、その会社がなくなったことで今度は盛岡冷麺のシェアではナンバーワンの会社に移籍。そこで食品の包装作業に取り組んでいた。
その間も休日などは趣味の山歩きを続け、その様子を動画撮影してはYouTubeチャンネル「原生林の熊」にアップし続けていた。
それらが少しずつ注目を集めるようになり、やがて佐藤さんが採取した山菜やキノコが美味しそうだということで所望する人たちが現れた。
そうしたリクエストに応えるため、会社員の傍ら通販も手掛けるようになった。採ってきた山菜類を加工し、真空パックにする技術はサラリーマン時代に学んで手慣れたものだ。原生林の熊工房の商品は確実に顧客を増やしていった。
■イヌじゃない……
そんな佐藤さんに転機が訪れたのは、3年前。56歳のときだった。
地元の町議会議員からの「地域おこし協力隊に参加してほしい」との要請を受けて会社を辞め、地元の美味しいものを全国に発信する「原生林の熊工房」の仕事に本腰を入れることにしたのだ。
2014(平成26)年に開設されたYouTubeチャンネル「原生林の熊」を見てみる。
最初の頃は、飼っている北海道犬の愛らしい姿や、地元周辺にそびえる山々の景観を紹介する動画が中心だった。そこから次第に山菜採りの様子や、採ってきたものをレトルト加工する様子なども動画に収めていくようになる。
そして、2023(令和5)年9月28日に衝撃的な出来事が起こる。
冒頭で紹介したクマとの遭遇である。
その場所は、岩泉町の東側、盛岡市との境界に広がる早坂高原だった。
「あの日もマイタケを採るところをYouTube用に撮影してたんです。そうしたら、先の方でガサガサッと音がしたんでイヌだと思った。
一匹連れてきたイヌをはなしていたから、そいつがもどってきたんだと思って『おーい!』って声をかけたら、8メートルばかり先のところでササが2カ所動いたんですよ。
あっ、これはイヌじゃないと思った瞬間、子グマがバーってカラマツの木に登ったんです。それでこっち側に母グマがいるのが見えて。『あぁ、ダメだこりゃ。オレは今日やられるわ』って、その瞬間に覚悟した」
■どこにも逃げられず、頼れるものは棒切れだけ
これまでにも友人たちから「お前はいつかクマに襲われるぞ」と言われていたという。毎日のように山に分け入り、美味しいものばかり採ってきているから、いつかそのしっぺ返しが来るだろうと。
その日は唐突にやってきた。
常日頃から覚悟はしていたので、何度か脳内でシミュレーションをし、気持ちの準備だけはしていた。
動画の中で手にした棒切れは山歩きのための杖だったが、武器になるものはそれしかない。それを力の限り振り回して、相手に叩きつけた。
「いざ襲われるってなったら、人間はクマに勝てません。向こうが本気で怒っていたら、たとえ20キログラム弱のクマでもスピードが速すぎて、勝てるはずがないんです。イヌの20キログラムとはわけが違う。
イヌはかじるだけだけれど、クマには爪があって、スピードがあって、何しろパワーが桁違い。だから、人間にできるのはハッタリしかない」
佐藤さんはそばに生えていた太いミズナラの木を盾がわりにして、その背後へ回り込んだ。
だが、クマも回り込んでくる。受け身になってはいけない。ここはアドレナリンを高めて気持ちで勝つしかないと考え、先制攻撃を仕掛けた。
頼りになるのは一本の棒っ切れだけ。覚悟を決めて叩きつけた。
人間の心理としては、クマと遭遇したらどうしても逃げ出したくなるだろう。8メートル先にクマがいるのを見かけて、その場に留まっていられる者などいない。
しかし、どんなクマ対策の文献を読んでも、視線の合ったクマに背を向けて逃げるのはまずいと書いてある。
たとえ逃げたとしても、絶対にクマの方が脚が速い。逃げたところですぐに追いつかれ、うしろからガバっとやられてしまう。
■「もうおしまい」だと思ったら
