小さな子供2人を育てながら両親と実家で同居しながら、認知症の70代後半の母親を献身的に診ている40代の三女。症状が進むにつれ、できないことが増えていく母親だが、めげずに寄り添うことができたのはなぜか――。
(後編/全2回)
前編のあらすじ】関東地方在住の雨宮木綿子さん(仮名・40代)は、3人姉妹の末っ子。雨宮さんは短大卒業後に事務職として働き始めると、友人の紹介で出会った男性と22歳で結婚した。32歳で長男を、34歳で次男出産。里帰り中、70歳の母親が料理の手際が悪くなり、父親に対して怒りっぽくなっていたため、違和感を覚えた。受診すると、認知症で要介護1と認定された。やがて母親は徘徊して迷子になるようになり、雨宮さんの名前も忘れてしまった――。
■両親との18年ぶりの同居
2022年8月。40歳になった関東地方在住の雨宮木綿子さん(仮名)は、勤め先の病院(医療事務)が閉院してしまい、失職。そのため頻繁に実家に顔を出すことができるようになったが、行くたびに疲れた顔をしている父親(73歳)のことが気になっていた。父親は58歳で定年退職後、すぐにサービス系のアルバイトを1日5時間、週3回している。
「娘の私から見ると、父は疲れ知らずで、困ったときは助けてくれる頼れる父親でした。そんな父が、初めて私たちに『疲れちゃったよ』と言うようになりました。
母が怒りっぽくなってからは、父は母の愚痴をこぼすようになり、『もう、どうすればいいのかわからないよ』と弱音を吐くこともありました」
2018年11月からデイサービスに行くようになった母親(76歳)だが、デイサービスに行くたびに、「トイレ前の廊下に置いてあるソファでうたた寝している」とケアマネジャーから報告があった。
それに対して父親は、
「寝不足なんだと思います。デイサービスの前日はちゃんと準備ができてるか心配になるみたいで、夜中に何度も起きてデイサービスの持ち物を確認しています」
と答えていた。
「母が何度も起きているのを知っているということは、一緒に寝ている父も目が覚めてしまっているということです。父はまだ仕事をしているので、夜、眠れないというのはしんどいと思いました」
とりあえず父親のために、月に一度ショートステイを利用することにしたが、雨宮さんは迷っていた。
「『両親と同居しようかな』と考えていましたが、『同居すると長男が転校になっちゃうからな……』と気持ちが揺れ動いていました。けれど、父の介護疲れや、頻繁に実家に通っている長女の負担を考えると、状況を良いほうへ変えたかったこと。そして母が私のことをどんどん忘れていくのが嫌で、もっと一緒にいたいなと思ったこと。さらに私が失職していたことと、次男が小学校に上がるタイミングだったことが重なり、『同居するなら今なのでは?』と考えていました」
夫に相談すると、「いいんじゃない?」と言ってくれた。義母と夫の弟にも報告すると、こちらもすんなり了承してくれた。
その後、長女と父親がいる時に「同居しようと思うんだけど、どう思う?」とたずねたところ、2人とも「いいね! いつ引っ越してくる?」と乗り気。別の機会に下の姉に相談すると、「同居すると大変だよ。
よく考えたほうがいいよ」と心配してくれた。
実は雨宮さんの実家は、両親が父方の祖母を介護するために建てた二世帯住宅。玄関も2箇所あり、2階にも水回りの設備が揃っているため、同居したとしてもプライベートが確保しやすいという利点があった。
そして2023年3月。ついに両親と18年ぶりの同居を開始した。
