シニア層の労働実態はどのようなものか。『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)を出したジャーナリストの若月澪子さんは「忙しく動き回っているのに、収入はそこそこ。
働き者のシニアは、こうした低賃金の仕事に追いまくられてしまう」という――。
■月2万~6万円報酬「在宅勤務OK」に惹かれて
神奈川県在住のBさん(62)は、飾り気のないTシャツに身を包む「ザ・お母さん」という雰囲気の女性。彼女が「ネットベンチャーの事務」を求人サイトで見つけたのは、今から10年前のことである。
「『在宅勤務OK』『報酬は月2万~6万円』という募集文に惹かれて応募しました。当時はまだコロナ前で『リモートワーク』という言葉も普及してない頃です。通勤せずに、月に数万円稼げるなら悪くないと思いました」
その会社のホームページには、さまざまな年齢のスタッフが笑顔でミーティングをする社内風景が掲載されていた。まさに「ITベンチャー」な世界だとBさんは思った。
Bさんが面接に呼ばれたのは、都内のオフィスビルにあるカフェ。細身のジャケットを身に着けた30歳くらいの経営者という男性は、物腰柔らかで感じがいい。
「名前も聞いたことのない会社でしたが、まだ若いのに都心のビルにオフィスを構えるなんて、今の若い人はスゴいなと思いました。これからこういう会社が成長していくのかなと」
■「子ども部屋おじさん」2人の合同会社
先が楽しみな会社に50歳を過ぎて採用され、Bさんが胸を躍らせたのも束の間。
「『研修』と言われて指定されたマンションに行ったら、『オフィス』は居間に仏壇やダイニングテーブルのあるただの実家でした。
ホームページに掲載されていた写真は完全なイメージカット、面接したビルはカモフラージュだったのです」
「化けの皮が剝がれる」とは、このようなことを言うのだろう。ネット社会では、思わぬものに遭遇することがある。
その会社は「経営者」の男性が友人と二人でアフィリエイトサイトを作ったり、YouTubeの広告などを制作している「合同会社」だった。彼らは会社を起こしながらも実家暮らしをしているという「子ども部屋おじさん」だったのだ。
それでも「在宅ワーク」で働ける環境はBさんにとって魅力的だった。その理由は、Bさん宅の「子ども部屋」の住人である。
Bさんは、もとはバリバリの理系である。
電子関係の専門学校を卒業したBさんは、大手電機メーカーで正社員として働いていた。一人娘を保育園や学童を利用しながら育てるワーママ(ワーキングマザー)だった。
■不登校の娘がNPOの支援員と付き合い破局
そんなBさんの娘が不登校になったのは、中学生の頃のこと。娘は高校にも進学したが、ほとんど登校することのないまま中退。Bさんは発達障害と診断された娘のために、仕事を辞めた。

「不登校の子どもを支援するNPOがあると知り、藁(わら)にも縋(すが)る思いでそのNPOがある地方都市に、娘と二人で移り住みました。しかし、そこの支援員の男性と娘が付き合いはじめてしまい……」
不登校やひきこもりの支援を行う支援団体は数多くある。もちろん、誠実に支援に携わる人がほとんどだが、相手が弱者であることにつけこみ、あってはならないことが起こってしまう場合もあるようだ。
「実は私も二人のことを黙認してしまったのです。このまま結婚してくれてもいいかも、などと考えていましたが甘かった。結局破局して、その後娘の精神状態が不安定に。リストカットを繰り返すようになり、鉄格子のある精神科病院に入院するところまでいきました」
この苦い経験から、Bさんは「不登校やひきこもり支援」そのものに、信頼を抱けなくなってしまった。
その後、娘の精神状態が落ち着き、自宅に帰ってくることができた。Bさんはリストカットをする娘を一人にしないため、在宅でできる仕事を探す。それが「ITベンチャーの事務」だったのだ。
■「時給は300円くらいだったでしょう」
Bさんはこの会社と「業務委託契約」、いわゆるフリーランス契約を結んだ。フリーランスとして働く人は、勤務時間や就業場所などが「自由」とされている。
しかし、現実には発注側の指揮命令で仕事をするケースも多い。
Bさんは調べものや外部からのメール対応、機材の購入など、あらゆる雑用を頼まれ、それを自宅でこなした。1日の稼働時間は実質3~4時間程度だったというが、チャットが休みなく来るので常にパソコン前に縛り付けられている状態である。
「出社は月に数回でいいと言われましたが、自宅にいても土日関係なく、チャットで仕事の指示が飛んできました」
Bさんはこの仕事を、月2.5万円の報酬で引き受けた。
「もともとパソコンが得意なので、マニュアルを読んだり、細かい処理をするのは好きなのです。でも、仕事が山のように降ってくるので、時給は300円くらいだったでしょう」
報酬の安さだけでなく、要求の異常な高さに辟易(へきえき)することもあった。
「とにかく仕事の振り方が、マッチョなんです。『明日までに○○の条件に当てはまる会社を100社調べておいて』とか、仕事の量がものすごくて。当時はまだ生成AIもなかったので、大量の作業を人力でこなしてました」
■あまりに仕事が厳しい「偽装フリーランス」
このような働き方は事実上、独立した「フリーランス」ではなく「従業員」にあたる。
本来、従業員が所定の労働時間以上に仕事をする場合、雇用側は従業員を年金や社会保険に加入させる義務を負う。しかし発注側は、そこにコストをかけたくない。「フリーランスだから」というのがその理屈だ。

