※本稿は、山田昌弘『単身リスク 「100年人生」をどう生きるか』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■相手が非正規雇用者だから結婚をやめた
以前、公的な結婚相談所を利用した既婚者に、聞き取り調査をしていた時のことだ。
「40歳を過ぎてようやく結婚できました」という男性(一流私立大学理系卒)に話を聞いたことがある。
なぜ、それまで独身でいたのか理由を尋ねると、彼はこう振り返った。「実は30歳頃、一度結婚しようとしたことがあるんです。当時、お付き合いしていた女性もいました。だけど結婚話が出たタイミングで勤務していた会社が倒産してしまい、残念ながらお付き合いを解消したんです。その後、振り出しに戻って頑張って、なんとか正社員になることができました。その時点で改めて結婚相談所に登録をしたんですが、その時にはすでに40歳になってしまっていたんです」
本来、「結婚」(恋愛)と「就職」(仕事)と「実家」(家族)は別のカテゴリーの問題のはずだ。だが現代の日本ではこの三つが密接に結びついてしまっている。
他に、「結婚したいと思う相手がいたが、家族に介護を必要とする人がいたのであきらめた」とか、「付き合っていた相手に奨学金の返済が残っていることがわかったので、やめておいた」「大好きな人だったが、非正規雇用者だから結婚相手としては厳しかった」という声も、「婚活」周りではよく聞くエピソードである。
■「年収600万円」との結婚はフツーか
同時に婚活市場でよく聞かれるのは、「平均的な相手でいいんです」という訴えである。
つまり介護や借金、非正規雇用などは“普通”ではないと思っているわけだが、かといって結婚相手にハイレベルなスペックを求めているわけでもない。「年収2000万円」とか、「超絶イケメン」とか、「東大卒」とか、そんな“高望み”をしているのではない。「ごく“普通”に、正規雇用の企業勤務で、年収は600万円くらいで、奨学金の返済を抱えていなくて、家族に要介護者がいない相手でいい」のだという。
では、彼女たちが言うところの「年収600万円」は、本当に“普通”なのだろうか。
国税庁の「令和5年分 民間給与実態統計調査」を見てみると、現在の日本の労働人口における男性の平均年収は569万円である。これだけを見ると確かに“普通”のようだ。
ただし、これは全世代の平均値である。いざ婚活対象となる年齢に絞ってみると、違う光景が見えてくる。20代後半男性の平均収入は429万円前後、30代前半で492万円前後(「年齢階層別の平均給与」)。つまり彼女たちが“普通”と認識している年収600万円は、“婚活対象者には普通ではない”ことが見えてくる。
■「平均的な家族像」はすでに幻想
しかも注目すべきなのは「平均の罠」である。難婚化した日本社会で、多くの若者が「平均的な人生」を望んでも叶わない理由、その一つとして今見たように、そもそも彼らが“平均”だと思い込んでいる生活レベルが、すでに現在の日本では「平均」ではないという前提がある。
彼(彼女)たちの親世代が、子どもたちに経験させてきた「平均的な家族像」とは、両親が2人そろい、父は正社員、母は主婦かパートでその2人が離婚せずに子どもを複数人持ち、子どもたちにはいくつかの習い事をさせて、休日にはレジャーに行き、給料やボーナスが年々上がっていくといったイメージである。
だが、そんな「家族像」は格差社会が広まった現在の日本では、すでに上位1割が味わえる特権的なものになりつつある。
ちなみに昭和の頃の「人生ゲーム」では、ゲーム参加者は強制的に結婚をさせられていた。
しかし令和の人生ゲームでは、結婚する確率は2分の1である。遊びのゲームの世界ではとっくに現実を反映しているのに、現実社会を生きる人々はその事実をいまだ認識していないのが興味深い。
■「学歴インフレ」によく似た婚活市場
そしてもう一つの難婚化の要因、それは仮に「平均」が存在しても、それを誰もが手にすることはできないということだ。常々、学生たちにはこう伝えている。「全員が平均点以上を取れるわけではないんだよ」と。
仮に100人の学生がいるとしよう。ペーパーテストを実施して、「平均点以上」を取れるのは上位50人のみである。残る50人は、「平均点以下」になる(正規分布を前提)。これは自明の理だが、この理屈がわかっていない人が世の中には案外いる。
婚活市場においても同様である。100人の参加者がいれば、「平均点以上」の評価を得られるのは、多くても上位50人までである。つまり「平均点以上」は決して誰にでも手が届くものではない。したがって「平均」や「普通」を目指すこと自体が、実は高いハードルとなっているのだ。
この状況は、1970年代に登場した「学歴インフレ」の概念ともよく似ている。かつて大学進学は限られた一部の人々の特権であった。明治・大正時代の正確な数字は不明だが、戦後の社会安定や人口増加、経済成長に伴い、大学進学者数はどんどん増加していった。1960年代の日本の大学進学率は10%台であったが、70年代には20%台、80年代には30%台、90年代には40%台、2000年代には50%台とうなぎ上りに増えていった。だが、増えた大学卒人材を受け入れる職場の数は限られている。
■誰もがフツーを目指すと何が起きるか
明治・大正時代には「末は博士か大臣か」という言葉が存在したものだ。学問を修める人間の数が少ない時代には、大学に行きさえすれば将来のポジションは約束されたも同然だった。もちろん誰もが博士や大臣になれるわけではないが、大学卒業者が「学士様」と敬われた時代は確かにあった。
しかし、日本人の約半数が大学に行く時代になると、学歴のインフレ状態が生じていく。本書『単身リスク』では「高学歴ワーキングプア」の話も先述したが、大学を卒業したからといって必ずしも将来の職が約束されなくなっていったのだ。学業と職業のミスマッチが起こり、若年層の非正規雇用者や失業者が現れるようになっていく。
誰もが「平均的な人生」を目指す時代、それは「平均」のインフレを巻き起こす。誰もが“フツー”を目指すあまり、需要と供給のバランスが崩れる。これが「平均の罠」である。
■社会が陥っている囚人のジレンマ
日本の高校生が目指す学歴の最高峰といえば、東京大学である。だが、東大合格を目指して必死に頑張る高校生らが、全員合格できるわけではもちろんない。
むしろ各人が努力すればするほど、努力のハードルは上がっていく。より高度な受験対策、より早い受験準備、より長時間の受験勉強をした人間が、狭き門を潜(くぐ)り抜けることができる。「努力」の際限なきインフレーション。これが学歴インフレの本質だ。
しかし、努力には限界がある。やがてみなが疲弊し始める。際限なく上がるレベルについていくことが難しくなるのだ。だが、「イチ抜けた!」と競争から降りる勇気もない。
みなが「こんな競争はおかしいよ」と気づき、一斉にやめられればいいのだが、自分だけが損をして、他人が得をするのは許せない。いわゆる囚人のジレンマに社会全体が陥っているのが、現在の日本である。
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山田 昌弘(やまだ・まさひろ)
中央大学文学部教授
1957年、東京生まれ。1981年、東京大学文学部卒。1986年、東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。専門は家族社会学。学卒後も両親宅に同居し独身生活を続ける若者を「パラサイト・シングル」と呼び、「格差社会」という言葉を世に浸透させたことでも知られる。「婚活」という言葉を世に出し、婚活ブームの火付け役ともなった。
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(中央大学文学部教授 山田 昌弘)