「それが分かってるんで、もう逃げても無駄だから『イチかバチかカマそう』と思って叩いた。こういうときはいつも以上の集中力が発揮されるもんで、鼻先に命中したんですよ。
でも、当たったのに向こうは全然ひるまないで何度も襲ってくるんです。『しつけぇなあ、長げぇなあ』とお思いながら棒を振り上げた瞬間に間合いに入られて、腕にかじりついてきたから『あぁ終わりだ、もうダメだ……』と観念しかけただんだけど、そうしたらパッて離れて逃げていっちゃった」
間一髪のところで命拾いである。なぜ逃げて行ったのか、その理由は分からない。一旦は子グマのところへ戻って、子グマの安全を確認したら、再びダメ押しをしに来るのだとか。
過去にも、一人が襲われて、道路に上がって介抱をしていたところにまた戻ってきて、二人ともやられてしまったという例もあったそうだ。とにかく、1回の襲撃だけでさってくれたのは、運が良かったと言うしかない。
■2年経っても残る傷跡
佐藤さんは、クマにかじられた痕を見せてくれた。左腕のシャツの袖をめくると、2つの牙の痕が残っていた。事故からすでに2年経つというのに、まだその傷跡は生々しい。
ツキノワグマとしては小さい方だったというが、牙の間隔は10センチメートルほどもあり、思いのほか広い。
また、腕以外に左脚の腿も4カ所ほど爪でえぐられている。去り際のほんの一瞬だったそうだ。パッとかじられて、引っかかれて、1秒もかかっていない。
やられた瞬間は、何をされたのかも血をみるまでは分からなかったという。痛みもあまり感じず、何かケガをさせられたなと思う程度だった。動画の中でも、傷を確認している最中に不意に血が流れだして驚く様子が収録されている。
佐藤さんはクマ被害としてはケガの程度も軽かったので、自分で応急処置を施した。
この時は包帯などを携帯していなかったので、かじられた腕をタオルでくるみ、絶縁テープでぐるぐる巻いて止血した。その後、自ら車を運転して病院へ向かった。
■クマの襲撃を経験後、欠かせなくなったもの
「私は県内の“クマに襲われた人”の数に含まれていないんですよ。盛岡の県立中央病院に行くと必ずニュースになるんです。それは避けたかったので、救急車を呼ばずに、あまりに忙しくなさそうな病院へ行っちゃった。だから、単にケガした人でしかない。
ただ、そのときの動画がバズってSNSで有名になったから、結果的には多くの人に知られてしまった。いろんな取材を受けて、なかには海外のテレビ局もありましたよ。まあ、リアルにクマに襲われている最中の動画なんて、なかなかないですからね」
季節は9月。汗をかくために服装は長そでシャツ程度の軽装だったが、頭にはヘルメットをかぶっていた。
それはクマから身を守るためというよりも、あくまでもカメラを装着するためのものだった。しかし、そのことが結果的には、クマによる襲撃の一部始終を一人称視点で記録することにつながった。
今はこの出来事を教訓に、クマ対策の意味でもヘルメットは欠かせないという。
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風来堂(ふうらいどう)
編集プロダクション
編集プロダクション。国内外問わず、旅、歴史、アウトドア、サブカルチャーなど、幅広いジャンル&テーマで取材・執筆・編集制作を行っている。バスや鉄道、航空機など、交通関連のライター・編集者とのつながりも深い。編集担当本は、『秘境路線バスをゆく 1~8』『“軍事遺産”をゆく』(イカロス出版)、『ダークツーリズム入門』『図解 「地形」と「戦術」で見る日本の城』『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト・プレス)、『ニッポン秘境路線バスの旅』(交通新聞社)、『2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」』(深笛義也著、清談社Publico)、『日本クマ事件簿』『クマから逃げのびた人々』(三才ブックス)など。代表の今田壮(筆名:今泉慎一)の著作に『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社)、『戦う山城50』(イースト・プレス)がある。
