高市早苗氏が自民党総裁に選ばれました。高い確率で首相に就任するものと見られていましたが、公明党の連立離脱で先行き不透明になりました。
高市氏の総裁就任で一時株価は大きく上げましたが、円は150円を超える円安となりました。もし、高市氏が首相になっても、私はその経済政策に大きな不安を抱いています。
■「実質賃金」が8カ月連続でマイナスの現状
高市氏の経済政策で私が懸念していることは、赤字国債の増発も含めた積極財政を標榜していることと、「財政と金融は政府が決定権を持つ」としていることです。
現状の日本経済を冷静に見ると、インフレ率は3%を切ったものの、8月で2.7%と高い状態が続いています。そして最も問題なのが、インフレを勘案した「実質賃金」がマイナスの状態が続いていることです。それも8カ月連続です。
ちなみに8月の実質賃金は、前年同月比で1.4%減。この春、かなりの賃上げが行われたのですが、それでは物価上昇にまったく勝てていないのです。それだけインフレの影響が大きいのです。
実質賃金がマイナスということは、昨年と同じものを同じ数量買えないということです。数量を減らすか、あるいは数量を確保しようとすると以前より安いものを買うということにならざるをえません。
つまり、国民の生活が貧しくなっているのです。そして、物価上昇のかなりの部分は食品で、国民生活を直撃しています。コメは値上がりを始めてだいぶ経つので、前年比で見るインフレ率への影響は減りつつありますが、高止まりしている現状を見過ごすわけにはいきません。
そして、食料品値上がり、あるいは高止まりの大きな影響を受けるのは、所得が比較的低い人たちです。当然ながら、食品は生きていくための必需品だからです。低所得層の余裕がますますなくなり、それでなくとも広がりつつある経済格差をさらに広げることとなります。
まず、実質賃金をプラスにしないと国民の生活はどんどん貧しくなるだけです。政府としては実質賃金を上げることが経済政策においての一丁目一番地です。
■名目賃金はすぐには上昇しない
実質賃金をプラスにするには、実額である名目賃金を上げるか、あるいはインフレ率を下げるかしかありません。
派遣やパートの人たちの賃金はその時点での需給で額が動くこともありますが、正社員の給与は日本では賃上げの大筋は春に決まることが多く、この秋での日本全体での大幅な賃金改定は考えにくい状況です。
そして、雇用情勢にも変化が見え始めました。雇用はまだ不足感が強いですが、その中で、図表1にあるように完全失業率は7月の2.3%から8月には2.6%まで悪化、さらには7月には1.22倍だった有効求人倍率(求職者数÷求人数)が8月には1.20倍に低下しました。まだ、雇用は安全水域ですが、そろそろピークは越えた感があります。賃金上昇圧力も弱まりつつあるのです。このような状況では名目賃金を上げるというのはかなり難しいと考えられます。
■実質賃金をプラスにするにはインフレ抑制しかない
そうなれば、実質賃金をプラスにするための残された方法はインフレの抑制しかありません。
ところが、高市氏が実践しようとしている政策は、インフレに逆効果のものが少なくありません。財政拡大は、ガソリンの暫定税率廃止など直接に市場価格を下げるもの以外はインフレを助長します。地方への助成金などの交付も同様です。
さらには、意図している円安かどうかは分かりませんが、円安は輸入物価の上昇をもたらします。高市氏が自民党総裁に選ばれてから4円以上円安が進みました。
図表2にあるように、8月以前は、輸入物価は前年比で2ケタのマイナスが続き、8月には前年比マイナス3.9%でしたが、この円安の影響もあり今後はプラスに転じることも考えられます。
見方を換えれば、輸入物価のマイナスで割安で購入できた中でも国内のインフレが続いていましたが、今後、輸入物価が上昇に転じればインフレ率がさらに上昇する懸念があります。
インフレを抑制するには、日銀が政策金利(1日だけ銀行間で貸し借りする金利)を上げるのが本筋だと考えますが、先にも触れたように、高市氏は「金融政策に関して責任を持つ」としており、これは日銀の利上げを強くけん制する意図があります。日銀の独立性が脅かされています。これではインフレ抑制に効果がある政策金利を上昇させられません。
