■暴露後の予防が可能なワクチン
ワクチンというと、多くの人は「感染症にさらされる前に、あらかじめ接種しておくもの」と考えるでしょう。確かに多くのワクチンについては、その通りです。
みなさんになじみが深いのは、子どもの定期接種のワクチンのほか、インフルエンザワクチン、新型コロナワクチンなどだと思います。そのほとんどは、病気にかからないよう事前に接種するワクチンです。
しかし、「暴露後予防」といって、すでにウイルスや細菌にさらされたあとでも、感染成立や発症を防ぐためにワクチンを接種することがあります。
感染症のなかには、ウイルスや細菌が体に入り込んでから、実際に感染が成立して発症に至るまでに時間がかかるものも存在します。そうした病気では曝露直後のタイミングでワクチンを接種すれば、発症を阻止できることもあるのです。ひとたび発症すると命を落とす可能性が極めて高い感染症については、曝露後予防の知識を持っているかどうかで、生死が分かれることすらあるといえます。
■意外と身近な「狂犬病」の恐ろしさ
そうした病気の代表例が、狂犬病です。狂犬病はいったん発症すると、致死率がほぼ100%に達する非常に恐ろしい感染症です。
狂犬病ウイルスが神経を伝って脳に到達すると、発熱や頭痛に続き、幻覚、錯乱、興奮状態といった神経症状が現れます。
特に特徴的なのが、水を見たり飲もうとしたりするだけで強い喉のけいれんを起こす「恐水症」です。これは飲み込もうとする動きが苦痛を伴うためで、患者は極度の喉の渇きに苦しむにもかかわらず、水を避けるようになります。症状が進行すると昏睡状態に陥り、最終的には心肺停止に至ります。現代医学でも有効な治療法はありません。
日本は狂犬病の清浄国であり、国内における日常生活で感染するリスクは、ゼロではありませんが、ほとんどないといえます。これは犬への狂犬病ワクチンの接種が法律で義務づけられていること、動物の輸入検疫を徹底してきた結果です。
■狂犬病を媒介するさまざまな動物
ところが、海外では事情が異なります。世界には、いまだ狂犬病が広く存在している国や地域が多くあります。狂犬病ウイルスを保有している可能性があるのは犬だけではなく、サル、コウモリ、アライグマ、キツネなどの哺乳類です。
そのため、海外で犬やサルなどにかまれた場合、速やかに医療機関へ駆け込む必要があります。狂犬病ウイルスが体の中に入ってからでも、その直後に病院で正しい処置を行えば、発症を防ぐことができるからです。
病院では速やかに創部を洗浄し、狂犬病ワクチンと狂犬病免疫グロブリンを投与します。
実際、アメリカ合衆国では、毎年3万~6万人が動物との接触歴から曝露後予防を受けており、狂犬病による死者は10人未満です。適切な曝露後予防が行える環境では、狂犬病の発症はきわめてまれです。一方、全世界では、毎年おおよそ6万人弱もの人が狂犬病で亡くなっており、その大半はワクチンなどの予防・治療手段にアクセスできない地域に集中しています。
■狂犬病リスクがあればすぐ病院へ
日本でも、海外で狂犬病ウイルスに感染し、帰国後に発症した「輸入症例」はあります。旅行中に犬にかまれたにもかかわらず、適切な曝露後予防を受けずに帰国し、その後に発症したケースなどです。
たとえば、2020年に報告された症例では、東南アジアから日本に入国後に狂犬病を発症。国内で高度集中治療が行われ、人工呼吸管理、鎮静、電解質補正、抗ウイルス薬投与、ステロイドパルス療法など多面的な治療が実施されました。しかし経過中に高熱や意識障害が進行し、のちに自発呼吸の減弱、瞳孔散大、高ナトリウム血症などが出現。そして、全身状態は徐々に悪化し、最終的には多臓器不全に至り亡くなりました。
なお、最近の日本では発症例がないとはいえ、狂犬病ウイルスに感染する可能性は完全にゼロではありません。
また、狂犬病でなくても、犬にかまれた傷をきっかけに「破傷風」や「蜂窩織炎(ほうかしきえん)」といった別の感染症を起こす恐れがあります。状況に応じた判断が必要ですが、国内であっても犬にかまれた際には、医療機関の受診をおすすめします。かんだ犬が狂犬病ワクチンを接種していれば患者さんへのワクチン接種はしませんが、ワクチン接種歴が不明なら念のためワクチンを接種したほうがいいでしょう。万一発症したら死に至るからです。
■暴露後予防が有効な「B型肝炎」
B型肝炎も、曝露後予防が有効な感染症です。B型肝炎ウイルスは、急性肝炎を起こし、場合によっては重症化して命に関わることもあります。感染が慢性化した場合は、肝硬変や肝臓がんといった深刻な病気の原因になります。
