■マドリードの若き「たこ焼き店主」が追う夢
目標や夢を達成できる人は、わずか8%――。米国スクラントン大学の調査は、残る92%の人が途中で諦めるか、叶えることなく人生を終える現実を示す。
だが、その92%から再び立ち上がろうとする人もいる。
とある平日の午後9時、スペイン・マドリード中心街。たこ焼き専門店「BALÓN TOKIO(バロン・トキオ)」は、ディナーのラッシュタイムだというのに静かだった。客席にはスペイン人カップル1組だけ。鉄板の上のたこ焼きを軽やかに返す店主の一戸隆太さん(32歳)は、一見すると普通の日本人経営者だが、胸の内は明確だ。
「最終目標は、サッカーチームを作ること」
一戸さんは、かつてプロサッカー選手を目指していた。冒頭で示した「92%」側の人物と言えるだろう。夢を諦め、24歳の時にマドリードでたこ焼き店を立ち上げた。
「今年に入り、やっと黒字に戻ってきました」
安堵の笑みを浮かべる一戸さんは、プロ選手の道を諦めてもなお、スペインのサッカー界に関わり続けている。いったいどんな方法で――。これは日本から遠く離れた地で、別の方法で夢を叶えようと奮闘する日本人男性の物語だ。
■弱小チームが生んだプロへの憧れ
一戸さんは、東京のサッカーどころ・町田で生まれた。本格的にボールを蹴り始めたのは小学3年のころ。日韓ワールドカップ(W杯)の熱気に包まれた2002年だった。入団したサッカーチームは“弱小”。それでも監督が「全国優勝するぞー!」と声を張る熱いチームだった。
「今考えるとあり得ないんですけど、その時は本気で全国を目指していました。とはいえ、試合しても毎回負けていましたけど……(笑)。でも監督が常に『全国優勝!』と言っていたから、一生懸命練習しました。
しかし中学2年のころ、整形外科医から「これ以上身長は伸びない」と告げられる。163センチの体格の不利を技術で補うべく、人一倍練習した。
■高校サッカーの強豪校に進学したが…
高校は全国優勝経験のある強豪校へ、サッカー推薦で進学した。
「毎日6時間の練習。上下関係も厳しく、寮生活では息を抜く暇もなかったですね。怪我をしたら坊主、というルールもあり、捻挫をしても隠して練習していました」
無理を重ねた結果、体は限界を迎えた。高校2年のある朝、腰に激痛が走り、動けなくなった。持ち味のスピードも出せず、主力にもなれない――。その現実が、これまでの努力の終わりを静かに告げていた。
転機となったのは、2010年の南アフリカW杯。優勝したスペイン代表の、ポジショニングと戦術で勝負するチームプレーである「パスサッカー」が、一戸さんの価値観を大きく変えた。
「フィジカルを鍛えることがすべてだと思っていた僕には、衝撃でした。
高校3年の春休み、両親を説得し、1カ月のスペインサッカー留学を決行。現地で目にしたのは、日本とは180度異なるサッカー哲学だった。
「技術と戦術で勝負する。体格の差を戦略で補う。初めて“サッカーの奥深さ”を知りました」
一方で、理想と現実のギャップもあった。利用した留学エージェントのサポートは、十分に機能しているとは言えなかった。 言葉も文化も違う異国の地で、孤独と戸惑いのなか過ごした日々―― 。この苦い経験が、後に一戸さんが構想するビジネスの原点となっていく。
■「親からお金をもらって『サッカーやってます』は通じない」
大学でもサッカーを続けたが、怪我に悩まされ休部。リハビリとして通った「初動負荷トレーニング」で運命の出会いをする。
実は担当トレーナーが、2010年W杯でスペイン代表に帯同していた元記者だった。「スペインでの経験が忘れられない」ことや「スペインでもう一度サッカーをしたい」気持ちを伝えると、彼の紹介でマドリードにある実質5部のサッカークラブC.D.アバンセへの道が開いた。
大学3年の時、1年休学して再びスペインへ渡ることを決意。だが、出発前、父親から釘を刺された。