10月末に日銀の政策決定会合があり、自民総裁選前では、しつこいインフレもあり市場は8割がたが「利上げが行われる」と予測していましたが、総裁選後では利上げ予測は「2割程度」に下がっています。このことも、現状の円安のひとつの大きな原因です。
しかし、ここまで説明してきたように、実質賃金のマイナスが続き、さらには、インフレ率も下がる見通しもない中、日銀は12月の政策決定会合で、利上げを行う必要に迫られると私は考えています。
■トランプ氏訪日も混乱要因
一方、財政悪化を懸念して、自由金利である長期金利(10年国債利回り)は1.7%程度まで急上昇しています。
10月末にはトランプ米大統領が訪日しますが、こちらも経済的には明らかに波乱要因です。高市氏の首相就任をトランプ氏は好意的に受け止めていると報じられていますが、両者がとくに合意しやすいのは、日本の防衛力の強化でしょう。
防衛費増額となれば、財政赤字が拡大し、赤字国債の増発が行われることとなります。財政規律に比較的厳格な麻生派から自民党幹部が多く登用されていますが、本当に財政赤字の拡大に歯止めがかけられるかは不明です。これでは長期金利の上昇が続きます。
長期金利の上昇は、今後固定金利で住宅ローンを借りようとしている人、借りている人に大きな影響を与えます。長期金利の上昇は借入れの多い企業への影響のみならず、設備投資などは長期で借りることが多いですから、それほど借入れが多くない企業でも設備投資の抑制につながります。
高市氏が今後もインフレを抑制できなければ、先にも述べたように日銀は政策金利を上昇させざるを得なくなります。そうすると短期金利も上昇し、変動型の住宅ローン金利も上がります。毎月の返済額が増える可能性があり、返済総額も増加します。不動産価格が上昇する中、返済額が増えれば、マイホーム放出の危機に瀕するケースも出るでしょう。家計のやりくりに支障が出るのも必至です。家計の中の割合が大きい食費やローン返済額が上がるということで、人々の生活はにっちもさっちもいかなくなります。
それも、後手後手に回っての政策金利の上昇なら、インフレは収まらず、実質賃金が上がらない中での金利上昇ということにもなりかねません。
すると、どうなるか。消費は絶望的に抑制され、企業の売上が低下し、人件費削減・人員削減など雇用不安定化につながります。収入が減る人々が続出してもおかしくありません。結果として消費者の購買意欲がさらに低下し、家計の将来不安が増し、景気の悪循環に陥ることで国民は「地獄の苦しみ」を味わう恐れがあります。
■サッチャーかトラスか、はたまた……
高市氏は、英国のマーガレット・サッチャー元首相(在任期間:1979年5月4日~1990年11月28日)を理想としている、と報じられています。サッチャー氏は強力に構造改革を推し進め、財政も改善しました。「英国病」とまで言われた経済を立て直したのです。
高市氏には大いなる構造改革を行い、成長戦略を推進してほしいものです。ただ、金権議員を抱え込み、バラマキを継続し、旧態全とした自民党政治の継続でしかないのなら大問題です。株式、債券、為替の各市場に大混乱をもたらし、「トラスショック」と呼ばれるほど英国金融・経済をめちゃくちゃにして2カ月足らずの短期間で退陣したリズ・トラス元首相(在任期間:2022年9月6日~10月25日)のようにならないことを心から願うばかりです。
短命政権になって政治家としての株を落とすのは勝手ですが、国民を道連れにして、スーパーで買いたいものが買えないといった惨めな思い、ひもじい思いをさせるような事態を招くことだけは絶対に回避しなければなりません。
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小宮 一慶(こみや・かずよし)
小宮コンサルタンツ会長CEO
京都大学法学部卒業。米国ダートマス大学タック経営大学院留学、東京銀行などを経て独立。『小宮一慶の「日経新聞」深読み講座2020年版』など著書多数。
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(小宮コンサルタンツ会長CEO 小宮 一慶)