シニア層の「再就職市場」はどのような現状か。『ルポ 過労シニア 「高齢労働者」はなぜ激増したのか』(朝日新書)を出したジャーナリストの若月澪子さんは「一度離職すると、中高年は再就職が難しい。
そのうち求職活動もしなくなり、『失業者』としてもカウントされず、社会から忘れ去られた存在になってしまう」という――。
■貯金ゼロ、年金月額7万円のみの63歳
「ミッシング・ワーカー」
親の介護や自身の病気などを理由に離職し、労働市場に戻れなくなってしまった中高年世代を、メディアはこう呼んでいる。
一度離職すると、中高年は再就職が難しい。そのうち求職活動もしなくなり、「失業者」としてもカウントされず、社会から忘れ去られた存在になってしまう。まさに「ミッシング(失われた)」人である。
「この年になると、自分にはなかなかいい仕事がないですね。実は貧血のせいで立ち眩(くら)みもするので、フルタイムで働くのは難しそうです。求人サイトを眺めることもありますが、応募しないまま時が過ぎています」
こう話すのは、パートの仕事を8カ月前に失い、現在は無職のMさん(63)。上下白のスポーツブランドのジャージを着た、ごく普通のシニアだ。
Mさんは8カ月前まで、とある機械メーカーで働いていた。機械の検査をするパートをしていたというが、契約は1年で終了。貯金は0円。
収入は月7万円の年金のみで、両親が残した持ち家に一人で暮らしている。そんな状況でも求人を眺めるだけの日々が続いているという。
■両親は要介護となり妻とは離婚
とはいえMさんはどこか吞気(のんき)で、フワフワしている。
「最近は食費を切り詰めているせいで、ちょっと痩せたんですよ」
うれしそうに話すMさん。彼が今のような生活になったのは、介護離職したことがきっかけだ。
「離れて住む父と母が次々と要介護になり、同じタイミングで自分は妻と離婚することになり、会社を辞めて実家に帰りました」
Mさんはもともと、高専を卒業後にIT系の会社を6社ほど渡り歩き、開発や営業などに携わってきたという。介護離職と熟年離婚をして住み慣れた関東を離れ、実家の神戸に帰ってきたのが10年前。自己都合のため退職金はなし。別れた妻に、家と貯金の多くは引き渡した。
「介護は大変でしたよ。父はパーキンソン病で体が徐々に不自由になり、母は認知症と糖尿病が出て、シモの世話もしなければならず、自分は精神的に参ってしまい、怒りたくないのに、母を怒鳴り散らすこともありました」
当時は朝だけ宅配便の配送センターで仕分け作業のパートをはじめ、あとは両親の年金で暮らしていた。介護生活は息の詰まる毎日だったという。

