地震や台風、豪雨といった自然災害が起きると、「日常」が突然奪われる。そのような緊急事態に備えて水や食料を備蓄する人が増えてきているが、意外と知られていないのがトイレ問題だ。
一体どんな問題に直面するのか、日本トイレ研究所の加藤篤代表理事に話を聞いた――。
■緊急事態でも排泄は止められない
地震や豪雨などの被災地では、断水や停電の影響で水洗トイレが長期にわたって使えず、外部支援としてのトイレも来ない「トイレパニック」が発生している。
1995年の阪神淡路大震災以来、過去30年間の災害のたびに避難所や自宅、事業所などで起きている問題だ。
「災害時でも当然、人間は排泄します。不特定多数の人がトイレに押し寄せるため、水の流れないトイレはあっという間に排便や汚水で満杯になり、著しく不衛生になって使えなくなるという事実を知ることが必要です」
災害時のトイレについて、トイレ研究所・加藤篤代表理事はこう話す。
■汚物にまみれたトイレ、最終手段は野外
駅、公園、避難所などの既設のトイレの水が流れないとわかっていても、使用せざるを得ない。それが原因で、トイレは汚物の山で即閉鎖。やむを得ず野外で排泄するしかなくなる。周辺には大小便が放置され、悪臭のみならず感染症の発症リスクが発生する。
屋外に仮設トイレが設置されるが、和便器なので使えない、段差や階段があるので危ない、外は寒くて行きづらい、夜間照明なしで暗くて怖いといった問題も発生する。
し尿収集車もすぐには手配できないため、トイレの汚物はそのままになる。
水洗トイレが使えないことで引き起こされる負の連鎖。
実際に、被災地で起きたことだ。
■「水洗トイレシステム」は災害に弱い
災害時に、停電や断水になったら、水洗トイレは使用できなくなる。ただ、被害が「家の中の物が倒れた・落ちた」程度であれば、トイレは通常通り使えると判断するだろう。
だが、加藤氏は、大きな地震のあとはトイレの使用は控えたほうがいいと呼びかける。
「実は、水洗トイレというシステムは災害に弱いのです。トイレの便器が無事でも、排水管や上下水道施設、汚水処理施設が被害を受けて、トイレが使えなくなっている可能性があります。
被害状況が分からない中、自宅の水洗トイレを使ってしまうと、トラブルが発生することもあります。マンションでは各住戸の排水管がつながっているので、排水管が損傷しているにもかかわらず上階で水を流すと、下階で汚水が溢れたり漏水したりする可能性があります」
■すぐに仮設トイレが届くとは限らない
通常の水洗トイレが使用できないとなると、どうすればいいのか。
真っ先に思い浮かぶのが仮設トイレだが、災害直後に外部にトイレの物資支援を要請しても、道路が寸断され物流がストップした場合、調達が困難になると、加藤氏は話す。
東日本大震災では、3日以内に仮設トイレが充足した自治体は34%という調査結果がある。また、日本トイレ研究所が能登半島地震で実施した調査では、半島という地理的条件の制約もあり10カ所の避難所のうち3日以内に仮設トイレが設置されたのは10%に過ぎなかった。

※日本トイレ研究所「東日本大震災3.11のトイレ」「能登半島地震のトイレ
「通常の水洗トイレが使用できない、仮設トイレも不足している場合、初動対応として有効なのは、携帯トイレです。

