未成年皇族が不在となってしまった。安定的な皇位継承には何が必要なのか。
皇室ウォッチャーの中原鼎さんは「欧州では王室のスリム化が潮流だが、日本の皇室においては傍系皇族を厚くし、『ご意見番』のような方をお迎えするべきだ」という――。
■皇室の将来を多くの国民が不安視している
令和7(2025)年11月14日に大阪市会、12月19日に熊本県議会と高知県議会、22日に新潟県議会、さらに翌23日には福島県議会――。
近頃、地方議会で「安定的な皇位継承」についての議論促進を求める意見書が続々と可決されている。従来みられなかった動きだが、これは昨年9月の悠仁親王殿下のご成年式によって、名実ともに未成年皇族が不在となってしまったことが影響しているのであろう。
国会での議論がなかなか進まないことから、多くの国民が皇室の将来を不安視している。そのような中で登板した高市早苗首相、そして新たに与党となった日本維新の会は、幸いにもこの問題解決に向けて意欲的なようだ。
高市内閣の発足直前に締結された「自由民主党・日本維新の会 連立政権合意書」には、皇室の課題について次のようにある。
「歴史に整合的かつ現実的である『皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とする』案を第一優先として、令和八年通常国会における皇室典範改正を目指す」

なんと今年中にも皇室典範にメスを入れたいというのである。もしかするとそう遠くないうちに、皇室制度の在り方は一変するのかもしれない。
「安定的な皇位継承」実現が急がれることは論を俟(ま)たないので、高い支持率を維持している高市首相のリーダーシップのもと、早急に解決されることを期待したい。
■「十分な皇族数」とは何名なのか
ところで、この議論をめぐっては、いまだに不明瞭なことがある。政府の有識者会議は「十分な数の皇族方」を確保する必要性を訴えているけれども、それが具体的にどのくらいの人数なのかが示されていないという点だ。

「何人、どう皇族に復帰するかということは、これは最後の技術論がありますから、運用面に任せられるべきだと思います。(中略)今、われわれは踏み込んで、何宮というようなことを決めるかという時期ではないと思います」――自民党・衛藤晟一氏(令和7年3月10日の全体会議にて)

どの程度の皇族数が望ましいかを、政治家たちは示していない。それでは、識者はどう考えるのだろうか。
一例として、小泉純一郎内閣の「皇室典範に関する有識者会議」で座長代理を務めた故・園部逸夫氏は、「皇室の一体性や皇室経済との関係を考えれば、一つの望ましい数として四系統前後」と述べている(『皇室法入門』167頁)。
これは要するに、現在の宮家さえ養子縁組で存続させられるのであれば、それ以上の皇籍復帰者はとりあえず不要という見解だといってもよい。管見の限りでは、このような声が趨勢を占めているように見受けられる。
輿論からすると、仮に皇籍復帰が実現するとしても、皇族数がそれほど大きく増えることはなさそうだ。だからこそ筆者は、一人でも多くの方にお戻りいただくことを強く主張したい。
■故・寛仁親王が漏らした不安
それというのも、旧十一宮家が皇籍離脱してからの象徴天皇制を取り巻く環境は、皇族にとって必ずしも好ましいものではなかったからだ。
思い出されるのが、戦後も皇室に留まった大正天皇からの直宮家(秩父宮家、高松宮家、三笠宮家)の方々のお言葉である。
昭和51(1976)年、『文藝春秋』誌上で「皇族団欒」と題する新春座談会が実現し、4名の皇族方が本音を語り合われた(昭和51年2月号)。その際に故・寛仁親王が仰ったことは、望ましい皇室の姿について検討するうえで重要な視点を提供してくれている。

「結局、『皇族というのは、どうあったんですか』とか、『今後どうしたらいいですか』とかいうことは僕たち三笠宮家の子供たちは伯父様(※筆者注:高松宮宣仁親王)に伺うしか方法なくなっちゃう」

