小泉純一郎氏は2001年、3度目の自民党総裁選で総裁に選出された。「小泉旋風」と呼ばれるほど圧倒的な支持を受けたのはなぜか。
作家・大下英治さんの『自民党総裁選 仁義なき権力闘争』(宝島文庫)より、一部を紹介する――。
■総裁選に立候補した4人の顔ぶれ
平成13年4月11日、自民党の両院議員総会が開かれた。古賀誠幹事長を中心とする執行部は、都道府県連の持ち票を従来の各1票から各3票に拡大し、立候補に必要な国会議員の推薦人を30人から20人に減らすことなどを提案した。結局、採決もないままで執行部案がそのまま了承された。
森派の高市早苗は不思議であった。
〈このまま総裁選に入れば、まちがいなく橋本さんが勝つだろう〉
翌12日、橋本派の橋本龍太郎、江藤・亀井派の亀井静香、河野グループの麻生太郎、そして小泉の4人が立候補の届け出をおこなった。
かつて小泉と同じ清和会に所属していた亀井は、自らに近い議員とともに平成10年9月に清和会を離脱し、その後、平成11年3月に江藤隆美ら旧渡辺派と合流し、江藤・亀井派(志帥会)の会長代行となっていた。
■金をかけず「街頭演説一本で行こう」
それぞれの候補は選対用に党本部5階の一部屋を分け与えられた。
小泉選対は508号室だったが、いつも人がいるのは小泉選対だけであった。ほかの三陣営は、赤坂プリンスホテルやキャピトル東急ホテルに選対の部屋を借りて、そちらを実際の拠点にしていたからである。
小泉陣営は、小泉が金をかけないので選対本部は508号室だけであった。
小泉は、この総裁選で、軍資金をまったく出さなかった。
それゆえ小泉選対の議員は、それぞれ自腹を切って、パンフレットの郵送費や電話作戦の電話代金にあてた。小泉が出馬を決めたとき、秘書の飯島勲は訊いた。
「党員名簿を用意しますか?」
小泉は答えた。
「党員名簿はいらない。街頭演説一本でいこう。チラシもつくらなくていい」
飯島は実感した。
〈小泉さんは、余計なことはせず聴衆の心にひたすら訴えかければいいと考えている。それでも勝てると踏んでいるのか〉
■240万人の党員より1億2000万人の国民
従来の総裁選の必須アイテムは党員名簿であった。この当時の自民党員は約240万人で、党員名簿の値段は600万円であった。総裁候補の選対は、自分たちの秘書を総動員して、その虎の巻を頼りに支持を訴える文書を送付したり、電話作戦や面会作戦、いわゆるローラー作戦を展開する。240万人にアプローチをかけるのである。これだけで億に近い選挙費用がかかった。

そこで小泉と相談した飯島は思い切って党員名簿を購入することをやめた。この前代未聞の事態に小泉選対の幹部たちはカンカンになって怒った。
「なぜ、買わないんだ!」
飯島はひたすら頭を下げた。
「すみません」
幹部のなかには、親切心で言ってくれる人もいた。
「おれが持っている名簿を貸そうか?」
それすらも断った。
「ありがたいのですが、いりません」
飯島がそこまで意固地になったのは「この戦いは、党員名簿に頼るようでは負ける」という答えを導き出していたからである。
〈街頭演説一本で、いい。全国1億2000万人の日本国民に、ひたすら真剣勝負で訴えかける。そうすれば、かならず津波のような大きな波が押し寄せるだろう。240万党員を、1億2000万人の波で呑み込んでしまうのだ〉
街頭演説に時間を割くため、テレビ出演も極力控えた。テレビ討論会は、候補者が全員顔を揃えなければおこなわれない。必要最小限度、出るだけでいい。

