各地で再開発が進んでいる。「建築界のノーベル賞」と呼ばれるプリツカー賞を受賞した建築家の山本理顕さんは「デベロッパーは人が集うコミュニティを再開発のターゲットにして地域の文化ごと破壊する。
私にはその行為が現代のガザに重なって見える」という。ライターの山川徹さんが聞いた――。(第1回/全2回)
■タワマンは本当に「住みやすい住環境」なのか
――都内だけでなく、東京近郊でもタワマンを併設した大規模な再開発が進行中です。各地で進む再開発をどのように受け止めていますか?
【山本(以下同)】私が建築家として、もっとも大切にしてきたのが、建物を通じた地域コミュニティの創出です。建築家の仕事で重要なのは、新たな建築物が、周辺環境や住民たちにどのような影響を与えるか考え、住みやすい生活環境を創造すること。
しかし、近年再開発で建てられた超高層マンションには周辺環境への配慮は一切ありません。
たとえば、2019年に台風の影響で武蔵小杉の超高層マンションが浸水する騒ぎが起きました。原因は、超高層マンションを建築するスピードに、上下水道のようなインフラ整備が追いつかなかったからです。住民が一気に増加したせいで、地元の小学校が超高層マンションに暮らす子どもたちを受け入れきれないという弊害も起きています。
六本木や麻布での再開発も進み、街の様相は一変しました。当然ながら、再開発地には昔から住み続けてきた住民がいて、住民同士が助け合って暮らす、居心地のいいコミュニティがあった。そういった人たちが紡ぎあげてきた環境はどこにいったのでしょうか。

麻布台ヒルズ森JPタワーの最上階にあるペントハウスの価格は1部屋200億円ともいわれています。デベロッパーは再開発という耳障りのいい言葉を口にしますが、実際はコミュニティを破壊した金儲けにすぎません。
■日本の再開発とガザは似ている
また地域コミュニティは、工芸や伝統的な産業を育む場でもありました。けれど、再開発によって伝統や文化も失われてしまいます。
少し前の話になりますが、築地市場が閉鎖され、更地になってしまいました。失われたのは市場だけではありません。周囲には料亭があり、江戸からの文化として社交の作法を残していました。コミュニティの中核であった市場がなくなり、伝統や文化が断絶の危機に直面しています。
計画段階で、そうなることは分かっていたはず。それなのに、利益を追求するデベロッパーは、地域や、住民の事情を顧みることはありませんでした。多くの自治体はむしろ、そうしたデベロッパーを支援こそすれ、住民に寄り添うことはありません。
文化の持続性の断絶という点で、私には日本の再開発が、戦時中に行われたアメリカ軍による日本の都市への空襲や、現代のガザに重なって見えます。

■地域固有の文化の破壊
――ガザとは、イスラエル軍が侵攻を続けるガザ地区ですか?
そうです。ガザで行われているのは、人々の住む町並みの破壊です。その町には、パレスチナ人コミュニティが長年にわたって培ってきた固有の文化が根付いています。
町の破壊は、そこに生きる人たちがもっとも大切にしてきた文化の断絶を意味します。だからこそ、イスラエルは、未来の文化の担い手であり、コミュニティを受け継ぐ子どもすらも攻撃の対象にしているのでしょう。
戦時中に行われたアメリカ軍による日本への空爆も同じです。東京をはじめとした大都市だけではなく地方都市の伝統的な町並みも空襲によって焼き払われ、木造の家屋ともに、コミュニティも消失してしまいました。
戦前の日本の都市の中心には大店(おおだな)があり、そして商家と住居を兼ね備えた町家が建ち並んでいました。職住一体の環境だったんです。
しかし戦後、全く新たに作られたその都市の性格が変わりました。戦後復興で採用された都市計画が、ヨーロッパで用いられたゾーニングです。ゾーニングでは、商業地域、工業地域、住宅地域とエリアを分割していきます。