■会うたびに驚いては喜ぶ
同居開始から2日目。母親は家の中で雨宮さんに会う度、「どうしてここにいるの?」と驚いた。
「昨日引っ越してきて、一緒に住んでいるんだよ!」
と言うと「そうだったわね!」と喜び、「これから楽しみね!」と言ってくれる。
このやりとりを、2日間で10回以上繰り返した。
夫が2階で掃除機をかけていたら、母親がやってきた。今まで2階には誰も住んでいなかったため、突然上から掃除機の音がしたので驚いたのだろう。
「いないはずの私が突然現れて、『驚き、不安を感じる』。
一緒に住み始めたと聞いて『喜ぶ』。認知症の母は感情が忙しい。何度説明してもすぐ忘れてしまう母にとっては、毎回初めて聞く情報なので、その度にとっても喜んでくれます。同じことで何度でも喜べるので、物忘れも悪いことばかりではないと少し思えました」
二世帯住宅とはいえ、同居していれば当然、雨宮さんの夫と母親がばったり会うこともある。そんな時、夫は毎回、
「どうも~。雨宮木綿子の夫ですよ~」と母親に自己紹介をしてくれた。
「私は街で困っている人がいても、『私なんかが急に話しかけたら迷惑かな』などと余計なことを考えてしまい、『さりげない気遣い』がなかなかできないのですが、夫は昔からサラリとそれができる人でした。認知症の母に対しても嫌な顔せず、不安にならないように気を配ってくれるので、ありがたいと思いました」
■「長女の名前、次女の名前、末っ子の名前」
2023年3月下旬。
父親のレスパイトケアのため、月1回ショートステイを利用していたが、2泊3日のショートステイからの帰宅を迎え入れた雨宮さんに向かって、母親は「あなた誰だっけ?」と訝しげな顔をした。
「少し前の私だったらショックを受けていたと思いますが、もうだいぶ慣れて、『末っ子の木綿子だよ~!』と笑顔で返せるようになりました。まだ名前を伝えるとすぐに思い出してくれるのでよいですが、3日も家を離れると頭の中が混乱してしまうようです」
この頃の母親は、「長女の名前、次女の名前、末っ子の名前」と、呪文のように呟いていた。
「当時の母は、頭の中が鮮明で何でも思い出せるときと、霧がかかったようにモヤモヤとしているときがあったようで、母が一番、恐怖を感じていた時期です。
『娘たちのことを忘れてしまいそう』そんな不安から、ずっと私たちの名前を呟いていたのだと思います」
しかし時が経つにつれて呟く回数が減っていき、いつしか口にしなくなった。
同居を始めてから、子育てに忙しい雨宮さんのため、母親は家事を手伝おうとしてくれる。しかし、取り込んでくれた洗濯物を食器棚にしまっていたり、食器を洗っても、水があちこちに飛び散り、洗い残しがあるなど、自分でやったほうが楽だと思うこともしばしば。それでも雨宮さんは、母親に任せている。
「母の『少しでも娘を休ませてあげたい』という気持ちが伝わってくるので、お願いするようにしています。認知症は、できていたことがどんどんできなくなっていく病気なので、自己肯定感が下がっていくだけでなく、自分の存在意義さえもわからなくなってしまうかもしれません。なので『お母さんはここにいていいんだよ』ということが伝わるように、『助かったよ! ありがとう!』と感謝の言葉を口にすることを忘れないようにしています」
■食に対する執着が止まらない
認知症がすすむと食事がうまくできなくなることは本を読んで知っていた雨宮さんだが、実際に以下のような光景を目撃すると最初はいたたまれない気持ちになった。
・ざる蕎麦のつゆをお茶のようにグビグビ飲む

