■「世界一IT化された食堂」と呼ばれる飲食店
伊勢神宮・内宮の鳥居前町として人気のおはらい町。約800m続く石畳の通りには、数多くの土産物店・飲食店などが建ち並び、多くの参拝客でにぎわっている。その中でも、内宮に近い最もにぎやかな場所にゑびや大食堂はある。
この食堂は創業100年以上の老舗食堂だが、現在では「世界一IT化された食堂」として様々なメディアで取り上げられている。
厨房の壁に取り付けられた大型モニターには、当日の時間帯別の客数予測のデータが表示されている。データに基づいた最適な店舗オペレーションにより、仕入れや仕込み、人員配置の最適化を実現。AIを活用した来客予測システムによる店舗ビジネスの売上増に加え、ECやシステム開発などの多角化により売上を急拡大させた。12年間でグループとしての売上を12倍にまで伸ばしたのだ。
しかし現代表の小田島春樹氏が入社した13年前のゑびやは、ITとは程遠い、昭和の時代のままの食堂だった。
■ソフトバンクからやってきた新社長
2008年、小田島氏は大学を卒業後、孫正義に憧れてソフトバンクに入社した。その後大学時代に知り合った現在の妻と結婚し、東京で暮らしていた。結婚する以前に、妻からは実家が伊勢で食堂をやってるという話を聞いていた。
結婚するタイミングで妻の実家に挨拶に行った際に、先代である義父からそれとなく食堂を継いでほしいというようなことを言われたという。しかし当時は全く興味が無かったので、やんわりと断った。
時が経ち、2011年になると義父の様子は少し違っていた。跡継ぎの話はなく「食堂を縮小してテナントを入れるから力を貸してほしい」と相談があった。それまで食堂を全く継ぐ気が無かった小田島氏だが、その話は魅力的に感じた。
「食堂の仕事をするつもりはありませんでしたが、テナント賃料をもらいながら過ごせる生活は魅力的でした。ある意味ありがたい話だと思いましたね(笑)」
小田島氏は、学生時代から自分でビジネスを始めていたが、将来的には自分のビジネスをもっと大きくしたいと考えていた。家賃収入があれば生活の基盤にもなるし、セーフティーネットとしても最高だ。
■東京に戻ることも考えたが…
2012年、小田島氏はゑびやに入社した。ところが、人生はそれほど甘くはない。いざ伊勢に来てみると、当初のシナリオとは程遠い状況だった。そもそものテナント計画がずさんだったことに加え親族間との調整がうまくつかず、計画そのものが途中で頓挫した。
最初、何が起きているのか全くわからない状況だった。伊勢に着いてから最初にやったことは、テナントとして入居する予定だった企業に、計画が中止になったことを伝えることだった。
「計画の中止が決まるとテナント入居予定企業へ謝罪会見みたいなことをしていました。一体自分は伊勢まで来て何をやっているんだろう。なんで自分がこんなことをやらなきゃいけないんだ。全然話が違うじゃないかと思いました」
しかし、義父もやろうとしたことができなくなって辛そうだった。だから途中で自分だけが投げ出すこともできなかった。
小田島氏は、今のまま食堂を続けても生き残れる可能性は低いと感じていた。この対応が一段落したら、すぐに東京に戻って再就職しようと考えていた。伊勢には知り合いも友達もいない。テナントの計画自体がなくなったのだから、もうここにいる必要はないと考えた。
「当時は27歳でしたが、ここからの5年間、10年間をどこで過ごすか、誰と出会うかによってその後の人生が大きく変わってくると思っていました」
■「田舎でも成長できる」を証明したい
地方の企業は成長しない、零細は儲からない、飲食店は5年で半分が潰れる――。メディアでよく言われていた言説に、当時の小田島氏は複雑な思いを抱えていた。自分が今、立っているこの場所が、世間からダメ出しされている代表格のように思えた。
