SNSでは「#老害」をつけて投稿するのが1つの定番だ。相手のためを思ったアドバイスでもすぐ炎上する。
ビジネスパーソンの心情に詳しい健康社会学者の河合薫さんは「“老害”を自称するのは単なる自虐や謙遜ではなく、各世代や個人の価値観、そして組織内での立ち位置をめぐる中高年の複雑な心理の表れではないか」という――。(第1回/全2回)
※本稿は、河合薫『「老害」と呼ばれたくない私たち』(日本経済新聞出版)の一部を再編集したものです。
■「#老害」というトレンド
若者が気に入らない上司や年長者の言動を、SNSで「#老害」をつけて投稿するのが昨今の風潮だ。
2年ほど前だったと記憶しているが、X(旧Twitter)に一人の男性が「老害意見かもしれないけど」と前置きして書いた投稿が、瞬く間に炎上し、トレンド入りした(以下、男性の投稿)。
「老害意見かも知れないけど、若い方は飲み会で年上の方に奢(おご)って貰(もら)ったら翌日の朝一番で対面でお礼言いに行ったほうがいいと思います」
これに、SNSは大盛り上がり!
■否定派・肯定派入り乱れた大激論…
「その前に誘わないでほしい」

「誘われるの嫌だからもう会社やめたい」

「その場のお礼で十分」

「今の時代に合ってない」

「年配側が付き合ってもらった礼を言ったほうがいい」

「飲み会に残業代払ってから言え」

「お礼は強要するものじゃない」
……といった否定派から、
「これは老害意見ではない。マナーとして当たり前」

「若い奴、ホント礼を言わない」

「こういうことが人間付き合いに役立つと自覚せよ」

「言ってもらえるうちが花なんだよ」
……といった肯定派まで。
あまりのバズりっぷりに男性も驚いたようで、翌日には、「一方的なアドバイスになったこと、飲み会で嫌な思いをされた方への想像もつかなかったことはお詫びします」と謝罪投稿をする事態に発展した。
するとこのコメント欄に、「自分も老害に足を踏み入れている」「もう老害の域だ」と自嘲的なコメントが殺到した。
■「老害かもしれないけど…」が枕詞に
こうした発言は、この件に限らずさまざまな場所で見られる現象になってきている。
本来、老害とは「老齢による弊害」を意味し、高齢の社員が過多になってしまった職場などで、若返りの必要性を込めて使われていた言葉だ。
なのに、今の時代では、中高年ビジネスパーソンたちが、誰にイヤな思いをさせたわけでも、「それ老害!」と言動を批判されたわけでもないのに、「老害」を自称している。
「オンライン会議もいいけどさ、人と人の信頼は、画面越しじゃ築けないもんなんだよ。
ま、老害の戯言(ざれごと)だと思って聞き流してくれればいいけど」

「郵便物に添える手紙とかは、手書きの方が気持ちが伝わったりするんだよね。こんなこと言ったら時代遅れの老害とか言われちゃうか」

「老害意見かもしれないけどさ、取引先の担当者にあいさつしたら、当日のうちにお礼のメールを入れておいた方が好印象だと思うよ」
■誰も彼もが「老害」に
こうして、誰もが些細(ささい)なことを言う時にすら「老害かもしれない」という一言を添える。
40代は、若者の気持ちをわかったふりをする「ソフト老害」を恐れるあまり、遠回しな伝え方しかできずに、自分でも何を言いたいのかわからなくなる。
50代は、「これは老害意見ですけど……」と前置きしたうえでしか部下や後輩に意見できなくなる。
60代にいたっては、もはや「老害」の自称すら空しく、「もう何も言わないほうがいいのだろう」と口をつぐむ人たちもいる。
いったいなぜ、中高年は「老害」を自称するようになってしまったのか?
■「老害を自称する人」の5つのパターン
その答えを探るべく、「老害」という言葉の裏にある個々の意図や背景を探求したところ、次の5つのパターンが浮かび上がった。
①アンチロールモデル型
40代に多い。人生を再構築する分岐点になると、「こうなりたい」という気持ちよりも「ああはなりたくない」とアンチロールモデルばかりが頭に浮かぶようになる。
そのため、自分が若手社員だった頃の中高年のように、陰で老害扱いされることを恐れている。「ソフト老害」という新語が生まれたのも、アンチロールモデルの脅威による。
②自己愛型
出世意欲の高い40代、50代に多い。同期に嫌われるのは痛くも痒(かゆ)くもないが、役員を夢見ているので上や下に好かれたい気持ちが強く、下には「老害」を自称して予防線を張る。

