▼第1位 松江いちの美人が「きれいな物乞い」に…「ばけばけ」でも描かれた小泉セツの実母がたどった没落人生
▼第2位 「ばけばけ」では描けない妾騒動"の知られざる史実…小泉八雲が「送り込まれた愛人候補」を拒み続けたワケ"
▼第3位 やっぱり小泉セツは単なる女中ではなかった…NHK朝ドラでは描きづらいハーンがセツに求めた役割
NHK朝ドラ「ばけばけ」のモデルである小泉八雲とセツは史実ではどんな関係だったのか。歴史評論家の香原斗志さんは「当時の時代背景として、没落士族の娘が芸妓や娼妓、また妾になる例は少なくなかった。それは小泉セツも同様だった」という――。
■NHK朝ドラで描かれた「女中騒動」
松江中学の英語教師、レフカダ・ヘブン(トミー・バストゥ)は、滞在していた花田旅館を出て近くの一軒家に移り、身の回りの世話をしてくれる女中を所望した。
給金は月額20円。花田旅館の女中の月額90銭とは雲泥の差があり、女中探しを請け負った同僚の錦織友一(吉沢亮)にしても、ヘブンがラシャメン(日本在住の西洋人の妾)を求めているのだと思い込んだ。声をかけられていったんは断りながら、物乞いになった実母の雨清水タエ(北川景子)を救うために、覚悟を決めて引き受けた松野トキ(髙石あかり)も、錦織と同じように認識していた。
ところが、第7週「オトキサン、ジョチュウ、OK?」(11月10日~14日放送)で、意外な展開になった。
トキの「職場」に家族、すなわち養父の松野司之介(岡部たかし)、養母のフミ(池脇千鶴)、養祖父の勘右衛門(小日向文世)が踏み込み、トキは借金返済のために仕方なくラシャメンになったと打ち明けた。これに対し、騒ぎを耳にして錦織と一緒に駆けつけたヘブンは、娘がラシャメンになったために松野家の人々が怒っていると聞かされ、怒鳴り出したのである。「私のことをそんな男だと思っていたのか。ふざけるな!」。
■消されていた「妾」の文字
第8週「クビノ、カワ、イチマイ。」(11月17日~21日放送)でも、ヘブンの不機嫌は続いた。周囲から「ラシャメンを囲っている」という色眼鏡で見られていると感じ、トキをクビにしようとするが、錦織が説得して、なんとか思いとどまらせた。つまり、ヘブンは妾などまったく所望しない清廉潔白な男性として描かれているのである。
だが、ヘブンのモデルであるラフカディオ・ハーンが、トキのモデルの小泉セツに求めたものは、「ばけばけ」で描かれるのとは違ったようだ。トキはラシャメンでないので、夜になると家に帰ることが許されているが、ハーンが明治24年(1891)の1月か2月ごろ、錦織のモデルである西田千太郎に宛てた書簡には、住み込み女中を求めていると書かれている。
また、『西田千太郎日記』の原本には、もともと書かれていた文字が消され、その脇に「節子氏」「細君」と書かれた箇所があった。そして、消されていた文字は「ヘルン氏の妾」「愛妾」だった。
西田の次男の敬三が、ハーンとセツの遺族に配慮して、「妾」であったことを示す表記を修正していたのである。したがって、セツは明治24年(1881)の2月ごろから、住み込みの女中、すなわち事実上のラシャメンとして、ハーンのもとで働きはじめたと考えられる。
■「士族の娘→ラシャメン」は珍しくなかった
それから半年ほどして、2人の関係は発展し、事実上の夫婦になった。それまでは、周囲はセツを「妾」と認識していたようだ。
たとえば6月22日、ハーンはセツをともない、現在「小泉八雲旧居」として公開されている松江城の内堀端に建つ士族屋敷に引っ越した。
さすがに朝に放送される連続テレビ小説で、ヒロインを妾にはしにくいだろうから、「ばけばけ」でトキを「ただの女中」とするのは妥当なのだと思う。しかし、この時代には多くの士族が経済的に困窮し、その娘が生きて行くのはかなり難しかった。だから、「ラシャメン」になるのは、決して珍しいことではなかった。
士族が没落したのは、端的にいって、働き方がわからなかったからだが、なかでも女性は武士という身分を奪われてしまうと、まったく生きる術がなくなるケースが多かった。
■当時の新聞によく出る「士族乞食」