しかし、残務整理のため伊勢でしばらく過ごすうちに、小田島氏の心境に徐々に変化が現れる。テナントとしての話が持ち上がるくらいだから、元々立地条件はかなりいい。2012年当時の伊勢神宮の参拝客数は年間約803万人、内宮だけでも約551万人が訪れていた。
ちなみに同時期の沖縄の観光客数は583万人であり、内宮だけでほぼこの数字に匹敵する。
「地方でもやり方と考え方によってはまだまだ伸びる可能性がありそうだ。地方でも会社が成長できるという事例を作ることができたら面白いんじゃないか。いや、みんながダメだと言っている状況を覆せたら、きっと面白いに違いない。それに、これからの自分の人生をかけてみるのもいいかもしれない」
小田島氏はゑびやの経営に加わることを決めた。
■アナログすぎた昭和の食堂
最初は店長からのスタートだった。ところが、食堂での仕事は小田島氏の想像を遥かに超えていた。当時のゑびやは、紙の食券で勘定はそろばん、店の入り口にあるショーケースには、長年の日焼けで色あせてしまったうどんやメロンソーダのサンプルが並んでいた。
まさにどこの田舎にでもある昭和の食堂だった。
客席には、中央に古いエアコンが1台あるだけ。そこから扇風機を回して部屋全体に風を送っていた。まるで海の家のような光景が広がっていた。
加えて厨房はそれ以上に劣悪だった。エアコンすら無く、小田島氏自身は厨房で2回ほど熱中症で倒れた。長年働いている人たちは、これが当たり前と考えて何も感じていないようだった。
当時はすべてがアナログだったが、デジタル化に取り組む以前に、食堂として当たり前のことからやらなければならなかった。
まずはできることから少しずつ変えてくことにした。それまでは設備投資をしたこともなかったので、銀行との付き合いもほとんどなかった。新しいエアコンを買うために、近くの銀行に融資をお願いすることから始めていった。販売実績を把握しようと考え、注文データをエクセルに入力する地道な作業を続けていった。
■隣の店は大繁盛しているのに…
そんな中で、小田島氏はいまでも忘れられない衝撃的な光景を目の当たりにする。
ある日、食堂の隣にある人気の飲食店に行列ができていた。その行列はどんどん伸び、しまいには、ゑびやの入り口の前を完全に塞いでしまった。
「初めてその光景を見たときは本当に腹が立ちました。
しかし、だからといってどうしようもないことも小田島氏は理解していた。通りに面して多くの店がひしめき合っている状態だったから、必ずどこかの店を塞いでしまう。なんでうちの店なんだと思ったがしかたなかった。
小田島氏は腹立たしさと情けなさが入り混じった複雑な気持ちになった。それと同時に別の疑問が湧いてきた。
「同じ飲食店なのに、どうしてこんなにも違うのか。なぜ隣の店は大繁盛なのに、うちの店は閑古鳥が鳴いているのか」
悔しいと感じてはいたが、悲観はしていなかった。
「そもそも何もやっていないのだから、今の状況になるのは当たり前だ。だから何か一つでも改善すれば、必ず変化があるはずだ」
小田島氏は学生の頃からRPGが好きだった。今の状況は、ゲームのプレーヤーだったら何も持っていないレベル0に違いない。まさに雑魚キャラだ。でもここから武器を手に入れてレベルを上げて強くなっていけばいい。小田島氏のゲームが始まった。
「よし。まずは隣にいる“中ボス”を倒してやろう。きっと雑魚キャラなりの闘い方があるはずだ。どうやって闘おうか?」
■客の声「ちょっと残念だったね」
売上を伸ばすためにはどうしたらいいのか。シンプルに考えれば、売上は“客数×客単価”に分解できる。だったら、客数と客単価のそれぞれを上げればいいと考えた。
客数が少ないのは、客がゑびやを選んでいないからだ。そして、単価が上がらない理由は、高いメニューを選んでもらえないからだ。当時の客単価は平均すると850円でお世辞にも高いとは言えなかった。
「なぜうちの店は安いメニューしか注文してもらえないのか」
小田島氏は、この問いに対する答えを毎日考え続けた。そして、導き出した結果は「答えは顧客にしかわからない。だから顧客に聞くしかない」だった。
