■醤油を何も知らない「素人」社長
2019年2月に発売され、6年で150万本を売り上げた透明醤油。2025年には、醤油をシート状にしたリーフ醤油、ムース状にしたフォーム醤油と、「醤油は黒い液体」という常識を覆す商品を次々に世に送り出している。
156年の歴史を持つ熊本の醤油メーカー「フンドーダイ」はなぜ、革新的な商品を生み出し続けられるのか。本社工場を訪ね、社員に話を聞くなかで、この変革の裏にひとりの経営者の存在があることが分かった。
山村脩社長(56)。野村証券と金型ベンチャーを経て、2018年にフンドーダイの社長に就任した。醤油について何も知らない「素人」だった。
1869年から醤油づくりを続けてきたフンドーダイは、2014年以降は社長2人が2年ごとに交代。縮小傾向が続く市場で苦戦を強いられていた。そこにやってきた山村社長は「3年で黒字化、本業の醤油で立て直し、雇用を守る」というミッションを自らに課した。
なぜ素人社長が、わずか1年で透明醤油という革新を生み出し、その後も変化球を投げ続けられるのか。山村社長に話を聞いた。
■「技術的にできるなら、やってみる価値がある」
透明醤油を即決した理由を尋ねると、こう返ってきた。
「面白いじゃないですか。技術的にできるなら、やってみる価値がある」
純粋に技術オリエンテッドで決めた。
「醤油とはこうあるべきだ、という固定観念がなかったんです。業界の人なら『醤油は黒いもの』という前提から離れられない。でも私は素人だから、『うちの技術で何ができるか』だけを考えた。だから透明な醤油も『面白い』と思えた。業界のことがわかってきた今なら、作らなかったかもしれません(笑)」
経歴は異色だ。野村証券で10年、金型ベンチャーのインクスで10年。醤油とは無縁の世界を歩んできた。
「いろんな会社を見て、いろんな経験をさせてもらいました。証券時代はIPOや上場支援、インクスでは100億円のファンド設立から工場管理まで。何事もトライしてみないとはじまらない」
異業種を渡り歩いた経験が、既成概念にとらわれない発想を可能にした。
■2つのミッション
異業種で経験を積んできた男は、2018年の就任時、何を考えていたのか。
「命題はふたつでした。150年の歴史を生かすことと、海外に出ていくこと」
証券会社でベンチャー企業の上場支援を行ってきたからこそ、150年の歴史の価値を誰よりも理解していた。
「野村証券ではいかに、大手の看板で営業していたのかが身に沁みた。企業の『歴史』はイコール『信用力』であり『知名度』です。時間と歴史は買えない。フンドーダイには、歴史があり、伝統がある。それを生かしきれてないのは、もったいない」
社内の雰囲気も気になった。
「社員は疲れていたと思います。
社長に就任すると、全社員との面談を実施した。
「本人たちは伝統を守っている意識はあった。一方で、同じことをただ続けてきた、という側面もあった」
そして、ある問題に気付く。
「『150年の歴史があります』『伝統があります』と言っても、じゃあ何がすごいの? と聞かれたら答えられない。客先になんて営業するの? って。歴史や伝統を語るには裏付けが必要なんです」
だからこそ、自社の技術を見直した。眠っていた特許を再評価し、活用できるものを探した。
「新商品を出すことで、みんなで盛り上がれたらいい。そして、うちの技術力を形にして見せたかった」
毎月の業績開示を行い、各部署とのミーティングで社員の声を拾い上げた。歴史と伝統が培ってきた特許技術から生まれたのが、透明醤油のアイデアだった。
156年の歴史は、革新を生み出す土台となった。
■「醤油は黒い」に縛られない
転勤族の家庭で育った山村社長は、新しい環境でも柔軟に生きる術を身につけていた。
2018年の社長就任当初、素人社長への風当たりは冷ややかだった。透明醤油の発売に際しても、社内の古参たちから反対意見が出た。
「最近はネタにしてるんですけど、『やりたければどうぞ』みたいな雰囲気も一部にあって……。私はぜんぜん気にしていません」と、にこやかな笑みを浮かべて語った。
「透明醤油について『そんな奇をてらった製品を出すのか』という声もありましたが、うちの技術力で真面目につくった、醤油づくりの延長線上にある製品です。技術的な裏付けがあるから、自信を持っていい」
小学校を5回転校し、野村証券の営業時代には2年おきに転勤を繰り返した。どこへ行っても新参者。