「学生のうちは仕送りをしてもいい。けど社会人になって「親のお金でサッカーやってます」は通用しない。最低限スペインで生きていけるキャッシュポイントを持ちなさい」
45歳で会社員から独学で勉強し税理士に転身した父。その言葉には説得力があった。
「うちは何かをしたいときは必ずプレゼンが必要でした。『なぜ?』『どうやって?』を説明できないと許可がでない。おかげで、常に目標設定をする習慣がついていました」
父の問いかけが、一戸さんの思考を変えた。「経験を活かしサッカーチームを作る」。これが一戸さんの新たな目標になった。
「そう考えると経営者しかないと思いました」
■なぜ「たこ焼き」なのか
“自分にできること”を棚卸しした結果、浮かんだのが意外にも「たこ焼き」だった。
小さく始めてチェーン展開し、その資金でサッカーチームを作る――。準備期間は1年半。語学学校に通いながら、マドリードにある日本食レストランを食べ歩き、経営者に「たこ焼き屋をしたい」と相談して回った。多くの人が親身にアドバイスをしてくれた。
この当時、マドリードは日本ブームの真っ只中で、日本食レストランが続々とオープンしていたが、たこ焼き専門店はまだ存在しなかった。ブルーオーシャンだった。
「これならいける」と確信した一戸さんは、家族から6万ユーロ(当時のレートで約800万円)の開業資金を借り、月1500ユーロ(約24万円)の小さな物件で勝負に出た。
「人通りが多いところではないですが、たこ焼きを安い値段で提供すれば、お客さんは来てくれると思っていました」
■オープン初日から満員御礼だったが…
2017年5月、「バロン・トキオ」がマドリードに誕生した。「バロン」はスペイン語でボール、「トキオ」は東京を意味する。店名にもサッカーへの変わらぬ情熱が込められている。
オープン初日、18席の店内は開店と同時に満席に。客が次々と来店し、売り上げは右肩上がりで伸びていった。20個10ユーロ(約1700円)という価格は、スペインでは破格の安さだった。加えて、たこ焼き専門店の目新しさ、珍しいメーカーの生ビールなどの差別化戦略が奏功した。
軌道に乗るとスタッフも5~6人を雇えるようになり、現地メディアやテレビにも登場。スペイン大手紙「エル・パイス」、日本の情報番組、現地の人気恋愛リアリティ番組「First Dates」からも出演オファーが届いた。
2019年には2号店も開店。日本人の「若き成功者」として、当時は道を歩けば声をかけられることもあった。しかし、この成功が“ゴール”ではなかった。まるで人生が彼を試すかのように、次々と予想外の試練が降りかかる。
■借金が2000万円に膨らむ
2019年3月、最初の悲劇が襲う。1号店の地下が全焼。原因は製氷機のショートとみられる。幸いレストラン部分の1階は無事だったが、損害は大きかった。保険の対象外で、修復費用は全額自己負担に。資金が一気に流出した。
追い打ちをかけるように、翌年には世界的なパンデミックが発生する。スペイン政府は2020年3月、全国にロックダウンを発令。レストランの営業は禁止され、2店舗の運営は完全にストップした。政府は休業補償制度を用意しており、周囲の経営者たちもその制度でなんとか持ちこたえていた。だが、一戸さんの会社だけは補償の“対象外”だった。
「『はあ?』ってなりました。銀行の担当者も一生懸命調べてくれましたが、どうやっても補助金は出ない。でも、借り入れはできると言われて……。今まで稼いだお金もすべてなくなり、毎月マイナスになっていきました」
残された選択肢は、借金をすることだけだった。売り上げはゼロ、家賃や人件費だけが積み上がり、経営は瞬く間に赤字に転落した。一戸さんは眠れなくなった。気がつけば借金は2000万円まで膨らんでいた。
「何してんだろうな、って思いました。辞めて日本に帰れば、倒産させれば、とも思ったんですけど。やっぱりこれじゃだめだな、と思ったんです」
■地獄からの再起
