■「レモン石鹸」で有名だったマックス
大阪・八尾市の一角に本社を構えるマックス。創業120年を迎える老舗メーカーだ。かつては、全国の小中学校で使われていた「レモン石鹸(※注1)」や、石鹸類をまとめたギフト商品を製造・販売していた。しかし現在は、全国のドラッグストアを中心に、肌にやさしいボディソープやヘアケア製品、入浴剤などを展開している。
そのマックスで経営の舵を取るのが、5代目社長の大野範子さんだ。
「幼い頃、2代目社長の祖父がよく私を抱っこし、工場内を歩きながら社員一人ひとりに『おはよう』と声をかけていました。そんな祖父の姿を見て心から尊敬していましたし、自分もいずれここで働こうと思っていたんです」
しかし、先代社長である父は、娘の入社に難色を示す。これまでマックスでは代々、男性が社長を務めてきた。そのため娘が入ればいずれ跡継ぎ問題がこじれるかもしれない。そう懸念していたからだ。
そこで大野さんは新卒で香料会社に就職し、営業職として歩み始める。一方その頃、マックスでは主力のギフト事業が低迷し、新規事業として、技術力を活用した他社商品を代理製造する「OEM事業」に活路を見出そうとしていた。
そして就職から3年。これまで頑なに反対していた父が、ある日突然「マックスに入社してくれないか」と切り出した。「注力していたOEM事業で、私の営業経験が役立つのではないか、という思惑があったようです」と振り返る。大野さんに当時の心境を聞くと、「とにかく、マックスに入れてうれしかった」と目を細めた。
※注1:レモンの香り(香料)を使用
■ギフト事業に次ぐ「柱」になったOEM事業
1999年にマックスへ入社した大野さん。「この会社を企画・営業・技術の三拍子そろったメーカーへ進化させる」そう誓ってOEM事業に挑んだ。
2000年からは大手化粧品メーカーの受託生産に注力し、最盛期には全社売り上げの4割を占めるまでに成長。大手企業の専属工場として徹底的に鍛えられたことで、設備・品質・技術の水準は飛躍的に高まる。OEM事業は、低迷していたマックスを支える大きな柱となったのである。
しかし、2007年に長期契約を結んでいた大手企業から突然契約を打ち切られたことで、OEM事業のもろさが浮き彫りになった。
「自分たちにしかできない商品を育てていかなくてはならない」──。そうした思いが社内にも次第に広がり、新たな事業開発への必要性は一層高まっていった。
そんな折、父が体調を崩し「2年後に範子が社長になってくれないか」と打診される。青天の霹靂だった。
■たった一度の検診を見送ったばかりに
「正直、私が跡を継ぐとは思ってもいませんでした」
大野さんは覚悟を決め、経営の基礎を学ぶべく、平日の夜間や土日にビジネススクールへ通い準備を重ねた。そして2009年4月、社長に就任。その年の9月にはMBAを取得し、経営者としてのスタートラインに立った。
しかし、順調に思えた矢先のこと。社内で席を立とうとしたある日、突然の大量出血に見舞われ緊急入院した。医師の診断は「子宮頸がん(子宮の入り口である子宮頸部に発生するがん。30~40代で罹患する患者が多い)」。
「30歳を過ぎてからは、子宮頸がんの検診を毎年受けていたんです。でも、このときだけは忙しさにかまけて受けそびれてしまって……。なぜ、このタイミングなのかと、自分を責めました」
そこから待っていたのは、想像を超える約4年半の闘病生活だった。
子宮頸がんは手術によって取り除けたが、その1年後にその周りへ再発して、今度は肺や首の骨などへの転移も見つかった。計5度の治療を余儀なくされ、医師から「ステージ4」と告げられた。
「早く治して会社に戻らなければ」という焦りと、「こうなってしまった以上、治すことに専念するしかない」という覚悟。そのはざまで、大野さんの心は揺れ続けた。
■生き抜くための2つの対策
では、どうやってその日々を乗り越えたのか。大野さんは次の2つを挙げる。