これは社会保険も残業代も出ない、いわゆる「偽装フリーランス」というやつである。
偽装フリーランスは、フリーランスと見せかけて、実は社員のように人を使う、悪しき「雇用形態」だ。働き手を安く確保するために「フリーランス」を標榜するので、「偽装フリーランス」なのである。
Bさんのほかにも、この会社にはITエンジニアやライターなど「フリーランス」のスタッフがいたが、ほとんどが50~60代だった。ただし、入れ替わりは激しかったという。
「一流企業で働いていたような人もいましたね。私とは仕事内容も報酬額も違いますが、あまりに仕事が厳しいので、辞めてしまう人が多かったです」
大手企業で働いていた人が、シニアになって零細企業の仕事に就いた時、あまりの無秩序ぶりに衝撃を受けることがある。そこにはコンプライアンスもワーク・ライフ・バランスも労働者の権利もない。まさにブラック企業なのだ。もちろん、すべての零細企業がそれに当てはまるとは限らないが。
■シニアを低賃金で使いコストを抑える経営者
「経営者はホリエモンさんと孫正義さんを尊敬してました。GAFA(アメリカ発のテック企業大手Google、Apple、Facebook、Amazonの略)の話もよくしてましたね。
今の若い経営者って、こんな感じなのでしょうか。でも私は50歳を過ぎたおばさんでしたし、雇って貰えたから御(おん)の字です。結局、月に6万円まで『昇給』しましたし」
ネットには、成功者の自慢話があふれている。「いつか自分もそうなれるかもしれない」という夢を抱き挑戦する若者は多い。Bさんの会社の経営者も成功を夢見ながら、シニアを低賃金で使い、実家暮らしを続けてコストを抑えていたのだろう。しかし「成功」できるのは、わずか一握りだ。
「羽振りがいい時期もあったようですが、私には還元されてません。最近はあんまり儲かってないみたいです。今『従業員』として働いているのは私を含めて3人だけ。結局ネットの会社って、一度儲かっても浮き沈みが激しいんでしょうね」
■時間まで搾取されていくシニア労働者
今、Bさんはほぼ毎日働いている。在宅ワークの他に、生協の事務を週2日、最近採用された地元の中学校のICT指導員(生徒にパソコンを教えたり、教員のサポートをする仕事)も週に2日ほど出勤する。どちらの報酬も月数万円。
すべての報酬を合計すると、月の手取りは15万円ほどにはなるという。
「働くことが好きだからいいんです。働いていると、いろんなことを勉強できますし」
女性やシニアをターゲットにした低賃金の仕事はたくさんある。パートタイム労働などにおける賃金の上昇は鈍い。
結果的に複数の仕事を掛け持ちせざるを得ず、労働者は時間まで搾取されていく。特に女性はこの傾向が強い。
忙しく動き回っているのに、収入はそこそこ。働き者のシニアは、こうした低賃金の仕事に追いまくられてしまうのだ。

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若月 澪子(わかつき・れいこ)

ジャーナリスト

1975年生まれ。ジャーナリスト。大学卒業後、NHK高知放送局・NHK首都圏放送センターで有期雇用のキャスター、ディレクターとしてローカル放送の番組制作に携わる。結婚退職後に自殺予防団体の電話相談ボランティアを経験。育児のかたわらウェブライターとして借金苦や終活に関する取材・執筆を行う。生涯非正規労働者。ギグワーカーとしていろんな仕事を体験中。著書に『副業おじさん』(朝日新聞出版)。

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(ジャーナリスト 若月 澪子)
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