完璧を目指すことの弊害は何か。ペンシルベニア大学ウォートン校教授で組織心理学者のアダム・グラントさんは「あるアメリカの研究では、今日の優れた建築家たちは学生時代、必ずしも模範的な優等生であったわけではなく、大半が平均B評価で大学を卒業している。
完璧主義者は完璧を追求する過程で、主に3つの過ちを犯す傾向があることがわかっている」という――。
※本稿は、アダム・グラント(著)、楠木建(監訳)『HIDDEN POTENTIAL 可能性の科学――あなたの限界は、まだ先にある』(三笠書房)の一部を再編集したものです。
■完璧主義者が目指す4つのゼロ
私が子どもの頃、母はしばしばこう言ったものである。「学校でどんな成績を取ろうと関係ないわ。あなたがベストを尽くしてさえいれば、それで私は満足よ」と。
そして、こう付け加えた。「でも、もしAを取れなければ、それはあなたがベストを尽くしていないってことよね」
母は微笑みながら言ったものの、私はこれを真剣に受け止めた。何事においても完璧でなければならない、と考えたのである。
全力で失敗を回避し、成功を追求することは、一つの姿勢である。まあまあの出来で満足するような心臓外科医に、手術を任せたい人などいないだろう。
しかし、完璧主義とは、期待を究極のレベルにまで引き上げるものである。面接でよく耳にするような「私の最大の弱点は、完璧すぎることです」といった次元の話ではない。
完璧主義者とは、もっと極端なのである。
完璧主義とは、何事にも万全を期して努力することを指す。完璧主義の目標は、欠点ゼロ、誤謬(ごびゅう)ゼロ、欠陥ゼロ、失敗ゼロである。
例えば、私の大学時代には、SAT試験(アメリカの大学進学適性試験。1600点満点)で満点を取って己に陶酔し、電子メールのユーザー名を「IGot1600」とした同級生がいた。あるいは、卒業から十年を経ても、自分の経歴書やリンクトインのプロフィールに、卒業時のGPA4.0(アメリカの、成績評価における最高値)を記載し続ける人もいる。
外見や内面の欠点を内心で恥じながらも、ソーシャルメディア上では完璧な人生を演出する知人たちも、完璧主義の範疇(はんちゅう)に入るだろう。
■欠点がないことこそが自身の価値を決定づける
完璧主義が、長年にわたってアメリカや英国、そしてカナダで拡大していることを示す有力な証拠がある。
ソーシャルメディアがその傾向を助長していることは明らかであるが、実際に完璧主義者が急増し始めたのは1990年代、加工された画像がインスタグラムに投稿されるようになる一世代前のことだ。
激化する競争社会の中で、子どもたちは完璧さを求める親からのプレッシャーに晒されている。期待に応えられなければ、手厳しい批判に直面するのである。
その結果、欠点がないことこそが自身の価値を決定づけると考えるようになる。
そのため一つひとつの欠点や失敗が自己肯定感を打ちくだく。私自身、これを痛感してきた。
私は小学5年生の時、世界の探検家をテーマとしたクイズ大会で優勝した。それにもかかわらず大会後、一問の誤答を犯した自身を責め続けた(「インド航路を発見したのは、マゼランじゃなくヴァスコ・ダ・ガマだった。忘れたなんて信じられない」)。
対戦型格闘ゲーム「モータルコンバット」のトーナメントで決勝へ進出し、地元の映画館の生涯無料パスを獲得した際も、全く喜びを感じなかった(「3位なんて、敗者も同然じゃないか……」)。数学の試験で学年最高点を取った時でさえ、自身に失望した(「たった98点? 満点まで2点も足りない」)。
■「優等生」が実社会で必ずしも活躍できない理由
完璧主義者は、単純で既知の問題を解くことには長けている。学校では、多肢選択式のように、複数の選択肢から唯一の正解を選ぶ問題を得意とする。穴埋め問題でも、丸暗記した知識をそのまま記述するだけなので、楽々と高得点を上げる。
「ミケランジェロの大理石製建築構成要素は、薄い青灰色のピエトラ・セレーナ(砂岩の一種)の型枠にはめ込まれていた」
これは私が大学一年生の時、学期末試験前の週末に丸暗記した一文だが、今なお頭から消えない。にもかかわらず、私はその正確な意味が全く理解できていない。