■介護ストレスでハマった女遊び
「年寄りの会話はちぐはぐになることが多く、人間と話している気がしないんです。小さな子どもか動物と一緒にいるような気分で孤独でした。そのくせ親は、『あれをやれ』『おまえはバカだ』など自己主張が激しいので、私はイライラしてばかりで」
Mさんには兄がいるが、介護はMさんが一手に引き受けていた。Mさんは介護を担当している手前、親の年金や貯金を勝手に使うことにためらいがなくなっていったという。
「父親の年金は月に30万円はありました。面倒を見ているのは自分だし、父と母の年金も貯金も自由に使っちゃおうと」
Mさんは両親の介護をする一方で、夜の街に繰り出すようになったのである。
「父や母がデイサービスやショートステイを利用している最中、セクキャバやスナックに行くようになった。それまで夜の街で遊んだ経験はなかったのですが、激しめの遊びにハマってしまい」
セクキャバの女の子と同伴で食事、同伴出勤、締めはスナックでカラオケ。最初は週に1回程度だったが、徐々に回数が増えていった。
■両親が亡くなり「解放されて遊び続けた」
数年後に父が亡くなってからは、母の認知症が悪化した。Mさんが外出すると、不安で何度も電話をかけてくるようになり、最終的に荷物の仕分けの仕事も辞めざるを得なくなる。
「父が亡くなってからの5年間はほぼ無職です。
母が受給した年金は月20万円ありましたし、貯金もあったので」
そしてMさんの「遊び」はどんどん派手になっていった。
「400万円くらい使っていた月もありました。女の子と同伴でフグや寿司を食べに行ったり、店でシャンパンを入れたりしてましたから」
母親が亡くなった時に、ちょうど60歳になったMさんは、今度は自分の年金の受給申請をした。年金は何もしなければ65歳からの受給になるが、申請すれば60歳から繰り上げ受給できる。ただし、60歳からの繰り上げ受給を選択すると、受給額が24%減額されるうえに、この額は生涯引き上げられない。
さらに病気やけがになった時のための障害年金が受け取れなくなるなどのデメリットもある。それでもMさんは、月7万円の年金を繰り上げ受給した。さらにスナックで意気投合した人から紹介された機械メーカーでパートを始めた。パート収入は月8万円。
「焦りはなかった。母が亡くなって介護が終わり、心から解放された気分で遊び続けました。セクキャバの女の子が平井堅のファンだというので、自分も大好きになっちゃって。
横浜アリーナのライブにも行きましたよ。『僕は君に恋をする』っていい歌ですよねー」
■パートもクビになりテレビを見続ける毎日
一人になってからも「遊び」を止められず、親の遺産を取り崩し続けた。そしてついに遺産が0円になる。悪いことは重なるもので、「会社の業績が悪くてもう雇えない」とパートもクビになってしまったのだ。
今は食費を切り詰めるため、大量のカレーを作り、それを冷凍して少しずつ食べている。固定資産税は滞納中。出歩くことも少なく、テレビを見て過ごす毎日。
求人サイトで見かける介護求人は、気にはなっている。
「親の介護経験もあるし、実はホームヘルパー2級(訪問介護員2級養成研修課程)の資格も取得しているんです。でも、体力的にも肉体労働は難しいですし、やっぱり知的労働がしたい。自分はIT系の会社が長かったので、パソコンを教えたりする仕事ができたらいいのですが。でも家に一人でいると、なんとなくこのままでもいいかと思ってしまいます」
ホワイトカラーの男性は、ケア労働に対して心理的ハードルを感じる人も多い。
健康に不安があるなら尚更(なおさら)だ。
Mさんは全財産を使い果たしたことをどう思っているのだろう。
「まあ、楽しかったから後悔はないです」
60歳を過ぎて全財産を使い切ってしまうのは尋常ではないが、これはMさんの本心なのだろう。ただ「10年近く親の介護を一人で担ってきた」という背景から、これを他人事(ひとごと)と思うことはできなかった。
■介護離職者のほとんどが50代以上
生活が苦しいなら、無駄遣いをせずに働けばいいと思うのは、恵まれた人間の思い込みかもしれない。「働く意欲がある」こと自体、「恵まれている」のだろう。
今、介護離職をする人は年間10万人以上いるといわれており、そのほとんどが50代以上のミドルシニア、シニア世代である。介護離職によってもたらされるのは、精神的・肉体的負担、経済的困窮、そして社会的孤立だ。
ちなみにこの取材をした当時は、「SNS選挙」が大きな話題となった2024年の兵庫県知事選の直後であったが、神戸市民のMさんは投票にすら行っていない。取材をしていると、すぐにでも救済が必要な人ほど、政治に無関心な傾向があると感じている。
Mさんに今、何が一番食べたいかと聞いたところ、
「もう少しいいものが食べられたら幸せですね。女の子と同伴で行った割烹(かっぽう)料理店の白子の天ぷらが食べたいな……」
Mさんは終始陽気だ。
しかし、むしろその明るさを不気味に感じた。
介護生活によって生じた労苦や孤立から逃れるため、Mさんはあらぬ世界へワープしてしまった。介護からも、労働からも、社会からも解き放たれた人。「ミッシング・ワーカー」が失ってしまうのは、自分自身なのかもしれない。

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若月 澪子(わかつき・れいこ)

ジャーナリスト

1975年生まれ。ジャーナリスト。大学卒業後、NHK高知放送局・NHK首都圏放送センターで有期雇用のキャスター、ディレクターとしてローカル放送の番組制作に携わる。結婚退職後に自殺予防団体の電話相談ボランティアを経験。育児のかたわらウェブライターとして借金苦や終活に関する取材・執筆を行う。生涯非正規労働者。ギグワーカーとしていろんな仕事を体験中。著書に『副業おじさん』(朝日新聞出版)。

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(ジャーナリスト 若月 澪子)
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