「知らない土地へ入っていくこと、移動することには耐性ができていたかもしれませんね」
2013年、野村証券時代の先輩の誘いで、熊本で農業法人を立ち上げるために移住した。そこで目の当たりにしたのは、地方で受け入れられることの難しさだった。
何十年暮らしても、その土地で生まれていなければ「よそ者」。
「生まれるか、墓に入るかしないと地元民にはなれない。
■「決めて最後に責任を取るのが社長の仕事」
この潔い決断には、もうひとつ、経営者としての信念がある。
金型ベンチャーのインクス時代、社長の即断即決で次々と新しいプロジェクトが動き出す現場を体験した。「経営者の仕事は決めることです。決めることを求められ、決め続けて365日生きている。決めて最後に責任を取るのが社長の仕事」と語ったように、その醍醐味を忘れていない。
さらに言葉に力をこめて、こう語った。
「だから、周りに何を言われようとも気にしません。だって、あーだこーだ言う人たちは責任取らないでしょう」
前編で記したように、山村社長は社員たちに「遅れてるよ、もっと早く」と煽り、醤油づくりを急がせた。その真意は何だったのか聞いてみた。
「我々は製造業なので、まずモノを作らないとはじまらない。既存のもので売れないのであれば、新しいモノを作るしかない。2019年の150周年に軸足を合わせて商品を出した。ただ、それだけなんです」
山村社長は続ける。
「道は前にしかない、とにかく先に進むということだけは意識している」
■金型ベンチャー時代の忘れられない失敗
この思いの根底には、2009年のインクス社の倒産という痛恨の経験がある。
金融業界から飛び込んだ畑違いの金型ベンチャーで、現場からマネジメントまで広く経験した。しかし2009年、リーマンショックの影響を受けたインクスは民事再生を申請。取締役に就任し、再建に取り組んだ。
「2000人ほどいた従業員たちの生活もあるし、家族もいるわけです。日々、桁違いに運転資金も出ていく。もう、なんとかするしかない」
山村社長は当時を振り返る。
「立ち止まったら終わり。なんとかしよう、強くあろうとするだけではダメなんです。一番大事なのは楽観的であることだってその時気づいたんです。『なんとかなる』と思わないと、なんともならないじゃないですか。よく社員からも『楽観的ですね』って言われるんですけど、『楽観的でなければいけない』とも思ってるんです」
しかし結果は、事業継続を断念。同社の経営資源を引き継ぐ形で新たな法人が別会社として設立された。
何を聞いても明るく話すが、その後のことを尋ねると、「疲れてしまって」とひとこと。一瞬、表情に影が差した。
「でも」と顔を上げる。
「インクスを出た後輩たちのなかには、時価総額数百億円、数千億円の会社を作った者もいて、今、頑張っています。そう考えると、本当に面白い経験をさせてもらいました」
うれしそうに語るその目に、かつての仲間たちへの思いと、インクスで過ごした日々への誇りを感じた。
■醤油の枠にとらわれない
透明醤油の成功で、「まだやれる余地がある」と確信を得た山村社長は、自ら海外や東京の展示会ブースに立つ。
「『透明醤油の会社ですね』と声をかけられることで、新しい出会いが生まれる。面白いモノを作る会社だと思ってもらえているので、いろんな話が来るんです。実際、フォーム醤油もリーフ醤油も、特許技術を持つ企業との出会いから生まれました」
なぜ自らブースに立つのかと尋ねると、迷いのない答えが返ってきた。
「現場に立つことで、お客さんからヒントをもらってるんです。世の中にないジャンルやカテゴリーであれば、ブルーオーシャン的に市場をとりに行ける」
社長就任から7年経った今も、業界の枠にとらわれない。
「透明醤油は、厳密には醤油じゃないと思ってます。醤油ですか? と聞かれたら、『醤油じゃありません』ってスパッと答えてるんです。透明醤油は新しい調味料なんじゃないかとも思っていて。そうなるとまた可能性が広がる。醤油と言い続けるべきかどうか、今も考えています」
醤油かどうかにさえ捉われない山村社長の柔軟さは、それまで誰も拾わなかった球を拾う。透明醤油の成功は、社内の空気を一変させた。「変化球を投げてもいい」という雰囲気が生まれ、それが次々と新商品を生み出す土壌となった。
■透明醤油で世界34カ国へ
金型メーカーで世界と戦う企業を見てきた男は、社長就任時から世界で戦うことを決めていた。
「日本でビジネスをする人はみな、海外に出て行くべきだ」
