▼第1位 「やっぱり“愛子天皇”を実現するしかない」皇室研究家が悠仁さま成年式を見てそう確信したワケ"
▼第2位 このままでは次代“天皇の母”は紀子さまになる…島田裕巳「愛子天皇待望論が過熱するもう一つの理由」
▼第3位 だから二宮和也主演「8番出口」は「国宝」超えに…「映画館離れ」の若者が"ループするオジサン"に熱中するワケ
なぜ、「愛子天皇待望論」が国民の間に生じるのか。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳さんは「悠仁親王が天皇に即位すると、雅子皇后と紀子皇嗣妃の立場も変わる。それは今上天皇と秋篠宮文仁皇嗣との関係についても同じで、直系ではなく傍系が皇位継承するとこういう事態が生まれてしまう」という――。
■40年ぶりの皇族の「成年式」
9月6日、悠仁親王の「成年式」が行われる。皇族の成年式は男子だけのものなので、成年式は、その父親である秋篠宮文仁以来40年ぶりになる。これで、成年式を迎えていない皇族はいなくなる。次にいつ成年式が行われるのか、それは未定である。そこに皇位継承をめぐる危機が示されているとも言える。
成年式を経ることによって、立場は変わる。皇族には「皇族費」が支給されているが、成年に達していない段階では年に305万円だったものが、3倍の915万円に増額される。成年皇族ともなれば、公的な活動が多くなり、必要な経費が増えるからである。
ただし、悠仁親王は、今年筑波大学に入学したばかりで、学生生活は最低でも4年間続く。
■直系と傍系をめぐる大きな差異
今回の成年式をめぐっては、そのあり方についてさまざまなことが指摘されている。
一つはテレビ中継の有無である。現在の天皇の場合、1980年に成年式を迎えたが、儀式の様子はNHKで午前9時45分から10時15分まで生中継された。それだけ国民の関心は高かった。
弟の秋篠宮の成年式については中継は行われなかった。悠仁親王の場合も同様であり、現在の天皇ほど関心を集めていないとも言える。
また、6日の「加冠の儀」が行われる日の夜には、親族を中心とした内宴が開かれ、10日昼には三権の長らを招いて正式な午餐会が開かれるが、どちらも皇居の宮殿ではなく、民間施設が使われる。
現在の天皇の場合には、どちらも宮殿で行われているし、秋篠宮の場合もそうだった。ところが、宮殿は天皇家の行事が開かれる場であり、宮家の行事を行う場ではないということで、今回、民間の施設が使われることになった。
もし、愛子内親王が男子として生まれ、成年式を迎えていたら、中継もされただろうし、宴席は間違いなく宮殿で行われたはずである。
■悠仁親王が「皇太子」になるためには
皇室典範では、傍系の男性皇族しかいなくなる事態は明らかに想定されていない。したがって、秋篠宮は皇太子にはならず、「皇嗣(こうし)」とされている。
悠仁親王が皇太子になるとしたら、それは秋篠宮が天皇に即位した時である。そうした事態がいつ訪れるのか、あるいは本当に訪れるのか、そこははっきりしていない。
その点で、悠仁親王の立場はひどく曖昧である。男子による皇位の継承にこだわる保守派は、悠仁親王が将来において天皇に即位することを前提にしているものの、現在の曖昧な立場を解消しようとする方向には動いていないし、それについて提言も一切行っていない。
それはひどく無責任な態度に思えてならない。というのも、社会的にどういう扱いを受けるかで、本人の自覚や意識は変わってくるからである。ずっと傍系として軽い扱いしか受けてこなければ、天皇という重責を果たす覚悟は生まれない。今日のような事態が生まれることを想定していない皇室典範には、明らかに不備があるのだ。
そして、将来において悠仁親王が天皇に即位した時、新たな事態が生じることも想定されていない。
■後宮に住んだ女性たちの地位と変化
私がそのことに気づいたのは、最近、遠藤みどり氏というお茶の水女子大学の准教授が書いた『日本の後宮 天皇と女性たちの古代史』(中公新書)を読んだからである。書名からは、天皇と関係を結んだ女性たちが住んだ後宮の華やかな生活を描いたもののように思われるかもしれないが、そうしたことはほとんど触れられていない。
扱われているのは、後宮に住んだ女性たちの社会的な地位とその変化である。そうした女性たちは天皇の配偶者になるが、正妻となる皇后の他に、妻妾(さいしょう)として妃(ひ)、夫人(ぶにん)、嬪(ひん)、世婦(せいふ)、女御(にょうご)、更衣(こうい)がいる。
古代において、日本は中国から多大な影響を受けた。中国のほうが文明として先を進んでいたからである。漢字などは中国から取り入れたものであり、条里制の都のあり方なども中国が模範になっている。律令にしても、唐のそれをほぼそのまま取り入れている。
しかし、日本と中国では社会のあり方、家族制度などには根本的な違いがあった。
中国の後宮は紫禁城(しきんじょう)にあり、そこは政務を執り行う「外廷」と、皇帝やその后妃、皇族が生活する「内廷」に分かれていた。後宮は内廷の大部分を占めていた。
■重要視された“天皇の子の母”であるかどうか
