老後を幸せに過ごすためには、どんなことに気を付ければいいのか。医師の和田秀樹さんは「若い頃の後悔を引きずり続けないほうがいい。
老後になっても受験や就活の失敗を悔やむ人は少ない。考えても解決しないことは忘れ、“今ある幸せ”に目を向けることが大切だ」という――。(第2回)
※本稿は、和田秀樹『医師しか知らない 死の直前の後悔』(小学館新書)の一部を再編集したものです。
■ネガティブな出来事のほうが記憶に残りやすい
高齢者からよく聞く後悔には、「もっと挑戦しておけばよかった」とか「失敗を恐れずに踏み出していればよかった」などの「やらなかった後悔」が多いのですが、その一方でもう少し若い世代には、過去の失敗を引きずって苦しみ続けている人もいます。
「あのとき、あんな失敗さえしなければ、自分の人生は違っていたかもしれない」
そんなふうに過去の選択を何年も悔やみ続け、気に病んでしまう人がいるのです。実際にそれが不眠やうつ症状につながっているケースもありますし、最悪の場合、死を選んでしまう人もいます。
たとえば、若いころに仕事で大きな失敗をして会社に迷惑をかけてしまった経験が何年経っても心のなかに残っていて、ちょっとした場面でも「また失敗するかもしれない」と不安になってしまうという人の声もたくさん聞いてきました。
しかし、そもそも人間の脳というのは、新しい体験をすることでそれまでに記憶されたことが上書きされていく仕組みになっていると考えられています。そうでなければ、膨大な量の情報を抱えたまま、日常生活を送ることは難しいでしょう。
ですから、理屈からいえば、どんな経験でも新しい刺激や出来事に触れていくうちに、だんだん思い出すことも減っていくものです。ある程度のことは時間とともに忘れられるからこそ、人間は精神のバランスを保って生きていけると言ってもいいかもしれません。
ただ、なかにはどうしても、過去の辛(つら)い記憶や嫌な体験をうまく手放すことができず、ずっと引きずってしまう人がいます。
なぜかというと、人間は楽しいことよりもネガティブなことのほうが記憶に残りやすいからです。
■「記憶の上書き」が心を軽くする
私たちの脳は、すべての出来事を均等に覚えているわけではありません。とくに感情を大きく揺さぶられた体験や強く印象に残った出来事は深く記憶に刻まれます。
なかでもネガティブな記憶や失敗経験というのは、「同じ失敗を繰り返さないように」と、自分自身を守るために脳が意識的に残しておこうとするのです。
ですから、成功したことよりも失敗したことのほうが忘れられないと感じるのも、ある意味では人間らしい自然な反応と言えるでしょう。
とはいえ、そうした嫌な記憶にいつまでもとらわれていたら、前には進めません。ですから大事なのは、新しい体験や気分転換をして「記憶の上書き」をすることです。
そうすることで嫌な記憶が引き出される頻度も減っていき、次第に心が軽くなっていきます。
その反対に、気持ちの切り替えができないままでいると、「また失敗するかもしれない」という不安が頭を占めるようになり、ますます動けなくなってしまいます。そして動けない自分に対して、さらに自己嫌悪がつのるという悪循環に陥ってしまうのです。
こういうときに意識しておいていただきたいのが、「考えても始まらないことは、考えない」という姿勢です。
■「これから何をするか」が大切
ネガティブな想像をしたところで、現実は変わりません。

