■「宿の変更」「糸こんにゃくに腰が抜ける」はすべて実話
NHK朝の連続テレビ小説「ばけばけ」。ついにアメリカから英語教師レフカダ・ヘブン(トミー・バストウ)が松江にやってきた。そこで描かれるのは、興味の赴くままに歩き回ったり、突然キレたりするヘブンと松江の人々の初めての異文化交流だ。
松江の文化に興味津々なヘブンは、本当に自由に振る舞う。県のほうでは、歓迎式典も準備、宿泊のために立派な旅館も用意していたというのに、目に付いた生瀬勝久と池谷のぶえの夫婦が切り盛りする花田旅館に寄宿することを決めてしまう。
そこでの食事シーンも驚きの数々、大量の卵を割って飲み干すヘブンに日本の人は困惑する。かたや、ヘブンは初めて見る糸こんにゃくに、腰を抜かして驚く……。
なんと、そんなエピソードのほとんどは実際にあった出来事なのである。
実際に八雲が滞在したのは、松江市末次本町にあった冨田旅館。現在はその事業を継承した大橋館という旅館があり「小泉八雲ゆかりの宿」として営業され石碑も立っている。
その旅館を営んでいた冨田太平とツネ夫妻が後年口述したものをまとめたのが『冨田旅館二於ケル小泉八雲先生』である。
■宿が変わったのは本当に偶然だった
そこに記された記述を読むと、単なる尊敬されるべき文豪ではない独特の感性を持った八雲の人となりが見えてくる。以下、その内容を紹介していこう。なお原文は漢字と片仮名混ぜ書きの文語体だが、読者の読みやすさを考えて現代語訳して掲載する。興味を持った方はぜひ原文も読んでみてほしい。
この文書は、1890年8月に八雲が松江に到着したところから始まっている。そこでは、八雲が冨田旅館に寄宿することになったのは、本当に偶然だったことが明らかにされている。その経緯というのはこうだ。
かねてより県庁学務課では、ヘルン先生の下宿を今店(現・松江市末次本町)の皆美という旅館に決めていました。そのため、米子から蒸気船で到着した先生は人力車で皆美にいかれました。ところが、なにが先生の気に入らなかったのか、さっき通り過ぎたところにちょっと目に付いた旅館があったので、あそこへ案内せよということであったようです。因縁というものは不思議なものです。
夫妻は、たまたま八雲を乗せた人力車が近くを通ったのも、松江大橋が工事中で仮の橋がかかっており、蒸気船を降りてから皆美へいく道が変わっていたからだと、奇縁を語っている。
こうして通訳の真鍋晃(編集部注:真鍋についてはこちらを参照『「憧れの日本」に来たのに金ナシ、職ナシに…「ばけばけ」モデル・小泉八雲をどん底から救った「横浜の恩人」』)をともなって寄宿することになった八雲だが、突然外国人が滞在することになった冨田旅館、それに県庁の役人も大慌てである。既に皆美に運び込んでいたテーブルや椅子を慌てて移動させなければならないのである。
■異文化を体験したがる八雲、振り回される旅館の夫婦
そんな周囲の迷惑も顧みず、八雲はいきなりブチ切れている。夫婦の回想によれば、その理由はこうだ。
先生の持ち物は大トランク一個と、別に袋がありました。その荷物をすぐに運ばないからと、先生は大いに不服でした。さらに、ようやく運んだ荷物の中から品物がはみ出てると、大変怒られました。
原文には「大不服デアリマシタ」とある。現代語なら「非常に納得されていませんでした」程度に感じてしまうが、文語体の「大」は格調高く強調の意図を伝えるものであることを考えると「めちゃくちゃキレていた」と表現するのがよいだろう。
いきなりやってきて、キレてる外国人にかいがいしく世話をしたのだから、夫妻が聖人のように感じてしまう。