ところが日本の場合、飛鳥時代から奈良時代にかけては、天皇の配偶者となる女性たちは、天皇とは別の場所に住んでおり、後宮といえるような空間は存在しなかった。後宮という空間が生まれるのは、奈良時代の終わりから平安時代のはじめにかけてのことである。
それも、日本は古代において、「双系的社会」だったからである。それは、個人の出自や社会的地位について、父方(男系)と母方(女系)の両方の血筋を等しく重要視する社会のことである。これは、中国が父方の血筋だけを重視する「父系社会」だったことと根本的に異なる。
双系的社会では、男女間の社会的役割に大きな差はなく、首長の位も個人の実力や資質によって選ばれ、子どもの社会的な地位についても出自はさほど重視されなかった。だからこそ、飛鳥・奈良時代において、数多くの女帝が輩出されたわけである。
つまり、古代の日本では血縁関係は重視されず、婚姻による男女の結びつきも弱いものだった。したがって、妻という社会的な地位は確立されておらず、天皇家の場合、重要なのは天皇の妻であるかどうかではなく、“天皇の子の母”であるかどうかだったのである。
遠藤氏は、「日本では天皇の子の母への経済的給付を中心に、キサキ制度が整備されていく」と述べている。その分、天皇の子の母に対する経済的給付は手厚いものになり、上級の男性の官僚と変わらないものとなった。そのため、彼女たちの社会的な地位は安定化した。後宮という空間が設けられなかったのも、女性たちが生家で子どもの養育を行ったからである。この段階の後宮は、天皇の配偶者となった女性たちのことを指すものにすぎなかった。
■双系的社会から父系社会への変化
空間としての後宮がはっきりとした姿を現すのは、平安時代初期になってからである。平安遷都をなしとげた桓武(かんむ)天皇には20人以上のキサキがいて、皇子女の数も30人以上にのぼった。桓武天皇は、そうしたキサキや皇子女が生活する内裏(だいり)の空間として本格的な後宮を設けたのである。
桓武天皇の生母は、渡来人の血を引く高野新笠(たかののにいがさ)で、渡来人の影響を受けており、その分、中国の皇帝のあり方に従うことが多かった。後宮の形成も、その一環である。そして、経済的な給付についても、皇子女の母に対してなされるのではなく、直接皇子女を対象とするように制度を改めた。
これは、大きな変化であり、キサキも、天皇の子の母ではなく、天皇の妻であるという側面が強くなっていった。
それは、双系的社会から父系社会への変化を意味し、男女別の宮廷社会が創られることとなった。遠藤氏は、「政治の表舞台は天皇を頂点とする男性組織が担い、それを後ろから支える皇后を頂点とする女性組織という男女別の役割分担が確立するのだ」と述べている。社会の根本的な変化が、後宮のあり方を大きく変えたことになる。そうなれば、その前の時代とは異なり、女帝が現れることはなくなる。
■摂関政治に影響した母后の台頭
藤原氏による摂関政治の時代が訪れるのも、こうした変化に伴ってのことである。ただ、その中で、天皇の母、もしくは祖母となる「母后(ぼこう)」が台頭する。
キサキについて、天皇の妻としての側面が強調されるようになっても、皇太子の母という皇后の役割は変わらなかったのだ。ほかのキサキは、妻として天皇に従属し、自分の産んだ皇子女との関係が弱くなっても、「皇后のみが“母”としての役割を維持し続けていたとも言える」()という。
そのことが摂関政治の確立に影響する。皇太子あるいは天皇の母は、その後見人の立場となった。
ただ、藤原氏から入内した女性たちは、後見人として政治上の実権を握ったわけではない。それを背景に、女性の父や兄弟、つまりは藤原氏の男性たちが実際に政治を動かしたのである。
■傍系の皇位継承で生じる奇妙な事態
このように、『』では興味深い議論が展開されているのだが、私がそこから考えたのは、悠仁親王が天皇に即位する時のことである。
その時、天皇の母の立場になるのは紀子妃である。今の政治体制では、紀子妃が天皇の後見人になるわけではないが、その立場は明らかに変わる。
一方で、その時点で上皇后になっているであろう雅子皇后の立場も変わる。天皇の母ではないので、どうしてもその立場は弱くなる。
それは、上皇となる現在の天皇と秋篠宮との関係についても言える。秋篠宮がいったんは天皇に即位していれば、なおさら、秋篠宮の立場は強くなる。
何かこれは奇妙な事態ではないだろうか。直系ではなく、傍系が皇位継承するということは、どうしてもこうした事態を生むことになる。
国民の中に、愛子内親王の即位を望む声が少なくないのも、直系での継承に安心できるものを感じるからではないだろうか。このあたりのことも議論の対象になるべきである。
(初公開日:2025年9月5日)
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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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