しかし、動けない人ほど頭のなかで何度もシミュレーションを繰り返してしまうものです。しかも落ち込んでいるときには、その後の悪い展開や悲観的な未来ばかりが浮かんできて「やっぱりやめておこう」と躊躇(ちゅうちょ)してしまう。そんなことを繰り返していては、いつまでたっても嫌な記憶が上書きされないままです。
ですから、まずは「過去の出来事はもう変えられないのだ」という事実をきちんと受け止めることが大事です。そして、過去のことを悩んでも、未来は変わらないのだから、これから「何をするか」に目を向けることです。
人生には思い通りにいかないこともありますし、誰にでも失敗はあります。しかし同じ失敗でも、それをどう捉え直すかによってその後は大きく変わってきます。
「あのときの失敗があったからこそ、今の自分がいる」「あの辛い経験から学べたからこそ、同じ間違いを繰り返さずにすんだのだ」――そんなふうに捉えられたとき、人はその経験に意味を見出(みいだ)すことができるのです。
ですから、失敗したと思ったらその原因を冷静に分析し、次にどう活かせるかを考え続けることが大事です。私も精神科医としてさまざまな人の人生を見てきましたが、失敗をきっかけに考え方を変えた人は、むしろその後の人生が大きく好転することが多いと感じています。
■「受験の失敗」を死ぬまで悔やむ必要はない
さらに、若いころの進学や就職の選択を何十年たったあとも後悔している人がいます。
「本当は○○大学に行きたかったのに……。
どうして合格できなかったんだろう」「新卒で入社した会社が悪かった。あそこで間違えなければ、その後の人生も変わっていたのに」。
そんな思いを、ずっと心の奥に抱えたまま生きてきた方も少なくありません。もちろん、若いころの失敗を糧(かて)にして「同じ後悔はもう繰り返さない」と前を向いて再スタートを切った方もいます。
しかし一方で、就職やキャリアの選択を誤ったと感じながらも、やり直すきっかけをつかめず、再チャレンジに踏み出せないまま年齢を重ねてしまったという人もいます。
そういう人は、過去の後悔が頭をよぎるたびに「どうせ自分には価値がない」と自信を失い、自分を否定する気持ちが積もってしまうのでしょう。しかし、若いころの受験や就職でうまくいかなかったということは、「何十年も前に、他の人に負けた」とか「チャンスをつかめなかった」というだけのことに過ぎません。
あるいは、経済的な理由や家庭の都合などで希望の進路に進めなかったということで、現在進行形の話ではありませんし、もちろん、その人の欠陥でもありません。
それをいつまでも心に抱え込む必要はないのです。
■元首相が語った「人生最大の挫折」
そういえば、岸田文雄元首相は東大合格者数で毎年トップを占める開成高校の出身ですが、東京大学の文科一類(法学部)を3回受験し、いずれも不合格となったそうです。
最終的には早稲田大学法学部へ進学しましたが、本人は受験失敗についてメディアで「人生最大の挫折」と語っているようです(出典:2021年11月24日配信 文春オンライン 「人生最大の挫折」1977年に東大不合格だった開成高校の“がり勉”は、大人になってどうなったのか?《東大合格者数40年連続トップ》)。
けれども、その後の彼は日本の総理大臣になりました。
社会的には「成功した人」と言っていいでしょう。にもかかわらず、東大に行けなかったことを悔やんでいるのです。
受験での失敗にいつまでもとらわれるのは、たとえるなら日本一になったプロ野球チームが開幕戦の敗北を引きずっているようなものではないでしょうか。
日本では、この学歴のような形式的評価や肩書きにこだわる人がとても多いのですが、そもそも本当に大切なことは「どの大学を出たか」や「どの企業に勤めているか」ではなく、「世のなかにどれだけ貢献しているか」のはずです。
大学や勤務先などの肩書きが立派なだけでは人の役に立つことはできませんし、どんな職業でも肩書きに安住していたら、社会の変化に取り残されてしまいます。
ですから本来は、社会に出てからどれだけ学び続けてきたのか、どれだけ努力を重ねてきたのか、そしてそれらをどう活かしてきたのかが問われるべきでしょう。
■“学び続けている人”に肩書きは関係ない
たとえば、私は医療者向けのサイトで「和田秀樹は精神科医のくせに、内科のことまで口を出している」などと匿名で批判されることがあります。
たしかに私は医師になって35年以上、精神科医の仕事を続けながら、内科をはじめ他の分野についても学び続けてきました。そのため、一般的な内科医よりも最新の臨床研究の成果や治療ガイドライン、疫学データに詳しいと言われることもあります(産婦人科だけは詳しくありませんが)。
肩書きにとらわれている人は、精神科医が他科に触れることを批判しますが、むしろ私が危惧しているのは、消化器系なら消化器のことしか知らない、循環器系なら循環器のことしか知らない、専門以外に目を向けようとしない医師の存在です。そのほうが、よほど患者さんにとっては危険ではないかと思います。
現代の日本の医療は、臓器ごとに専門特化した診療がスタンダードになっていますが、自分の専門以外を学ばなければ、患者さんの体を総合的に診ることはできません。
ひとつの病気や臓器だけに注目してしまうと、複数の分野にまたがる疾患や症状を見逃しやすくなり、それが患者さんの健康リスクにつながるのです。
また、日本では社会に出てからも意識的に学び続けている人はそれほど多くありませんから、肩書きにとらわれずに自分を磨き続けている人は、その分大きな強みを持つことができるはずです。
どれだけ挑戦を続け、どこまで自分を高めていけるのか。そうした姿勢が、その後の人生を前向きにするカギになるはずです。人生は過去の勝ち負けだけで決まるのではなく、その後の生き方次第で流れを変えることができるのです。
■「今ある幸せ」を見つめることが重要
さらに、いい大学やいい会社に入れなかったと悔やむ人がいる一方で、「いい大学やいい会社に入ったのに、たいして出世できなかった」と悩んでいる人もたくさんいる、ということも忘れてはいけません。
人はどうしても「自分にないもの」に目を向けてしまいがちです。けれども、ないものばかり数えていても、人生は決して豊かにはなりません。大切なのは過去や他人と比べることではなく、「今あるもの」に目を向けることです。
とくに人生の後半では、「人に負けている部分もあるけれども、これは幸せだな」と思えるものを少しずつ増やしていくこと。つまり、「ないもの」を追い求めるよりも、「今の自分にあるもの」「今の自分にできること」を見つけていくほうがはるかに有益です。
自分の好きな仕事をしている。


心を許せる仲間がいる。

毎日の食事を楽しめる。

心を癒してくれる趣味がある。
そのような「今ある幸せ」をしっかり見つめて大事にすることが、残りの人生を前向きに、心穏やかに生きるためには欠かせないのです。

----------

和田 秀樹(わだ・ひでき)

精神科医

1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。幸齢党党首。立命館大学生命科学部特任教授、一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)、『60歳を過ぎたらやめるが勝ち 年をとるほどに幸せになる「しなくていい」暮らし』(主婦と生活社)など著書多数。

----------

(精神科医 和田 秀樹)
編集部おすすめ