1つ目は、常に「次の一手」を用意することだった。
「今の治療が効かなくなったらどうするか。必ずプランAだけでなく、プランB、Cまで準備します。次の一手があれば、恐怖に飲み込まれずに済みますから」
大野さん自身、不安を煽るような情報を見るのがつらく、夫が全国の病院をネットで調べ上げ、オリジナルの治療計画書を作成。どうしても早く治したい。二人はその一心で主治医と何度も話し合った。
転移の連鎖を断ち切るため、紹介状を得てリスクの高い放射線治療に挑んだこともある。治療を経て病状は乗り越えたが、放射線の後遺症は年を重ねるごとに現れ、今もその治療やリハビリを続けている。
「最善だと信じて治療を選びました。症状が出ても、次はこう対処しようと考えるようにしています。そのためには早期発見が大切。今でも主治医のもとで、1カ月半に1回の血液検査と、年1回の全身のがん検査は欠かしません」
■家族に支えられ、主体的な治療にも取り組む
2つ目は食事療法だ。夫の友人と自身の知人から、偶然同じ医師の著書を薦められ、理にかなった内容に納得した。
「手術や放射線、抗がん剤の治療は病院の先生にお任せしていました。ただ、夫も私も一緒に病気と闘いたいという思いで臨んでいたので、自分たちが主体となって取り組める食事療法が合っていたんだと思います」
再発を重ね、心身がすり減った時期を支えたのは、夫とお互いの両親だった。「1人ではとても乗り越えられなかった」と大野さんは言う。
そして2013年、5回目の治療を終えると、大野さんは病室の扉を押し開けるように現場へ復帰し、再び経営の最前線に立った。
しかし、そんな大野さんを待ち受けていたのは、赤字寸前にまで悪化した経営状況だった。
■昭和の顔、レモン石鹸を手放した理由
では、ここからどうやって事業を立て直したのか。
まず着手したのは徹底した支出の削減である。その一環として採算の取れない商品の廃番を決定する中で、大野さんは戦前から小学校の手洗い石鹸として親しまれてきた「レモン石鹸」に幕を下ろす決断をした。
「時代の変化で需要はほとんどなくなっていましたし、石鹸がコロコロ転がりやすい形状なので、製造の現場では従業員から冗談めかして「これ、いつまで作るんですかね」という声が出るほどでした。だから廃止には社内全体が納得していましたね」
レモン石鹸の廃止には、一つの時代の終わりを告げるような寂しさを感じる。
とはいえ、廃止は廃止。社会に必要とされる企業であり続けるため、レモン石鹸を含めて一世を風靡した様々な看板商品をここで手放し、次の成長に向けて歩むことを選んだ。
■事業の新たな柱は「お風呂場」から生まれた
では、長らく課題とされてきたOEM事業に代わる新たな事業の柱は、どのようにして見つかったのだろうか。
これから100年続く事業とはなにか。2007年頃から長らく社内で新たな事業の必要性が叫ばれるなか、大野さんも闘病の傍ら、その答えを探し続けていた。だが、MBAで学んだことからは、明確な答えは見つからない。
そんな大野さんが闘病中に、「これだ!」とひらめいたものがある。それは、お風呂場で人々の悩みに寄り添う商品をつくることだった。
「私はこれまで入浴が楽しみだったのですが、抗がん剤の影響で肌が赤くただれてしまい、入浴が苦痛に変わってしまったんです。だからこそ、同じように肌トラブルで悩む人の力になりたいと思いました」
その思いを胸に、闘病を経て復帰した大野さんが形にしたのが「商品・サービスを通じてお客様の悩みに寄り添い、笑顔を届ける」という主旨の新しい経営理念だ。
それは、機能性の高い“お悩みに寄り添う商品”の開発に軸足を置く、というマックスとしての強い意思表示でもあった。そして、新たな販路であるドラッグストアなどでの店頭販売に注力するようになった。
■会社を傾けた「意思決定の遅れ」
次に取り組んだのが組織体制の改革である。