■まだ不動産で景気が良くなると思っている
労働者は、自分たちが暮らす住宅地域から、職場がある商業地域や工業地域に通勤します。その結果、職住一体の環境で培われた家族のあり方や働き方が変わってしまいました。父親は会社員で働きに出ているから、昼間の地域には女性と子どもしかいない。日本もそうした歪な社会になってしまった。
とはいえ、都市の周縁部には昔ながらの住環境がまだまだ残っていましたし、地域の人が文化的なコミュニティをつくってきました。その息の根を止めようとしているのが、2000年代からの再開発です。
人が集うコミュニティをデベロッパーが再開発のターゲットにして破壊する――。日本だけでなく、2000年代から世界中で同じようなことが行われてきました。
快適なコミュニティがあり、人が集う場には高い価値があります。その土地をデベロッパーが買い漁り、再開発と称して超高層マンションを建設し、より高い価格で切り売りする。こうした再開発の構造は、地方都市でも変わりません。
私には、日本の経済や行政のシステムに、地域の伝統文化やコミュニティを軽視し、素早く消費することは経済成長につながる、そんな思想が根付いているように思えてなりません。

■今の建築技術なら築100年は可能
――インフラの整備も追いついていない。コミュニティも破壊される……。多くの弊害があるにもかかわらず、なぜ再開発が行われるのでしょうか。
デベロッパーは実際に利潤が上がっているのだからやめられない。そして国は、その儲けをエンジンにした経済成長を妄想しているのです。できもしないのに再び高度経済を夢見ている。
戦後の高度成長を支えたのが、住宅需要です。人が地方から都市へと移り住んで核家族化が進みました。その影響で、住宅が驚くほどの勢いで供給され、1住宅1家族が当たり前になりました。それは人口が増加する社会だからこそ可能だった住宅主導の経済発展のあり方です。
人口が減少し続ける令和の日本で、不動産が主導する経済成長を再現できるわけがありません。それでも、デベロッパーは儲けるためにムリにでもマンションをつくり、売らなければならない。
その経済成長の夢が、日本の住環境に歪みをもたらしています。
現代の建築技術を持ってすれば、100年、いや200年も快適に住み続けられる住宅やマンションもつくれます。それにもかかわらず、いまのデベロッパーが建てる住宅はそれよりもずっと少ない年数で取り壊されています。
■古代ギリシャ人が死ぬことを恐れなかったワケ
仮に35年のローンを支払い終わったときには、建物はボロボロで、ローンとは別に多額の修繕費用を捻出しなければならない場合も少なくありません。というか、デベロッパーはマンションが30年ほどで朽ち果ててもいいと考えているのではないか。そうすれば、マンションを再び建てることができますから。
人々の記憶や思い、生き様を次世代に残すために町や建築物を設計することが、私たち建築家本来の役割です。
コミュニティを育んだ町や建築は、私たちが生まれる前からそこに存在しています。そして私たちが死んだあとも、そこに残される。古代ギリシャ人は死ぬことを恐れていなかった。それは、町や建築が自分たちの思いや記憶を残してくれると信じていたからです。
翻って、いまの日本はどうでしょう。
世代が代わるごとに家を建て替えなければならないような状況にあります。家を壊す、あるいは町並みを破壊するということは、その場所に生きていた人たちだけではなく、ともに記憶を共有してきたコミュニティの破壊を意味します。
■コミュニティ喪失で起きること
――再開発によって建てられたマンションでは、新たなコミュニティは形成されにくいように感じます。コミュニティが失われる弊害とは何なのでしょうか。
高層マンションはプライバシーを重視するあまり密室化し、廊下でも住民同士の会話ができるように設計されていません。デベロッパーにとって、地域コミュニティほど邪魔なものはありません。なぜなら再開発に反対するのは、地域コミュニティだからです。
コミュニティが破壊されると人々は孤立します。すると国家や政府が1人1人を統制しやすくなり、全体主義的な社会に近づいていく懸念が生まれます。
ミクロな視点で見れば、コミュニティの消失によって失われるのが、人と人との助け合いです。典型が、災害時。阪神・淡路大震災では、地元の消防団が、誰がどこに住んでいるかを知っていたから、迅速な救助活動ができた。東日本大震災もそう。被災した人同士が助け合って生き延びた。コミュニティと支援活動は密接な関係にあります。それは平時でも変わりません。
一方で、コミュニティが崩壊した都市部では、そうした共助が生まれにくくなります。個々が孤立し、その結果、有事の際は自分の安全は自分個人で守らなくてはならない社会になってしまいました。
■1住宅1家族はもう限界にきている
――コミュニティ創出のために、どんな街づくりが必要なのでしょうか。
私が提案するのは「1住宅1家族」ではなく、500人程度の人たちが一緒に住む「地域社会圏」です。
これまで住宅供給や行政サービスはひとつの住宅にひとつの家族が住むことを想定してきました。ところが、少子高齢化、単身世帯化が進む中でこのシステムは崩壊しつつある。ですが、そのかわりになるシステムがない。そこで私が提案しているのが、地域社会圏です。
500人は、家族の集団でも個人の集合でもない。同じ空間で小さなインフラをまかないつつ、経済圏を構成する空間モデルです。
具体例として、私がいま建設中のベネズエラの首都・カラカスにあるスラム開発事業があげられます。
カラカスは貧富の差が激しく、人口の60%がスラムに住むと言われています。そう語ると、どんなにヒドい町かと思う人もいるでしょう。しかし実際に歩いてみると、日本の下町のような人情あふれるとてもいい町なんです。町のあちこちに飲み屋があり、活力があるコミュニティがある。
■ベネズエラから日本の建築を変える
私は、カラカスの中で「バリオ」と呼ばれている不法占拠の町を美しい町に作り替える仕事をしています。手がけるスラム開発のコンセプトは屋台です。コミュニティ単位で住めるようにレンガ造りの住居を斜面に沿って並べる。「1住宅1家族」ではなく、もっと共同的な暮らし方ができるような住居を提案しています。
すべての住居のキッチンを通りに面した部分に設置する。閉鎖的にならないように開放的なつくりにして、それぞれが屋台のような飲食店を開けるようにしたいんです。貧しい人たちでも巨大資本に頼らずお金を稼げるような仕組みをつくって、住民だけではなく、観光客にとっても魅力的な町にするように考えています。
昔の日本で、コミュニティを維持し、支えたのが商店街です。それぞれのお店が、経済的に自立していたから、商店街には連帯感が培われた。それが世代を超え、持続的に受け継がれてきました。カラカスのスラムもそうした町にできれば、と。
これまで日本でも「地域社会圏」をテーマにした住居をつくってきました。今回、ベネズエラのスラム開発がうまくいけば、再び日本でもカラカスの住宅をモデルにしたコミュニティを創出できる建築を提案したいと考えています。
建物によって日本社会を変えられる――私はいまもそう信じているのです。