・朝食の納豆ご飯を水の入ったコップに全て投入

・コールスローの上に焼き魚と肉じゃがをのせる
認知症という病気だから、こうした行動になることもある。頭では理解できても心がついてこないこともあった。
家族で外食に行っても、もうおいしいものがあっても自分は二の次で、まずは娘たちに分け与えようとする以前の母親ではなかった。自分が注文したナポリタンを、テーブルや衣服にボロボロこぼしながら食べ、途中でピザに気がつくと、「これなあに?」とたずねる。「ピザだよ」と言って一切れ取り分けてやると、「おいしいわね!」と初めて食べたかのような様子で驚き、口の中からなくなった途端、再び「これなあに?」とたずねる。
あっという間にピザがなくなってしまいそうだったため、雨宮さんは急いで息子たちに取り分ける。ひとしきりピザを食べた母親は、「お腹いっぱい。これあげる」と言って、半分以上残ったナポリタンを父親の前に置いた。
家にいる間も、時間があれば何かを食べたい様子だった。夕飯の前後にもお菓子を食べたがり、制止すると、電子レンジで温めてかけるパスタソースをそのまま口にしようとしたり、ふりかけだけを食べようとしたりして、雨宮さんは困った。
「この頃、急激に糖尿病の数値が悪くなっていたので、目が離せなくなりました。同居する前は、父がアルバイトでいない間、1人でどんなものをどのくらい食べていたのか、恐ろしくなりました」
父親が不在の時に夕飯の準備をする時間が、雨宮さんにとっては最も忙しかった。
小学校から帰宅した息子たちの話に適当に相槌を打ちながら、料理の手を動かし、母親の行動に目を光らせなければならない。なぜなら、母親は目を離すと何かしら食べてしまうからだ。糖尿病がある母親に余計なものを食べさせたくなかった。
母親は自分たちのキッチンの冷蔵庫などを漁っては、「これ食べない?」と言って、カチカチ冷凍のミックスベジタブルや調味料などを持ってくる。
しばらくすると、母親が静かになった。
その間に夕飯を作ってしまうと、雨宮さんは母親を呼びに1階へ行く。
すると母親は、1階のキッチンのテーブルで、冷凍のハンバーグを、ハンバーグよりも小さいお皿にのせようと頑張っていた。
雨宮さんは、「夕飯たくさん作ったから、これは今度食べようね」と有無を言わさず冷凍庫にハンバーグを戻し、母親を2階へ連れて行った。
■家族全員で介護する
2024年9月。79歳の母親は、要介護3になった。
現在、母親は雨宮さんたちの顔を忘れ、他人行儀に会釈をすることもあれば、「あなたはだぁれ?」とたずねることもある。雨宮さんは「なんだか見覚えのある、安心できる人と自分のことを認識してもらえればいいか」と思えるに至った。
2025年7月。母親がデイサービスから帰ってきたため、「お母さん、手を洗おう!」と言って母親を洗面所に誘う。
戸惑う母親に、先に雨宮さんがやってみせると、母親も手を洗い始めた。
「そうそう。上手!」
タオルを渡すと、母親はニッコリと笑いながら、「長女の名前、次女の名前、末っ子の名前……ね!」と言った。
突然のことに、雨宮さんは驚いて固まってしまった。
「母は満面の笑みを浮かべていて、こんなに笑顔な母を見るのも久しぶりで、一瞬、昔に戻ったようでした。何年かぶりに母に名前を呼ばれたのが嬉しくて、なんだか泣きたくなってしまった自分に戸惑いました。母が私のことを忘れてしまったことは受け入れていたつもりだったし、もう自分では気にしていないと思っていたのですが、やっぱり悲しかったんだなぁと改めて実感しました」
ものの5分と経たずに母親はまた現在の母親に戻ってしまっていたが、雨宮さんは「母の記憶の奥には、まだ私たちのことが残っていてくれている。それが分かっただけでも私はまだまだ頑張れる」と思った。
「母が認知症になりたての頃は、それを受け入れられず、母がおかしな行動をするたびショックを受けたり悲しくなったりしていましたが、時間の経過とともに受け入れられるようになっていきました。それができたのは、一緒に介護をしてくれる父や姉たちの存在が大きいと思います」
母親自身、認知症であることを受け入れられなかった頃は、別人のように怒り狂うこともあったが、認知症が進むにつれ、感情の起伏が減り、穏やかになっていった。
「最近はシモの失敗が多いので、その処理が大変です。いつまで在宅介護できるか不安ではありますが、今のところは、まだ元気な父がメインで、上の姉と下の姉と協力し合って介護できているので続けられています」
上の姉は、通院とケアマネとのやりとりを担当するほか、デイサービスが休みで父親が仕事の木曜日に家に来て、夜、母親が眠るまで一緒にいてくれている。下の姉は、デイサービスも父親も休みの火曜日に来てくれている。雨宮さんは、毎日の夕飯や父親が不在の時の介護担当だ。
姉たちはそれぞれ家庭を持っており、上の姉は医療系の会社で正社員、下の姉は医療系の会社でパートとして働いている。雨宮さんは2023年9月からスーパーでアルバイトを始め、父親は今まで働いていた車関係の会社が3月末で閉鎖となってしまい、一旦は退職したが、数年前まで働いていたサービス系の職場から「また働いてほしい」と声をかけられ、6月から働きに行き始めた。
「父が働きに行くと、私たちが母を介護しなければならず大変ですが、父は趣味らしい趣味がなく、仕事をしているときが一番楽しそうなので、父が働くことによって気持ちが明るくなり、母とも和やかに過ごしてくれるなら、わが家にとっては一番いいことだと思います」
9月15日の敬老の日には、小5の長男と小3の次男が雨宮さんの父親に折り紙で作ったメッセージカードを手渡していた。
「いつもありがとう。長生きしてね」「いっぱい生きてくれてありがとう。これからもいっぱい生きてね」と書いてあった。
「ありがとうなぁ!」
父親は母親と一緒にメッセージカードを眺めながらニコニコ笑っていた。
「母の介護のための同居といっても、小さい子どもがいるのでそれほど母のことを看られるわけではないですし、男の子2人なのでいつも2階で大暴れしていて、下の両親はうるさいだろうなぁと心配で、『果たして同居してよかったのだろうか?』と悩むこともあります。でも、自分の大好きな人たち同士が仲良く過ごしている光景を見るのって最高に幸せなことです。こんな時『同居してよかったなぁ』としみじみ思います」
雨宮さんのケースは、父親と3姉妹が協力し合って母親の介護ができている好例だと言える。雨宮さんたちは、それぞれが少しずつ負担を負うことで、それぞれが自分の人生を大切にできている。
自分の人生を犠牲にしてまで親の介護をする必要はない。「自分の人生を大切にする」ために「両親のことも大切にする」それができたら幸せではないだろうか。

----------

旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)

ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー

愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。2023年12月に『毒母は連鎖する~子どもを「所有物扱い」する母親たち~』(光文社新書)刊行。

----------

(ノンフィクションライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)
編集部おすすめ