焦燥、不眠、不安。潰れてしまいたい気持ちもあった。だがそのたびに、自分が掲げた目標――「サッカーチームをつくる」という夢が頭をよぎった。腹を括った一戸さんは、失われたものを“取り戻す”行動に出る。
開業してから3年、ボールすら触れていなかった日々を見直し、サッカーを“自分の軸”に再び据えようと決意。現地のサッカー界とつながりを築こうと、ロックダウン中も家の近くの地域クラブに1つずつ声をかけ、所属先を探し続けた。
一戸さんを受け入れてくれたのは、マドリード南部の地域リーグクラブA.D.オルカシータス。数年ぶりにボールを蹴りながら、新たな事業の土台を築き始めた。そこから、一戸さんの“反撃”が始まった。
経営危機のさなか、一戸さんはもうひとつの行動を起こす。失業で生活に困窮している人たちに無償でたこ焼きを配る活動を始めた。これは「行動する人に人は集まる」という父親の教えを体現するような行動だった。
「正直、自分が助けてほしい状況だったのですが、人に『ありがとう』と言ってもらえることで、逆に救われる気がしました」
■人を助け、助けられる
その活動は思わぬ形で実を結ぶ。活動を見たレストラン経営者から「たこ焼きを仕入れたい」と声がかかるなど、新たなビジネスチャンスが生まれた。何より「僕の取り組みや行動を見てくれている方がいるんだなあ」という実感を得られたのが大きかった。
これまでに出会った常連客や経営者の先輩の存在も大きいと、一戸さんは振り返る。
「あなたの人生すべてに意味があるから」
「うちも最初は散々だったよ」
「あなたのがんばる姿に勇気をもらっているんだよ」
そんな言葉が、絶望的な状況でも前を向かせてくれた。
一戸さんは「応援したくなる人だ」と周囲から評されている。常連客で寿司職人歴40年の下重孝一さん(63歳)は言う。
「転んでも起き上がり、するべきことを愚直にやり続ける姿を見ていると、周りがつい手を貸したくなるんです」
■自分と同じような思いをする若者を減らしたい
支援活動で「見てくれる人がいる」と知った一戸さんは、サッカーでも“次の世代に渡せるもの”を考えた。2020年、サッカー留学エージェントを立ち上げる。出発点は明確だ。自分が見えずに躓いた段差を、あらかじめ見える化することだ。
サッカー留学エージェントは、スペインにサッカー留学を希望する日本人学生を対象にしている。柱は現実の提示、準備の伴走、生活支援の3つ。一戸さんが特に重視しているのは「現実の提示」だ。
「正直、僕は勉強も一切していないし、サッカーしかしてこなかったサッカー馬鹿でした。語学学校の先生には『サッカー以外の語彙力がない』と言われたこともありました。スペインで出会った若者はみんな知識豊富で、サッカー以外何も知らない自分が恥ずかしくなったんです」
自分と同じような思いをする若者を減らしたいという思いで事業を展開している。バロン・トキオが運営するサッカー留学のホームページには、目立つ赤字でこんな一文が書かれている。
「スペインリーグはレベルが高く、プロになることは極めて難しいということはご理解ください」
これはプロという夢だけを目指していたかつての自分へ向けた言葉でもあるだろう。そして夢を追う少年たちへの一戸さんからの誠実なメッセージでもある。
これまで約50人の若者のサッカー留学を支援してきた。年間で約10人だが、中にはプロ契約を結んだ青年もいるという。
■行動力こそ最大の武器
とはいえ、店舗売り上げはコロナ後もしばらく戻らず、2023年夏に2号店を閉店した。それでも彼は立ち止まらない。一戸さんは当時を振り返りこう語る。
「失敗はステップアップのために必要なもの。悩みがないと成長していないなと感じてしまうから、これでよかったんだ」
深くは落ち込まない。その代わりに行動する。店舗だけに頼らない複数の収益源を開拓することで、たこ焼き事業の立て直しに挑んだ。
まず着手したのが大型イベントの出店だ。パワーポイントで資料を自作し、イベント会社に営業して回った結果、2日間で約10万人が来場する日本カルチャー系の大型イベント「ジャパンウィークエンド」への出店が実現。このイベントは、年4~6回スペイン全土で開催されている。
