プライバシーの塊といえる戸籍は、戦後のある時期まで一般に公開されていた。政治学者の遠藤正敬さんは「かつての日本は個人のプライバシーという概念がなく、公開は公益のためと信じられていた。
しかし、不当な差別の温床ともなっていた」という。――(第2回)
※本稿は、遠藤正敬『戸籍の日本史』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
■前科も賤称も記された明治戸籍の闇
今日、戸籍はプライバシーの塊としてみだりに公開されるべきものではないとされている。とりわけ戦前の戸籍には差別的な記載が多々みられるためである。その代表的なものが「族称」である。
族称というのは明治国家における身分再編によって生まれた概念である。天皇の「臣民」としてみな「平等」と謳(うた)いながら、国民を華族・士族・平民という三種の「階級」に分類してこれを戸籍に記載したのである。
さらに注目すべきは、壬申戸籍には職業、前科、賤称(せんしょう)、檀那寺なども記載された点である。これは壬申戸籍が世情不安な時代を背景として身元調査など警察的目的に立つ制度として出発したことの反映といえた。だからこそ戸籍行政の管轄は1873年から1898年までは警察行政をつかさどる内務省が握ったのである。
とりわけ問題なのは、「賤称」である。壬申戸籍の実施に先立つ1871年、「穢多(えた)・非人(ひにん)等の称廃止令」により、そうした呼称の使用は禁止され、被差別部落民も平民とされた。
にもかかわらず、戸籍の族称欄には「元穢多」「元非人」「新平民」などといった記載がみられたことは知られている。
■融和求めつつもやめられない制度差別
だが、第一次世界大戦後に個人の平等と解放を標榜する「大正デモクラシー」の風潮が広がり、全国水平社(1922年創立)を中心とする部落解放運動が湧き上がると、差別の根源としての戸籍にも批判の矢が向けられた。
こうした運動の熱気が功を奏し、1924年3月の戸籍法改正により、戸籍の族称については華族および士族のみを記載するものとなった。だが、家族が戸主と族称を異にする時は、やはりその族称を記載すべきものとされ、差別撤廃としては不十分であった。
そこで1938年3月、中央融和事業協会の会長であった平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう)(当時は枢密院(すうみついん)議長)が「族称取扱に関する陳情書」を政府に提出した。
総力戦体制を見据(みす)えた国民精神総動員運動の一環として融和事業を重視する平沼は、従来、諸般の文書に族称を記載してきたのは単なる因襲に基づくもので現在は何の実益もないのみならず、時局下の国民の融合を促進する上で支障であるとして、公文書における族称の記載を廃止するよう訴えた。
■法律は変わっても差別意識は変わらず
こうした要望を受けて、司法省は戸籍の謄抄本における「平民」の族称記載を廃止したが、戸籍の原本や除籍簿にはその記載が残ったわけである。
さらにいえば、法制度が変わっても、社会における慣習というのはそうたやすく消えるものではない。役所への提出書類をはじめ、履歴書や宿帳といった私文書においても族称を記載させる慣例は容易になくならなかったのである。
戦後になり、身分差別を否定する新憲法の下で華族制度も廃止されたことにより、族称を記載すべき根拠はなくなった。ここにおいて、封建的な身分序列の遺産である族称は諸般の公私文書から姿を消すこととなった。だが、それで社会における差別が解消されたわけではないのはいうまでもない。

前述のように、戦前の戸籍には族称以外にも身元調査的な記載が多くみられた。その典型といえるのが犯歴、いわゆる前科である。
壬申戸籍においては、前科のある者はその罪名や量刑が戸籍に記載された。その後、戸籍に前科そのものを記載することは禁止されたが、犯歴に関係する情報を戸籍に記載する慣例は残されたのである。
■戸籍が前科者を監視する仕組み
たとえば、出生や死亡が刑務所内であった場合には、刑務所の所在地や刑務所長の名前まで記載された。加えて、受刑という理由により、相続権を剥奪されたり(これを「廃嫡(はいちゃく)」といった)、華族が爵位を喪失したりした場合はその旨が記載された。
こうした犯罪関連の記載のある戸籍の謄抄本の交付は、1963年まで完全に廃止されなかったのである。
さらには、戦前から戸籍と犯歴を連携させた「犯罪人名簿」が全国で作られるようになった。前科の内容によっては参政権(公民権)の制限につながるので犯歴情報を本籍地ごとに管理させる目的からである。
1917年4月に内務省は訓令を発し、市区町村長は管轄区域に本籍を有する前科者について裁判所、検事局、軍法会議、他の市区町村長からの通知に基づき犯罪人名簿を整備し、転籍した者の前科については転籍先の市区町村長に通知することを命じた。
一人一葉(いちよう)(一通)の犯罪人名簿には前科者の戸籍情報と罪名、量刑などが記載された。さらに、本籍を離れて生活する「寄留者(きりゅうしゃ)」についても、寄留地の市区町村長は犯罪人名簿を整備すべきものとされた。