この戦略は的中することになる。
■宣伝カーだけで有楽町に3000人が集まる
4月13日金曜日、小泉の街頭演説が、有楽町マリオン前でおこなわれた。西に向かうキャラバン隊の出発地点であった。
前座を務めた森派幹部の町村信孝は、あまりの聴衆の多さにびっくりした。
話によると、街頭演説の2時間前、「小泉純一郎・田中真紀子」と大きく書かれたのぼりをかけた宣伝カーが有楽町近辺をぐるりとまわった。それだけで、ザーッと人の波が押し寄せてきた。
スタッフが「小泉さんの到着は、午後6時です」と呼びかけると、蜘蛛の子を散らすようにサッと引いた。が、午後6時前、再び聴衆が集まった。その数、なんと3000人であった。街頭演説が終わったあと、町村は小泉に声をかけた。
「これ、すごいですね」
小泉本人も驚いていた。
「今日は人が多かったねぇ」
だが、この小泉現象ともいうべき社会現象は、ほんの序章に過ぎなかった。

■渋谷駅前は人、人、人で大混雑
翌14日には、東京都葛飾区で平沢勝栄が主催する小泉を応援する会の「女性の集い」が開かれた。講師として招いた田中真紀子は、例によって歯に衣着せぬ調子で、小渕前総理の経済政策をバッサリ斬り捨てた。
「小渕の恵ちゃんなんか『ぼくは1年間で借金100兆円つくった、ガハハ』なんて、カブ上げて喜んで頭がパチッと切れて、オブチさんがオダブツさんになっちゃったんですからね(笑)。これも自業自得なんですよ」
小泉は、15日の午後4時半から、JR渋谷駅の忠犬ハチ公前で街頭演説をおこなった。渋谷駅前で1時間くらい前から、「午後4時半から小泉純一郎と田中真紀子が街頭演説をします」というアナウンスは流していた。それだけだったので、ほとんどの人は、小泉が来ることを知らなかった。しかし、なんと1万人近くの聴衆が集まった。なにしろ車道に人が溢れ出して、二車線のバス通りはバスが通れなくなってしまった。
平沢勝栄は、こんなこともあろうかと聴衆を誘導するスタッフを用意していた。が、道路の反対側の歩道も聴衆で埋めつくされている。誘導しようがなかった。平沢は、渋谷警察署から10回ほど忠告された。

「これ以上、人が増えたら、車が走れなくなります。危ないので街頭演説を中止してもらいますよ」
平沢は、応援演説をしていた議員のマイクを引ったくった。
「ちょっと、すみません」
平沢は、マイクを握り、聴衆に呼びかけた。
「大変申し訳ないが、警察から危ないので街頭演説をやめてほしいという忠告が来ています。このままでは中止命令が出ます。車道にいる方は、移動をお願いします」
ようやく、車一台がギリギリ通れるスペースができた。
■盟友の2人と田中真紀子が援護射撃
この日は、YKKの加藤紘一、山崎拓も、応援に駆けつけた。
山崎はYKKの結束をアピールした。
「わたしと加藤さんと小泉さんは、兄弟のような信頼関係をもっている。年齢ではわたしが長男、加藤さんが二男、小泉さんが三男だが、愚兄賢弟という言葉どおり、賢弟の出番だ」
そのあと小泉がマイクを握り、最後に田中真紀子が締めた。
「田中家の家族が囲むちゃぶ台で、総理を辞めた人に何をさせればいいかという話題になったので、わたしは『ロケットに乗っけて宇宙ステーションから地球を見させておけばいい』と科学技術に貢献する話をしました」
真紀子節全開で、総理大臣経験者で再登板を狙っている橋本のことを皮肉った。
■党内の「嫌われ者」を仲間にした狙い
田中の演説が終わったあと、小泉の演説を聞かないで聴衆が帰ってしまうと困るので、田中をトリという順番にしていた。
ただし総裁選の途中から、そんな心配は杞憂なのがはっきりしたので、小泉を最後にするように変えた。
10代、20代の若者たちも、全員の演説が終わるまでの1時間半、じっと動かずに聞いてくれていた。陣営で動員した数はせいぜい200人くらい。聴衆のほとんどが一般の人であった。渋谷警察署の警官も驚嘆していた。
「この人数はハチ公前広場の歴史がはじまって以来のことですよ」
森派幹部の町村信孝は、小泉現象が起こった理由の一つは、国民的人気のある田中真紀子とタッグを組んだことにあると思っている。党内には「田中真紀子さえいなければ応援してもいい」と田中のスタンドプレーを嫌う議員は多かった。
森総理も、これまでさんざん自分のことを批判しつづけてきた田中に応援を求めるのは、不愉快極まりなかったのではないか。しかし小泉は、それでもあえて田中に協力を求めた。そうしなければ、橋本派を相手に予備選は勝てないと考えたのであろう。田中の国民的人気を利用したのである。町村は感心した。
〈小泉さんの計算勝ちだ。小泉さんは、無手勝流に見えるが、じつはけっこう緻密な計算をしているんだな〉
■勝つために靖国公式参拝をアピール
小泉陣営が目標に掲げた予備選の得票比率は、“6・3・1”であった。すなわち、小泉6、橋本3、亀井1である。橋本はプライドが高い。仮に小泉にダブルスコアを付けられれば、本選挙を辞退するのではないかという希望的観測があった。
小泉選対に伝わってきた情報によると、この頃、橋本陣営は「橋本は15県。悪くても10県。亀井は2、3県。小泉は取れても20数県」との読みを持っていた。町村は同僚の議員に言った。
「小泉さんはもう少し取る。でも、6・4じゃ、勝てないな。無理だと思うけど、なんとかダブルスコアにしたいねえ」
ある議員が小泉にアドバイスした。
「靖国神社の参拝を訴えれば、日本遺族会の票が入りますよ」
小泉は「おう、それで行こう」と言い「靖国神社を公式参拝する」とトーンをあげて強調した。その議員は思った。
〈そこまでトーンをあげる必要はないのに〉
■批判されても「抽象的な主張」を貫いた
小泉のしたたかさは、選挙公約にもあらわれていた。町村信孝は尾身幸次や松島みどりらと小泉の選挙公約をまとめた。小泉の注文はたった一つであった。
「できるだけ抽象的にしてくれ。具体的に書かないでくれ」
選挙期間中、小泉は、マスコミの批判にさらされた。
「政策が、抽象的だ」
町村は、2度ほど小泉にメモを渡した。
「経済政策は、こういうことを言ったらどうですか?」