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(編集プロダクション 風来堂)
クマに遭遇した際、明暗を分けるものは何か。クマの襲撃から生きのびた人々の証言を集めた『クマから逃げのびた人々』(三才ブックス)から、山菜取りの男性の事例を紹介する――。(第1回)
■クマによる襲撃の一部始終がYouTubeに
手のひらの中に収まるほどの小さな機器に、電話はもちろん、地図帳も、スケジュール表も、動画再生装置も、カメラも入っている。誰もがいつでも動画を撮ることができ、それを簡単に世界中へ発信することができる。
そんな時代だから、インターネット上にはさまざまな「決定的瞬間」がアップされている。
2024(令和6)年に公開されたある動画が、大変な注目を集めている。公開から2年弱を経た現在、すでに65万回以上の再生数を達成している(※)。
※2025年9月時点では72万回再生。
山菜採りを生業とする人物が、とある山中でマイタケを採取しているところにツキノワグマと遭遇。あっという間に襲い掛かってきたクマとの攻防の一部始終を、ヘルメットに装着したビデオカメラが記録していたのだ。
カメラの主は、山中を歩くための杖代わりにしていた棒切れを、咄嗟の判断で拾い上げる。
■絶叫しても棒で叩いても止まらないクマの猛攻
目にも留まらぬ速さで駆け寄るクマ。
見た目は小さいがその動きは驚くほど敏捷で、何度も何度も鋭い爪を繰り出してくる。襲われている人物は「ホアー! ホアー!」と大声で叫びながら棒を振り下ろすが、クマは攻撃の手を緩めない。
時間にして、1分か、2分か。
とても長く感じられるが、実際のところは10秒にも満たない一瞬のことだった。腕をかまれ、足に爪を立てられ、もはやこれまで……と覚悟を決めたところで、クマは気が済んだのか、猛スピードで去っていった。
幸いに命に別状はなかったが、腕から激しく出血する様子が、リアルタイムの生々しい映像として残された。
日本は周囲を海に囲まれた島国でありながら、地形的には山間部も多く、北海道をはじめとして全国各地にクマが生息する。クマと人が接触することによる事故も度々発生しているが、中でも顕著なのが東北地方だ。
2024(令和6)年度のクマ類による人身被害の発生状況を見ると、東北地方の中でも秋田県が9件ともっとも多く、次いで岩手県が8件と続く(環境省「令和6年度クマ類の出没状況等について」より)。
■地元岩手にUターンして始めたこと
岩手県岩泉町に住む佐藤誠志(当時57歳)さんも、そんなクマ被害に遭遇した一人。
佐藤さんは「原生林の熊工房」という名のネットショップを経営している。扱っているのはペット用品の他に、キノコや山菜など、ご当地の美味しい食材だ。
毎日午前3時に起きると山に向かい、熟知したポイントを回って山菜類を採取する。山を下りた午後は採ってきた食材の加工や商品の梱包作業をし、夜は自身が運営するYouTubeチャンネルのための動画編集やSNSでの情報発信に時間を費やす。
佐藤さんは生まれたのも同じ岩泉町。地元の高校を卒業後、一旦は東京にある会社に就職したが、1年後には故郷へUターンしてスキー用品を扱う会社に転職した。
その後、盛岡市内の食品加工会社に転職。リンゴのレトルト食品を作る仕事に従事していたが、その会社がなくなったことで今度は盛岡冷麺のシェアではナンバーワンの会社に移籍。そこで食品の包装作業に取り組んでいた。
その間も休日などは趣味の山歩きを続け、その様子を動画撮影してはYouTubeチャンネル「原生林の熊」にアップし続けていた。
