※本稿は、高倉嘉男『インド映画はなぜ踊るのか』(作品社)の一部を再編集したものです。
■インド人は「生理」について正しく知らない
インドのお茶の間では同性愛がタブーの話題だ。そもそもインドでは家庭でも学校でも性まわりの話題そのものがタブーである。それは深刻な性教育の遅れを引き起こしている。
「パッドマン 5億人の女性を救った男」では、インド人男性の多くが女性に毎月生理が来ることすら知らず、女性自身も生理について正確な知識を持ち合わせていないことが明らかにされ、日本人観客を驚かせた。
実は生理中の女性を「忌みもの」として隔離部屋や隔離小屋に閉じこめる習慣は日本を含め世界中で過去に存在したが、インドではそれが多かれ少なかれ現代まで残存している。
その理由はまさに性教育の遅れであり、教育の遅れでもあった。男性が生理を知らないことよりもさらに危機的なのは、生理の当事者である女性が科学よりも迷信を信じ、生理を恥ずべきもの、忌むべきものとして男性の目から遠ざけ、その古い因習を母から娘へ綿々と受け継いできてしまったことである。
■「精子ドナー=売春」のイメージを変えた
インド社会の足を引っ張る性教育の遅れを認識し、その改善に率先して努めているのは、再び映画界である。同性愛もその一種といえるが、より広範な性まわりの話題を映画の主題にした「性教育映画」とでも呼ぶべき作品の数々がやはり2010年代から盛んに作られるようになった。
その先駆けは、精子ドナーが主人公のコメディー映画「僕はドナー」であった。この映画が公開される以前、インドでは精子を提供して対価を得る精子ドナーは売春に等しい恥ずべき行為であった。
だが、「僕はドナー」が面白おかしく精子ドナーの存在意義と必要性を啓蒙し、しかもヒットしたことで、国民にその理解が広まった。世の中には不妊に悩んでいる夫婦がおり、彼らが子供を授かるために精子ドナーが非常に重要な役割を果たしていることが楽しみながら分かる映画だった。
「僕はドナー」の成功は、従来タブーとされてきた性に関する分野に可能性を秘めた広大な未開拓地があること、そしてひとつひとつのタブーを解消していくことに社会的な意義があることを映画メーカーたちに知らしめた。
■家庭も学校も「性教育」を嫌がる
性教育映画はトレンドとなり、映画スターたちは、性教育に後ろ向きな家庭や学校に代わって国民に性や生殖に関する正確な知識を広める急先鋒になった。
「僕はドナー」以来、ありとあらゆる性や生殖に関する映画が作られるようになった。従来のインド映画では、妊娠や出産の場面は生々しい映像や話題になりがちなので、そそくさとやり過ごされることが大半であった。
新婚の女性が嘔吐し、妊娠が告げられ、妊婦の10カ月はソングシーンなどでそそくさと語られて、一瞬だけ分娩中の女性の苦しい顔が映し出され、次の瞬間には赤ちゃんの泣き声が響く、というのがパターン化された妊娠・出産の描き方であった。
そのもっとも避けられていた部分が映画の中心テーマに躍り出たのである。映画なので、一般的な妊娠・出産よりも物語性のある特殊なものの方が好まれる。「僕はドナー」が直接切り開いた不妊治療分野の映画もさらなる発展を見た。
■偏見の強い「代理母」の理解が広まる
不妊治療の中でも代理母やそれに類する手段は早くから映画の題材になってきた。正確には代理母と呼べないが、健康な母胎を持った娼婦が不妊の妻に代わって子を宿す筋書きの「Chori Chori Chupke Chupke〔黙ってこっそり〕」が既にあったし、「Filhaal…〔とりあえず…〕」では初めて本格的な代理母がストーリーに組み込まれた。
ただ、これらの映画での代理母の取り上げられ方は興味本位の域を出ておらず、本格的な代理母映画の出現はそれ以降となる。なぜならインドで代理母が合法になったのは2002年だからである。
代理母は身近な不妊治療手段となった他、インドは物価の安さもあって不妊に悩む外国人夫婦の駆け込み先ともなり、代理母ビジネスが一気に花開いて巨大産業化した。ただ、問題も多かったため、2015年から規制が強化され始め、現在では本当に子供が必要で不妊に悩むインド人夫婦のみが代理母を利用できる状態になっている。
インド社会では精子ドナーと同じく代理母に対しても非常に偏見が強かったが、「Badnaam Gali〔汚名の路地〕」や「Mimi〔ミミ〕」といった代理母を主題にした映画が作られ、その払拭が図られると共に、代理母を巡る問題にもメスが入れられた。
■高齢出産を取り上げたコメディ映画
妊娠を題材とした一風変わった映画としては、大ヒットした「Badhaai Ho〔おめでとう〕」が好例だ。これは高齢出産を取り上げたコメディー映画である。20代の若者を持つ中年の母親がうっかり妊娠してしまい、家族や親戚から総スカンを食らって近所の笑いものになるという導入である。
いい年をした母親が妊娠するとインド社会ではどんな扱いを受けるのか、想像力とウィット豊かに再現されていた上に、最後は家族の絆が再確認されるという、インド映画の良さが詰まった名作であった。
妊娠関連の映画はヒット率が高く、不妊治療のミスを扱ったコメディー映画「Good Newwz〔良い知らせ〕」も大成功した。
■男性が妊婦に似た状態になる症候群
それでも、インドでは不妊の原因が女性側に一方的に押しつけられることが大半であることを考えると、不妊の原因は男女どちらにもありえること、そして体外受精による妊娠という解決法があることを周知する役割を果たしただけでも大きな貢献であった。
