※本稿は、たろちん『毎日酒を飲みながらゲーム実況してたら膵臓が爆発して何度も死にかけた話』(太田出版)の一部を再編集したものです。
■酒飲みは“うっすら不調”がデフォルト
酒飲みというのは基本的に常にちょっと体調が悪い。大体いつも頭が痛いとか胃がむかむかするとかお腹を下しているとか、そういううっすらとした不調を抱えて生きている。
このあたりは個人差も大いにあると思うのだけど、「耐えられないほどの不調ではない」というのがミソだ。
酒を飲みすぎた翌日、盛大な二日酔いになり「もう二度と酒を飲まない」と決意するのは過度な酒飲みでなくてもわりとあるあるだろう。
ただ、おしまいの酒飲みになってくると二日酔いの苦しみがいつまで続くのか、どの程度になれば「迎え酒」によって解決できるのか、といった塩梅がわかってくる。要するに「飲めるギリギリまで飲む」という行為の上達こそが、たまに深酒をしてしまうだけの人とおしまいの酒飲みの境界線であるように思う。
ちなみに問題飲酒者のスクリーニングテスト「AUDIT」で当時の飲酒量を数値化したところ、「25点」という数値が出た。このテストは「15点以上」でアルコール依存症の疑いがあるというテストらしい。
こう言うと人は自分のことを激ヤバアル中患者のように見るかもしれないが、決してそういうわけではない。仕事の期日はきっちり守るし、家事も率先してやっていた。朝から酒を飲んで暴れるとかもない。
■少々の不調は酒を飲めば気にならなくなる
そういう意味で、自分は毎晩焼酎水割りを何合も飲みつつも、日々の生活や仕事はしっかりこなせる程度に元気に破綻していた。痛風など「酒飲みあるある」の病気は経験したものの、37歳まで特に大病を患うこともなく、健康に悪いことといえば酒とタバコと仕事くらいしかしていなかった。
それが急転直下で死のキワキワまで行ってしまうのだから人生というのはわからないものだ。なお、思想的には一番健康に悪いのは「仕事」だと思っている。
倒れる前日。その日は朝からちょっとだけお腹が痛かった。もちろん前夜も深酒をしていたので不思議なことではない。酒飲みとして体の不調はいつものことだ。
珍しかったのはお腹を下したときのゴロゴロする痛みではなく(酒飲みなので常にうっすら下してはいる)、お腹が張るような苦しさ、気持ち悪さがあることだった。その感覚自体はそれまでもたびたび経験したことがあったので、「また胃腸の調子が悪いのかな」と思ったくらいでまったく重く考えなかった。
なので昼におかゆを食べ、胃腸薬を飲み、仕事をして、夜はいつものように軽く芋焼酎の水割りを飲んだ。
■後からわかった「人生最後の1杯」
翌日は昼から食べ物を食べる取材の予定があった。しばらく水割りを飲んでいてもまだ腹部の違和感が消えない。逆に胃に物を入れたほうがいいような感じがして、部屋にあったスナックとアイスを少しつまみ、酒はいつもより軽めの2~3杯程度にして深夜にベッドに入った(結果的にこれが人生で飲んだ最後の酒になった)。まあ朝にはおさまってるだろう、と思っていた。
数時間後、2022年10月26日の朝5時ごろ。お腹の痛みはおさまるどころか尋常じゃないレベルに悪化していた。
ベッドの中で海老のように丸くなる。少しでも楽な姿勢を求めるがそんなものはなかった。あまりの痛みに自分の口から「うううう」という声が無意識に漏れていることに気付く。
スマホを手に取り、別室でまだ起きていた妻に「めちゃくちゃお腹痛い……」とテキストチャットを送る。妻はすぐに救急車を呼んでくれた。このときはそこまで大ごとになると思っておらず、「救急車が来る前にシャワー浴びたほうがいいかな」とか思っていた。
暢気に聞こえるかもしれないが、結果的にはまだギリギリでも自分で動けたこのときに無理してでもシャワーを浴びておけばよかった。その後数カ月間、シャワーも浴びられない寝たきりになってしまったので。