江戸時代の武士は、主君に奉公した報酬として「家禄」を受けとり、それを糧に暮らしていた。明治2年(1869)、大名から朝廷へと、土地(版)と人民(籍)を返還させた版籍奉還が断行されてからも、旧武士階級の士族は、引き続き家禄を受けとった。
しかし、家禄の支給は国家財政の重荷になったため、政府は明治9年(1876)、秩禄処分を断行(家禄に維新功労者への賞典禄を合わせて秩禄といった)。その結果、士族らには5~14年分の家禄に相当する金禄公債証書を発行するかわりに、家禄は全廃された。
それにあたり、政府から就業を促された士族には、受けとった公債をすべて事業に投じたり、投機したりする例が多かった。しかし、純粋培養された武士は、そもそも礼節と武芸ぐらいしか知らない。
結果として、物乞いに身をやつす士族も珍しくなく、松江に本社があった山陰新聞(現・山陰中央新報)では「士族乞食」が常套語として使われていた。そんな「士族乞食」の1人が、2人の娘を連れて物乞い中に川に転落して力尽き、2人の娘が泣いていた、という記事まで掲載されたという。
2人の娘のその後については知る由もないが、一般に士族の娘はかつての身分が高いほど生活力が低かった。
■士族の娘は外出すると家にも帰れない
彼女たちは幼少時から、有事の際には死をも怖れないようにしつけられ、嗜みも身につけた。その一方で、日常生活に関しては基本的に周囲に任せ、自分の家の場所さえ説明できないのがよいとされていた。だから零落してからも、1人で外出すると家に帰れないような女性が多かったという。もはやそうなると、武士の娘ならではのモラルを守るような余裕はない。
だが、妾になることが武士のモラルに反するかというと、そうとはいえない。江戸時代には武士は側室もしくは妾をもつのが当たり前だったので、だれかの妾になること自体が問題になることはなかった。新渡戸稲造の『武士道』には、「貞操はサムライの妻にとって命より大切ないちばんの徳目であった」と書かれている。だが、だれかの妾になることは、貞節を失うことにはつながらなかった。
また、没落士族の娘が芸妓や娼妓になる例も少なくはなく、明治の早い段階から政府は、少なくとも芸妓になるのはやむをえないものとして許可していた。また、主として外国人居留地には、貧しさから娼妓に身をやつした士族の娘が多数存在し、混血児が急増するのをアメリカのキリスト教団体が問題視していた、という記録もある。
たとえば、日本でも根強い人気があるプッチーニ作曲のオペラ『蝶々夫人』のヒロインの蝶々さんも、長崎の没落士族の娘で、最初は芸妓に身をやつし、その後、米海軍士官ピンカートンの「妻」になっている。
■覚悟のうえでラシャメンになった
蝶々さんは本当の妻になったと思っていたが、3年後に帰国したピンカートンがアメリカ人の妻を連れていたため、名誉が失われて自死する、という内容である。だが、原作の戯曲には、「お金持ちの人に望まれるなら、しばらく(3カ月ほど)『結婚』してもいいと思ったのです」という蝶々さんの言葉がある。
つまり蝶々さんは、本当は覚悟のうえでラシャメンになったのだが、オペラでは結婚したはずなのに裏切られたという話に美化された。同様に、トキのモデルのセツも、覚悟のうえでハーンのラシャメンになったはずだが、「ばけばけ」では、ハーンは彼女をただの女中のつもりで雇ったという話に美化された。
実際、セツは「ラシャメン」と呼ばれるのがつらかったそうだが、たとえ差別されようとも「ラシャメン」になれるものならなりたい、というのが没落士族の娘の本音だった。「ラシャメン」になれた娘はかなりマシだったというのが、この時代、生活の糧を失った士族の娘の現実だったのである。
(初公開日:2025年11月25日)
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香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。
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(歴史評論家、音楽評論家 香原 斗志)

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