松本清張作品が現代もなお広く読み続けられるのはなぜか。エッセイストの酒井順子さんは「松本清張は没後30年を経てなお生々しい現役感を放ち続けている。
息の長い清張人気の陰に女あり、なのではないか」という――。
※本稿は、酒井順子『松本清張の女たち』(新潮社)の一部を再編集したものです。
■没後三十年経ても流行作家
明治四十二年(一九〇九)に生まれた松本清張は、太宰治と同い年である。没後三十年以上を経てなお、生々しい現役感のようなものを放ち続ける松本清張と、歴史上の作家という印象の、太宰治。両者の印象は同い年とは思えないほどに異なるが、その原因はそれぞれが活動していた時期の違いによるところもあろう。
松本清張の小説家デビューは、遅い。家が貧しかったため、高等小学校を卒業した後、様々な仕事を経験した清張。自身が書いた作品が懸賞小説に入選したのは四十歳をすぎてからであり、勤めを辞めて専業の作家となったのは、四十六歳の時だった。
一方の太宰は、清張の作品が懸賞に入選した時、既にこの世にはいない。彼は二十代のうちに作家としての活動を始め、三十八歳で他界しており、松本清張と太宰治の活動時期は、重なっていないのだ。
人生の早いうちから作家としての活動を始め、人生を終えるのも早かった太宰。対して清張は、中年になってから作家デビューを果たし、それから約四十年間、猛然と小説を書き続けた。
清張が作家として活躍した時代は、戦後の日本が右肩上がりで成長を続ける時代と、重なっている。
清張の執筆量が最も多かった頃、日本は高度経済成長期を迎えていた。ぐんぐんと発展を続ける日本が抱える成長痛や、貪欲に上を目指す人間が内に秘める暗部を捉えた清張の小説は大人気となり、一九六〇~七〇年代は、いわゆる長者番付の作家部門で、トップの常連となっている。
今の人々にとって松本清張は、作品が時折、ドラマや映画の原作となる“昭和の流行作家”の一人かと思う。しかし現役当時の清張は、小説のみならず、ノンフィクションの執筆を通して、戦後の日本を鋭く批判。政治、宗教、歴史等、広範な分野の知識を持ち、創価学会の池田大作と日本共産党の宮本顕治の間に立って“和解”を取り持つ等、社会に強い影響力を持つ存在だった。
清張は平成四年(一九九二)、八十二歳で他界する。それはあたかも、戦後から続いた右肩上がりの時代が、バブル崩壊と同時に終わるのに合わせて世を去ったかのようでもあった。
現役時代に人気が高くとも、没後は著作を書店で目にする機会が激減する作家は多いが、清張の没後三十年となった今も、その作品が書店の棚に占めるスペースは広い。のみならず作品の映像化も、今なお続いている。
■人気の陰に「女」あり
なぜ、清張作品は現在も愛され続けているのか。
それも、古い時代の名作と言うよりは、現代と重ねることができるリアルな小説として読み続けられているのは、なぜか。