■救急隊員「お酒をやめたほうがいい」
119番から15分ほどで救急車が到着。さすが救急車、結構早い。ただ受け入れ先の病院が見つかるまでは待機する必要があり、居間に座った状態で30分ほど救急隊員の人と話をした。「目が黄色いよ。お酒をやめたほうがいい」とありがたいお説教を受ける。「はい……」と殊勝に頷きながら「さっさと治して酒飲もう」と思っていた。
朝7時ごろ、病院に担ぎ込まれてCTなど各種検査を受ける。朝すぎてまだ消化器科の先生が来てないなど、先方もだいぶバタバタしていた。
このあたりからいよいよ痛みで朦朧として記憶が曖昧になっている。「尿検査をする」と言われてその場で即おちんちんをボロンと出したり、点滴が始まった直後、急速に気持ち悪くなって盛大に吐きまくったりといろいろ大騒ぎとなった。付き添ってくれた妻が大変そうで申し訳なかった。
本格的な対応が必要となり、救急車でさらに別の病院に移されてもう一度検査を受ける。医師から「重症急性膵炎」と診断された。まったく現実味が湧かず、フラフラの頭で「G1だぁ……」と脊髄から出た言葉をそのまま言った。たまに一緒に競馬をしていた妻は「重賞」の意味を汲み取って笑ってくれた。
「すぐ入院。最低2~3週間はかかるから」と言われて「そんなに?」と思った。全然その程度で済む話じゃないことがわかるのはもう少し先の話。
■入院バッグを動かすこともできなかった
早朝から病院と検査室をたらい回しにされ、入院が決まったのが午後1時ごろ。付き添ってくれていた妻とほとんど会話もできないまま、あれよあれよとベッドに乗せられて病室に送り込まれる。
2022年10月当時はまだまだコロナ禍の真っただ中にあり、家族でも病室への見舞いはおろかわずかな時間の面会すら認められていなかった。
数時間後、妻が着替えやシャンプー、タオルなど入院に必要そうな荷物を大きなバッグに入れて持ってきてくれた。病室には入れないので受付で看護師に預ける形となる。
看護師さんは「奥様から荷物が届きましたよー」と言ってベッドの上にどすんとそれを置くと、忙しそうにすぐどこかに去っていった。ありがとう。助かります。でも、今、僕、お腹が痛すぎて、そこに置かれてもめっちゃ困るんですが。
僕の声なき声(痛すぎてしゃべれない)は届かず、ベッドを占領する巨大なバッグを動かすこともできない。その日はただただベッドの端へと身をじり、不自然な体勢のままうんうん唸り続けた。
■プロレスラーに内臓を直接握られるような痛み
長い入院生活、40℃の高熱が出たり何カ月も水が飲めなかったり意識不明になったりといろいろなベクトルでつらいことがあったけれど、純粋な痛みで最もつらかったのは最初の数日だったと思う。
プロレスラーがお腹の中に直接手を入れて、数秒おきに内臓をギューッと握り潰そうとするような痛みと言えば伝わるだろうか。「その手をどけてくれー!」と暴れたいのだけど、内臓を直接つかまれているので抵抗すらできない。泣いても喚いても急所を1ミリもずらすことのない、完璧で無慈悲な痛みが昼夜を問わず無限ループで続く。
激痛で体を動かすこともできない。妻や会社に連絡をしたいのだけど、すぐそこの枕元にあるスマホを取るという動きがもう無理なのだ。
ナースコールをして虫の息で「ス、スマホ取ってくれませんか……」と言ったら、ベッドの背もたれを起こすリモコンを渡されて「自分でやってください」と言われた。看護師をメイドかなんかだと思ってるナメた患者だと思われたのかもしれない。それ以上何かを言う力もなかったので諦めた。
■喉は渇くのに水が飲めないという地獄
