12月12日、サイバーエージェント創業者の藤田晋氏(52)は社長職を退き、専務執行役員の山内隆裕氏(42)が社長に昇格する。創業以来27年間、社長を務めてきた藤田氏の「電撃退任」の背景には何があるのか。
ノンフィクション作家の稲泉連さんが、藤田氏に聞いた――。(『勝負眼』インタビュー第2回/全2回)
■藤田氏が「社長交代」決断の背景
――12月12日付で専務執行役員だった山内隆裕氏が社長に就任し、藤田さんは会長となります。なぜ、今のタイミングでトップの交代を決断したのか、その経緯を教えてください。
【藤田】2022年に私は「あと4年で社長を交代する」と公言していました。少しだけ時期が早まりましたが、ほぼ予定通りの決定です。
ただ、この「社長交代」という決断やその時期については、ずっと以前から考えてきたことがあります。それは、創業者が会社を去るタイミングは、企業にとって最大のリスクであり、最も難しい局面であるということでした。
創業社長が大きくした会社というのは、創業者の経験値や能力、あるいはパーソナリティがその会社そのものになるケースが多々あり、そうなると誰にも引き継げない会社になっていくのです。
そして、サイバーエージェントも、27年前に私がゼロからを作り、私の総合プロデュースのような形で全体の辻褄を合わせながら成長させてきた会社です。その過程で、重大な決断、経験、情報、人脈――といった会社経営における様々な要素がすべて私一人に集中する、という構造ができあがっていきました。
当然のことですが、そうした構造の中においては、社内に歴然とした「差」が生じます。社長が圧倒的な存在になっていくのです。
個人の成長機会を独り占めしてるから差がついて当たり前ともいえます。
■創業社長のままでは「限界が訪れる」
そして、やがては社長の手腕に畏怖の念を抱くような空気が社内に流れはじめます。私自身も、いかに社内でフランクに接しようとしても、私が参加しているだけで会議の空気が張り詰めるようなことが、年々増えていく気がしていました。
でも実は、これは私にとっては非常に仕事がしやすい環境ともいえます。誰からも反対されないので、社内を簡単に意思統一できるし、スピード感を持った決断もやりやすいからです。株主にとっても、創業者が社長をやっている方が、生え抜きの社長やプロ経営者よりも株価パフォーマンスが高いというデータもあるくらいなので、企業価値を上げるという面においても良いのでしょう。
私は現在52歳ですが、今後70歳あるいは80歳くらいまでこの状況を続けようと思えば続けられるかもしれません。しかしながら、それをやれば自分だけさらにダントツの存在になり、次世代の経営者が育つこともなく、誰にも引き継げなくなることは目に見えてます。それに、社長はじめ上層部がずっと変わらないことに絶望した若い優秀な社員は、やる気をなくすか、転職してるかもしれません。
結局、創業社長のままではいずれ限界が訪れるのです。「一代で終わる会社」と言い換えることもできるでしょう。長年社長をやってきて、やればやるほど、年々その日が近づいていることに、ずっと焦りを感じていました。

■4年間続けた「後継者研修」の中身
――社長の交代に向けてどのような準備をしてきたのでしょうか。
【藤田】この4年間、後継者を育てるために続けたのが「社長研修」です。その上で重要だったのが、これまで自分が感覚的に行ってきた経営の勘所を、言語化して体系的に伝えることでした。そこで取り入れたのが、経営者の「決断」を追体験するプログラムです。具体的には、サイバーエージェントにおける過去の重要なターニングポイントでの決断を疑似体験するような研修を行ってきました。
例えば、「スマートフォンが登場したとき」に、どのような経営判断を行ったか。当時の市場の動向や競合他社の状況、社内のリソースなどを再現し、候補者に私と全く同じ状況に立ってもらう。
候補者は皆、私のすぐ近くで働いてきた幹部たちですが、実際に経営トップの立場に立たされてみると、そんな彼らでも「景色がこれほど違うのか」と驚いていました。背負っている責任の重さやプレッシャーが、役員と社長では全く違うことに気づくからです。
また、もう一つ力を入れたのが「引き継ぎ書」の作成です。私の頭の中にある経営のロジックや判断の基準、思考の根拠は何か……それらをすべて言語化しようと試みました。書き出してみると、項目は100以上に及びました。

■選抜に時間をかけたワケ
これらを大きく4つのカテゴリーに分類し、一つひとつ箇条書きで解説を加えました。「中長期の利益と短期の数字をどうバランスさせるか」「なぜこの場面では撤退を選び、あの場面では投資を選んだのか」「トータルで辻褄を合わせるために、どのような思考回路で意思決定を行ったか」など、思考のプロセスそのものを言葉にして伝える。研修では2~3カ月に一度、候補者たちを集めて、この引き継ぎ書をもとに議論を重ねました。
そうした研修と選抜がなぜ何年にもわたって必要だったかというと、社内では、それまで創業者の私が社長を変わるなんて想像していなくて、2代目社長を本気で目指して準備している人が誰一人いなかったからです。まずは本当に社長が変わることを社内で認識してもらい、候補者に準備期間を与え、後継者を育てる企業文化を根付かせる必要がありました。そして、そうした研修と選抜を経て、満場一致で選ばれたのが山内隆裕でした。
■なぜ山内氏(42)を「2代目」に選んだのか
――今後のサイバーエージェントをどのように成長させていくのか。山内氏の担う役割についてどう考えていますか。
【藤田】山内に決まった大きな要因の一つには、現在のアニメやゲームといった「IP(知的財産)領域」を担ってきた彼の経験がありました。これからのサイバーエージェントの成長戦略を描く上で、IPビジネスは中心的な役割を果たします。世界で戦えるコンテンツを作り、海外で成功させる。それが次の10年の勝負所でしょう。