それらが少しずつ注目を集めるようになり、やがて佐藤さんが採取した山菜やキノコが美味しそうだということで所望する人たちが現れた。
そうしたリクエストに応えるため、会社員の傍ら通販も手掛けるようになった。採ってきた山菜類を加工し、真空パックにする技術はサラリーマン時代に学んで手慣れたものだ。原生林の熊工房の商品は確実に顧客を増やしていった。
■イヌじゃない……
そんな佐藤さんに転機が訪れたのは、3年前。56歳のときだった。
地元の町議会議員からの「地域おこし協力隊に参加してほしい」との要請を受けて会社を辞め、地元の美味しいものを全国に発信する「原生林の熊工房」の仕事に本腰を入れることにしたのだ。
2014(平成26)年に開設されたYouTubeチャンネル「原生林の熊」を見てみる。
最初の頃は、飼っている北海道犬の愛らしい姿や、地元周辺にそびえる山々の景観を紹介する動画が中心だった。そこから次第に山菜採りの様子や、採ってきたものをレトルト加工する様子なども動画に収めていくようになる。
そして、2023(令和5)年9月28日に衝撃的な出来事が起こる。
冒頭で紹介したクマとの遭遇である。
その場所は、岩泉町の東側、盛岡市との境界に広がる早坂高原だった。
「あの日もマイタケを採るところをYouTube用に撮影してたんです。そうしたら、先の方でガサガサッと音がしたんでイヌだと思った。
一匹連れてきたイヌをはなしていたから、そいつがもどってきたんだと思って『おーい!』って声をかけたら、8メートルばかり先のところでササが2カ所動いたんですよ。
あっ、これはイヌじゃないと思った瞬間、子グマがバーってカラマツの木に登ったんです。それでこっち側に母グマがいるのが見えて。『あぁ、ダメだこりゃ。オレは今日やられるわ』って、その瞬間に覚悟した」
■どこにも逃げられず、頼れるものは棒切れだけ
これまでにも友人たちから「お前はいつかクマに襲われるぞ」と言われていたという。毎日のように山に分け入り、美味しいものばかり採ってきているから、いつかそのしっぺ返しが来るだろうと。
その日は唐突にやってきた。
常日頃から覚悟はしていたので、何度か脳内でシミュレーションをし、気持ちの準備だけはしていた。
動画の中で手にした棒切れは山歩きのための杖だったが、武器になるものはそれしかない。それを力の限り振り回して、相手に叩きつけた。
「いざ襲われるってなったら、人間はクマに勝てません。向こうが本気で怒っていたら、たとえ20キログラム弱のクマでもスピードが速すぎて、勝てるはずがないんです。イヌの20キログラムとはわけが違う。
イヌはかじるだけだけれど、クマには爪があって、スピードがあって、何しろパワーが桁違い。だから、人間にできるのはハッタリしかない」
佐藤さんはそばに生えていた太いミズナラの木を盾がわりにして、その背後へ回り込んだ。
だが、クマも回り込んでくる。受け身になってはいけない。ここはアドレナリンを高めて気持ちで勝つしかないと考え、先制攻撃を仕掛けた。
頼りになるのは一本の棒っ切れだけ。覚悟を決めて叩きつけた。
人間の心理としては、クマと遭遇したらどうしても逃げ出したくなるだろう。8メートル先にクマがいるのを見かけて、その場に留まっていられる者などいない。
しかし、どんなクマ対策の文献を読んでも、視線の合ったクマに背を向けて逃げるのはまずいと書いてある。
たとえ逃げたとしても、絶対にクマの方が脚が速い。逃げたところですぐに追いつかれ、うしろからガバっとやられてしまう。
■「もうおしまい」だと思ったら
「それが分かってるんで、もう逃げても無駄だから『イチかバチかカマそう』と思って叩いた。こういうときはいつも以上の集中力が発揮されるもんで、鼻先に命中したんですよ。
でも、当たったのに向こうは全然ひるまないで何度も襲ってくるんです。『しつけぇなあ、長げぇなあ』とお思いながら棒を振り上げた瞬間に間合いに入られて、腕にかじりついてきたから『あぁ終わりだ、もうダメだ……』と観念しかけただんだけど、そうしたらパッて離れて逃げていっちゃった」