「Good Newwz」の続編「Bad Newz〔悪い知らせ〕」も作られた。やはり妊娠が主題であったが、今度は異父多胎妊娠という非常に特殊な妊娠が取り扱われていた。異父多胎妊娠とは異なる父親の精子によって同時に受精して生まれた双子のことを指す。
「Mister Mummy〔ミスター・ママ〕」では、男性が妊婦に似た状態になるクーヴァード症候群という非常にレアな症状が取り上げられていた。
■EDやマスターベーションの正しい知識も
妊娠や出産は基本的に男女が関わる問題であるが、男性・女性それぞれが直面する性の問題もある。たとえば『結婚は大変』は勃起不全(ED)を扱った映画であったし、「OMG2〔ああ神様2〕」はマスターベーションについての誤解を正す内容の映画であった。
どちらも男性の尊厳に関わる微妙な話題に切り込んでおり、映画が男性観客に支えられているインドの現状を考えると、リスクのある企画だったと思われる。一昔前のインド映画では到底考えられない挑戦だったが、見事にヒットした。
作品の質が高かったことに加えて、観客が成熟してきたことも示しているのではなかろうか。女性にとっては生理の問題が大きい。
■映画スターが生理用ナプキンと写真を撮る
前述した「パッドマン」は、国民に生理用ナプキンの使用を広める役割を果たした。インドでは生理用ナプキンが高価かつ羞恥心を催すアイテムになっており、普及率は2割ほどである。
そのためインドの女性たちは生理になっても不衛生な布切れや紙切れなどで経血を処理するのが当たり前だった。それが病気を引き起こし、最悪の場合は死を招いた。また、女子児童生徒は初潮を迎えると生理中に通学しにくくなり、欠席が増えることで授業についていけなくなって、やがて退学に至るケースも多いことが分かった。
元々、インド人女性は月経により差別を受けてきた。現代ではさらに、月経についての正確な知識の欠如や生理用ナプキンの普及の遅れにより、教育の機会が失われ、女性の社会的地位向上が妨げられる悪循環に陥っている。
「パッドマン」は、安価な生理用ナプキンを広め、女性を生理のくびきと迷信から解放し、悪しき循環を断ち切るために立ち上がった一人の実在する男性の物語である。この映画の公開時には映画スターたちがこぞって生理用ナプキンとのツーショット写真をSNSにアップロードし、生理用ナプキンに染みついていた汚名の払拭に協力した。
■性行為の前にコンドームを薬局で買うシーン
2020年代に目立つようになったのはコンドームに関する話題だ。インドではコンドームの普及率は1割未満とされている。生理用ナプキンと同様にコンドームの普及もインドが取り組んでいかなければならない喫緊の課題なのである。
コンドームが性病や望まぬ妊娠を防ぐことを訴えた「Helmet[ヘルメット)]もあったが、特に注目したいのが「Janhit Mein Jaari〔公共の利益のために告知)〕」と「Chhatriwali〔傘売り女〕」だ。
どちらも女性主人公がコンドームの製造や販売に関わるようになるという物語だ。当初は事情があって渋々その仕事をしていたが、コンドームが多くの女性の命や健康を守ることができると知って仕事に意義を見出し、やがて積極的にコンドームの普及に取り組むようになるという流れまで似ている。
これらの作品は、男性任せではなく女性主体でコンドームの使用を広め、夫婦間であっても子作り時を除きコンドームなしの性行為は拒絶すべきとのメッセージを発信した。
近年は、コンドームとは直接関係ない映画でも、性行為の前にコンドームを薬局で買うシーンが何の脈絡もなくわざわざ差し挟まれるなど、業界全体でコンドーム使用を当たり前のものにしようという観客への教育が行われているのをひしひしと感じる。
----------
高倉 嘉男(たかくら・よしお)
インド映画研究家
1978年、愛知県豊橋市生まれ。東京大学文学部卒。2001年から2013年までインドの首都ニューデリー在住、ジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)でヒンディー語博士号取得。インターネットの世界では「アルカカット」として知られ、インド留学日記「これでインディア」やインド映画専門ブログ「Filmsaagar」などを運営。インド映画研究家として2,000本以上のインド映画のレビューを発信してきた。インド映画出演歴あり。共著に『新たなるインド映画の世界』(PICK UP PRESS)。
----------
(インド映画研究家 高倉 嘉男)

![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 昼夜兼用立体 ハーブ&ユーカリの香り 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Q-T7qhTGL._SL500_.jpg)
![[のどぬ~るぬれマスク] 【Amazon.co.jp限定】 【まとめ買い】 就寝立体タイプ 無香料 3セット×4個(おまけ付き)](https://m.media-amazon.com/images/I/51pV-1+GeGL._SL500_.jpg)







![NHKラジオ ラジオビジネス英語 2024年 9月号 [雑誌] (NHKテキスト)](https://m.media-amazon.com/images/I/51Ku32P5LhL._SL500_.jpg)
