■岡山大学が開発した医療ロボットとは
「このようなロボットは世界的にほぼ前例がないので、どういうデザインにして、どう動かしていくかも含めてゼロからのスタートでした」
岡山大学医学部の平木隆夫教授(放射線医学)は、広く商品化されれば世界初となる治療用ロボット「Zerobot(ジーロボット)」を10年以上かけて“医工連携”と“産学連携”で開発した。
現在、一部病院では肺や腎臓などにできたガンに対し、医師がCT(コンピュータ断層撮影)の画像を見ながら医療用の専用の針を刺す治療が行われている。
この治療によってガンの組織を取り出したり、ガンを焼いたり凍結したり薬剤を入れたりするのだ。従来の手術に比べ、体を切開する必要がなく針が通るだけの傷ですむので、患者への負担も小さい治療法だ。岡山大学病院では1年間に約640件行われている。
ところが、この治療で大きな問題になっているのが『医師の職業被曝』だ。CTは撮影時にX線を出すため、装置の近くで治療する医師は被曝(ひばく)してしまうのを避けられない。
「CTからのX線で(医師は)被曝しながらやっているが、この被曝を無くしたいという思いで開発しました」(平木教授)
■医師だけでなく患者の被曝も防げる
今回、岡山大学が開発した治療用ロボット「Zerobot」を使用することで、医師は被曝の恐れのあるCT装置から距離を取って手術を行えるようになった。
ただし、このロボットを使って針を刺す場合も、患者に何かあった時に直ぐに駆け付けられるように医師はCT室の中に居る必要がある。ただ、医師の前には鉛が入った遮蔽(しゃへい)板があるので、医師が職業的被曝をすることはない。
「(手で)まっすぐ刺すのは難しい。CTを見ながら針を刺します。CTを切ってガントリー(大きな円筒状の穴)の中に手を入れて進めます。またCTを撮影して、病変に向かっているかを確認して、向かっていたらまたCTを止めて、こういう作業を繰り返しています」(平木教授)
治療用ロボットの直接の開発理由は、医師の職業被曝を避けるためだが、患者へのメリットにも繋がる。平木教授によると、ロボットを使うことで手術時間が短くなり、患者の被曝も減って負担が減ることを目指したいということだ。
世界初のロボットの開発は2012年に岡山大学の医学部と工学部が協力する「医工連携」で始まった。2つの学部の教授が13年間、直接何度も顔を合わせてお互いの思いや考え方をすり合わせてきた。
■トヨタの元技術者が「医工」の間に
当初は工学部だけで作った試作機でスタートした。岡山大学工学部・亀川哲志教授(機械システム系)は、医工連携の難しさをこう指摘する。
「工学部で作るロボットと違って医療機器で、病院で使う機器なので安全やリスクマネジメントをして患者に使える完成度のロボットにするのが一番難しかった」
工学部だけでなく岡山の民間企業の協力も得て、より完成度の高いロボットへと改良が進んだ。医工連携に産学連携も加わったというわけだ。
民間企業として治療用ロボットの開発に加わったのは、岡山県にあるイメージング&ロボティクスの谷本圭司社長だ。
最初は予算もなかったのでアドバイザーとして参加し、大学の先生が構想、設計、試作したロボットに対し、ものづくりの視点でコメントしていたという。産学連携で苦労した点について民間企業の谷本社長に聞いた。
■医と工で使っている言葉が違う
「医療機器には電気安全など様々な医療機器独自の規制があり、どのようにして規制をクリアするのか手探りで進めた点で苦労しました。大学の先生方は、複雑な機構(アカデミックな機構)を好む傾向がありますが、手術ロボットとなりますと高い安全性と信頼が必須となります。気をつけないと、信頼性や製造コストを度外視した機構が提案されたりしました。
産学連携といっても研究開発を進めるには予算が必要となります。十分な予算や安定した予算が無いため、会社として開発を進めるのは補助金次第となっていました」(谷本社長)
2023年には、患者に対してロボットを使った治験を終えて、従来の医師の手で行うのと遜色のないレベルで針を刺すことに全ての患者で成功した。
