話が面白い人は、どこから話のネタを仕入れているのか。文芸評論家の三宅香帆氏は「どんな小説やドラマなどの作品でも、『読み方』次第でいくらでも面白い話のネタになる」という――。

※本稿は、三宅香帆『「話が面白い人」は何をどう読んでいるのか』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■味わった作品を「料理」するプロセス
なにかを読んだとき、それを「ネタ」にするためには、具体的にいうと
① 〈比較〉ほかの作品と比べる

② 〈抽象〉テーマを言葉にする

③ 〈発見〉書かれていないものを見つける
といったプロセスが必要です。そしてこの①~③ができると、さらなる応用編として
④ 〈流行〉時代の共通点として語る

⑤ 〈不易〉普遍的なテーマとして語る
ことが可能になるのです。
観たもの読んだものに対して、この①~⑤のどれかの鑑賞・解釈ができるようになると、人に話すことができる状態になります。
つまり、
具体的な作品を読む・観る〈素材〉



①~⑤のどれかのプロセスで鑑賞・解釈〈料理〉



人に話せる「ネタ」に変化する〈盛り付け〉
というイメージでしょうか。
どう料理するのか、を私は伝えたいんですね。
正直、面白い作品は、何も知らずに観たり読んだりしても面白いんですよ! だって、おいしい野菜や果物って、料理しなくてもおいしいじゃないですか。ありのままがおいしい、素材の味を楽しんでもいい。
だけど、人に出すときは、おいしいリンゴをそのまま出すよりも……アップルパイにしたり、サラダとしてほかの食材と一緒に盛り付けて出したりしたくなりませんか?
同じです。
■作品鑑賞には「解釈の過程」がある
作品も、そのまま食べてもおいしいけれど、料理してもおいしい。
人に出すときは、料理したくらいの方がいいかもしれない。
味を付ける、煮込む、焼く、混ぜる、という料理の工程があるように。
作品鑑賞にも、比較、抽象、発見、のような解釈の工程があるのです。
いろんな食材と混ぜ合わせて味わってみたり(比較)、
潰したり煮込んだりしてちょっと形をなくしてから食べてみたり(抽象)、
その素材が持っていない味付けを足してみたり(発見)、
そういうなかでおいしい鑑賞が生まれるのです。
素材のままも、おいしいけれど。
料理しても、おいしい。
あなたなりの作品の文化的な鑑賞技術を、見つけてみてください。
さて、それでは物語鑑賞「5つの技術」について、もう少し詳しく見ていきます。
①〈比較〉ほかの作品と比べる

②〈抽象〉テーマを言葉にする

③〈発見〉書かれていないものを見つける

④〈流行〉時代の共通点として語る

⑤〈不易〉普遍的なテーマとして語る
ひとつひとつ、ざっくり説明していきます。
具体例は、ジブリ映画の『となりのトトロ』でいきましょう。
■①〈比較〉ほかの作品と比べる
ある素晴らしい作品を読んだり観たりしたとき、「ああ面白かった!」と思う。
それだけで素材の味をかみしめたことにはなります。が、人に話すネタにはなっていない。面白かった、という感想だけでは、面白い話にはならないから。

では、まずやるべきは、「ほかの作品と比較する」こと。
読んだ後、どんな作品と比較できるか? を考えてみる。
例:
『となりのトトロ』と『ハリー・ポッター』を比較すると、日本の『トトロ』は「バス」、イギリスの『ハリー・ポッター』は「汽車」が異空間に連れて行ってくれている。
ネコバスは昔からいる前近代的な妖怪のような存在であるのと比較して、ホグワーツ特急はむしろ産業的で未来的なインフラのような存在。
……ということは日本とイギリスの「ファンタジー世界」が担っているものが違うのかも⁉

といった小話ができるようになりますね。日本は妖怪的なバスで、イギリスは産業的な汽車であるという対比があってはじめて、このような「話のネタ」に変わるのですよ。
ここから日本と欧米のインフラへの意識の差の話になるかもしれないですし、ファンタジーの捉え方の違いの話になるかもしれない。
あなただったら、『となりのトトロ』とどんな作品を比較しますか?
■②〈抽象〉テーマを言葉にする
ある作品を観終わった後「この話のテーマは何だったのだろう?」と考えてみます。
ただ漠然と考えただけではわからないかもしれません。そこで大切なのは、「正解はない」ということ。
はっきり言って作品のテーマに正解なんて、ありません。あったら、作り手はそのテーマを言葉にしたらいいのですから。
でも、はっきりと言葉にできるテーマなんてないからこそ、作品を作っているのです。
そういう意味で、むしろテーマをつくりだすのは、「鑑賞者」の仕事です。
たとえば、トマトはトマトなのです。でも、トマトに「リコピンが多い」とか「彩りがある」とか「ソースにするとおいしい」とかそういった良いテーマを見出すのは、料理する人=鑑賞者の仕事です。
というわけで、正解はないとわかりながら、テーマを考えてみる。
ポイントは「変化」や「結末」に注目することです。
・この作品は主人公がどんな変化を遂げているか?