痛み止めを入れてもらうと一瞬だけ楽になるが、すぐに切れてまたプロレスラーのモツ潰しが再開される。一晩中眠れず、「うううあああああー!」と叫び声をあげ続けていた。のだと思う、多分。
というのも正直、痛みで意識が朦朧としているので自分では叫んでるんだか叫びたくなるくらい痛いだけなのかもわからないのだ。翌朝、同室の入院患者たちが先生と「昨日はうるさくて眠れなくて……」「大変でしたね」みたいに苦笑している会話を聞いて、「あ、もしかして俺ずっと叫んでたのか」と初めて気付いた。まあ気付いてもどうせ声を抑えたりできなかっただろうけど。
痛み止めでようやく少し眠っても、今度はアルコールの離脱症状でシーツがビショビショになるほどの寝汗をかくのもつらかった。寝汗自体はそこまで珍しくない。年に360日くらいは酒を飲んでいた僕にもたまには休肝日があり、そうした日には寝汗の離脱症状を経験していた。
ただ、急性膵炎の治療は「絶飲絶食」と「点滴治療」だ。つまり寝汗をビッチャビチャにかいてめちゃくちゃ喉が渇くのに水が飲めない。これが本当につらい。水が飲めないというのは痛みと並ぶ地獄の苦しみで、期間の長さを考えればこっちのほうがしんどかったかもしれない。
■腎臓障害で尿がほとんど出ていなかった
また、最初の数日は点滴そのものが異常な苦しみになっていた。
なぜか点滴をしているのにまったく水分が補給されている感覚がなく、渇いた体が内部から栄養成分で押しつぶされているような耐え難い苦痛が延々と続いていた。自分が風船になって限界を超えて空気を注入されている感じだ。
何度も看護師や医師を呼んで「本当につらいからこの点滴を抜くか、もしくは多めに水分補給をするか、なんとかしてほしい」と懇願しても「こういう治療なので点滴は抜けません」と冷静にあしらわれた。本当に苦しくて、頭がおかしくなりそうだった。あまりに僕が言うので医師が「さすがに変だからちょっと水分を増やしてみようか」と言ってくれたときもあったが、体感としては何も変わらなかった。
実は入院直後から腎臓障害が出ておりおしっこがほとんど出ていなかったらしい(入院直後に尿道カテーテルを入れられたので自分ではわからなかった)。医師としては「普通の急性膵炎なら点滴して寝てればよくなっていくのにおっかしいなあ」という感じだったのかもしれない。僕としては「こんだけ苦しいんだからそらそうやろ」という気持ちではある。
■入院して治るどころか、苦痛は増すばかり
救急車を呼んだときには「病院にさえ行けばその場の痛みはなんとかしてくれるだろう」と思っていたので、入院してからさらに苦しみが増すというのは思ってもみないことだった。
というわけで、入院3日目にして「こりゃICU(集中治療室)のある病院で本格的にやらないとアカン」となり、さらなる転院が決定する。
連日の入院対応と自分の仕事でほとんど寝れていなかった妻もまた急遽呼び出された。結局、妻が持ってきてくれた荷物は一度も開けることができずにベッドの上に置いたままだった。
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たろちん(たろちん)
ゲーム実況者、ライター
1985年10月14日生まれ。本名は大井正太郎。2008年、ニコニコ動画で「たろちん」としてゲーム実況を開始。Webニュースサイト「ねとらぼ」のライター・編集者を経て、現在フリー。お酒をこよなく愛する人間だったが、2022年に「重症急性膵炎」を患い膵臓の3分の2が壊死。現在は生涯禁酒の身。noteでも闘病体験やその後の生活を綴っている。
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(ゲーム実況者、ライター たろちん)

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