医工連携は全国各地の大学などで行われているが、実績を出すのが難しいと言われている。医工連携がうまくいかない理由として指摘されるのは、医学と工学では文化や価値観が異なるため使う言葉も違い、目指しているものも違うという点だ。
一般的に医学は確実な安全性や有用性を求めるのに対して、工学は技術的な新規性を大事にする。
医工連携を成功させるためには、医学と工学の両分野が交流し、お互いを信頼して、何のためにやるのかという目的の共有が大切だと思われる。そのためには、両者の間に入って調整できるコーディネーター的存在が欠かせない。
■東大や京大ではなく岡山大でできたワケ
そして医療的ニーズと技術的シーズをマッチングさせて結果を出すために何より重要なのは、バックグラウンドの違う医学と工学の専門家同士が、文化や言語の違いによる相互の理解不足を乗り越えてお互いを信頼し、強固な人間関係を築くことだと筆者は感じる。研究者同士の性格や世代、役職などといった相性も大事だという。
世界初の治療用ロボットの開発が、日本でトップクラスの潤沢な運営費交付金や研究費を貰っている東京大学や京都大学ではなくて地方にある岡山大学で進んでいる理由は、まさに医学部と工学部の教授たちの信頼に基づいた人間関係なのだと思う。医工連携がうまくいくかどうかは研究費だけの問題ではないのだ。
岡山大学が医工連携に成功した秘訣を医学部、工学部双方の教授に聞いた。
「私の『被曝を無くしたい』という強い思いを工学部の先生がよく理解してくれて、一緒に頑張っていこうという工学部の先生にも熱意が伝わって、非常に一生懸命やってくれたのが一番うまくいった理由かなと思う」(平木教授)
「岡山大学は医学部も工学部も非常にチャレンジング(挑戦的)だし医工連携を密接にずっとやってきたので、そういう土壌や風土は良かったと思う」〔岡山大学工学部・亀川哲志教授(機械システム系)〕
■課題は商品力の低さ
ロボットの改良は続いている。将来的には産業用ロボットのような自動化も目指し、遠隔医療への応用も視野に入れている。
「技術的には高いレベルに来ていると思うが、商品化となるとどれくらい売れるか、お金が回収できるか、ビジネスの観点が入ってくるので専門家に入ってもらって社会実装していくのが必要だと思う」(亀川教授)
「今後はこれを世の中に出して製品化していくことが目標。その為の最初のステップは薬事承認を得なければならない。
民間企業の谷本社長は、産学連携の成功要因と今後の課題について、次のように指摘した。
「医学部と工学部の先生方が医療機器に関する規制をしっかり勉強し、医療機器の規制に基づくものづくりを進めたことだと考えています。特にリスクマネジメントに関しては、医学部、工学部の先生方が中心で何日、何時間もかけ実施しました。
治療用ロボット「Zerobot」は、医師主導の治験まで行いましたが、商品としてみた場合、商品力が低いと認識しています。機能性は当然として、製造価格なども十分考慮したシステムを開発する必要があります。産学連携では、学側が主導することが多く、商品力の高いシステムを設計することが難しいのです」
「商品力の高いシステムを一朝一夕に開発することは現実的に難しいです。医療機器の場合は、10年単位の開発になると考えています。開発期間中の予算が安定しないと人材育成も進まなくなります。「Zerobot」の場合は、ベンチャーを興し(起業)、外部資金を獲得する方向で進めています」
スタートアップでも同じだが、医工連携や産学連携を成功させるには、やはり当事者の情熱がとても重要だと筆者は強く感じた。
今後は更なる医工連携と産学連携で、3年から5年後の治療用ロボットの製品化を目指す。
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春川 正明(はるかわ・まさあき)
ジャーナリスト・関西大学客員教授
関西大学野球部で外野手として関西学生野球6大学リーグ戦で活躍。大阪生まれ、1985年読売テレビ入社。
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(ジャーナリスト・関西大学客員教授 春川 正明)