この犯罪人名簿は照会に応じる基準が曖昧であったため、結婚や就職の際に企業や興信所による身元調査にも利用され、戸籍を媒介として前科者を監視する社会のネットワークが形成されたのである。
■犯罪人名簿は今も存在している
戦後になると犯罪人名簿の利用目的は拡大され、自治体は参政権のみならず各種資格・免許・叙勲等に関する照会にも応じるようになった。現在でも地方検察庁から対象者の本籍地役所に送られる「既決犯罪通知書」に基づいて名簿は作成されている。
ちなみに犯罪人名簿に関する統一法はなく、その内容や取扱いは自治体によってまちまちである。ただし、今日では犯罪人名簿は原則、非公開であり、警察、検察庁、裁判所、特定の関係行政庁から照会があった場合にのみ、回答に応じるものとされている。
といって、犯罪人名簿は永久保存されるわけではない。たとえば、刑の執行終了後、罰金以上の刑に処せられることなく10年を経過すれば前科は失効となるので、その者の犯罪人名簿は閉鎖される。
しかしながら、今日でも「戸籍には前科が載る」という話がまことしやかに語られている。これは戦前の戸籍における非人道的な内容が余波を残している証拠かもしれない。
■誰でも他人の戸籍を入手できた時代
個人情報を守ることが常識である今日の感覚からすれば信じがたいことであろうが、戸籍はかつては公開制とされていた。つまり親族でもない「赤の他人」が役所で誰の戸籍でも閲覧し、かつその謄本・抄本も手に入れることができたのである。
繰り返すまでもなく、戸籍は、親族関係や日本国籍の証明であり、その人がどのような親から、どのような経緯で生まれたかも分かるプライバシーの塊である。
その戸籍を一般に公開するということがなぜ許されていたのか?
戸籍公開の原則が法文上にはじめて明記されたのが明治31年戸籍法である。同法においては、手数料を納めれば戸籍の閲覧や謄本・抄本の交付を請求することが認められていた。
このような戸籍公開の原則が導入された理由について探ってみると、行き着いたのが1890年の第1回帝国議会に提出されたものの未成立に終わった内務省起草による「戸籍法案」である。同法案では戸籍を公開制とすることを定めていた。明治31年戸籍法は、この「戸籍法案」の原則を引き継いだものである。
「戸籍法案」審議における政府側の説明書には、戸籍公開の必要性について明確に述べられている。すなわち、他人と諸般の契約をなす時には成年であるか、既婚であるか、死亡しているかといった現在の身分を知らせる必要があるから戸籍を公開して衆人の閲覧を許す必要がある、というわけである。
今日の「プライバシー」という観念はまだない時代であるから、人によっては秘密にしておきたい戸籍情報も「公益」という大義名分の下に晒されたのである。
■「正田美智子」の戸籍に群がった人々
戦後の戸籍法においても「戸籍公開原則」は継承された。これによりプライバシーの侵害が堂々と許され、憲法の否定する不当な差別行為が就職や結婚において横行することとなった。警察や検察による犯罪捜査や、探偵や興信所による身許調査などにも戸籍は利用され続けたのである。
もちろん人気スターや有名人の戸籍謄本を興味本位で入手することも可能であった。
美空ひばりであろうが、長嶋茂雄であろうが、吉田茂であろうが、その戸籍は公開されていたのである。
実際、現在の上皇后美智子が1958年に皇太子明仁(あきひと)(当時)との婚約が決まるや、「正田(しょうだ)美智子」としての本籍のあった品川区役所には彼女の戸籍謄本の交付を求める者が続々と押しかけたという。
だが、そうした「有名人の戸籍を見たい」という他愛ない行為よりも深刻であったのは、差別意識から結婚や就職に際して身許調査に戸籍が利用されたことである。
婚約にあたって家族が興信所などに依頼して相手の本籍地を割り出し、そこから被差別部落と関係がないかを調べることが平然と行なわれていた。これに対して当然、部落解放運動団体からは戸籍公開制の廃止を求める声が強まった。
そこで1968年に法務省の通達により、まず既述のような差別的記載の残る壬申戸籍は親族を含むすべての者に対して閲覧禁止となった。

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遠藤 正敬(えんどう・まさたか)

政治学者

1972(昭和47)年千葉県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。早稲田大学、宇都宮大学、大阪国際大学、東邦大学非常勤講師。専攻は政治学、日本政治史。著書に『戸籍と国籍の近現代史――民族・血統・日本人 第3版』(明石書店、2024)、『犬神家の戸籍――「血」と「家」の近代日本』(青土社、2021)、『天皇と戸籍――「日本」を映す鏡』(筑摩選書、2019)、『戸籍と無戸籍――「日本人」の輪郭』(人文書院、2017、サントリー学芸賞受賞)等。


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(政治学者 遠藤 正敬)
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