入院や手術で大野さんが不在の時期、「この判断は社長が戻ってきてからにしよう」と意思決定が先送りされ、結果として事業が停滞してしまっていた。また、当時のマックスには75名の従業員が在籍し、部門数は11ほどだったが、情報はそれぞれの事業部門にとどまり、全社的に共有されていなかった。
そこで大野さんは、各部門が“個人商店状態”になっている点にメスを入れ、全社に管理会計を導入。財務状況や営業、開発の経費などをオープンにし、各部門の課題や不採算部分が一目瞭然になるようにした。
「各事業部の情報を可視化することで、自部門の都合だけで意見を出すのではなく、会社全体を考えた判断ができるようになりました。以前は個人プレーが多かったのですが、今ではチームプレーが増え、意思決定も格段にスピードアップしました」
■事業の主軸を「肌に優しい商品」に変えた
時代は移り変わる。かつて「ギフトのマックス」と言われた時代もあったが、いまや売り上げに占めるギフト商品の割合は1%以下にまで縮小。2026年にはほぼゼロになる見通しだ。
その一方で、現在のマックスを支えているのはドラッグストアを中心とした店頭販売事業。売り上げ比率は約82.5%にのぼる。主力ブランドは「無添加(※注2)生活」シリーズで、中でも最も人気なのが「無添加泡の石けんボディソープ」である。
「昔から“無添加”をうたう商品はありましたし、自社でも販売していました。でも、既存商品だと、肌が荒れていた私はヒリヒリして染みる。そこで、現在の商品で満足するのではなく、もっと機能を高めたいと考えたんです」
※注2:香料、法定色素、鉱物油、パラベンフリー
※注3:「無添加泡タイプボディソープ」カテゴリーにおける売上金額No.1。出典:株式会社True Dataを基にしたマックス調べ<2023年4月~2024年3月までのメーカー別売上金額ランキング>(2025年1月調査)。なお、「無添加泡タイプボディソープ」は、マックス独自の選定カテゴリー
■ビール会社を超える? 「泡」へのこだわり
そこで徹底的にこだわったのが“泡”だった。
「石鹸やボディソープはビールと同じで、泡が命です」
開発チームはビール会社で使われている泡の測定機械を導入。どのような泡が心地よいかを定量的に分析し、検証を重ねた。「これ、えらい高かったんです」と、大野さんは笑う。
柔らかくクッション性のある泡は気持ちよく洗える一方、成分が肌に残りやすく、かゆみの原因になる。いかに泡切れをよくし、肌に余計なものを残さないか。そこが開発の鍵となった。
■直接届く「感謝の声」がやりがいに
さらにECサイトなどに寄せられる口コミを丹念に読み込み、改善に反映した。特に大きな反響を呼んだのが、体臭予防を目的とした商品で、利用者からはこんな声が届いた。
「この商品を使い始めたら、年頃の娘がまた一緒に買い物に行ってくれるようになった」
「孫が加齢臭を嫌がって祖父の家に行きたがらなかったのに、商品を使い始めてから遊びに行くようになった」
こうした変化を伝えるメールや手紙が、今もマックスに直接届く。
「私たちの商品が、お客様に少しでもよい影響を与えている。大げさかもしれませんが、お客様の人生を変えるきっかけになっているかもしれません。『やってよかった、幸せだな』と心から思います」
悩んでいる人に届けたい──。その思いはマックスの価格設定にも表れている。
「品質がよくても、高すぎて使い続けられなければ私たちのポリシーに反します。メーカーとしての限界はありますが、『お客さまがこの価格ならなんとか購入できる。我々はこの価格ならなんとか販売できる』というギリギリのラインで売れるよう、努力を重ねています」
■石鹸メーカーから総合化粧品メーカーへ
バブル崩壊からギフト事業の縮小が深刻化し、2015年には業績が最も落ち込んだマックス。だがその後、「無添加生活」シリーズをはじめ新たな基幹商品で復活を果たし、V字回復を遂げつつある。
そして、再出発の原点となった「お客様一人ひとりの悩みに寄り添う」という挑戦は、いまや「社会全体の課題にどう応えていくか」へと広がっている。