そしてすぐさま行動を起こした。店の前を歩いている人を捕まえて、どのようにして飲食店を選んでいるのかアンケートを取った。他にも、実際に来店した顧客に対して、食後の感想や店自体の評価を聞いた。
「この店に入った理由は、一番空いてたからだよ。だけど、よくその辺であるようなものばっかりだったんで、ちょっと残念だったね」
こんな話を多くの来店客から聞かされた。いつもこんな話ばかりだった。
ショックだった。同時に希望も見えてきた。自分たちの食堂の問題点を明確にできたからだ。あとは改善すべきことをやるだけだ。
■メニューも、仕入れ先も変えた
小田島氏は新メニューの開発に着手した。どこにでもあるようなメニューでは、ゑびやに来てもらえるはずがない。カレーライスやエビフライをやめ、伊勢海老や真鯛など伊勢ならではの食材を使ったメニューに変えた。
さらに食材の仕入れ先を全て変えた。ゑびやと長く付き合っていた馴染みの仕入れ先だったが、自分で直接漁場や養鶏場に行って一から仕入先を開拓。県内の事業者や大学とエクストラチルドという特殊な保存方法を共同開発し、地元の漁港から揚がったばかりの新鮮な魚を調達できる体制を整えた。
メニューや食材を見直し、価格に反映することで、ゑびやの客単価は徐々に上がっていった。
今までの仕事のやり方を全面的に変えたことで、従業員との摩擦は避けられなかった。しかし小田島氏に躊躇はなかった。考え方が合わない、ついていけないと思った従業員は、一人また一人と自然と辞めていった。
「一部のメンバーを除いて、これまでにほぼ3回転くらいメンバーが入れ替わっています。それまでの仕事のやり方を全て変えたのだから、当然多くの人が辞めるだろうと想定していました。だから、退職者が続出しても、改革を進めることに全くの躊躇はありませんでした。食堂を変えるにはこれしかないと覚悟を決めていました」
■的中率95%の来客予測システムを開発
ここまでは飲食店のよくある復活劇だが、ゑびやはここからが一味違う。
メニュー開発と並行して、小田島氏は、注文データ以外にも様々なデータを集めていた。目的は来店者数の予測や売れ筋を予測することで、人件費や材料費といったコストを削減・効率化することだった。
毎日の気温や降水量などの気象情報、近隣ホテルの宿泊数などのデータは次第に増えていき、最終的には200を超えた。これをもとにソフトウェア企業の協力を得て、来客予測を始めとした独自のデータ分析システム(Touch Point BI)を開発する。2017年のことだ。
このシステムは来店者数とメニュー別の注文数の予測を一日単位で算出できる。的中率は年平均95%に達しているという。2017年のシステムの完成によって、食堂経営は大きな転換点を迎えることになる。
メニューごとの注文数を高い精度で予測できるようになったため、それまでは廃棄していた食材のロスを大幅に削減できるようになった。2018年には、小田島氏が入社した当時の7年前と比較して米の廃棄量を7割以上も削減できたという。料理の提供時間の短縮にもつながり、食べログでの評価はそれまでの2点台から3.50に上がった。
従業員の働き方も変化した。時間帯ごとの来客予測ができるようになったため、一日の繁閑に合わせた人員配置も可能になった。日単位、月単位の予測もできるため、従業員の計画的な休暇取得が可能となった。
■47人で12億円を稼ぐIT企業に
さらに、在庫管理と発注を自動化する仕組みも整えた。調味料や洗剤、飲料などを重量センサー内蔵型のマット機器に載せておくことで、一定の重さを下回ると自動的に発注される仕組みだ。
こうした取り組みにより、ゑびやの業績は徐々に改善していった。
小田島氏が入社した2012年から7年間で、1億円だった売上は4.8億円に、利益は10倍の2000万円に増えた。2018年には、新会社を作り来客予測の機能を含むデータ分析システムの販売という新しいビジネスを始めた。コロナ禍で売上は激減したものの、ECやシステム開発、コンサルティングといった事業の多角化を進め、2024年には売上12億円を達成した。