・とくに力を込めて描かれているのはどんな場面か?

・最終シーンはどんな結末で終わっているか?
これを考えてみましょう。
例:
『となりのトトロ』のテーマは「子供は、大人に隠れて、成長する」ではないか。
サツキやメイが成長する場面は、いつも父母には見えない。その代わり、トトロが二人の危機や変化を見守ってくれている。
つまり、父母が知らないところで、二人は大冒険をして成長していることこそが本作のテーマなのでは。

テーマを語ることができれば、人に話すときのネタになりやすいです。
汎用性が高い。
■③〈発見〉書かれていないものを見つける
これはもう秘密レシピなのでちょっと教えたくないくらいなのですが……。秘技「描かれていないことを探す」。けっこう玄人っぽい手なのですが、お手軽に面白い話ができるので、とてもおすすめ。
「これ、書かれていてもおかしくない話なのに、書かれていないよね?」

「なぜかこういうキャラクターが出てこないな」

「こういう話をしてもいいのに、この人、しないなあ」
という、「出てきてもいいはずなのに出てこない」ものには必ず理由があります。作者が意図的に避けているのです。そしてそこには、作者なりの、深いこだわりがある。
あってもいいはずなのに、なぜか、ないもの。
それを見つけるだけで、鑑賞体験はぐっと深くなります。そして話のネタに、変わるのです。
例:
『となりのトトロ』には、電化製品がほぼ登場しない。
物語はオート三輪に荷物を載せて親子三人で田舎に引っ越してくるところから始まるが、それ以外、電化製品らしきものはほぼ登場しないのが本作の特徴。
かろうじて電気が通っているくらいだ。
ということは、この映画で宮﨑駿監督が描きたかったのは、単なる自然と子どもの交流だけでなく、テレビや冷房や冷蔵庫などの電化製品が奪ってしまったものなのかも……?

書かれていないものを考えていくと、テーマもわかりやすくなってきます。
■④〈流行〉時代の共通点として語る
同時代に流行している別のものと比較すると、共通したテーマが見えてくる。すると「ああ今これをみんなが求めているんだ」という理解が進み、自分なりにその時代が見えてくる瞬間があったりします。
小説と映画を比べてみたり、あるいは友人の言葉とアニメの台詞を比べてみたりすると良いですよ。
例:
『となりのトトロ』が公開された1988年、巷では「おたく」という言葉が広まっていた。そう、アニメやゲームに熱中する若者がいる、と社会的に認知されていた時代なのだ。
宮﨑監督が『トトロ』でテレビもパソコンもなかった時代の田舎を理想的に描きヒットしたことは、結局、その裏側でどんどん皆がそれらに夢中になっていた証ではないか。現実にはないからこそ、フィクションに求めるようになったのだ。

■⑤〈不易〉普遍的なテーマとして語る
これは④の逆で、むしろ時代を超えて、普遍的なテーマを知っておいて当てはめるのです。
普遍的なテーマとは、もはや相場が決まっているので、慣れてくると「ああ、このテーマの類型か」と分類できるようになります。これは応用編なので、ドラマや小説を観慣れたり読み慣れたりしている人のほうが簡単にできますが、それでも慣れたらできるようになるものです。

ほかの作品と比較しつつ、さまざまなテーマを知っていきましょう。
例:
『となりのトトロ』のトトロ、『ベイマックス』のベイマックス、『ハリー・ポッター』のハグリッド。どれもぬいぐるみが大きくなったようなパートナーが、子どもたちを守ってくれる。
「ライナスの毛布」という言葉もあるけれど、包み込んでくれる毛布のようなものが子どもたちの成長のそばには欠かせないのかも?

といったふうに、観たり読んだりした作品を、「話のネタ」に変えるには、料理をする必要があります。

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三宅 香帆(みやけ・かほ)

書評家・文筆家

1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)、『副作用あります⁉ 人生おたすけ処方本』(幻冬舎)などがある。

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(書評家・文筆家 三宅 香帆)
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