※本稿は、山形真紀『検視官の現場 遺体が語る多死社会・日本のリアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■異臭がするほど腐っていた50歳代男性の遺体
晩秋のある夜0時過ぎ、不審点の多い通報です。
50歳代男性が自宅で亡くなっており、発見した妻と娘の3人で同居しているとのこと。娘が夜中に「お父さんの部屋から異臭がする」と母親(死者の妻)に相談して、2人で死者の発見に至ったようです。気温が下がりつつある時季に異臭がするほど遺体が腐っていたというのです。
同じ自宅に死者の他に同居人がいながら、なぜ遺体の発見がそれほどまで遅れたのでしょうか。また、死者の年齢なら働いていそうですが、勤務先がもっと早く心配をしても良さそうです。そもそもまだ若いし死因はなんだろう? さまざまな可能性を頭に思い浮かべながら、現場に向かうことにしました。
家族の話では、派遣社員だった死者はもともと慢性心不全を患っていましたが、金銭的な理由と生来の病院嫌いから通院をやめてしまっていたようです。1カ月ほど前から体調不良が悪化し、仕事は休職して部屋に引きこもっていたとのこと。勤務先からの聴取では、死者は真面目だが体が弱く休みがちで、休み始めて最初の1、2週間は電話をしていたが、体調不良が長引きそうなので「元気になったら連絡をください」と伝えて、その後は連絡を取っていなかったとのことでした。
■疑問を持たなかった妻と娘
死者が部屋に引きこもり始めた後の生活ですが、トイレや食事の受け取りの時のみ部屋の外に現れ、家族ともひと言ふた言を交わすのみであったようです。
妻は仕事から帰る際などに時折携帯電話で通話をしていたものの、「そういえばここ最近は連絡が取れておらず、姿も見ていなかったような気がするが、これまで電話に出ないこともあったし、以前にも、体調不良で会社を休み1週間以上食事をしなかったこともあった。昼間に自宅にいるなら食事は自分で何とかしているのだろう」と考え、疑問を持たなかったようです。
引きこもっていた死者の隣室で襖(ふすま)一つ隔てて生活していた娘も仕事で日々忙しく、最近物音を聞かないなとは思いつつ、それまでも1週間以上顔を合わせないことがあったので、とくに心配はしていなかったようです。しかし、この日は寝ようとしたところで異臭がすることに気づき、母親とともに襖を開けてみたとのことでした。
到着した私たちも、署員と一緒に妻と娘から説明を聞きながら、死者の部屋につながる襖を開けてみました。すると、ゴミの山の間から緑色に変色した足が見えてきました。さらに近づくと、ウジがわき腐敗臭が漂い始めた遺体と対面したのです。
■冬季でも数日で目に見える腐敗が始まる
遺体の腐敗は晩期死体現象に分類されます。
晩期死体現象とは、早期死体現象に続いて遺体が分解・崩壊していく過程です。遺体を構成するタンパク質や脂肪、炭水化物などが分解していく現象であり、終局的には白骨化します。分解は、自己保有の酵素による分解(自家融解)と腸内細菌などによる分解(他家融解、腐敗)に分かれます。
遺体が腐敗すると、まず下腹部から皮膚が青藍色に変色し始めます。これは腸内細菌によって硫化水素が産生され、硫化ヘモグロビンを形成するためであり、死後20~30時間ほどで現れ、次第に全身へ広がります。季節にもよりますが、夏季なら1日、冬季でも数日で目に見える腐敗が始まるのです。
さらに腐敗が進むと、皮静脈周囲に硫化ヘモグロビンが浸潤して血管が樹枝状に透けて見える腐敗網、硫化水素やアンモニアなどの腐敗ガスにより顔面や腹部が膨満する巨人様観などの現象が現れ、腐敗臭が漂い始めます。また、体液が皮下に浸出してできる破れやすい腐敗水疱も全身に広がり、皮膚の色も青藍色から紫赤色、黒褐色へと変化していきます。