売上を大幅に伸ばす一方で、従業員数は微増にとどまっている。2012年は42人で売上1億円を稼いでいたが、2024年は47人で12億円を稼いでいる。IoTを活用した業務効率化が驚異的な生産性の向上につながっていた。
生み出された利益は従業員の給料アップや休暇取得などの待遇改善に活用しているという。2012年時点では正社員の平均給与は年間280万円だったが、現在は1.6倍の460万円に増えた。繁忙期となる連休や年末年始を除けば、食堂で働くメンバーの残業時間はゼロであり、2週間以上の長期休暇も全員が取得できるようになったという。
■今の仕事を減らして、新しい仕事を作る
ゑびやがここまで成長できた理由を、小田島氏はどう考えているのか。
「やはり徹底的な効率化によって時間を創出できたことが大きいですね。その時間を使って、より付加価値の高い仕事に取り組んだり、新しいビジネスを立ち上げたりといったことを常に繰り返してきました。その結果、ここまで成長できたのだと思います」
いままでの仕事を減らして、新しい仕事を作る。この繰り返しで、ゑびやは大きく成長できたのだろう。
「現在は、人を増やして組織を大きくし、売上を増やしていくというビジネスモデルが難しくなっています。そもそも人を採用すること自体が難しい。だから、人を増やさずに売上と利益を上げていく方法を考える必要があるのです。そのためには、既存の仕事をどんどん減らしていって、お金を生み出す仕事にリソースを分配していくことが重要ではないでしょうか」
そのためには、まず自分たちのビジネスを十分に理解することが前提になる。事業の仕組みやプロセスについて、高い解像度で把握していることが必要だ。ITやAIはあくまでも単なるツールであり、そのツールをどの部分に当てはめれば、生産性が向上するかを見極める必要があるのだ。この一連の取組みは、小田島氏の著書『仕事を減らせ。』(かんき出版)にも詳しく書かれている。
■できるようになるプロセスを楽しむ
地方の小さな食堂に過ぎなかったゑびやが、10億円を超える企業に生まれ変わった。小田島氏はいま、売上30億円を目指して次の一手を模索している。今後は売上拡大だけでなく顧客の満足度をさらに高め、地域ナンバー1の食堂を目指す。
入社当時から働きづめだった小田島氏だが、いまでは彼がいなくても社内が回るようになった。最近、ようやく時間に余裕が生まれ、食堂で出すための魚を自ら釣りにいくこともあるそうだ。
「全くの素人でしたので、最初は魚をさばくことなんてできませんでした。それでも何度か繰り返すうちに、自分でもさばくことができるようになりました。今でも、できないことができるようになるプロセスを楽しんでいます。やっぱりゲームと一緒ですね(笑)」
小田島氏のゲームは、これからもまだまだ続いていくに違いない。
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伊藤 伸幸(いとう・のぶゆき)
中小企業診断士、ビジネスライター
1966年愛知県生まれ。関西大学社会学部卒。新卒で精密機器メーカーに就職し、営業職を経験後、商品企画、経営企画、事業企画など30年近く企画系の業務に従事。中小企業診断士の資格取得後は、経営ビジョン・戦略策定、重点施策管理、提案書作成など、企業が成長していくために必要となる一連の言語化作業のサポートを中心に活動している。得意分野は事業戦略、方針管理、マーケティング、ビジネスライティング全般。
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(中小企業診断士、ビジネスライター 伊藤 伸幸)

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