持論は明快だ。
「人口が減る、つまり、人の口の数が減る。食品である以上、シンプルに口の数が多いところに行かないと戦えない」
東京や大阪よりも、最初から市場の大きな海外を目指した。
「取引額のみならず、取引する国の数を増やせ」と営業部に念仏のように指示し続けた。その結果、海外の取引先は現在34カ国に拡大。売り上げの2割を超えた。
「人間、見えないものが一番怖い。だから扉を開ける。開けてみればどんな国かがわかる。大手から見ると取引額は小さいかもしれない。でも、一度パイプができれば、後はそれを太くする努力をすればいい。展示会で出会ったウクライナの寿司屋からも注文が来たんです。戦時下であっても需要があるのかと驚きました。やってみないとわからない。だから今は、黙々と世界の扉をたたけと言ってるんです」
ただし、闇雲に攻めるのではない。裏付けをとることも大事にしている。NFCタグを導入し、どの国で開封されたかデータを収集。NFCタグの調達コストも「情報収集への投資」と割り切る。
「海外にニーズがあるからと出ていく上で、自分たちなりに納得したい。浅草のアンテナショップには外国の方が多く来られる。こんなにわかりやすくサンプルが取れるところはないんです。一番泥臭い方法ですが、今一生懸命データを集めています」
就任後、「何もしなければ年数%ずつ市場規模が落ちていく」と山村社長が語るトレンドのなかで、7年間で35~40%の成長を遂げているフンドーダイの躍進は、この楽観性と慎重さのバランスが生み出したものだった。
■「従業員が喜んでくれる時が一番うれしい」
自身のこれからについて尋ねると、静かに口を開いた。
「決めてないし、わからない。雇われの身なので。ただひとつ言えるのは、私がいなくなった後も会社が続いていくことが大事だということ」
だからこそ今、全力で経営に向き合う。
「次の社長にちゃんとバトンを渡す。それが私の使命です」
山村社長は会社を船に例える。
「大きくても小さくても船は船。乗組員がいなければはじまらない。会社は誰のものかと問われれば、私は従業員のものだと答える。ここにも100人を超える従業員がいて、その家族がいて、取引する業者の方もいる。精神力は、試されていますよね。でも、やっぱりそこは頑張らないといけないところ」
一番うれしい瞬間を尋ねた。豪快な経営者という印象だったが、少し照れたような笑顔を見せた。
「彼らにはそう思われてないと思いますが……新商品が出るとか業績が上がるとか、従業員が喜んでくれる時が一番うれしいんです。自分がここにいて役に立てたかどうかは、10年くらい経たないとわからない。10年後に『ありがとう』と言ってもらえる何かを残したい。そう思って今、やってるところです」
■続ける会社から、攻める会社へ
156年の歴史と技術力を持つ老舗に、業界の常識を知らない素人社長が投入された。
山村社長が歩んできた道のりは、フンドーダイに透明醤油をもたらした。そして、その透明醤油は、フンドーダイを「続ける会社」から「攻める会社」へと導いた。
社長室のデスクに置かれたボードには、「Stay Strong、Stay Positive」という言葉が記されている。24時間365日、このふたつの言葉を胸に刻んでいる。
取材の日、醤油蔵と工場を案内してくれた上野さん。山村社長へのインタビュー後、再び商品の写真撮影を対応してくれた。
撮影が終わると上野さんは、透明醤油、リーフ醤油、ムース醤油を一本一本ダンボールに詰めながら言った。
「今日もこれから山村と顧客先に行くんですよ」
ちょっぴり面倒くさそうに、でも、うれしそうに、ワイシャツの腕をまくった。
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サオリス・ユーフラテス(さおりす・ゆーふらてす)
インタビュアー・ライター
1979年、佐賀生まれ。製薬会社勤務を経て、2007年より14年半リクルートエージェントに勤めた後、2021年に独立。福岡を拠点に人の人生を深掘りするインタビューや、経営者のアウトプットサポートをメインに活動中。
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(インタビュアー・ライター サオリス・ユーフラテス)

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