エンターテインメントの世界、特にグローバル市場においては「資金力」がそのまま競争力になります。ハリウッド映画を見ればわかるように、莫大な資金を持つところが傑作を作り、それがヒットしてさらに巨額の富を生み出し、また次の投資へと回る。『ウマ娘』のような大ヒットを生み出し続け、そのIPを海外にも展開していくことで、私たちもそのサイクルに入り込まなければなりません。
■60歳、70歳と社長を続けるのは自分にとっては「ズルいこと」
――現在、藤田さんは52歳です。「若さ」にこだわる理由は?
【藤田】「40代の山内が社長になり、50代前半の藤田が会長になるなんて早すぎる」。そう言われることもあります。しかし、サイバーエージェントにとって「若さ」はアイデンティティそのものだという思いが私にはあります。
私がこの会社を作ったのは24歳の時でした。26歳で当時の最年少記録で上場し、若い才能が躍動できる場所として成長してきた。優秀な若者がなぜサイバーエージェントを選んでくれるのか。それは「この会社であれば若くしてチャンスを掴める」「実力次第でどこまでも上がっていける」という希望があるからです。彼らがそうした夢を見られる環境を守り続けることは、この会社の経営者の責務です。

それなのに、トップがいつまでも居座り続け、60歳、70歳になっても社長の座にいたらどうでしょう。「若手の抜擢」を掲げながら、一番上が詰まっている。そして入れ替えるのは自分以外の他の役員。そんな会社に説得力はありません。
もちろん、私がこのまま社長を続け、気心の知れたベテラン幹部で脇を固めれば、経営は安定するかもしれません。業績も大きく崩れることはないと思います。しかし、それは「未来の利益の先食い」です。今の安定と引き換えに、将来の成長の芽を摘んでしまう。私にとってはそれは「ズルいこと」だと感じます。自分たちの時代を謳歌するだけ謳歌して、後は野となれ山となれ、というような無責任なことはできない。だからこそ、私自身が身を引くことで、「キープヤング」の姿勢を示したかったわけです。
■引き際が美しい創業経営者は少ない
――今後の4年ほどは山内氏の「伴走者」として、経営を支えていくと語っています。

【藤田】はい。決算発表、入社式の挨拶、社員総会での表彰といった形式的な役割は、最初からどんどん彼に譲っていきます。会社の「顔」は彼であるべきだからです。
一方、社長業の真髄とも言える部分、意思決定の機微やリスクに対する嗅覚、事業の構想、そして組織を束ねる求心力などは一朝一夕には引き継げないものでもあります。日々刻々と状況が変わる中で、「なぜ今、この判断を下すのか」を、横にいてリアルタイムで解説していく必要がしばらくはあるでしょう。それを伴走期間としています。
私は個人的な感情は経営に持ち込まないのですが、あえて自分の気持ちを話すと、引き際を美しく飾れた創業経営者の例は本当に少ないという思いがあります。辞めた後に寂しそうな人もいれば、逆にいつまでも権力にしがみつき、晩節を汚してしまう人もいる。どちらも私の望む姿ではありません。
私が目指しているのは、リクルートのような会社です。創業者の江副浩正さんが退いた後、リクルートはさらに力強く成長し、今のような巨大企業になっていきました。江副さんが退任に至るきっかけにはリクルート事件も絡んでいて、ご本人としては理想の姿とは言えないでしょう。だから私が同じことを真似できるわけではありません。でも、会社の創業者からの脱却の姿としては一つの理想形です。創業者が去った後、そのことによってむしろ成長の速度が上がっていく。そのような会社を作らないといけないと思っています。

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藤田 晋(ふじた・すすむ)

サイバーエージェント代表取締役

1973年、福井県鯖江市生まれ。97年に青山学院大学を卒業後、インテリジェンス(現パーソルキャリア)に入社。98年、サイバーエージェントを創業し、代表取締役社長に就任。2000年には史上最年少社長(当時)として東証マザーズに上場、14年に東証一部(現東証プライム)へ市場変更。現在は、インターネット広告やゲーム、メディアなど多角的に事業を展開している。FC町田ゼルビア代表取締役社長、Mリーグ機構チェアマン、新経済連盟副代表理事。主な著書に『渋谷ではたらく社長の告白』『起業家』(ともに幻冬舎)、共著に『憂鬱でなければ、仕事じゃない』(講談社)など。近刊に『勝負眼』(文藝春秋)がある。

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稲泉 連(いないずみ・れん)

ノンフィクション作家

1979年東京生まれ。2002年早稲田大学第二文学部卒業。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど 竹内浩三の詩と死』(中公文庫)で第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。著書に『ドキュメント 豪雨災害』(岩波新書)、『豊田章男が愛したテストドライバー』(小学館)、『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房)など。近刊に『サーカスの子』(講談社)がある。

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(サイバーエージェント代表取締役 藤田 晋、ノンフィクション作家 稲泉 連)
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