初回は手探りだったが、2回目以降は導線設計と仕込み量を最適化し、2日で約4000ユーロ(約70万円)の利益を安定的に確保できるまでに。年間で約5万ユーロ(約860万円)の新たな収入源ができた。しかし、規制変更により飲食店の出店が不可能に。ここでも一戸さんの「転んでも次の手を打つ」姿勢が光る。
「『またかー!』と思いましたが、すぐに「冷凍たこ焼き」販売へと転換し、収益は維持できました」
この経験が、さらなる事業展開への道を開いた。2025年6月、食品をまとめて製造できる大型調理施設と契約し、大量生産が可能な体制を整備。9月には24店舗を展開するラーメンチェーン店との取引を始めると、B2B販売による安定収益の基盤ができあがった。さらに、バルセロナとマドリードのスーパーマーケット計7店舗にも販路を拡大。毎月、事業として十分な利益を確保できる水準に達している。
■3つの事業は全てサッカーにつながっている
現在、一戸さんは3つの事業を同時に展開している。
一つ目はたこ焼き店。生活の軸で情熱の原点だ。二つ目はC.D.コスラダ(実質6部)で戦術分析の仕事。映像分解、相手傾向の数値化、セットプレー設計などを担う。情熱の火を絶やさない現場だ。三つ目はサッカー留学エージェント。若者をサポートしつつ、現実を伝えながら夢への懸け橋となることを目指す。どれも収入規模は大きくないが、すべてが「サッカーに携わる」という一本の線でつながっている。
一戸さんに、休みという概念はない。たこ焼き店の仕込みから配達、エージェント業務、書類関係、サッカーの分析ビデオ作成、留学生の家探しまで、可能な限り自分で手がける。「行動していないと危機感を覚える」と一戸さんは言う。だからひたすら行動し続けるのだ、と。
この行動力が実を結び、昨年から売り上げは着実に上向き始めた。たこ焼き店の売り上げも黒字に戻り、2000万円の借金を返済しながら、3つの事業を軌道に乗せつつある。
「基本的に僕、正解はないと思っています。プロにはなれなかったけど、今までの経験は生きているし、理不尽な目にもあってきた分、めげない心は人より強いんじゃないかと思います。日本の当たり前が当たり前じゃないってことを学べたのも大きかったです」
■夢は形を変えて追い続けることができる
プロサッカー選手の夢は途絶えたものの、最終目標である「サッカーチーム設立」に向けて、たこ焼き店を営み続けている一戸さん。自身の挫折体験が留学エージェント事業の原動力となり、サッカーへの情熱が戦術分析の仕事に結びつき、困窮者支援で培った人とのつながりがビジネスチャンスを生んだ。
すべてが有機的につながり、新しい夢を追う一戸さんの支えになっている。
夢は形を変えて追い続けることができる――。いや、形を変えたからこそ、より豊かになっていくのかもしれない。そして、それを支えるのは“行動する勇気”だ。一戸さんの人生は、挑戦が報われるまで続けることの意味を静かに教えてくれる。これこそが、夢の実現率8%という現実を打ち破る鍵になるのではないだろうか。
マドリードの小さなたこ焼き店から始まった物語は、やがて彼が夢見るサッカーチーム設立へとつながるのか。その答えは、彼が今日も続ける「行動」の先にある。
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きえフェルナンデス
スペイン在住ライター
1982年生まれ。美容師として4カ国で働いたのち、北スペインのカンタブリア州へ移住。
インタビュー記事やスペインを題材にしたコラムを執筆している。
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(スペイン在住ライター きえフェルナンデス)

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