■運動神経に良しあしなどない
「自分はスポーツが苦手だ」と思い込んでいる人は多い。
学生時代に体育の授業でついていけなかった経験や、「運動神経抜群」と呼ばれる同級生に置いていかれた経験が一種の「トラウマ」となり、社会人になってからもスポーツにチャレンジすることに億劫になっているのだ。
だが、結論から言えば運動神経に良しあしなどないし、そもそも「運動神経がある」や「ない」といった区分に意味はない。
「私は運動神経が悪いから……」というのは幻想に過ぎないのである。
■スコアが伸びないゴルフでも「面白い」と思える
私はゴルフをする。ワンショットごとに一喜一憂してしまうから一向にスコアは伸びないが、ともにラウンドする人たちとの冗談を交えた会話も含めて、楽しんでいる。生来の負けず嫌いだからスコアは気になるものの、それはエッセンスでしかない。快心のスイングやパットが一振りでも多くできればそれでいい。このからだをほぼイメージ通りに動かせた瞬間の快感こそ、運動のもたらす最大の愉悦だからである。
ゴルフのオモシロさを一言で言うならば、逆説的ではあるが、イメージ通りにスイングができないことにある。頭ではわかっているのに、からだが思うようには動いてくれない。
おそらくこれはゴルフのみならず、すべてのスポーツ、いや運動に当てはまる。
わかっているのにできない、あとちょっとでできそうなのにできない――このプロセスにスポーツのオモシロさが凝縮している。この「わかる」から「できる」までのプロセスを、発生論的運動学はきちんと概念化している。この概念を知れば、なぜスポーツがあれほど楽しいかの理由がわかるはずだ。
■始めるきっかけはどんなに消極的でもいい
「わかる」から「できる」までの、このからだの内側における感覚的な変容は、5つの位相(フェーズ)からなる。筆者のゴルフの経験を交えながら簡単に説明しよう。
最初にくるのが〈原志向位相〉だ。これは「やってみたい」「その動きを身につけたい」という意欲が芽生えている状態だ。
あらゆる運動は、たとえわずかでも意欲がなければ習得には至らない。
そうしていざ始めてみると、おのずと次の〈探索位相〉に移る。コツやカンを掴むために試行錯誤するプロセスだ。レッスンプロからの指導や、本やネットで得た情報、あるいは友人からのアドバイスを基に、実際にからだを使いながら反復を繰り返す。からだの内側に意識を向け、腕や脚や体幹への力の入れ具合を模索するわけだ。
ああでもない、こうでもないと試行錯誤するこのプロセスは、いわば感覚を通した「このからだ」との対話である。
■スポーツに「ハマる」というフェーズでからだに起きていること
そうこうするうちに、やがてうまくボールをとらえる瞬間が訪れる。心地よい手応えというフィードバックとともに、スパッとボールが飛んでいく。たまたま、よい動きができた。
たまたまうまくできた。このとき、その次の〈偶発位相〉に歩みを進めている。まぐれでもうまくできた瞬間は、じつに楽しい。このまま続けていればやがて習得に至るはずだという、明るい見通しも立つ。このからだがバージョンアップするための一歩を踏み出したわけで、この位相までくれば、すでにそのスポーツにハマっている。
とかく練習が楽しい、だからたとえ単純な反復であっても、時間を忘れて没頭できる。「あの感じをもう一度!」と夢中になって反復するうちに、「たまたま」が「そこそこ」になり、「そこそこ」が「しばしば」になり、やがて「しばしば」が「ほぼほぼ」になる。
■練習でも試合でもうまくいってはじめて「できる」状態になる
「ほぼほぼ」、すなわち十中八九よい動きができるようになると、そのまた次の〈形態化位相〉に入る。たまに失敗はするけれども、ほぼほぼうまくできるような状態だ。これは習得したい動きが、それなりにかたちになったということである。
ここまでくれば、「それなりにできる」のがスタンダードになる。
だが、ここで終わりではない。「できる」に至るまでには、もう一つ先がある。〈自在位相〉である。どんな状況であってもうまくできるという位相である。練習ではうまくできても、いざ試合になればうまくいかない。打ちっぱなしならまっすぐ飛ぶが、いざラウンドとなればそうはいかない。
この状態ならば、まだひとつ前の〈形態化位相〉に留まっている。取り巻く環境を含めてなおうまくできる、つまり自由自在にできるというこの位相に至って、初めて「できる」と考えるわけである。
■「位相」は行ったり来たりする
いささか急ぎ足で説明したので、ここまでをまとめておく。
「わかる」から「できる」までのプロセスには、〈原志向位相〉〈探索位相〉〈偶発位相〉〈形態化位相〉〈自在位相〉という5つの位相がある(ちなみに、これを〈動感形成位相〉という)。運動習得者のからだの内側では、このプロセスを行きつ戻りつしながら、その動きに求められるコツやカンを体得するのである。
付言すれば、このプロセスは段階ではなく位相だということである。一方通行なステップアップではなく、行ったり来たりするのが位相だ。身体感覚というのはしばらく練習を休めば鈍麻するもので、十中八九できていたのが三や四に戻ってしまう。場合によっては、ほとんどできなくなることだってある。
