※本稿は、石山恒貴『人が集まる企業は何が違うのか 人口減少時代に壊す「空気の仕組み」』(光文社新書)の一部を再編集したものです。
■データからみる日本的雇用の課題
日本的雇用の負の側面を最新のデータから検討すると、どのような実態がみえてくるだろうか。この点については、リクルートワークス研究所が2024年2月から3月に国際比較調査を実施している。
対象者は大卒以上の30代、40代の男女で企業に雇用されている人である。日本の国際比較の対象国は、ドイツ、フランス、英国、米国、中国、スウェーデンであり、日本を含め7カ国の比較になっている。
リクルートワークス研究所が指摘する日本的雇用の課題は次の4点である。第1に、いったん「枠」から外れると戻れないこと、第2に、男女の賃金格差の問題、第3に、個人に学びと仕事との結びつきに関する認識が薄いこと、第4に、個人のキャリア自律性が妨げられていること。
この4点は、無限定性、標準労働者、マッチョイズムから成る「三位一体の地位規範信仰」と強い関連性がある。では、それぞれについて、三位一体の地位規範信仰との関連性も含めて分析していきたい。
■いったん「枠」から外れると戻れない
同報告書では、「今の会社を辞めることになったとしても、希望の仕事につくことができる」という質問を5段階で尋ねている。「あてはまる」「どちらかというとあてはまる」という回答をし「あてはまる」に分類できる人の比率は、各国で次のとおりである。日本28.2%、ドイツ77.9%、フランス65.4%、英国73.3%、米国68.8%、中国74.1%、スウェーデン57.9%(図表1)。
また、「一度働くのをやめてブランク期間を経ても、再び同じような待遇や働き方が選べる」に関しては、日本23.4%、ドイツ74.6%、フランス65.7%、英国68.3%、米国66.2%、中国67.7%、スウェーデン56.6%となっている(図表2)。
このデータで一目瞭然のとおり、日本だけが、いったん「枠」から外れても、希望の仕事や同じような待遇に戻れると回答している割合が3割を下回っている。諸外国は対照的に、その回答割合が70%から50%台である。
では、「枠」とは何か。もはや説明は不要だろう。「枠」とは三位一体の地位なのだ。とりわけ標準労働者として、ずっと正社員である、という条件を満たさなければ働き方が不利になるという日本の状況を端的に示しているだろう。
■枠から外れた影響が長く残りやすい日本
また同報告書は、枠から外れた影響が長期的に残存してしまう実態を客観的に分析している。初職が有期雇用で、その後に転職した者の現在の雇用形態が無期雇用に変わった割合は、次のとおりである。日本59.9%、ドイツ85.3%、フランス73.8%、英国84.3%、米国77.2%、中国31.8%、スウェーデン92.2%(図表3)。
欧米諸国の場合、初職が有期雇用でも、8割から9割は無期雇用に転換している。しかし日本と中国だけは無期雇用に転換した比率が低くなっている。
この点は、正社員として新卒一括採用されることが条件となる標準労働者の特徴を端的に示している。学校卒業後の最初の段階で正社員として新卒一括採用され、標準労働者という三位一体の地位規範に参入しないと、その後の参入が厳しいという現実を、このデータは示している。
さらに同報告書は転職回数(1回、2回、3回以上)と現在の年収の関係も調査している。その結果、日本では転職回数が増えるほど年収が低くなる傾向があった。他方、英国と中国では部分的に転職経験者の年収が低いが、それ以外の諸国で年収が低下する傾向はみられなかった。
以上の結果から、日本では三位一体の地位規範に学校卒業時に参入できない場合、また途中で離脱した場合は不利になるという状況が見てとれる。つまり、個人の観点からすると、日本とは働き方の柔軟性が低く、再挑戦が困難な社会である。これは、長期的な時間軸を通じて多様な社会空間を経験することが本旨のサステナブルキャリアを個人が実現しにくいことを示していよう。
■突出して大きい日本の「男女の賃金格差」
同報告書は男女の賃金格差についても分析している。先述のとおり、この調査の対象者は大卒以上の30代、40代の男女で企業に雇用されている人であるため、この点で条件は一致している。
年収中央値について、男性を100とした時の女性の比較値は次のとおりである。日本65.5、ドイツ83.3、フランス83.3、英国70.0、米国84.3、中国97.3、スウェーデン81.8。
この数字から、男女の賃金格差は日本だけの課題ではなく、諸外国においても同様に存在することがわかる。ただ、女性の社会進出が進んでいるとされる中国では、男女の賃金格差が極めて少ないことは注目に値しよう。残念なことに、やはり日本の賃金格差が、諸外国に比べて大きいという結果になっている。
さらに同報告書は、男女の賃金格差に影響を与えている要因を分析している。その結論としては、学歴、勤続期間、週労働時間、役職の影響が大きいとしている。三位一体の地位においては、勤続と労働時間が長くなるため、昇進にも有利な影響があると考えられる。つまり、三位一体の地位規範が女性に不利な影響を与え、結果として男女の賃金格差が生じている可能性は高い。
