NHK朝ドラ「ばけばけ」では、明治維新後の"サムライ"の生活苦が描かれている。江戸時代まで主役だった武士たちは、なぜ貧乏生活を強いられるようになったのか。
ルポライターの昼間たかしさんが、朝ドラでは語られない史実をひもとく――。
■異様だった明治のバブル
朝ドラ「ばけばけ」(NHK)は、明治8年の島根県松江市を舞台にはじまった。トキ(子役・福地美晴)の父・司之介(岡部たかし)は、時代の変化についていけず、いまだにちょんまげのまま職にもつかず無為に過ごしている男として描かれている。
そんな、父親が発憤して始めたのがウサギの飼育。まさか明治の世にウサギのブリーダーで一山あてようと考えるヤツがいたなんて……。視聴者は度肝をぬかれただろう。
とはいえこの当時、ウサギの飼育は儲かると全国で大流行した。そんな「ウサギバブル」が生んだの悲劇にもならない喜劇の数々だった。
まず、誰もが考えるのは「なんでウサギでバブルが起こったのか?」ということだ。
これは幕末の開国の影響だ。開国後、日本にはそれまでいなかった質のよい外来種の家畜が次々と入ってきた。入ってきたとはいえ、その数は僅かだから希少種である。
だから、繁殖させて転売すれば、それだけで大儲け。兎の前には豚が高騰して「五六百金」で取引されたと当時の新聞には記されている。
とにかく「外来種=質がよい」から、値が上がるはず。そんな期待が期待を呼んで小さなバブルがいくつも起こっていた。『朝日新聞』明治12年7月23日付には、こう記されている。
「最(も)う流行物には懲々(こりごり)した。己はまだ額の瘤位の事だが世には兎が流行っていると手をだして身代を潰し薔薇が流行だと聞いては醜玉買い込んで負債の海にドンブリコと沈み身を亡ぼす者も多いが、サテサテ時好は追わぬものと浮軽(うっかり)歩くと後から用件が裾に纏わるからチェえ畜生奴ウヌも流行物の一つだ」
■没落した士族が"一攫千金"を夢見た
ここからも、維新直後で社会が安定しない中で、多くの人が「信じられるのは金だけ」とばかりに、あらゆる投機に手を出していたことがよくわかる。
それではウサギがバブルになったのはどういう経緯なのか。高嶋修一「明治の兎バブル」(『青山経済論集』第64巻第4号)によれば、これは明治初年に横浜ではじまったという。
当時の『横浜毎日新聞』明治6年10月24日付に掲載された記事によれば、鷲沢何某という人物が2~3年中に太陰暦が廃止になると予言、そうすると月に住む兎が生活を失い餓死するからといって、兎を買い集めて可愛がっていたところ、舶来の兎から質の良い兎が生まれ「更紗」種と名付けて大儲け、そして明治5年に太陽暦絵の切り替えが実現したことで、さらに儲けたのだという。
そこから始まった兎の価格高騰は激しかった。最盛期には、その価格が一羽あたり50円から数百円にもなったという。
当時の米1石が約7円前後だったというから、いかに法外な価格であることがわかる。それでいて、兎は繁殖力が旺盛だ。育てて売れるまで、檻やら餌やら(当時の主な餌は豆腐のおから)に費用がかかっても、十分に元が取れる。
そんな投機に一番に夢をみたのは、朝ドラ「ばけばけ」で描かれる司之介のような維新で没落した士族だった。『読売新聞』明治23年1月19日付には、この当時のウサギバブルを振り返った記事が掲載されている。
「士族の家禄奉還金を持て余したる時に当たりて或大山師一種の兎を持ち出し士族の持て余したる金を巻き上げてついに兎の大流行を来たし其最も高価なるものは牝一羽に付金三百円に及びたる」
■士族に支給された一時金で過熱
新政府は明治9年に秩禄処分を実施している。明治維新後も新政府は士族や華族に対して家禄の支払いを行っていた。ところがその額は国家予算の3~4割近くに達し、全人口の5%に満たない士族と華族の給与で財政は破綻しそうになっていた。そこで政府は国債として一時金を渡して支払いを打ち切ることを決めた。
多くの士族がこれを元手に商売や事業を始め「士族の商法」で大失敗をして没落していくわけだが、とにかく手元にまとまったカネがあったのは事実である。そんなところにタイミングよくやってきたのがウサギのブーム。こうして、ウサギの価格が高騰する流れが生まれたのである。