③支配型
学生時代に体育会系で部長などをやっていた人に多い。組織を回すには上意下達が一番と考えている。「自分は老害だからさあ」と「否定される前に牽制をする」ことで、実は暗にプレッシャーをかけている。
④ラブ&ピース型
「なんとかなる」がモットーのバブル世代に多い。無駄な競争を嫌うので、「とりあえず言っとく? みたいな~」のノリで言っているだけ。
⑤ノー天気型
たまたまいい上司と出会っただけで、なんとなく危機を逃れてきた人に多い。「え? そうなの? 知らなかった」が口癖で、「老害って自分で言うもんじゃないんだ~」と呑気に笑っている。
■「老害」を自称するのはかえって逆効果
これらのパターンからわかるのは、「老害」を自称することは単なる自虐や謙遜ではなく、各世代や個人の価値観、そして組織内での立ち位置をめぐる中高年ビジネスパーソンの複雑な心理の表れである、ということだ。
しかし、SNSが普及した現代では「とりあえず若者との衝突を避けるために」老害を自称したところで、あまり意味はないどころか、負の作用のほうが大きい。
■SNSの特性と有害性は表裏一体
SNSの最大の特性は、「共感」が可視化され、増幅されること。
フェイス・トゥ・フェイスでは、とりあえず「謙遜しているんだな」と受け止められるかもしれないけれど、SNSではその発言が切り取られ、共有される。
「いや、本当に老害じゃん」「だったら黙ってて」「意見するなら責任持て」といった、より直接的で辛辣(しんらつ)なコメントが次々に寄せられ、そのコメントに多くの「いいね!」がつくことで、「自称老害」が、本当の「老害」として認定され、集団で非難される構図が生まれるかもしれないのだ。

このような、言葉の意図が歪曲(わいきょく)され、批判がエスカレートする構図がSNSの土壌に蔓延(まんえん)していることは、誰もが経験的に理解している。
それでも「老害」を自称させてしまうのが、今の中高年社員の立場の弱さを物語っている。
■中高年の切実な叫び、なのか
5つのパターンの根底には、共通して、「自分たちがかつて怒鳴られ、理不尽に耐え、泥水をすすってきたような思いを若者に味わわせたくない」という思いもあるのだろう。
そんな彼らの思いを象徴する話を、ある男性がしていたことがある。
「うちの娘がね、会社で上司に怒られて落ち込んでるの見てるから、なんとか若い社員の力になってあげたいと思うんだけど、難しいよね」
このように若手社員を我が子のように思うからこそ、老害を自称してでも若者の役に立ちたいのだ。それは裏を返せば、「会社」という組織の気まぐれさの中で、自分たちの存在意義と新しい役割を必死に模索する、切実な叫びなのかもしれない。

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河合 薫(かわい・かおる)

健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士

東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D.)。千葉大学教育学部を卒業後、全日本空輸に入社。気象予報士としてテレビ朝日系「ニュースステーション」などに出演。その後、東京大学大学院医学系研究科に進学し、現在に至る。産業ストレスやポジティブ心理学など、健康生成論の視点から調査研究を進めている。著書に『残念な職場』(PHP新書)、『他人の足を引っぱる男たち』『コロナショックと昭和おじさん社会』(日経プレミアシリーズ)、『定年後からの孤独入門』(SB新書)、『THE HOPE 50歳はどこへ消えた?』(プレジデント社)などがある。


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(健康社会学者(Ph.D.)、気象予報士 河合 薫)
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