■皇族は孤独、皇室は「ストレスの塊」
当時はまだ皇位継承問題が表面化していない時期だったが、皇族が指折り数えるほどしかいないことに対して、皇族特有の悩みを共有できる人物がろくにいないといった観点から、不安感を抱いていらっしゃったのである。
上記のお言葉に対して、高松宮宣仁親王は次のように応えられている。
「それはもうそうだろうなぁ。とにかく救いの手を伸ばす人がいない」
寛仁親王には「皇室はストレスの塊」だと海外メディアに吐露した過去がおありだが、そんなご感想を抱かれたのも、皇族の孤独感を想像するに無理からぬことだろう。考えてみると、今ある宮家を存続させられたとしても、それだけでは親王が頼りなくお思いになったのと同程度にしかなりえない。
■元東宮侍従が指摘した、宮内庁人事の「最大の問題」
寛仁親王のご意見をもう少し掘り下げてみたい。親王は晩年、次のように述べられた。
「皇室の内部に通暁し、一人ひとりの悩みも聞いてあげられると同時に、『公務』『御仕事』『プライヴェート』の選択すらアドヴァイスできるような気骨ある人間が、内廷皇族にも内廷外皇族の周りにも何人もいるという状況ができなければ、皇室も成長しない」――『皇族の「公」と「私」』(PHP研究所、2009年)196頁。

かつては皇族と似たような生活をしていた華族や豪傑が大勢いて、「皇族の悩み」などを肌感覚で理解しながら仕えてくれていたけれども、平成以降の純然たる公務員たちは彼らに代わる存在になれていない――。そう宮内庁を批判なさったのである。
皇室をお支えする機関であるはずの宮内庁だが、実際これまでの仕事ぶりは不十分だったと言わざるをえない。皇太子時代の上皇陛下にお仕えした元東宮侍従・濱尾実氏も、同庁のあまり頼りになりそうにない内情を明かしている。

「どの方もほんの数年しかおられませんし、ほとんどは、また、出身のお役所に戻っていかれます。(中略)これでは皇太子様(※筆者注:今上陛下)がお妃問題で胸のうちを明らかにされてご相談なさろうにも、難しかったのではないでしょうか」――濱尾実『皇太子さま雅子さまへのメッセージ』(新潮社、1993年)44頁。

宮内庁幹部はさまざまな省庁からの出向者ばかりで、皇室の御為にと粉骨砕身する人、また皇室の方々が信頼できる人が生まれにくいというのだ。濱尾氏はこれこそが「宮内庁の人事の最大の問題ではないか」と述べている。
■事なかれ主義の奉仕を続ける宮内庁の体たらく
このような状況について苦言を呈した者は、皇族方を含めて大勢いるが、それら全てを紹介することは叶わない。代表的なものとしてもう一人、靖国神社元宮司・松平永芳氏の言葉を紹介するに留めておこう。
「同僚に後れをとってしまうから二年以上はいたくないと思っているようなのです。だから二年の間、事勿れ主義で御奉仕して、箔づけをして帰って行く。ですから、戦後もっとも厭な時代に宮内大臣を仰せつかった私の父(※筆者注:松平慶民氏)みたいに、殿下方に御進言申し上げるようなことをしない」――『祖国と青年』第172号(日本協議会、1993年1月)29頁。

宮内庁はこんな体たらくであり、また各宮家のほうでも長年仕えてくれる人はいまや稀だという。皇族方もこれでは確かに、皇族同士の「横の繋がり」を頼みとなさるよりほかあるまい。
■一宮家あたりの養子数は制限すべきでない
さて、現在の宮家を存続させるだけでは心もとない――ということをこれまで訴えてきたが、ここで気になるのが、公明党が次のような見解を述べていることだ。