現実の世界は、試験問題とは違い、正誤がはっきり分かれているわけではない。学校の試験のような予測可能で制御された環境(コクーン)から離れた途端、唯一の「正しい」答えを見出したいという欲求が、かえって困難を招く場合がある。
メタ分析(複数の研究結果を統合・分析する手法)によれば、完璧主義と職場での業績との間に相関関係は見られなかった。課題遂行能力において、完璧主義者の成果は他の人々と同等であり、場合によっては劣ることさえあったのである。
すなわち、高校や大学時代に彼らを頂点へと導いた技能や執念は、実社会においては必ずしも有効に機能しない可能性があるのだ。
■完璧主義者が犯す3つの過ち
多々あることだが、その道の達人とされる人々は、学生時代に完璧な成績を収めていたとは限らない。世界のトップクラスの彫刻家を対象とした調査によると、その過半数が学生時代の成績は平均的だったという。
3分の2がBあるいはC評価(平均的な成績)で高校を卒業しているのである。同様の傾向は、アメリカで大きな成功を収めた建築家を、同業の平均的な実績を持つ同僚と比較した場合にも観察される。
今日の優れた建築家たちは学生時代、必ずしも模範的な優等生であったわけではなく、大半が平均B評価で大学を卒業しているのである。
一方、完璧主義的な傾向を持つ建築家は、学生時代の成績が優秀だったとしても、実際に手がけた建築作品に、ずば抜けて創造性の高いものはあまりない。
研究によれば、完璧主義者は完璧を追求する過程で、主に3つの過ちを犯す傾向があるという。

①些末な細部に過剰に固執する。取るに足らない問題の解決に没頭するあまり、本質的に解決すべき重要な課題を見過ごす。木を見て森を見ないのである。
②失敗を恐れるあまり、困難な課題や未知の状況を回避する傾向がある。その結果、既存の限定的なスキルは磨かれても、新たな能力の習得は遅々として進まないのである。
③失敗する度に自身を過度に非難するため、失敗から建設的に学ぶことが困難となる。失敗の経験を省みることは、過去の自身をただ恥じる行為ではなく、未来の成長へとつなげる糧であるという認識に欠けているのである。
もし完璧主義という医薬品があったなら、取扱説明書には副作用についてこう記されるだろう。
「注意:成長不良を引き起こすことがあります」
■ある程度の不完全さを受け入れることを学ぶ必要
完璧を追い求めすぎると、視野狭窄(きょうさく)(トンネルビジョン)に陥ったり、間違いをおかすまいとするあまり強迫観念に囚われたりしてしまう。すると、より重要な課題を見過ごし、既存の限られたスキルを反復して磨く程度に留まってしまう。
自分は完璧主義ではないと自認する人でも、少なくとも自分にとっての重要課題については、完璧を目指した経験があるだろう。
誰しも、重要なプロジェクトで執拗(しつよう)なまでに修正を重ね、100パーセントの満足を得るまで時間と労力を注ぎ込んだ経験があるはずだ。

しかし、完璧さというのは幻想なのだ。いずれ目指すゴールに到達したければ、その事実を理解し、ある程度の不完全さを受け入れることを学ぶ必要がある。

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アダム・グラント
ペンシルベニア大学ウォートン校教授、組織心理学者

1981年生まれ。同大学史上最年少の終身教授となる。「世界で最も影響力のある経営思想家10人」の一人と目され、『フォーチュン』誌の「世界で最も優秀な40歳以下の教授40人」に選ばれるなど受賞歴多数。Google、ピクサー、ゴールドマンサックス、国際連合など一流企業や組織でコンサルティングおよび講演活動も精力的に行なう。動機づけや意義に関する先駆的な研究は、世界中の人々が自らの可能性を解き放つための助けとなる。2021年ニューヨーク・タイムズ紙に寄稿した「停滞感」に関する記事は大反響を呼び、年間で最も読まれた記事となる。
GIVE & TAKE「与える人」こそ成功する時代』 『ORIGINALS 誰もが「人と違うこと」ができる時代』 『THINK AGAIN 発想を変える、思い込みを手放す』(以上、三笠書房)など、著作はいずれも世界で数百万部を売り上げるベストセラーとなり、TEDトークは3000万回以上、再生されている。元ジュニアオリンピックの飛び込み選手。

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楠木 建(くすのき・けん)

一橋大学ビジネススクール特任教授

1964年生まれ。89年、一橋大学大学院商学研究科修士課程修了。
一橋大学商学部助教授、同イノベーション研究センター助教授などを経て現職。著書に『ストーリーとしての競争戦略』『すべては「好き嫌い」から始まる』『逆・タイムマシン経営論』など。

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(ペンシルベニア大学ウォートン校教授、組織心理学者 アダム・グラント、一橋大学ビジネススクール特任教授 楠木 建)
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