B型肝炎ウイルスの主な感染経路は血液です。出産時には母親の血液が赤ちゃんに触れる機会が多く、母子感染が大きな課題でした。小児期に感染すると慢性化しやすいことが当時から知られており、とくに出生直後の対策が重要です。
日本では比較的早くからこの問題に向き合い、1986年に「B型肝炎母子感染防止事業」が開始されています。
同じ仕組みは針刺し事故にも生かされています。これはウイルスを持っている患者さんに対する採血や点滴処置の最中やその後に、使用済みの注射針が誤って医療従事者の指先などを刺してしまい、患者さんの血液が体内に入ることで感染が起こる事故です。抗体を十分に持っていない医療従事者がこうした事故に遭遇した場合には、B型肝炎ワクチンとB型肝炎免疫グロブリンを併用することで感染を防ぐことができます。
私自身、勤務先の病院でこうした曝露後予防処置を医師として何度か指示したことがあります。ガイドラインでは48時間以内の対応が推奨されており、1分1秒を争う緊急事態ではないとはいえ、週末に受傷して「週明けまで様子を見よう」という判断では間に合わないケースもあるため、迅速な対応が必要です。
■「麻疹」も6日以内なら予防策あり
麻疹(はしか)は、きわめて感染力が強い感染症です。事前のワクチン接種でおおむね予防できますが、ワクチンを接種していない人が患者さんと接触すれば、ほぼ感染します。
麻疹ウイルスに感染すると、10~12日の潜伏期間を経て、発熱、咳、鼻水、結膜炎などに続いて、全身に皮疹が生じます。有効な治療法はありません。多くは自然に治りますが、肺炎や脳炎といった合併症を引き起こすこともある深刻な病気です。
この麻疹も曝露後予防が可能です。標準的な方法は、患者さんとの接触後72時間(3日間)以内であればワクチン接種、3日以降6日以内であれば免疫グロブリンの投与です。狂犬病やB型肝炎と違って麻疹ではワクチンと免疫グロブリンを併用しないのは、麻疹ワクチンが生きたウイルスの毒性を弱めた生ワクチンだからです。免疫グロブリンと同時に投与してしまうと弱毒化されたウイルスは増殖できませんので、十分な効果が得られません。適切なタイミングと適切な投与方法が曝露後予防の効果を左右します。
ワクチン以外にも、たとえばHIV(エイズの原因ウイルス)では、感染の可能性がある相手との性的接触や針刺しなどの後、72時間以内に抗ウイルス薬の内服を始めることで、感染が成立する確率を大きく下げられるとされています。このように、曝露後予防には病原体に応じた多様な対処法が存在します。
■それでも暴露前のワクチンが最強
もちろん、深刻な感染症にならないための最善策は、曝露前にワクチンを打っておくこと、曝露を避けることに間違いありません。曝露後予防ができる感染症ばかりではなく、しかも時間制限があるためタイミングを逃すと効果を失ってしまうためです。
特に狂犬病のように、発症してからでは治療手段が存在しない感染症は、すぐに医療機関を受診し、適切な処置を受けられる体制が整っていなければ命にかかわります。狂犬病の流行がみられる非清浄国に渡航する際は、渡航目的や滞在期間によっては、事前にトラベルワクチンを扱う医療機関を受診して、必要な予防接種をしておくことを強くおすすめします。
犬にかまれたり、針刺し事故のように「いつ・どこで感染したか」が明らかなケースばかりではありません。たとえば麻疹(はしか)はきわめて感染力が強く、患者が部屋を出たあとも空気中にウイルスが残存することがあり、接触の自覚がないまま感染してしまうこともあるのです。
このように感染の機会に気づけない場合には、そもそも曝露後予防の対応ができません。だからこそ、麻疹のような感染力の強い疾患に対しては、事前のワクチン接種が何より重要です。加えて、本人の発症リスクを下げるだけでなく、周囲への感染拡大を防ぐ「集団免疫」の観点からも、大きな意義があります。
曝露後予防は重要な手段ではあるものの、「最後の砦」にすぎません。本当に命を守るには、「病気にかかる前に備える」こと、すなわち曝露前のワクチン接種が最も確実かつ効果的な戦略なのです。
----------
名取 宏(なとり・ひろむ)
内科医
医学部を卒業後、大学病院勤務、大学院などを経て、現在は福岡県の市中病院に勤務。診療のかたわら、インターネット上で医療・健康情報の見極め方を発信している。ハンドルネームは、NATROM(なとろむ)。著書に『新装版「ニセ医学」に騙されないために』『最善の健康法』(ともに内外出版社)、共著書に『今日から使える薬局栄養指導Q&A』(金芳堂)がある。
----------
(内科医 名取 宏)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