間一髪のところで命拾いである。なぜ逃げて行ったのか、その理由は分からない。一旦は子グマのところへ戻って、子グマの安全を確認したら、再びダメ押しをしに来るのだとか。
過去にも、一人が襲われて、道路に上がって介抱をしていたところにまた戻ってきて、二人ともやられてしまったという例もあったそうだ。とにかく、1回の襲撃だけでさってくれたのは、運が良かったと言うしかない。
■2年経っても残る傷跡
佐藤さんは、クマにかじられた痕を見せてくれた。左腕のシャツの袖をめくると、2つの牙の痕が残っていた。事故からすでに2年経つというのに、まだその傷跡は生々しい。
ツキノワグマとしては小さい方だったというが、牙の間隔は10センチメートルほどもあり、思いのほか広い。
また、腕以外に左脚の腿も4カ所ほど爪でえぐられている。去り際のほんの一瞬だったそうだ。パッとかじられて、引っかかれて、1秒もかかっていない。
やられた瞬間は、何をされたのかも血をみるまでは分からなかったという。痛みもあまり感じず、何かケガをさせられたなと思う程度だった。動画の中でも、傷を確認している最中に不意に血が流れだして驚く様子が収録されている。
佐藤さんはクマ被害としてはケガの程度も軽かったので、自分で応急処置を施した。
この時は包帯などを携帯していなかったので、かじられた腕をタオルでくるみ、絶縁テープでぐるぐる巻いて止血した。その後、自ら車を運転して病院へ向かった。
■クマの襲撃を経験後、欠かせなくなったもの
「私は県内の“クマに襲われた人”の数に含まれていないんですよ。盛岡の県立中央病院に行くと必ずニュースになるんです。それは避けたかったので、救急車を呼ばずに、あまりに忙しくなさそうな病院へ行っちゃった。だから、単にケガした人でしかない。
ただ、そのときの動画がバズってSNSで有名になったから、結果的には多くの人に知られてしまった。いろんな取材を受けて、なかには海外のテレビ局もありましたよ。まあ、リアルにクマに襲われている最中の動画なんて、なかなかないですからね」
季節は9月。汗をかくために服装は長そでシャツ程度の軽装だったが、頭にはヘルメットをかぶっていた。
それはクマから身を守るためというよりも、あくまでもカメラを装着するためのものだった。しかし、そのことが結果的には、クマによる襲撃の一部始終を一人称視点で記録することにつながった。
今はこの出来事を教訓に、クマ対策の意味でもヘルメットは欠かせないという。
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風来堂(ふうらいどう)
編集プロダクション
編集プロダクション。国内外問わず、旅、歴史、アウトドア、サブカルチャーなど、幅広いジャンル&テーマで取材・執筆・編集制作を行っている。バスや鉄道、航空機など、交通関連のライター・編集者とのつながりも深い。編集担当本は、『秘境路線バスをゆく 1~8』『“軍事遺産”をゆく』(イカロス出版)、『ダークツーリズム入門』『図解 「地形」と「戦術」で見る日本の城』『カラーでよみがえる軍艦島』(イースト・プレス)、『ニッポン秘境路線バスの旅』(交通新聞社)、『2022年の連合赤軍 50年後に語られた「それぞれの真実」』(深笛義也著、清談社Publico)、『日本クマ事件簿』『クマから逃げのびた人々』(三才ブックス)など。代表の今田壮(筆名:今泉慎一)の著作に『おもしろ探訪 日本の城』(扶桑社)、『戦う山城50』(イースト・プレス)がある。
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(編集プロダクション 風来堂)
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