検視官は変死事案について調べ、事件性を判断する仕事だ。変死にはさまざまな背景がある。
元検視官の山形真紀さんは「検視の現場において、男性の自慰行為中の死は珍しいことではない。50歳過ぎの自慰行為中の変死事案は、私だけでも数カ月に1回くらいは臨場する程度にあった」という――。
※本稿は、山形真紀『検視官の現場 遺体が語る多死社会・日本のリアル』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。
■男性の自慰行為中の死は珍しくない
ネットスラングで、過度の自慰行為によって死に至ることを「テクノブレイク」というそうです。インターネットによれば真偽不明の情報としてネット上で広まったものであり、科学的な根拠は確認されていないとのこと。確かに死因としてテクノブレイクなんて聞いたことはありません。
しかし、検視の現場において、男性の自慰行為中の死は珍しいことではありません。年齢や持病、体調などの影響もあるのでしょうが、体に負担が大きいようです。とくに50歳過ぎの自慰行為中の変死事案は、私だけでも数カ月に1回くらいは臨場する程度にありました。
春真っ盛りの午前中、自宅不搬送事案が入りました。現場に向かった検視責任者によれば、遺体の姿勢は、机に向かって椅子に座り、耳にはイヤホン、机に置かれたスマートフォンの画面を見ていた様子であるとのこと。ピンときて聞いてみます。
「下半身はどうなってますか」「……ズボンを下ろして下半身丸出しです」。また、テクノ事案のようです(私が自慰行為と連呼すると周囲の反応が微妙なので、個人的に「テクノ事案」と呼んでいました)。スマートフォンの最終画面を見てもらうと、YouTubeで女性の裸が出てくるような動画を再生していたとのこと。
■アダルトグッズ、紐、女装…
現場を確認すると、遺体付近に液状のものを拭って丸めてあるティッシュペーパーが発見されました。どうやら射精後のようです。若い署員に対して「またテクノだね……」と言うと、「これで死んじゃうんですか」と驚かれもしましたが、死につながる状況の一つとして淡々と環境捜査を指示していきます。元監察医務院勤務のベテラン検案医も自慰行為中と聞くと納得し、病死と検案しました。実際のところ、諸検査をしても自慰行為がどのように死に影響したのかわかるわけではないので、大抵は何らかの内因により心臓が止まって亡くなった心臓死、または不詳の病死となるわけです。
ちなみに、この自慰行為は性癖が絡むことも多く、アダルトグッズや袋や紐などが使われていたり(自らの背面で紐を網のように縛ることができるのか、他人が関与して縛られていたのかなど謎解きが始まることも)、女装のまま亡くなっていたり。死ぬ場所と状況は本当に選べません。
■死んだ後もスマホ画面の記録は残ってしまう
この種の事案で気になることがあります。死因が病死だとしても死者が最後に見ていたスマートフォンの画面は女性の裸の動画なわけで、死者としては家族などに最後の状況として知らされるのはいささか残念かもしれません。
死んだ後も最後に見ていたスマートフォンの画面の記録は残ってしまうのです。最後に見ていた画面だけではありません。現代のデジタル社会において、デジタル機器やデジタル空間上に残された、死者が生きた痕跡はどうなってしまうのでしょうか。そのような死者の痕跡をデジタル遺品というようです。
検視の現場では、家族の了承を得て、死者のスマートフォンやパソコンに残されたデジタルデータを確認することがあります。しかし、死後は指紋認証も顔認証も反応せず、パスワードがわかるようにどこかに残されていなければ中身を開くことはできません。そうなると、そこに遺書や大切なメッセージ、終活の記録や財産情報があったとしてもすぐにはたどり着けず、家族ともども途方に暮れることがあります。
■デジタル遺品の終活
最近では、このようなデジタル遺品の終活も問題になっているようです。
デジタル遺品とは「デジタル環境を通してしか実態がつかめない遺品」を指します。パソコンやスマートフォンなどの端末の内部に保存されている写真や文書などのファイル、メールやウェブサイト閲覧履歴、SNSのアカウントやネット銀行の口座情報など、インターネットというデジタル環境を通して利用するものは持ち主や契約者の死後にデジタル遺品となります(古田雄介「「デジタル遺品」でトラブルにならないために」『ウェブ版国民生活』2021年11月号)。
相続において、パソコンやスマートフォンなどの端末は法律上では動産として扱われ、所有権の対象となり相続人が相続します。相続人が複数いる場合は全ての相続人の共有になり、それぞれの相続人は相続分に応じて使用でき、売却するにも相続人全員の了承が必要になります。

一方でデジタル遺品は無機物であり原則所有権が認められないものの、死者が撮影した写真などの著作権は相続の対象になり、相続人が著作権を引き継いで使用することができます。また、生前は私的メールの無断閲覧はプライバシーの侵害に当たりますが、死者のメールは原則侵害に当たらないのです。なるほどと思いますが、日本では死に関する法や制度があまり社会に周知されていません。
■FX口座の放置による多額の損失も…
『もしものとき、身近な人が困らないエンディングノート 令和版』では、デジタル終活の生前対策として、(1)「身近な人に託すもの」と「隠したいもの」に分ける、(2)見つけやすいようにデータを整理する、(3)オンライン金融資産を集約する、(4)SNSで繋がる人への希望をまとめておく、(5)ID、パスワードを書き残す、などを挙げています。SNSも種類により追悼アカウントとして残せたり、削除したいなら家族の申請が必要だったり、対応はさまざまです。
また、デジタル遺品のトラブル例として、ネット銀行口座の発見の遅れや相続争い、FX口座の放置による多額の損失、仕事関連のデータ流出、さらには秘密にしておきたい情報によって家族を心理的に不快にさせるケースもあるようです。
■死後の「秘密の発覚」
検視の現場でも、例えば、不倫相手と旅行中やラブホテルにいる際の変死事案で、不倫を知った家族の憤りを垣間見ることがありますが、そのような秘密の発覚は現場で亡くなった場合にとどまりません。自宅で病死したとしても、メールやロケーション履歴などのデジタルデータは警察も家族も確認しますので、秘密にしておきたい個人の事情などが死後明るみに出てしまうこともあります。いくらいい人として人生を終えても、デジタル遺品により台無しになってしまう恐れがあるのです。
パソコンやスマートフォンなどの端末を死後発見された時のことや、デジタル遺品をどう残したいのか、または残したくないのかなどを考えておく必要がありそうです。

----------

山形 真紀(やまがた・まき)

立教大学研究員・元検視官

1972年生まれ。95年立教大学法学部卒業後、民間企業勤務を経て96年より埼玉県警察に奉職。
生活安全部、警察学校などを経て、2021年から24年まで刑事部捜査第一課に配属。検視官として約1600体の遺体の検視に従事し、多数遺体対応訓練や東京五輪テロ対策(検視)に携わる。23年立教大学大学院社会デザイン研究科修士課程を修了。25年3月に警察を退職。現在は認定NPO法人難民を助ける会(AAR Japan)で災害支援業務に従事するとともに、立教大学社会デザイン研究所に所属し「大規模災害における多数遺体の処置、遺体管理」などをテーマに調査研究を進めている。(写真撮影)Yoshifumi Kawabata/AAR Japan

----------

(立教大学研究員・元検視官 山形 真紀)
編集部おすすめ