そんな八雲が求めるのは、とにかく異文化を体験することだった。
湯はぬるいのが好きでしたが、ある日湯加減の特別熱かった時に「地獄」「地獄」と叫ばれたことは、今でもよく話しています。
おそらく八雲としては、知っている日本語で熱すぎることを伝えたかったのだろうがいきなり外国人に「地獄」と連呼された旅館の方も困惑したに違いない。
■糸こんにゃくだけは“虫を連想する”と嫌がった
食事は、朝は牛乳と卵と決めていた。これは既に松江でも手に入るものになっていたが、まだ珍しかった。回想では、最初は生卵をどう割ればよいかわからなかったと語られている。
そして、ドラマでも描かれた通り、いくつも卵を食すことがあった。決して大食漢ではなかったが、一度に9個食べたこともあるという。
そんな朝の食事以外は、なにを出しても好き嫌いをいわなかった。ただ、糸こんにゃくだけは別で「私ノ国、コンナ虫居テ、ソレ連想スル、イヤダ」と嫌ったという。
さらに、驚いたのは日本酒を昼と晩に1本、一合八勺飲むことだった。おそらく八雲にとっては食事の際のワインの気分だったのだろうが、昼から酒を飲んで食事をする姿は日本人にはおどろきだったことは、想像に難くない。
そんなふうに酒は飲むのに、茶は飲まない。紅茶ではない、煎茶も飲まなければコーヒーも飲まなかったという。それでいて、八雲は極度のヘビースモーカーだった。
ただ煙草だけは大好物で葉巻と刻み煙草とを絶やさぬくらいに吸うのです。煙管も使うのですが、その数も次第に多くなりました。
■来日後から共にしていた“通訳”をクビに
不思議なのは、八雲の喫煙に絡むルーティン。なぜかトイレに行くときはいつも葉巻をくわえて帽子を被って入るのが習慣だったという。なるほど、ヘビースモーカーがよく語る「トイレで吸う煙草はうまい」という感覚は、この頃から洋の東西を問わず存在していたようだ。でも、なぜ帽子を被っていたのかはわからない。
こうして八雲は6カ月あまりを冨田旅館で過ごしているが、その間に次々と事件を起こしている。
真鍋さんは帰る旅費もないと当惑しています。どうにかして旅費をと哀願されたので、私たち夫婦で、福田様(注:八雲と交流があった師範学校付属小学校の訓導)を通じて先生に頼み込み、旅費を貰って渡しました。真鍋さんが御礼のしるしにといって二枚続きのフル毛布をくれました。
横浜上陸以来、数カ月間を親しく過ごして来た真鍋にいきなり激怒して叩き出してしまう。その沸点の低さには驚くばかりだ。日本に到着後知り合った真鍋とは松江に出かけるまで、あちこちで一緒に行動している。松江まで同行させたのも彼を信頼してのものだった。そんな真鍋との関係を断絶させたこの女性は何者か……残念ながら、まったく資料は見当たらないのでわからない。
■八雲は「旅館の名前」を覚えていなかった
さらに八雲のトラブルは続く。
ある時、校長から招待を受けた八雲は、ご馳走になって気分良く帰っていた。ところが、地理に不案内な八雲は道に迷ってしまった。宿から中学校までの道はいつも使うので覚えていたが、それ以外は不案内だったのだ。しかも、夫妻の回想によれば八雲は自分で選んで決めた冨田旅館の名前を覚えていなかった。
宿から中学校に行く道と宿の外観と建物のサイズは記憶していても、肝心の宿の名前が記憶になかったのです。
毎日寝泊まりして三度の食事をとっている宿の名前を覚えていないなんてあるだろうか? でも、八雲は覚えていなかったのである。本当に忘れていたのか、酔っ払っていたためなのか……?
