2025年10月に、プレジデントオンラインで反響の大きかった人気記事ベスト3をお送りします。歴史・教養部門の第3位は――。

▼第1位 幕末の志士や大名まで1000人の男と寝た「千人斬り」伝説をもつほど…才色兼備で大胆な深川芸者の武勇伝

▼第2位 演じるのは横浜流星なのに…ドラマが終盤に差し掛かっても「べらぼう」主人公・蔦重がイマイチパッとしないワケ

▼第3位 「愛子天皇」実現は逆に加速する…男系男子を譲らぬ高市政権が女性天皇誕生へのアクセルを踏むことになるワケ

高市早苗首相(自民党総裁)が10月21日、新内閣を発足させた。憲政史上初の女性首相が皇位継承問題にもたらす影響は何か。皇室史に詳しい島田裕巳さんは「高市氏は男系男子での皇位継承にこだわる保守派の代表であるが、首相になってみれば、見える景色も変わってくる」という――。
■前途多難な高市内閣の発足
すったもんだの末ではあったものの、日本初の女性首相が誕生した。10月21日、国会で自民党の高市早苗氏が第104代の首相に指名された。
高市氏が自民党の総裁に選出されると、1999年以来連立を組んできた公明党が、連立を解消する方針を打ち出した。そのため、一時は女性首相誕生が危ぶまれた。しかし、自民党が日本維新の会と連立を組むことで、高市内閣が成立する運びとなったのである。
ただし、自民党は少数与党である。公明党と連立を組んでいたときにも、衆議院で両党の議席は過半数に達していなかった。それは維新との連立でも同じで、過半数には届かない。その点では、これからの政権運営に問題が続出することが予想される。
高市新首相は、維新と国家についての考え方が共通するとしているものの、両党は維新が基盤とする大阪で激しく対立してきた歴史を持っており、前途は相当に多難である。
■女性の首長が増えてきた日本社会
それでも、戦後80年の記念の年に、日本初の女性首相が誕生したことの意義は大きい。「ガラスの天井」が打ち破られたことは間違いなく、各方面に影響を与えることになるであろう。
見回してみるならば、女性が組織の頂点に立つことは決して珍しいことではなくなってきている。首都のある東京の都知事は小池百合子氏である。女性の知事や市長も多くなってきた。
労働界でも、連合(日本労働組合総連合会)の会長は芳野(よしの)友子氏がすでに3期目に入っている。検事総長も2024年に畝本(うねもと)直美氏が初めて就任している。
あるいは、ディー・エヌ・エー(DeNA)の南場智子氏はプロ野球界初の女性オーナーであり、現在は、日本プロ野球オーナー会議議長にも就任している。次々とガラスの天井は破られてきたのである。
これは皆最近の出来事ということになるが、女性が世の中で中心的な役割を果たすようになり、そこに意義があることは、すでに鎌倉時代から指摘されていた。歴史を振り返ってみるのは興味深い。
そして本稿では、この流れが「愛子天皇待望論」にいかに影響を与えるかを指摘したい。
■慈円の歴史書『愚管抄』のおしえ
それを最初に指摘したのが天台宗の座主(ざす)に4回も就任している慈円(じえん)(1155~1225年)である。
天台宗の総本山は比叡山延暦寺で、当時、比叡山は日本の仏教界の中心に位置していた。比叡山では仏教の教えだけではなく、儒教の教えについても学ぶことができ、いわばそこは総合大学の性格を持っていた。つまり慈円は、現代でいえば、東大の総長のような人物だったのである。
それも、慈円の生まれが大きい。父親は摂政関白を務めた藤原忠通(ただみち)であり、母を同じくする兄弟には、やはり摂政関白となった九条兼実(かねざね)や太政大臣になった藤原兼房(かねふさ)がいた。この時代、仏教界の頂点に立つことができるのは、そうした名門の家の出身者ばかりだった。その慈円がつづった歴史書が『愚管抄(ぐかんしょう)』である。
『愚管抄』では、初代の神武(じんむ)天皇から第84代の順徳(じゅんとく)天皇の時代までが扱われており、その中で「武者の世になりにける」と記していることはよく知られている。鎌倉幕府という武家政権が誕生したことが、日本の歴史の大きな転換としてとらえられたわけである。
■「女人入眼の日本国」と記した慈円
慈円はもう一つ、女性が権力の頂点に立つようになったことも歴史の変化としてとらえている。
その点について慈円は、「女人入眼(にょにんじゅげん)の日本国」という言い方をしていた。
新しく仏像を製作したとき、最後に目を入れるわけで、それが入眼である。その儀式が開眼供養で、752年に開かれた東大寺の大仏開眼供養会は1万人もの僧侶が参列し、国際色溢れた大イベントだった。女人入眼とは、女性が最後の仕上げをするという意味である。
慈円は、そのきざしを、飛鳥時代から奈良時代にかけて女性の天皇が次々と現れたことに求め、「女人が此国を入眼すると伝えられているのはこのことである」と指摘していた。
さらには、直近のこととして、「女人入眼の日本国ということがいよいよ本当のことになったと言うべきではないだろうか」とも記している。それは慈円本人が経験した具体的な出来事を指していた。
■政子と兼子が日本の国を完成に導いた
鎌倉幕府を立ち上げたのは源頼朝だが、頼朝が亡くなった後、権勢をふるったのはその妻である北条政子であった。政子は夫の死後出家しており、「尼将軍」として幕府の政治を実際に動かした。