そして、腐敗臭がし始める頃にはハエなども臭いを嗅ぎつけ、口腔内などに卵を産みつけウジが大量発生し始めます。こうなると、あっという間に体内はウジだらけになります。検視で体を動かそうとするたびにウジが口腔内や鼻腔内、皮膚の薄い脇の下などからボロボロ溢(あふ)れ、体内で大量のウジが蠢(うごめ)く様子を手で感じるほどの状態になるのです。
■ミイラ化する遺体と、ドロドロに融解する遺体
このあたりから、遺体が置かれた状況により遺体の変化に差異が生じ始めます。乾燥しやすく風通しの良い環境に置かれた遺体なら、腐敗よりも乾燥が進んでミイラ化していきますし、室内で燦々(さんさん)と日のあたるような窓辺で倒れていれば、体がドロドロに融解していきます。水中や湿潤な土の中で空気の流通が悪い場合は死ろう化といって、腐敗は進行せず皮下脂肪が灰白色のチーズ状に硬化していきます。
どれもがやがては骨になっていくわけですが、中途半端に肉が残っている状態の臭いというのはとにかく凄まじいものです。
また、地上、水中、土中では、それぞれ腐敗の進行速度が異なります(キャスパーの法則)。地上の進行速度を1とした場合、水中は約2倍、土中では約8倍遅くなるのです(地上の1週間=水中の2週間=土中の8週間)。
■50歳代の遺体には毎日のように対面する
前述の死者が引きこもっていた室内を確認すると、医師から禁酒や禁煙を指示されていたようですが、布団の周囲には食事のゴミやお酒の缶が乱雑に積み上げられ、空き缶の中にはタバコの吸い殻も多数見つかりました。
人は何歳から「自分は若くない」と意識するのでしょう。個人の気の持ちようかもしれません。しかし、検視の現場では、50歳代の遺体には毎日のように対面します。30歳代や40歳代でも時折亡くなります。若くても人は死ぬのです。人の命はわかりません。
警察庁によると、図表1のとおり、2024年の「警察取扱死体のうち、自宅において死亡した一人暮らしの者」のうち、働き盛りとされる30~50歳代は1万1117体、全体の14.6%を占めています。高齢者の割合が高いのは当然としても、平均して毎日30人以上の働き盛りの世代が単身、自宅で死亡し、検視の対象となっているという事実は深刻です。
体に少々不調があっても「まだ若いし無理もきくし、死ぬほどではない」と思っていた人が、ある時突然、耐え難い痛みに襲われ、戻れない死に向かうその時、どんな絶望に襲われるのでしょうか。死が高齢者だけの問題ではなく、若い世代にも十分に起こりうる現実を知っていただけたらと思います。
■家庭内別居状態で発見が遅れることはよくある
また、同居の家族がいても、体調急変を必ず早期に見つけてくれるとは限りません。家庭内別居状態の夫婦のどちらかの遺体の発見が遅れることは意外によくあります。そうでなくても最近の住宅は個室化・気密化が進み、部屋が違えば異変になかなか気づけません。同居の家族がいながら、自宅で遺体が腐っていくということがあるのです。
署員によれば、先ほどの妻と娘は死者の変わり果てた姿よりも、葬儀のための費用を心配していたようです。襖一枚隔てた向こうで夫や父親が亡くなっていて、腐敗するまで気づかない2人を、私は初めのうちこそ不可解に感じていました。しかし、捜査を進めるうちに、家族のかたちも多様であり、一緒に暮らしているのに毎日顔を合わせないのも今どきは普通なのだろうと思い始めました。
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山形 真紀(やまがた・まき)
立教大学研究員・元検視官
1972年生まれ。95年立教大学法学部卒業後、民間企業勤務を経て96年より埼玉県警察に奉職。生活安全部、警察学校などを経て、2021年から24年まで刑事部捜査第一課に配属。
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(立教大学研究員・元検視官 山形 真紀)

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