在宅避難中の自宅や、会社、避難所のトイレに携帯トイレ(排泄物処理袋)を被せれば使用できるので、必ず備蓄したほうがよいです」
■東京が被災すると、必ずトイレ不足が起きる
過去の被災地の「トイレパニック」問題を受け、東京都は3月、トイレに特化した対策に焦点を当てた「東京トイレ防災マスタープラン」を策定した。
都内の各自治体による災害用トイレの確保状況を分析し、その結果を公表した。
「都心南部直下地震(冬・夕方、風速8m/s)」が発生した際、区部では発災後1週間以内(50人/1基)で最大5万4098基、1週間以降(20人/1基)で最大13万8021基のトイレの不足が想定されるとしている。
東京都の推計人口(令和7年8月1日)は1426万8182人、そのうち区部が約7割の994万3215人を占める。
それを基に概算すると、1週間以内・1週間以降にトイレ不足に直面する区民は約270万人、全体の約3割弱に上るとみられる。
■携帯トイレを3日分備えている都民は23%
都も携帯トイレの備蓄を促しているが、携帯トイレを最低3日分備蓄している都民の割合は、まだ全体の23%と低い(東京都の令和6年度「防災に関する都民の意識調査」)。
首都直下地震や南海トラフ地震の発生リスクが高まるなか、携帯トイレの備蓄は、個人レベルではまだ浸透していないのが現状だ。
加藤氏も危機感が高い。
「東京で発災した際、火災、地盤沈下、建物倒壊、帰宅困難者など複数の被害が一度に発生し、外部とのアクセスが遮断されることが想定されます。仮設トイレや携帯トイレなどが外部から支給されない可能性があるので、自治体だけに頼るのではなく、各自で携帯トイレやトイレットペーパーなどの備品を用意しておくことが求められます。マンションにおいては、水洗トイレを使用してよいかどうかの自主点検方法を確認することも必要です。
また、人口が密集しているので、避難者数に対してトイレの個数が足りなくなることも十分考えられます。
仮に個数が足りたとしても、そこに排泄される大小便を適切に処理したり、搬出したりできなければ、不衛生な状態となります。居住している自治体のトイレの備蓄状況やトイレ対策をホームページなどで調べておいたほうがいいでしょう」
■1人「1日5個」×「最低7日分」の備えを
東京都のマスタープランによると、在宅避難の場合に必要な災害用トイレの目安は、1日5個×3日分×家族の人数=最低限の備蓄としている。一方で、在宅避難者の備蓄が4日目以降不足した場合も想定している。つまり、3日分では安心・安全は保障されないということだ。
加藤氏は、大規模な災害を想定して、それ以上に用意しておくことを勧めている。
「首都直下地震や南海トラフ地震といった大規模な災害では、物資支援が1週間以上滞る可能性が指摘されているので、最低7日間分の備蓄を勧めます。トイレに行く回数は一人ひとり異なるので、自分は1日に何回トイレに行くか確認して、その分を目安にして用意するといいでしょう」
自宅や会社に備蓄するだけでなく、携帯トイレを普段から持ち歩くことも必要、と加藤氏は話す。
東日本大震災の際、東京23区は最大震度5強を観測し、主な公共交通機関がマヒした。都内では約352万人、首都圏では合計約515万人が帰宅困難者となり、多くの人が徒歩で帰宅した。途中、コンビニや駅、公園のトイレに長蛇の列ができたことを記憶している人も多いだろう。

※東京都「東京都の帰宅困難者対策の基本的考え方
■首都直下地震ではコンビニトイレも使えない
首都直下地震が発生した場合、東京都は約453万人の帰宅困難者が発生すると想定している。このとき懸念される深刻な問題は、トイレが利用できなくなることだ。


※東京都「東京都帰宅困難者対策 ハンドブック
「首都を襲う大地震が起きると、断水・停電が起こり、コンビニのトイレは閉鎖を余儀なくされると思います。公衆トイレの水洗トイレも利用できなくなるので、携帯トイレを携行して個室のある場所で利用するというのが選択肢になると思います」
携帯トイレを用意しようと思っても、どれを選んだらいいのか悩んだ経験はないだろうか。その種類は、100円ショップで買えるものから自治体が各世帯に配布するものまで、100種は下らないという。そのなかで、携帯トイレを選ぶ目安はないのだろうか。
■独自の評価基準に「合格」した製品を公開
「明確な性能基準がないため、備蓄している携帯トイレを使用した時にしっかりと性能を発揮してくれるかどうかはわかりません。市販されているもので試してみたところ、尿を吸収・凝固することが不十分なものもありました。
そこで、私たちは製品の構造を確認するとともに、吸水・凝固力、防臭力を試験する取り組みを進めています。今回、特に重要視したのは、吸収・凝固力です」(加藤氏)
日本トイレ研究所では今年から順次、国内で携帯トイレを製造するメーカーからの依頼を受け、携帯トイレの構造、吸収性能、表示、防臭性能(任意)という4項目について評価した結果をホームページ上で公開している。

※日本トイレ研究所「携帯トイレに関する規格適合評価
10月1日時点で、規格に適合した4社の製品が公開されているので、それを参考にして自分に合うものを選ぶのもいいだろう。
■「手作りトイレ」はストレスの要因に
携帯トイレが不足した場合、あるいは手持ちがない場合、新聞紙やペットシート、段ボールなど身近にあるものを利用して、仮設トイレを作る代替方法もある。
しかし、加藤氏はこうした「手作りトイレ」をお勧めしないという。
「まず新聞紙は十分な吸収力がありません。