……と考えた時、様々な理由はあろうが、私の頭に浮かぶのは「女」の問題だった。息の長い清張人気の陰に女あり、なのではなかろうか、と。
清張は、小説の登場人物に女性を多用している。主要登場人物は男性だけという物語もあるものの、数々の小説において、女性が重要な役割を担っているのだ。それも、事件に巻き込まれる、すなわち被害者としてのみ扱われるのではなく、事件や謎を追う女や、事件や問題を起こす女をも、清張は数多く描いている。
読者としての女性も、清張は無視していない。デビュー直後からの約十年間は、女性誌に作品を発表することも少なくなかったのであり、明らかに女性読者の視線を意識した作品が、そこでは書かれている。
女性は専業主婦となって男性から養われるのが当然、という意識が強かった昭和。清張は、そんな時代を生きた典型的な男性に見える。しかし実は清張は、推理小説界において男女の機会均等実現に挑戦した人なのではないか。だからこそその作品は、男女を問わず人気を博したのではないか。……との仮説を立ててみた私。
まずは清張が女性をどのように見ていたかを探ることを通して、右肩上がりの時代に日本女性がどのように生き、そしてどのように社会から見られていたかを、考えていきたい。
■唯一のSF『神と野獣の日』との出会い
松本清張と「女」との関係について気になりだしたのは、『神と野獣の日』(昭和三十八年、一九六三刊)という作品を読んだことがきっかけだった。『点と線』をはじめとした鉄道関連作品から清張好きになっていった私は、旅先の書店で何気なく手に取った『神と野獣の日』の一種異様な読み心地に、「こ、これは?」と思ったのだ。
それは、清張唯一のSFと言われる作品である。某国が誤って東京に向けて核ミサイルを発射してしまい、残り四十数分で東京は壊滅するということになった後、人々がどのような行動をとったのかが、この小説には描かれる。
当然ながら東京は大混乱となり、政治家も庶民も、人間としてのエゴをむき出しにしていく。いざという時に人間の本当の姿が現れる様は清張作品でしばしば示されるが、『神と野獣の日』は、その濃縮版と言っていいだろう。
核ミサイルがいよいよ接近し、あと十分ほどで着弾するとなると、男たちの一部は、野獣と化していく。「本能の暴力のさなかに荘厳、かつ虚無的な死を迎えたい」との願望を抱いた男たちは、「女に向かって殺到した」。
犯されそうになった女たちはどうだったのかというと、
「女たちにあまり抵抗はなかった」
とされる。「彼女らは死の観念の前に物体化していた」というのだ。
そうなるかな……? と思いつつ読み進めると、死を前にして「道徳も法律も証言者も存在しなかった」ということで、
「女たちの中には、男のそのような暴力を自分から歓迎する者がいた」
との記述も。
さらには、
「ことに人妻がそうだった。世間的な規制がいっさい取られたとなると、その呪縛からのがれた身体は燃え立っていた。それで、人妻の多くは、男たちの野獣的な行為をきわめて容易に受け入れた」
ということに。
清張作品を読んでいると、女性の性欲に対する畏怖がしばしば感じられるのだが、『神と野獣の日』では、その畏(おそ)れが一気に吐き出されたかのような印象を私は受けた。特に、「ことに人妻がそうだった」という部分は、清張の人妻観を示していよう。
清張の筆致は、独身の若い女性を書く時よりも、人妻を書く時の方が生き生きしている。若い女性は、ツルッとした存在として描かれがちなのに対して、結婚後の女性には、急に深い陰影が生まれるのだ。
それというのも当時の一般的な人妻は、結婚制度によって家庭に縛られた存在であったからであろう。まだ経済力を持たない女性が多かったこの時代、女性は男性に従属する意識が強かった。既婚女性が自由の利かない身でもがき、時に“ほだし”から逃れようとする中で、事件や悲劇に巻き込まれる様を描く清張作品も多い。
『神と野獣の日』で、強姦に走る男性たちを、特に人妻たちが「歓迎」したという部分は、今となっては何かと問題視される記述だろう。しかし女性の性欲を畏れながら、その存在を正視している清張は、少なくとも女性を男性と同等の欲望を持つ存在として捉えていたように思う。