しかし、こんなのは「士族の商法」と同じである。いくらウサギが盛んに繁殖する生き物だとしても、素人がはじめてブリーダーになれるはずがない。
「明治の兎バブル」には、秩禄処分でカネを手にした「無智華族」が「価千金」のウサギを買ったはいいが「四五日を出ずしてコロリ」と死んでしまい、うろたえ回って借金をして、またウサギを飼って「傍らより之を見れば狐付か狂人か」と揶揄されたと記されている。
そんな士族や華族にウサギを売りつけるのも、やっぱり詐欺師同然だ。『読売新聞』明治14年3月5日付けによれば、東京は牛込神楽町の徳兵衛なる人物は、白いウサギを染めて人気の更紗種であると偽って売り、大いに儲けたという。
■まるで暗号資産、NFT……
そして、ウサギのバブルはさらにほかの商材にも広がっていた。ウサギの次はモルモットだとか、はたまた観葉植物だとかあらゆる商材が投機の対象になった。
現代ならばビットコインで一財産を作った人をネットで見て、ならば自分もとイーサリアムだ、リップルだと広がっていき、もはや実態不明の怪しげな仮想通貨やNFTに広がっていくのとよく似ている。
こんな投機熱による社会の混乱に政府は手をこまねいているわけではなかった。1873年1月に東京府はウサギを売買するための集会を開くことを禁止。政府でも司法省が売買禁止の検討を始めた。これを記した「兎売買禁止ノ伺」という文書(国立公文書館所蔵)では、兎取引そのものを「博打同様之所業」「元来詐偽之悪風ヲ長シ候」とけちょんけちょんに非難している。

ただ、この売買の禁止は難行している。政府内部でも自由な商売を取り締まって良いのか意見が分かれていたためだ。しかし、事態の悪化を見捨ててはおれず明治6年12月、東京都は兎の売買や子供が生まれた際には届け出を必須とし、一羽につき月1円の「兎税」を納めることを布告した。
月に1円というのは高額だし、売買や子供が生まれる度に届け出よというのは現実的ではない。これは直接売買禁止ができないために編み出した方便といえる。
■「しめこ鍋」の屋台が続々登場、放火事件も
この布告の月に発行された『新聞雑誌』178号には、突然の規制に混乱する人々の姿が記されている。
「兎税ノ布令アリテヨリ、坊間店先ニ出シアリシ兎一羽モ残ラズ即時二形ヲ滅セリ。税金二驚テ打殺スモアリ、川々エ流シ棄ツルモアリ、猶陰ニ床下ニ匿スモアリ」
税金を逃れようと、隠す。あるいは東京府外に逃れようとするのはまだましである。もはや、これまでと、殺したり川に捨てたりした者も多数いたというのだから、驚きだ。しかし、それでは大損だと思った人が別の方法を考えた。
兎を絞め殺して鍋にして売ったのである。
この料理は「しめこ鍋」と呼ばれ、当時はこの鍋を売る屋台が続々と登場したという。もちろん毛皮も無駄にはせずに帽子などの衣類にして売る者もいた(『ウサギの日本文化史』)。
ただ、明治維新から間もない時代である。そんなにお上の命令に素直に従う人ばかりではなかった。一山あてようとしたところに水を差された人々がやったのは、放火である。
明治6年12月9日に神田東福田町(現千代田区岩本町1丁目)で火事が起こった。この火事は南へ広がり5700戸あまりが焼ける大火事になった。当時の神田ではウサギの飼育が盛んに行われいたので、兎税に怒った人が放火したのだろうというのが、もっぱらの風聞だった。
当時の東京では、しばらくは毎夜のようにあちこちで火災が続発する日が続いた。それだけ、兎に夢をみていた人は多かったのである。
こうして高額な課税によって沈静化した兎バブルだが、その後も何度も再発している。やっぱり手軽に大金を得る方法はきっとある……そんな甘い夢が不思議な投機を繰り返させるらしい。
ウサギバブルは時代の変化に取り残され没落したものが一発逆転の夢をかけたものであった。
■士族の7割が「自活の目途なきもの」
実のところ、朝ドラならではのマイルドさで描かれているが、セツのような士族の家の貧窮ぶりは酷かった。維新後もしばらく士族には家禄の支給は続いた。ところが、これは財政難を理由に幕府の時代より引き下げられている。
深谷博治『華士族秩禄処分の研究』(高山書院1941年)によれば、松江藩では明治2年と3年の2回に渡って支給額を改定している。これは士分の者はすべて同一に年32石をする大胆なものだった。それまで生家である小泉家は300石、稲垣家は100石だったのだから即家政が破綻する金額である。
司之介が職にもつかずブラブラしているのは、もはや財産も将来の見込みもなくなにもやる気が起きなかったのかもしれない。少し時代が下って『山陰新聞』明治18年2月9日付には、松江居住の士族約2300戸のうち7割が「自活の目途なきもの」、3割は「目下飢餓迫るもの」と記している。
しかし、本当に困窮したのは家禄が減らされてから数年後、前述の秩禄処分によってである。既に困窮していたところに、6年分をまとめて払うというのだから、士族はこぞって飛びついた。そして、彼らが最後のカネを増やそうと試みたのが投機だった。当然、それらは山師の餌食になり転落するものは多かった。
<参考文献>

長谷川洋二『小泉八雲の妻』 松江今井書店 1988年

深谷博治『華士族秩禄処分の研究』 高山書院 1941年

赤田光男『ウサギの日本文化史』世界思想社教学社 1997年

高嶋修一「明治の兎バブル」『青山経済論集』第64巻第4号

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昼間 たかし(ひるま・たかし)

ルポライター

1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。

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(ルポライター 昼間 たかし)
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