そこで八雲が考えたのが、一度中学校に行ってから戻ってくること。さっそく人力車を止めて中学校へいくよう命じたが、言葉が通じなかった。八雲は「中学校」と発音しているつもりだが実際には「シユガク」と発音していたのだ。
車夫はまったく理解できないが、これは酒に酔った客で舌がもつれて喋っていることがわからなくなっているのだろう。きっと和多見の遊郭へいきたいのだと早合点して、和多見のほうへと車を走らせたのです。そうしたところ、松江大橋が架け替え中で仮の橋を渡らないといけないので、冨田旅館の前を通りました。先生は地団駄を踏み、車夫は驚いて車を停めました。
■感情の起伏が激しく、すぐに癇癪を起こす性格
またまた橋が奇妙な縁を繋いだというわけである。ほんとにたまたま宿に帰り着けたわけだが、八雲のほうはそうは思っていなかった。夫妻にはなんとも親切な車夫だと、酒を飲ませてやるように頼んできたのだという。
そんなトラブルを笑い話として話せるのも、既に遠い昔の出来事になっていたからだ。
実のところ、客商売とはいえ、夫婦は八雲の面倒くさい性格に相当辟易していたようで「なかなか癇が強かった」とまで語っている。
機嫌が悪いと夜、寝ていて足でポンポン布団を蹴り飛ばしていることもありました。感覚も非常に鋭敏な方で、せっかくよい思索に耽っているところに、なにか騒がしいことがあって思索の邪魔となると、非常に苦痛を感じていました。そんな先生の気性を飲み込んでいなければ、大いに迷惑だったと思います。
言葉は選びつつも、感情の起伏が激しくすぐに癇癪を起こしがちだったことが伝わってくる。ドラマでは初めての出勤を前に食事を運んできた女中に怒鳴るシーンがあった。作劇の都合上、すぐに和解はしているが、こんなことが滞在した半年の間に何度も繰り返されていたのであろう。
■“本当に困った人だった”という夫婦の本音が見える
とにもかくにも、格別癇の強い先生が私どものような世間知らずの家に6カ月間ご辛抱くださったことは、まことに感謝すべきことだと思っています。
一見、謙虚で感謝に満ちた言葉に見える。だが、よく読むとこの一文には微妙なニュアンスが込められている。
「ご辛抱くださった」というが、本当に辛抱していたのは誰だったのか。毎日癇癪を起こされ、気分の浮き沈みに振り回され、宿の名前すら覚えてもらえなかった旅館の夫婦のほうではなかったか。「いや、辛抱していたのは俺たちの方だわ!」という本音が行間から滲み出ている。
「私どものような世間知らずの家」と自らを卑下しているが、朝から酒を飲み、トイレに葉巻と帽子で入り、機嫌が悪いと布団を蹴飛ばす。そんな常識外れの行動を繰り返していたのは、果たしてどちらだったのか。「世間知らずなのはどっちだよ!」というツッコミが聞こえてきそうだ。
つまり、この丁寧な言葉遣いは、文豪への敬意を示しながらも、実は「高名になった今でも尊敬はしているし、思い出は笑い話になっている。でも、あの半年間、本当に困った人だったんですよ」という複雑な本音を滲ませているのだ。
へりくだった表現だからこそ、かえってその裏にある実体験者だけが知る八雲の「困った部分」が、生々しく浮かび上がってくる。日本的な奥ゆかしさの中に、ちゃっかりと真実を織り込んでいるのである。
■松江は、八雲にとっての“理想的な土地”だった
実際、ドラマでは大歓迎されている八雲だが、冨田旅館の人はそうは思ってなかったように「出世して後に東京大学の先生になられるような方とは気付かず、単に月給をたくさん貰われる中学校の英語の先生くらいに思っていました」と述べている。そういった風に考えていたから、余計に「困った外国人客」に見えていたのではなかろうか。
そんな夫婦も、今になって思えば絵はがきの一枚でも記念に貰っておけばよかったし、書き損じも保存しておけばよかったとも述べているところが、人間くさい。むしろ「惜しいことをした」と正直にいってしまうあたり、この人たちのいい人感が伝わってくる。
こんな人々が住まう松江は、アメリカの大都会で疲弊した八雲にとっては理想的な土地だったのかもしれない。
----------
昼間 たかし(ひるま・たかし)
ルポライター
1975年岡山県生まれ。岡山県立金川高等学校・立正大学文学部史学科卒業。東京大学大学院情報学環教育部修了。知られざる文化や市井の人々の姿を描くため各地を旅しながら取材を続けている。著書に『コミックばかり読まないで』(イースト・プレス)『おもしろ県民論 岡山はすごいんじゃ!』(マイクロマガジン社)などがある。
----------
(ルポライター 昼間 たかし)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