一方、同じ時代に朝廷で権勢をふるったのが「卿局(きょうのつぼね)」と呼ばれた藤原兼子だった。兼子の父親であった藤原範兼(のりかね)は司法全体を管轄する刑部卿(ぎょうぶきょう)で、卿局の名はそのことに由来する。兼子は後鳥羽(ごとば)天皇の乳母として重んじられ、院政に介入した。
鎌倉幕府の第3代将軍源実朝(さねとも)が暗殺された後、兼子は政子に対して冷泉宮頼仁(れいぜいのみやよりひと)親王を将軍に推している。
慈円は、政子と兼子が権勢をふるうようになったことを指して、女人入眼の日本国がいよいよ本当のことになった、女性が日本の国を完成に導いたと指摘したわけである。
それに続いた人物もいた。それは、拙著『』(プレジデント社)でも触れたが、室町時代から戦国時代初期に摂政関白太政大臣を務めた一条兼良(かねよし)も、女性が日本の国を治めることが本来のあり方だという指摘を行っていた。
■「日本は女性が治めるべき国である」と記した一条兼良
藤原家は、藤原不比等(ふひと)の4人の子どもによって、北家、南家、式家、京家に分かれたが、北家の嫡流が九条家で、一条家はその庶流だった。兼良は政治家であるとともに学者で、同時代の人々からは「日本無双の才人」と評価され、自身も菅原道真(みちざね)以上の学者であると自認していた。相当の自信家だったようだ。
つまり彼は日本の歴史に深く通じていたわけで、室町幕府の第9代将軍足利義尚(よしひさ)に求められて書いた『樵談治要(しょうだんちよう)』という書物の中で、「日本は女性が治めるべき国である」と述べていた。
中国では、日本のことを「姫氏国(きしこく)」と呼ぶことがあった。それは、周王朝で「姫」という姓が用いられ、その分家である呉王も同じく姫を姓とし、その末裔が倭(わ)の人々とされたからである。ただし、そこで言われる姫とはお姫様のことではない。
ところが、兼良は、この姫氏国を女性が治める国と解釈した。
これは間違った解釈になるが、根拠はあった。根拠となるのは、皇室の祖神がアマテラスという女神であること、神功(じんぐう)皇后が69年にもわたって治世を担ったこと、そして、飛鳥・奈良時代に女性天皇が続出したことなどである。
■『魏氏倭人伝』に記された伝説の女王
その上で兼良は、鎌倉幕府で実権を握り、承久の乱などの危機を乗り越えた北条政子を高く評価していた。さらにそこには、兼良が関白に在職していた66歳のおりに、京の都に甚大な被害を及ぼした応仁の乱(1467年)が勃発したことも影響していた。
それも、応仁の乱に際しては、第8代将軍である足利義政の正室であった日野富子が幕府の財政を担い、政治や経済の面で実権をふるったという事実があったからである。そもそも、『樵談治要』は富子のために書かれたという説もある。
兼良が言及しているわけではないが、日本の国が乱れたときに、女性の支配者が現れて国を治めた出来事がある。それが、中国の歴史書『魏氏倭人伝(ぎしわじんでん)』に記された邪馬台国についての話である。
そこでは、倭国では、もともと男性の王がいて、70年から80年ほど在位したものの、その王が亡くなると国が乱れ、激しい争いが起こったため、一人の女子を王に立てたと述べられている。それが卑弥呼(ひみこ)である。
卑弥呼は魏に使者を送り、中国の皇帝から「親魏倭王(しんぎわおう)」に任じられた。卑弥呼は積極的に外交を行ったわけで、その後を継いだのも台与(とよ)という女性であった。
邪馬台国と大和朝廷との関係をどのようにとらえるかでは議論があるが、もし邪馬台国が大和朝廷の前身になるのであれば、日本は女性が治める国として初めて安定したことになる。
■日本の象徴としての「愛子天皇」誕生
果たして、日本初の女性首相が誕生したことによって、政治の世界が安定するのかどうか、そこについては現時点ではわからない。
しかしながら日本の場合、「日本の象徴、日本国民統合の象徴」として天皇が存在することの意味は大きい。もし天皇という存在がなければ、日本は共和国となり、大統領制が敷かれることになる。
ただ、高市新首相は男系男子での皇位継承にこだわる保守派の代表である。その点では、彼女が首相になったことで、女性天皇はもちろん、女系天皇の誕生は遠のいたと言える。実際、副総裁に麻生太郎氏を就任させた際に、その点を強調するような発言をしていた。
しかし、彼女が初の女性首相として難局を乗り切ることができれば、女性こそが国を治めるべきだと考えるようになるかもしれない。そのときは、慈円や一条兼良がかつて述べたことの意味が理解されてくるはずだ。男系男子の継承にこだわるより、「愛子天皇」が生まれたほうが、日本はまとまるのではないか。そうした考えが高市新首相の脳裏に浮かぶかもしれない。
首相になってみれば、見える景色も変わってくる。
「天皇が女性であることが、なぜダメなのか」という世論も、そして愛子天皇待望論も、これまでとは別の景色として映ることもあるだろう。案外、高市新首相は、女性天皇、女系天皇へ道を開くことになるかもしれないのである。
(初公開日:2025年10月25日)

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)

宗教学者、作家

放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)、『新宗教 戦後政争史』(朝日新書)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)
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