「皇位継承の流れを不安定化させないという観点からは、天皇陛下ご夫妻、上皇陛下ご夫妻及び皇嗣殿下ご夫妻は養子縁組できないとするのが適切かとも思われます」
これについては自民党も理解を示しており、連立が解消された今もそれは変わらないはずだ。筆者も一理ある考えだとは思うものの、秋篠宮家が対象外とされることは当然、養子を受け入れることのできる宮家がさらに減少してしまうということを意味する。
それはもはや、有識者会議の最終報告書において「十分な皇族数を確保することができない場合」に検討すべきものとされている、第三案の「法律により直接皇族とすること」を真剣に考慮せねばならない事態であるといってよかろう。
しかしながら直接の皇籍復帰については、現皇族と「何ら家族関係を有しないまま」であるがゆえに国民の理解を得にくいのではないか、と指摘されている通りである。
もしも公明党の意見を採用するのであれば、新たな宮家の創立や、断絶した宮家の再興を視野に入れながら、一つの宮家で複数の養子をお迎えいただくという選択肢も前向きに考えるべきではないだろうか。
■「スリム化」できる欧州王室との違い
昨今の「安定的な皇位継承」議論に関しては、ヨーロッパで近年「王室のスリム化」が広がりつつあることを受けて、国民の一部からはそもそも皇族増員への異論も上がっている。
王室のスリム化とは、継承権はそのままにしつつ傍系王族から、歳費支給を停止したり、称号・敬称などを取り上げたりするものだ。
2019年のスウェーデンに始まり、2022年にはデンマークが追随した。詳細なプランは不明ながら、イギリスでも現国王チャールズ3世がかねて実施したがっていたとされる。
現存する宮家すら「スリム化」対象として検討してもよいくらいなのに、旧宮家を復帰させようだなんて、完全に世界の潮流に逆らっている――。欧州を基準としてこのような批判が出るのも、無理もないことではあろう。
しかし、ヨーロッパのほとんどの君主国には今なお貴族が正式に存在しており、彼らは宮廷の役職や侍女などに就いて、陰に日向に王室を支えている。
そのうえ、近隣諸国には親戚同士でもある他の王家が君臨している。昔ほど強固なものではなくなったとはいえ、歴史的・伝統的な階級社会が保たれているのだ。
■傍系皇族を厚くすることから始めるほかない
天皇をお守りする「藩屏(はんぺい)」を自負していた華族が消滅してから久しく、構造的問題から宮内庁はあまり頼りにならず、君主制国家も近くには存在しない。そんな現代日本の皇室は、置かれている環境がヨーロッパの王室とは根本的に異なるといえるのではないだろうか。
「今の日本に皇室と一般国民の間にあって双方をつなぐ『中間層』が存在しないことは大きな問題だと思います」――『祖国と青年』第254号(1999年11月)30頁。

政治学者の櫻田淳氏(東洋学園大学教授)は前世紀末、上のように述べて旧宮家の皇籍復帰を主張した。今更ながら、まさにその通りであろう。中間層を再構築しようにも、華族制度を復活させることは非現実的ゆえに、傍系皇族を厚くすることから始めるほかないのである。
■傍系皇族にも活躍の場はある
旧皇族復帰と女子皇籍保持とを併せた結果として、皇族が逆に増えすぎてしまう可能性もあるのでは――と懸念する向きもあるけれども、かつての華族の役割までこなしてもらいたいくらいなのだから、少し多めに感じる程度のほうが個人的にはむしろ好ましい。
よほどの大人数にならない限りは、欧州のように「スリム化」を断行するまでもなく、皇室の長い歴史の中に、傍系皇族なればこそのお務めを見出すことができるはずだ。
古典『源氏物語』に「王命婦(おうみょうぶ)」というキャラクターが登場することが示すように、平安時代にまで遡れば、王や女王が朝廷・宮中に出仕した例が数多ある。皇居から旧華族の姿がほとんど消えたことを危惧する声もある今日、お側仕えなどをなさる皇族がおいでになってもよい。

■「皇族が増えすぎてしまったら…」は今は考えなくてよい
思い浮かぶのが、明治32(1899)年に有栖川宮威仁親王が「東宮輔導」を拝命した例である。皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)を監督する全権を委ねられた有栖川宮は、時には御召馬車での行啓に自転車で供奉するなどして、精力的にその役割を果たされた。
大正天皇は生来ご病弱だった一方で、皇太子時代に朗らかなエピソードが多々おありだが、これは有栖川宮が自らも皇族であるがゆえに、「御学事ヲ第二」にするといった思い切った決断をできたことが大きかった。寛仁親王の理想は、こういう方が何名もいらっしゃることだったのだろう。
その有栖川宮家の祭祀を引き継がれた高松宮は、常々「みんな賢所の方のお祭りにはいらっしゃるが、ご陵の方にだれも行っていない。だれかがご陵の方にも行ったほうがいい」と仰っていたそうだ。
寛仁親王や高円宮憲仁親王などの皇族方は、そんな高松宮に感化されて「おじさまのあそばしてたことを継ぎたい」と歴代天皇陵を参拝なさるようになった。このことからも、やはり皇室の中にご意見番のような方がおいでになるほうがよい。
たとえ皇室がご繁栄になりすぎてしまったとしても、その対処は後からいくらでも考えられよう。今はとにかく、より多くの皇族を確保することを目指して、関係者各位には力を尽くしてもらいたい。

----------

中原 鼎(なかはら・かなえ)

皇室・王室ウオッチャー

日本の皇室やイギリス王室をはじめ、君主制、古今東西の王侯貴族、君主主義者などに関する記事を執筆している。歴史上でもっとも好きな君主は、オーストリア皇帝カール1世(1887~1922)。

----------

(皇室・王室ウオッチャー 中原 鼎)
編集部おすすめ