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山本 理顕(やまもと・りけん)

建築家

1945年、北京生まれ。建築家・山本理顕設計工場。日本大学理工学部建築学科卒業、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了、東京大学生産技術研究所原広司研究室研究生。2007~2011年横浜国立大学大学院教授、2018~2022年名古屋造形大学学長、2022~2024年東京藝術大学客員教授、2024年より神奈川大学客員教授、横浜国立大学名誉教授・名誉博士。主な作品にGAZEBO、埼玉県立大学、公立はこだて未来大学、横須賀美術館、The CIRCLE チューリッヒ国際空港、名古屋造形大学など。桃園、天津、北京、ソウルなどでも複合施設、公共建築、集合住宅などを手掛ける。主な著書に『新編 住居論』(平凡社)、『地域社会圏主義』(TWO VIRGINS)、『権力の空間/空間の権力』(講談社)、『都市美』(河出書房新社)、『山川さんの山川山荘』(TWO VIRGINS)、『山本理顕 コミュニティーと建築』(平凡社)など。2001年「第57回日本芸術院賞」、2024年度プリツカー賞、文化庁長官表彰(国際芸術部門)受賞。

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山川 徹(やまかわ・とおる)

ノンフィクションライター

1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『それでも彼女は生きていく 3・11をきっかけにAV女優となった7人の女の子』(双葉社)などがある。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく』(小学館)。Twitter:@toru52521

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(建築家 山本 理顕、ノンフィクションライター 山川 徹)
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