■「自ら学ぶ人」が少ない理由
日本ではいったん学校を卒業して仕事をはじめて労働者になると、その後は学ぶことに熱心ではないということがしばしば指摘されている。
同報告書は、その指摘を国際比較で検証している。2023年の1年間に自己啓発を行った人の割合は次のとおりである。日本48.0%、ドイツ88.7%、フランス83.4%、英国84.1%、米国81.4%、中国77.2%、スウェーデン91.4%。日本だけが自己啓発を行った人の割合が過半数に到達せず、突出して低いことがわかる(図表4)。
また、「次のキャリアに必要なスキルがわかっている」と回答した人の割合は次のとおりである。日本32.0%、ドイツ77.7%、フランス74.4%、英国81.6%、米国74.1%、中国84.2%、スウェーデン63.6%(図表5)。
この回答についても、日本だけが次のキャリアのためのスキルを理解している人の割合が過半数に到達せず、突出して低い。次のキャリアのために必要なスキルがわからなければ、何を学習していいかわからないはずなので、自己啓発の実施割合が低くなることも頷ける。
■キャリアの主導権は誰が持っているのか
さらに同報告書ではキャリア自律についても調査している。「自分のキャリアは自分で決める」という設問に「あてはまる」または「どちらかというとあてはまる」と回答した人の割合は次のとおりである。日本54.7%、ドイツ78.3%、フランス76.7%、英国88.3%、米国81.9%、中国89.5%、スウェーデン70.1%(図表6)。
この設問ではキャリア自律している人(自分のキャリアは自分で決める人)の日本における割合は、過半数は超えているものの、やはり日本が諸外国の中で一番低い。
これらの結果をまとめると、日本では労働者の自発的な学びが活発でなく、くわえてキャリアを自己決定していない、ということになる。ここでは、日本の労働者は所属企業への依存度が高いために、学びへの関心が高くないという因果関係が示唆されているのだろう。
個人の観点からすれば、三位一体の地位規範が強いために、所属企業への依存度が高くなることが問題だといえよう。なぜなら企業への依存度が高くなれば、個人にとって能力開発とキャリアの自己決定の機会が失われてしまうからである。
■日本の労働者は本当に「学び不足」か
個人の学びとキャリア自律に問題があることは、企業にも影響を与える。学びに関していえば、労働者全体の能力開発が低調であることは、企業としての競争力の低下につながってしまう。
しかし従来、個人の学びが低調であるという指摘には反論があった。それは、日本企業の強みはOJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング:On-the-Job Training)という日常の職場での学びにあるから、実は日本企業の学びは低調ではないという反論である。OJTさえしっかりしていれば、自己啓発の重要度は少ないので、あまり問題にはならないという前提が、その反論には存在している。
またキャリア自律についていえば、そもそも本当に企業は個人がキャリアを自己決定することを望んでいるのか、という疑問がある。
素直に考えれば、企業は無限定総合職が職種、勤務地、時間を自己決定する権限を与えていない。職種、勤務地、時間に制約があることが前提のキャリア自律に意味があるのか、と考えてもみたくなる。しかし多くの企業では、社員がキャリア自律することは重要だという見解を示している。
■日本企業が変われない理由
こうした文脈のキャリア自律という言説は、奇妙である。こうした奇妙さが生じる理由は、日本企業にとっては、職種、勤務地、時間の無限定性は空気のようなもので、企業はそれを経営が行使できる当たり前の権利だとみなしているからだろう。
しかし無限定性は国際的にみれば当たり前のものではなく、日本社会においても生産性三原則以降に生じた慣行にすぎない。
しかし実際には、日本企業にとって、能力開発におけるOJTへの傾斜と無限定性の行使の保持を見直すことは容易なことではないのである。
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石山 恒貴(いしやま・のぶたか)
法政大学大学院教授
一橋大学社会学部卒業。産業能率大学大学院経営情報学研究科修士課程修了、法政大学大学院政策創造研究科博士後期課程修了。博士(政策学)。NEC、GE、米系ライフサイエンス会社を経て、現職。主な受賞として、経営行動科学学会優秀研究賞(JAASアワード)、人材育成学会論文賞、HRアワード(書籍部門)入賞など。著書に、『日本企業のタレントマネジメント』(中央経済社)、『時間と場所を選ばないパラレルキャリアを始めよう!』(ダイヤモンド社)、『越境学習入門』(共著、日本能率協会マネジメントセンター)などがある。
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(法政大学大学院教授 石山 恒貴)