■忙しい朝のお着替えタイムに「新幹線のヤツがいい」
3歳児Kは、こだわりが強い。
Kには、とりわけお気に入りの服がある。紺地に、新幹線が刺繍されたTシャツだ。右胸に秋田新幹線「こまち」、左脇腹あたりに東北新幹線「はやぶさ」、そして、右下に点検用新幹線「ドクターイエロー」が配置されている。Kは、この3つのプラレールを持っている。
なかでも、特に気に入っているのが「こまち」だ。K愛用のストライダー用のヘルメットも、リュックサックも「こまち」モデルである。
新幹線が好きなのはいい。お気に入りの服があるのもいいし、親の目にはKに似合っているとも感じる。
だが、好きが度を越してしまって、困ってしまう瞬間がある。
それが、朝だ。起こして、朝食を食べさせて、服を着替えさせたら、あとは保育園に送るだけ。のはずなのだが、親の思い通りにはいかない。週に一度ほど唐突にあらわれる“鬼門”が着替えだ。
「新幹線のヤツがいい!」
それまで上機嫌だったKが、突然訴える。
箪笥に入っていれば、Kの要求に応えてあげられるのだが、間が悪いことにKが“新幹線のヤツ”を着たがる日は、大抵、洗濯中か、汚れ物カゴのなかだ。前日にも着たお気に入りを今日も着たいということなのかもしれない。
■専門家「自分のこだわりをとても大切にしたい子では?」
「今日は洗濯中だから、トーマスはどう?」
母親は、Kが好きなトーマスのイラストや、救急車などの自動車が描かれたTシャツを提案する。納得してほかのTシャツを着る日もなくはないが、「新幹線のヤツって言っているでしょ!」とまず譲らない。
“新幹線のヤツ”の攻防がはじまると、登園時刻ギリギリになるか、遅刻してしまう日もある。
週一の“新幹線のヤツ”を巡る攻防は、私たち夫婦を疲弊させる。
玉川大学で、乳幼児教育学や保育学、子育て支援の教壇に立つ大豆生田啓友先生は「分かります」と深い共感を示してくれた。
「お聞きすると、お子さんは自分の好きな物に対するこだわりがとても強いタイプではないですか。保育の専門家としては、できるだけその子の『これがいい』という気持ちを大切にしてあげたい。ぼくなら『これも電車のシャツだよ。あとは、これとこれもあるけど、どうする?』と選択肢を与えます。それが、最初に試す正攻法ですね」
大豆生田先生に指摘されるまで、Kがこだわりが特別強い子だとは思っていなかった。そうか。Kはこだわりが強いのか。いままでの彼の行動がなんとなく腑に落ちた。
■上着は「寒くなったら着ようね」と持っていけばいい
「ある意味では、服は子どもにとっては自分そのもの。重要なのは、子ども自身が、自分で決めること。
選択肢を提示してもダメだったら「次は気持ちの切り替え」と大豆生田先生は続けた。
「お気に入りの服が着られないでグズってしまったら、たとえば、甘いお菓子を食べさせたり、絵本を読んでみたりして気持ちを切り替えてから、もう一度、ほかの選択肢を示してみるといいかもしれません」
大豆生田先生に話を聞いたのは、11月上旬。これから秋から冬になり、朝晩の冷え込みが厳しくなる。寒い日に薄い半袖の“新幹線のヤツ”を着せて、登園させるわけにもいかない。
「もしも寒い日に、お気に入りのTシャツを着たいと言うのなら、『寒くなったらこれを着ようね』と上着を持っていけばいい。保育園に着いたら、先生に『今日は、どうしてもこれを着たいと言うので、寒くなったらこれを着せてください』とお願いしてもいいでしょう。朝から無理に嫌いな服を着せようとしても、親子でボロボロになるだけですから」
親子でボロボロになる――。身につまされた。
■親の「先に行っているからね」で癇癪、大惨事に
ある日、登園時刻が迫っていた。
早く送っていかなければ、と気が急いた私は母子の“新幹線のヤツ”の攻防にイライラしてきた。
結局、その日は「ママがいい‼」と泣き叫び、母が保育園に連れて行くしかなかった。私は、Kを待てない自分の余裕のなさを反省し、朝から軽く落ち込んだ。
そうならないためにも“新幹線のヤツ”をもう一着買っておいた方がいいのではないか。一度、妻と話し合った。が、“新幹線のヤツ”は、祖母からのプレゼントで、私たちがふだんKに買い与える服に比べると、倍くらいの値段がするらしい。躊躇して、いまだ購入にはいたっていない。
「もう一着準備するという手もあるでしょう。ただし……」と大豆生田先生は付け加えた。
■“魔法の一言”はない、「親の試行錯誤」が大切
大豆生田先生は、NHK・Eテレの育児番組「すくすく子育て」に約20年も出演を続けて、育児に悩む親たちにアドバイスを送り続けている。
「大豆生田先生の言うとおりにやっても、うまくいかない」
ときにはそんな声も寄せられる。
「それは、当たり前なんですよ。だから今日話したことを試してみたとしても、すぐに成果が出るかは分かりません」
大豆生田先生は、「すくすく子育て」出演時と同じように、柔らかなトーンで語りはじめた。
「“子育てがうまくいく魔法の一言”などと謳う育児の本がありますが、大前提としてそんな必ずしもうまくいくやり方はありません。子どもによって性格やタイプ、好みが違います。切り替えの上手な子もそうでない子もいます。大人は、その子に合わせて、あの手この手で試しながらやっていく。その試行錯誤が大切なんです。
試行錯誤の過程で、親は子どもの好みや性格が分かってくる。一方で子どもにとっては、自分が困ったり、嫌だったりしたときに、親や、周囲の大人たちが、手探りで自分に寄り添おうとしてくれる、そんな体験が安心感や、親への信頼につながります。もちろん、魔法の一言で、切り替えてもらえるのであれば、親としては助かります。
■先生からの「パジャマでも大丈夫」に救われた