その一例が、シャンプーやリンスなどの固形商品だ。液体タイプでは必須だったプラスチック容器が不要となり、重量も軽くなることで物流負荷も減らせる。環境へのやさしさに加え、使用感にも一切の妥協を許さない。結果として、新たなファン層の開拓にもつながった。
こうした新しい挑戦を積み重ねる中で、マックスが次に描くのが“脱・石鹸メーカー”という構想だ。お風呂場にとどまらず、入浴後のスキンケアなどを含めた総合化粧品メーカーへと進化し、より幅広いお客様の悩みに応えようとしている。
その視線は、日本国内にとどまらない。アジア市場での拡大を着実に進める一方で、参入障壁の高いアメリカ市場への挑戦も見据えている。
「世界中から人が集まるアメリカで生き抜けたら、より多くの人たちの“お悩みに寄り添う”ことにつながるはずです」と語る大野さんの表情は明るい。
■今の時代を勝ち抜くために「変わり続ける」
こうした挑戦の根底にあるのが、創業から120年、代々受け継がれてきたマックスのDNAである。
第二次世界大戦や戦後復興、オイルショック、バブル崩壊、リーマンショック、さらにはコロナ禍まで。マックスは幾度もの社会的変動を乗り越えてきた。
その背景には「常に社会に求められるものを提供する。そのためには新しいものを生み出し続けなければならない」という使命感が息づいている。
そこに経営者として迷いや不安はないのだろうか。そう尋ねると、大野さんはこう答えた。
「変化の激しい今の時代においては、1つの事業に固執するほうが不安。次なる一手があるからこそ、安心して戦えるんです」
傍から見れば、「選択と集中」によって、特定の事業を伸ばしたほうがよいと思うかもしれない。
だが大野さんは、自身の経験から「より多くの選択肢を持つこと」の大切さを痛感している。だからこそ、新規事業の開発から海外展開まで、いくつもの施策を並行して進めているのだ。
また、こうした他事業の展開には、もう1つの目的も隠されているのだという。
「私が病気で働けなくなったとき、仕事が好きだったからこそ喪失感は大きかったです。人生100年時代、当社の社員も病気や介護などで社会から離れざるを得ない時があるかもしれません。
だからこそ、多事業展開によって多様なポジションを用意するようにしています。選択肢を持てる環境を常につくり続けること。それがマックスにおいても、私自身においても大切にしていることです」
その言葉には、受け継いだDNAを未来へとつなぐ経営者としての決意がにじんでいた。
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大野 範子(おおの・のりこ)
マックス代表取締役社長
大学卒業後、香料の会社を経て、1999年に『レモン石鹸』で知られる老舗化粧品メーカーのマックスに入社。'09年、父の後を継いで5代目社長に。現在は「Make Innovation, Make Smile.」をコーポレートメッセージとして掲げ、顧客の笑顔につながるイノベーションを生み出し続ける企業となるべく奮闘中。
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山田 優子(やまだ・ゆうこ)
フリーライター
1980年神奈川県生まれ。2018年に異業種から独立し、フリーライターへ。大阪を拠点に、経営者や専門家へのインタビュー記事を数多く執筆。他にも子育て・生き方・ライフスタイルなど企画から担当。コピーライティングにも取り組んでいる。
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(マックス代表取締役社長 大野 範子、フリーライター 山田 優子)

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