ペットシートも、子犬用や猫用であれば少量しか尿を吸わない。性能について詳しくわからないものよりも、やはり人間用の携帯トイレを活用するのが適切だと思います。
大小便は感染源にもなり得るので、衛生的に処理する必要があります。手作りのトイレで対応して、万が一、漏れたり吸収しなかったりしたら、その後が大変です。手や周辺を汚してしまっても、洗浄・清掃する水もありません。確実に排泄物を処理できるものを選んだほうがいいでしょう」
災害時は、精神的にも身体的にも極度のストレス下に置かれる。そんな状態で、慣れていないトイレ作りはかなり負担になると考えられる。
トイレはできるだけストレスフリーを目指すことが必要、と加藤氏は話す。
「穴を掘ってトイレにするとか、全身を覆うコートを羽織って排泄するなど、何も備えがなければやむを得ませんが、このような普段したことのない究極の方法は、大きなストレスがかかります。排泄は自律神経が担っているので、基本的にリラックスして安心できる場所でないと、排泄はうまく機能しません。
被災地では、仮設トイレが和便器で使えない、汚れていて臭い、照明がなくて暗い、男女別になっていない、段差や階段が危ないなどの声が上がっていましたが、こういう条件下では、排泄を我慢して水分を控えてしまいます。そうすると、脱水症状により体調を崩し、エコノミークラス症候群(深部静脈血栓・肺血栓塞栓症)、インフルエンザ、風邪などの感染症のリスクが高まることになるので、トイレの環境は重要です」
■携帯トイレの「使用後」についても備えを
加藤氏は携帯トイレの備蓄を呼びかけるが、実はそれだけではまだ不十分だという。

携帯トイレの袋に入った排泄物はどう処理したらいいか、また汚れたトイレを掃除するにはどうするか、といった問題があるためだ。
「排泄物を入れた袋の処理は、自治体の確認が必要ですが、概ね可燃ごみになります。ごみ収集もすぐには再開できないので、生ごみと同じように、においがもれないようにしっかりと縛り、生活空間と切り離したところに保管するしかありません。
携帯トイレの使い方はもちろんのこと、処理、清掃といった排泄まわりの一連の対応を事前にマニュアル化しておくことが必要です。携帯トイレおよび衛生用品の備蓄と運用法をセットにして備えてください。訓練で実際に使用してみることも効果的です。
設置、使用、保管、廃棄までスムーズな対応ができることで、災害時のトイレが機能します。個人、地域だけでなく、企業も事業継続計画(BCP)にトイレ対策を盛り込んでください。従業員の健康と衛生を守れなければ、事業継続どころではありません」
運用法については、内閣府が発表した「避難所におけるトイレの確保・管理ガイドライン(令和6年12月改定)」を参考にするといい。
■携帯トイレ活用でトイレパニックを回避
「私が目指しているのは、多くの人が携帯トイレを理解して使いこなすことでトイレパニックを回避することです。携帯トイレがあれば、個室を貸してもらうことで排泄できる環境を確保できます。
既設のトイレで水洗は使用できないとしても、鍵がかかるのでプライバシーが守られる、男女別で安心できる、便器は床に固定されているので便器が転倒する心配がない、バリアフリートイレなら障害者も利用できる、もしも汚れたとしても掃除しやすい材質でできている、こうしたトイレの空間を有効活用できるのが携帯トイレです。
トイレとは、排泄してから処理するまでの一連のシステムであり、災害時はまず排泄できる環境を作って、それを全員が協力して運用・維持しなければいけないのです。トイレパニックを起こさないためにも、この認識を多くの人に持っていただきたいです」

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加藤 篤(かとう・あつし)

日本トイレ研究所代表理事

まちづくりのシンクタンクを経て、現在、特定非営利活動法人日本トイレ研究所代表理事。災害時のトイレ・衛生調査の実施、小学校のトイレ空間改善、小学校教諭等を対象にした研修会、トイレやうんちの大切さを伝える出前授業などを展開している。「災害時トイレ衛生管理講習会」を開催し、災害時にも安心して行けるトイレ環境づくりに向けた人材育成に取り組む。排泄から健康を考える啓発活動「うんちweek」を展開。循環のみち下水道賞選定委員(国土交通省)、東京都防災会議専門委員(東京都)など。著書は『もしもトイレがなかったら』(少年写真新聞社)、『うんちはすごい』(イースト新書Q)など。

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(日本トイレ研究所代表理事 加藤 篤 聞き手・構成=ライター・中沢弘子)
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