身体感覚は練習を継続するなかで保たれるもので、だからアスリートは練習を休むことを本能的に忌避する。せっかく手にした感じを手放すことが惜しいのだ。だから、実際にからだを動かしてコツやカンをその都度、確かめる。実に多様な身体感覚それぞれをまとめ続け、ときにそれらを解体しながら「できる」状態を維持する。
この身体感覚のまとめ(統覚)と解体(修正)の繰り返しが、より高度な動きの習得へとつながっていくのである。
■「まぐれの一発」が早い人もいれば、遅い人もいる
動感形成位相は、一般的にはブラックボックスだと捉えがちな動作習得および身体変容のプロセスを可視化したものである。
「運動神経」である。
繰り返しになるが、「運動神経」にあるなしや良しあしはない。そもそも「運動神経」とは、運動を習得する仕方を指し示す言葉である。したがってそこには優劣などない。あるのは、のみ込みが早いか遅いかの違いだけである。
のみ込みが早い人を指して、私たちは慣習的に「運動神経がいい」と形容する。練習を始めてまもなくの初期段階ですぐにできそうな感じが見受けられたとき、その人を指して私たちは運動神経がいい、センスがあるとの感懐を抱く。
のみ込みが早い人は、スムーズに〈偶発位相〉まで辿り着く。「まぐれの一発」が、わりとすぐに出るタイプである。ああでもない、こうでもないと試行錯誤する〈探索位相〉をさほど経験しなくても、「まぐれの一発」が出る。指導者から十分な説明がなされなくても、「おそらくこんな感じだろう」という感覚的な目処がすぐに立つからだ。
■「直感型」は言葉をそれほど必要としない
のみ込みが早いこのタイプは、からだで直接覚えるのを得意とし、たとえ事細かな指導がなくても模範演技を見ただけで動きを習得できる。いうなれば「直感型」である。視覚からの情報を解析して動きの感じをイメージとして掴み、それを身体感覚に置き換えることができる。
また、「フワッ」「スーッ」「ギュッ」といったオノマトペ(擬態語)を、直感的に感覚へと変換できたりもする。私たちスポーツ指導者のあいだではこのタイプを「目がいい」と称し、このタイプを指導する際には模範となる動きの実践や、映像を見せることに重きを置く。言葉による論理的な指導をそれほど必要としないため、当然のことながら動作習得までの時間は短くなる。
■「論理型」には言葉による説明が必要
これとは対照的に、のみ込みが遅いというのは、「まぐれの一発」が出るのに時間がかるタイプだ。すなわち〈探索位相〉にしばらく留まる人たちである。このタイプは、言葉による仔細な指導を頼りにする。理路を確かめながらじっくりと身体感覚をまとめあげる、いわば「論理型」だ。
模範演技や映像を見ただけでは動きのイメージが掴めないから、言葉による説明が必要となる。脚の開き具合、クラブの握り方、視線の置き所、腕の使い方など、具体的な動き方の指示を頼りにして、徐々にコツやカンを手繰り寄せる。論理を辿りながらじっくりからだに馴染ませなければならないから、どうしても試行錯誤する時間が長くなる。
つまり「運動神経」とは、動きを習得するまでの速度であって、そこに遅速はあれど優劣はないのである。
■「運動神経」の幻想から解き放たれよう
「直感型」と「論理型」。自分がどちらのタイプなのかを自覚して取り組めば、スポーツをより楽しめるだろう。指導者ならば、目の前の子供や選手がどちらのタイプなのかを見極めればより効果的な指導ができるし、スポーツに励む子供がいる保護者ならば適切な言葉がけができる。
ちなみに私は長年続けているにもかかわらず、ゴルフがなかなか上達しない。チームプレーが求められるラグビーとは違い、すべての責任を自ら背負うゴルフに特有な重圧に、いつも負ける。始めてまもなく94で周ったものの、最近ではほとんど100を切れなくなった。
練習場のパフォーマンスがラウンドに結びついていない点で、〈自在化位相〉の一つ手前の〈形態化位相〉に留まっている。いや、それどころか突然スライス軌道になり、その修正がままならないから〈偶発位相〉の域にも足を突っ込んでいる。両位相を行ったり来たりするのは歯痒いが、それでもやっぱりゴルフは楽しい。大好きだ。
「運動神経」なんか気にしなくたっていい。下手の横好きでいいし、むしろ下手の横好きこそがスポーツの醍醐味を存分に味わっているのである。
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平尾 剛(ひらお・つよし)
成城大教授
1975年、大阪府生まれ。専門はスポーツ教育学、身体論。元ラグビー日本代表。神戸親和大教授を経て現職。スポーツハラスメントZERO協会理事。著書・監修に『合気道とラグビーを貫くもの』(朝日新書)、『ぼくらの身体修行論』(朝日文庫)、『近くて遠いこの身体』(ミシマ社)、『たのしいうんどう』(朝日新聞出版)、『脱・筋トレ思考』(ミシマ社)、『スポーツ3.0』(ミシマ社)がある。
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(成城大教授 平尾 剛)