「社会保障改革は、こういうことを言ったらどうですか?」
しかし小泉は、細かい政策については触れなかった。もっぱら、次のような主張を繰り返した。
「自民党を変える」

「派閥を解消する」

「首相公選制を導入する」
町村は、なぜ抽象的なことばかり言うのか理解できなかった。が、のちに小泉なりの戦術だったことがわかった。
〈小泉さんは、すでに勝ったときのことを考えていた。そのときに言葉尻を取られないように、極力フリーハンドでいたかったのだろう〉
■最大派閥の橋本派に相次いだ悲劇
小泉は、ほかの立候補者たちとテレビに出演したとき、はっきりと言い放った。
「予備選で1位になりたい」
小泉が、そこまで勝つことをはっきりと意識した発言をするのはきわめて珍しいことだった。国民、党員に、強烈なメッセージを送ったのである。
小泉にとって有利だったのは、橋本派のドンである小渕恵三前総理が平成12年5月14日に、竹下登元総理がその1カ月後の6月19日に、相次いで亡くなったことだった。そのため橋本派が弱体化していた。もし小渕、竹下の2人が元気であったならば、いくら小泉に国民的人気があっても、総裁選での勝利はあり得なかったのではあるまいか。
織田信長が天下を取ることができたのも、最強の敵であった武田信玄が、天正元年(1573年)4月12日に病死し、上杉謙信が天正6年(1578年)3月13日に急逝するという幸運に恵まれていたことによる。
小泉も信長も「天の時」を得ている。さらに、自民党執行部が予備選を各都道府県で3票ずつで合計141票としたのだ。しかも、総取り方式を採用し、その都道府県の1位が3票を総取りできるシステムにしたのだ。小泉の主張し続ける「首相公選論」に近いかたちになった。いわゆる、「地の利」も得たわけである。
残るは「人の和」、つまり国民的人気を背景にして、自民党員の地方票を得ることであった……。
■味方も予想していなかった予備選での圧勝
4月21日、7県連で予備選の開票がおこなわれた。
森派の松島みどりは、じつは朝までは、小泉が勝つのは無理だ、と正直なところ思っていた。小泉に「国民の政治への信頼、自民党への信頼を回復するためにも、小泉さんが出なければいけません。これは宿命です」と立候補を促したときも、本心は、負けても仕方がないと思っていた。
選挙戦の後半、小泉を支持する松島と同期の1回生たちとも「小泉さんが出て総裁選が盛り上がってよかったね。でも、やはり勝てないよね」と言い合っていた。予備選の結果、小泉7・橋本3の割合なら勝てるが、6・4なら引っくり返されると言われており、正直、7・3は難しいと思っていた。
ところが、小泉は7県すべてで1位となった。
■麻生の地元・福岡ですら小泉が競り勝つ
町村信孝は、なかでも福岡県の開票結果を知り、我が耳を疑った。
「えッ、本当か!」
福岡は総裁選の候補者の麻生太郎の地元である。それにもかかわらず、小泉は、なんと2位の麻生の1万3756票を203票上回る1万3959票を獲得して、1位になったのだ。
松島みどりもこの日の開票結果に驚いた。岐阜県の県連会長は、橋本派のホープの1人で将来の総理候補といわれる藤井孝男であった。それだけでなく、橋本派の松田岩夫、旧河本派の野田聖子、亀井直系の古屋圭司もいる。小泉陣営と言えるのは、加藤派の金子一義ただ1人だ。しかも、金子は総裁選の選挙管理委員を務めているため、表立って動きにくかった。