すなわち清張は、女性を色眼鏡で見ていなかった。女は、性欲が男よりも弱いわけでもなければ、男よりも善良な生き物というわけでもない。男性に従属して生きていかざるを得ないために、性欲も黒い心も、持っていないふりをする訓練を積んでいるだけ……という口にはしづらい真実を、清張はこの作品で示したのではないか。
■女性誌という舞台が生んだ異色作
それにしても清張さんが、このような異色作をも書いていたとは。……と驚いていたところ、『神と野獣の日』の初出が「女性自身」であることを知って、私は合点がいった気持ちになった。舞台が文芸誌でもなければ一般の週刊誌でもなく、「女性自身」という女性向け週刊誌だったからこそ、後に「唯一のSF」と言われることになる一風変わったこの作品を書いたのではないか、と。
女性向けの雑誌に男性作家が執筆する時、その作風は少しばかり変化するのでは、と私はかねて感じていた。昔の女性誌において、座談会に出ていたある男性評論家が、
「読者はこの記事を真剣に読んでいるかもしれんが、自分たちは婦人向け(注:当時は「女性」よりも「婦人」が多用されていた)の雑誌の仕事なんぞは片手間にしているのだ。座談が終わったら出演料で飲みに行くのが楽しみなだけで、真剣に話などしていない」
といった意のことを言っているのを目にしたことがある。婦人向け雑誌の仕事など本気でしていない、と言うことによって、「自分は一流の評論家なのだ」ということをアピールしたのだろう。
その男性作家の感覚は、かつての日本において、さほど珍しいものではなかったのだと思う。様々な面でまだ男女差が大きかった時代、女性誌で仕事をする男性作家は、普段よりぐっと肩の力を抜くか、もしくは妙な意識を昂ぶらせてしまうか、いずれにしても男性読者の多い一般誌や文芸誌に書く時とは違う状態で取り組んだのではないか。
そう思って昔の男性作家が女性誌に連載した小説を読むと、やはり女性誌では、普段の作風とは異なる作品を書いているケースが多い。
清張の『神と野獣の日』もまた、同じケースなのではないかと、私は思った。清張の場合は、決して女性週刊誌を舐めていたわけではなかろう。ただ彼も、『神と野獣の日』を文芸誌に書こうという気には、ならなかったに違いない。芸能界のゴシップ等、世俗的なニュースを主に扱う女性週刊誌が舞台だったからこそ、実験的かつ人間の原始的欲求をえぐるこの作品を書く気になったのではないか。
雑誌に小説を連載する時、清張は、その雑誌の読者をおおいに意識する作家だった。たとえば有名な『点と線』(昭和三十三年、一九五八刊)は、日本交通公社が刊行していた雑誌「旅」に連載された小説である。
推理小説としては最初の長編となる、本作。随筆集『実感的人生論』によると、「旅」の編集長(退社後、紀行作家として活躍した戸塚文子)より、「旅に関連した連載小説」、それも推理小説を書いてくれないかとの依頼を受けて清張は、
「推理小説としての面白さと、旅行的な興味とを両立させてみようと思い立った。もともと私も旅は好きなほうである」
との意欲を抱いた。
東京、福岡、北海道……と、ばらばらの“点”を時刻表によって“線”に紡いでいくこの小説は、大ヒット。社会派推理小説ブームのさきがけとなる。
また昭和三十四年(一九五九)から「高校上級コース」「高校コース」という雑誌に書いたのは、『高校殺人事件』(連載時タイトルは「赤い月」)。その雑誌の読者が、より興味をそそられることについて書こうという意識が感じられるが、そのような感覚が最も色濃く出ているのが、清張が女性誌に連載した作品群となろう。
■アウェイでの挑戦
約四十年の作家人生の中で、清張が女性誌に小説を書いていたのは、昭和三十年(一九五五)から、昭和四十一年(一九六六)までの、約十年間である(七十代になってから、「ミセス」に一度小説を連載したが、未完)。それは、最も原稿を量産していた十年と言っていいだろう。
女性誌にも書いていた頃の清張は、四十代の半ばから五十代の後半にかけてという年齢である。脂がのりきっていた時に、女性向け雑誌という、自身にとってはアウェイの地での挑戦とも言える作品群を手がけたのだ。
清張の女性ものの主戦場は、既出「女性自身」と「婦人公論」の二誌である。長編、短編ともに両誌には何作も書いており、清張にとって両誌は、アウェイの中のホーム的な存在だったのではないか。
「女性自身」と「婦人公論」については後述するとして、ここで簡単に、清張の作家としての出発点について触れておきたい。清張の小説が初めて世に出たのは、昭和二十六年(一九五一)。既に結婚して子供も四人いた清張は、朝日新聞西部本社広告部意匠係に勤務し、家族を養っていた。生活は楽ではなく、「週刊朝日」の懸賞小説に応募したのは、賞金を目当てにしてのこと。すると応募作の「西郷札」が見事、三等に入選する。
昭和二十八年(一九五三)には、「或る『小倉日記』伝」にて芥川賞を受賞。その後は着々と執筆作品を増やしていった。
当時は文芸誌に執筆することが多かった清張だが、昭和三十年(一九五五)、女性誌としては初めて、「新婦人」という雑誌において連載をすることになった。こちらは華道の家元池坊のPR誌なのだが、表紙は洒落たイラストで、恋愛やファッションの特集などもある上に、ページのデザインも斬新。若い女性向けのスタイリッシュな雑誌という印象である。
そんな雑誌で清張が書いたのは、『大奥婦女記』(連載第一回は「大奥女太平記」)。初期の清張は、豊富な知識を生かして歴史小説を多く書いていたが、女性誌ということで大奥を題材に選んだのだろう。
連載第一回では、
「あたらしい歴史小説の境地をひらいて御活躍中の松本清張先生が、はじめて、『新婦人』のために、婦人雑誌連載の筆を執られました」
と、編集部が清張の婦人雑誌初連載をアピールしている。「作者の言葉」には、
「婦人雑誌に書くのははじめてなので心配しています。殊に、歴史小説なので一層です。ためしに他の婦人雑誌をのぞいてみたら、歴史小説は一篇も載っていないようです。婦人の読者層には受け入れられないのでしょうか。私は必ずしもそうは思わない。題材のとり上げ方、描き方によっては、歴史小説も喜んで読んでもらえる気がします。もともと退屈な、マンネリズムに堕した現代小説より遥かにロマンがあって面白い筈ですから」
とあった。
この言葉からは、新進作家である清張の心意気が滲み出ていよう。他の婦人誌をチェックして歴史小説が無いことを確認した清張は、それでもあえて、おしゃれな女性誌で時代小説を書くという賭けに出た。女性に不人気な歴史小説で女性を振り向かせようとすることは、マンネリ化した現代小説の世界への挑戦でもあったのではないか。
同誌での連載をまとめた『大奥婦女記』は、大奥の女性たちの力関係がよくわかる、今読んでも面白い一冊。以降、清張が女性誌に歴史小説を書くことはなかったが、しかしこの先の清張は、推理小説における女性読者を掘り起こし、女性誌で推理小説の連載をするというイノベーションを起こすのだった。

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酒井 順子(さかい・じゅんこ)

エッセイスト

1966年東京都生まれ。立教大学卒業。2004年『負け犬の遠吠え』で講談社エッセイ賞、婦人公論文芸賞を受賞。『そんなに、変わった?』(講談社)、『泡沫日記』(集英社)、『下に見る人』(角川書店)、『紫式部の欲望』(集英社)など著書多数。最新作は、『ユーミンの罪』(講談社現代新書)、『地震と独身』(新潮社)。

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(エッセイスト 酒井 順子)
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