大豆生田先生の子どもが3歳だった頃、とてもこだわりが強かった。
朝、着替えを拒んでパジャマで登園したこともあった。保育士たちは、大豆生田先生親子を「パジャマでも、大丈夫だよ」「お父さんもよく連れてきてくれましたね」と迎えてくれた。大豆生田先生も、保育士の言葉に救われたという。
「ぼく自身も園の先生にはずいぶん助けられました。保育園や幼稚園の先生に頼るもひとつの手です。親だって、いつもいい親でいられるわけではありません。ときには、子どもが嫌がる服を押し付けてしまうこともあるでしょう。『もういい加減にしてくれ』と思うこともあるはずです。それは仕方がないんですよ。もともと子育ては楽ではありませんから。
大変なときに保育士さんに『少し遅れても大丈夫ですよ』『お父さんもお仕事大変ですね』と言われたら、お父さん、お母さんがどんなに楽か。すべての保育士さんに分かってほしいのですが、ぼくたちの力不足でそうした考え方が、保育の現場に浸透したとは言い切れません。
というのも、かつてはパジャマで登園するような子は親の甘やかしのせいだと考えられたからです。でも、本当は違うんですよ。多かれ少なかれ、すべてのお子さんは、こだわりを持っています。なかには、朝ご飯も食べようとしないお子さんだっています」
■“楽しい経験を一緒に共有しよう”という姿勢で
まさにKもそうだ。私は深くうなずいた。大豆生田先生は言う。
「それでも、チョコレートなら食べてくれるかもしれない。だとしたら、親としてチョコレートを食べさせてあげたい。それなのに、理解がない専門職の方は、朝のチョコレートも、パジャマでの登園も許せない。『親は何をやっているんだ』という話になり、親のしつけが悪いからだと言われてしまう。保育者も大変だから気持ちもよくわかりますけどね。でも、特に子どものタイプによっては親も大変であることを理解してもらえると救われますよね」
大豆生田先生によれば、心理学者でお茶の水女子大学名誉教授である内田伸子氏は、しつけを2種類に分類しているという。
それが「強制型しつけ」と「共有型しつけ」だ。
大豆生田先生は著書『非認知能力を育てる「しつけない」しつけのレシピ』で、2つのしつけを次のように説明している。
〈「強制型しつけ」は、子どもに考える余地を与えず、すぐに答えを教えてしまう、子どもに対して指示的で、命令もしくは禁止するようなかかわりです。それに対して「共有型しつけ」とは、子どもをひとりの人格を持つ存在として尊重しながら、子どもとのふれあいや会話を大切にしつつ、楽しい経験を子どもとともに共有しようというかかわりです〉
■「共感→選択肢を示す」を実践していた妻
大豆生田先生は「共有型しつけ」の4つのステップを挙げている。
ひとつ目が、共感する。
2つ目が、待つ、見守る。
3つ目が選択肢や見通しを示す。
4つ目が大人の気持ちを伝える。
これを“新幹線のヤツ”の攻防に置き換えたらどうだろう。
「新幹線のヤツがいい!」
そう主張するKに対して、母が「あのシャツ、好きだもんね」と共感して、洗濯中だから着られないことを伝える。次に「K、お茶飲む?」と声をかけて気持ちが切り替わるのを待ち、「トーマスか、救急車を着てみようか」と選択肢を示す。着替えたら私が「トーマス、かっこいいじゃん。やったね、K」と声をかけて、保育園に向かう。
あれ……。“新幹線のヤツ”の攻防は、いつもこんな感じで収束し、保育園に急いでいる気がする。もちろん、こんなにスムーズにはいかないけれど。
実は、私は妻とKの“新幹線のヤツ”の攻防に疑問を持っていた。甘やかしすぎなのではないか。保育園に遅刻しないように、もっと厳しく無理にでも服を着せるべきなのではないか、と。私の考え方は典型的な「強制型しつけ」だろう。しかし彼女は「共有型しつけ」を無意識に実践していたのだ。彼女は言う。
「だって怒っても絶対に言うこと聞くわけないからね」
私は、自分の余裕のなさを再び反省したのだった。
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山川 徹(やまかわ・とおる)
ノンフィクションライター
1977年、山形県生まれ。東北学院大学法学部法律学科卒業後、國學院大学二部文学部史学科に編入。大学在学中からフリーライターとして活動。『国境を越えたスクラム ラグビー日本代表になった外国人選手たち』(中央公論新社)で第30回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。著書に『カルピスをつくった男 三島海雲』(小学館)、『最期の声 ドキュメント災害関連死』(KADOKAWA)などがある。最新刊に商業捕鯨再起への軌跡を辿った『鯨鯢の鰓にかく 商業捕鯨再起への航跡』(小学館)。
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大豆生田 啓友(おおまめうだ・ひろとも)
玉川大学教育学部乳幼児発達学科 教授
乳幼児教育・保育学・子育て支援などを専門に、テレビや講演会のコメンテーターとしても活躍している。『子ども主体の保育をつくる56の言葉』(学研、2025年)『大豆生田啓友対談集 保育から世界が変わる』(北大路書房、2025)ほか著書多数。
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(ノンフィクションライター 山川 徹、玉川大学教育学部乳幼児発達学科 教授 大豆生田 啓友)

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