佐賀県も、やはり橋本派の幹部の保利耕輔がいる。一方の小泉陣営は、森派の坂井隆憲1人だ。それでも勝ってしまった。徳島県では、小泉陣営の議員が1人もいないのに勝った。
小泉は、都市部で人気が高いから、東京都や神奈川県で1位になるのはわかりきっていた。だが、小泉が勝てないと思っていた県でも勝利をおさめたのだ。
■小泉本人も「歴史が動く!」と絶叫
松島は思いはじめた。
〈ひょっとしたら、7・3となり、勝てるかもしれない〉
この日、朝から選対本部に詰めかけていた尾身幸次は、7県連の予備選の結果が出るや「小泉圧勝だ」と早くも勝利宣言した。
小泉の演説会は、この日夕方も、有楽町マリオン前でおこなわれた。
小泉は声を張り上げた。
「思いもしなかった結果が出ている。私が勝てっこない県ですべてトップだ。党員投票で1位になったら勝てる可能性が出てきた。ひょっとすると歴史が動く!」
小泉は、つい本音を出して絶叫した。
「最大派閥の支援もなく、日本の総理大臣になった人は、これまで1人もいない。もし、私が勝てば、最大派閥の支援なくして誕生する初めての総裁になる!」
松島は思った。
〈私のような1回生は、そのような思いはないが、やはり長い年月にわたって、非主流派でやってきた人には深い思いがあるんだろうな〉
この日夜、橋本派の幹部の野中広務は、橋本派5回生の石破茂の地元である鳥取県米子市内の講演で、小泉の圧勝は避けられないとの見方を示し、事実上の“敗北宣言”をした。

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大下 英治(おおした・えいじ)

作家

1944年、広島県に生まれる。広島大学文学部を卒業。『週刊文春』記者をへて、作家として政財官界から芸能、犯罪まで幅広いジャンルで旺盛な創作活動をつづけている。著書に『安倍官邸「権力」の正体』(角川新書)、『孫正義に学ぶ知恵 チーム全体で勝利する「リーダー」という生き方』(東洋出版)、『落ちこぼれでも成功できる ニトリの経営戦記』(徳間書店)、『田中角栄 最後の激闘 下剋上の掟』『日本を揺るがした三巨頭 黒幕・政商・宰相』『政権奪取秘史 二階幹事長・菅総理と田中角栄』『スルガ銀行 かぼちゃの馬車事件 四四〇億円の借金帳消しを勝ち取った男たち』『安藤昇 俠気と弾丸の全生涯』『西武王国の興亡 堤義明 最後の告白』『最後の無頼派作家 梶山季之』『ハマの帝王 横浜をつくった男 藤木幸夫』『任俠映画伝説 高倉健と鶴田浩二』上・下巻(以上、さくら舎)、『逆襲弁護士 河合弘之』『最後の怪物 渡邉恒雄』『高倉健の背中 監督・降旗康男に遺した男の立ち姿』『映画女優 吉永小百合』『ショーケン 天才と狂気』『百円の男 ダイソー矢野博丈』(以上、祥伝社文庫)などがある。

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(作家 大下 英治)
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