※本稿は、中川竜児『終章ナチ・ハンター ナチ犯罪追及 ドイツの80年』(朝日新書)の一部を再編集したものです。
■世界に知られたナチ・ハンター夫婦の証言
仕事帰りのアイヒマン(ユダヤ人の強制移送計画を手がけたアドルフ・アイヒマン)が、アルゼンチンの自宅近くでイスラエルの諜報機関によって極秘裏に拘束された1960年5月11日、フランスのパリで一組の男女が出会った。
「ずいぶん後になって、自分たちの活動を本にしている時に気づきました。不思議なこともあるものだと」
クラルスフェルト夫妻はパリの事務所で顔を見合わせて笑った。インタビューの途中も2人は時に手を取り合った。長い生活で築いた信頼関係と愛情が分かるほのぼのとしたやり取り。だが、2人の横の壁には、1943~1944年当時のアウシュヴィッツ強制収容所の大きな俯瞰(ふかん)図が貼ってある。
夫妻は世界に知られたナチ・ハンターだ。インタビューと彼らの回想録をもとに、その歩みをたどっていこう。
妻ベアテ(85歳)はベルリンの典型的な家庭で育った。父親は従軍経験があった。
「幼稚園でのあいさつは『ハイル、ヒトラー』でした。でも戦後になって、学校でナチの犯罪については教えられなかった。親も話さなかった」。灰燼(かいじん)と化したベルリンで、親世代は日々の生活に追われていたという現実もあっただろうが、「その話題」を避ける雰囲気も感じ取っていたという。
「彼らが戦争によって起こったことのなかで心配していたのは、家がなくなったこと、仕事がなくなったことでした」。成長したベアテは、息苦しい生活から逃れたいという思いを募らせた。
■父をアウシュヴィッツで失っていた夫
商業学校で学んだ後しばらくして、パリで住み込みの家事手伝いをしながら、フランス語を学び始めた。
間もなく「出会い」が訪れた。駅で地下鉄を待っていたとき、若い男性が自分を見ているのに気づいた。「イギリスの人ですか?」という質問に、ベアテは「違います」と答えた。声をかけたのは夫のセルジュ(88歳)で、やがて会話に発展した。
数日後、早くも2人は初めてのデートをした。映画を見た帰り、ベアテは、セルジュがユダヤ人で、父をアウシュヴィッツで失っていることを知った。
その父、アルノの写真が事務所に飾ってあった。セルジュは「強い男だった」と振り返る。
■記憶から消えない「1943年9月30日のこと」
父はルーマニア出身のユダヤ人で、フランスに移住した。ナチ・ドイツの侵攻後、ユダヤ人の捜索が強化された頃、一家は南仏ニースで暮らしていた。父アルノはそうした事態に備え、クローゼットに仕切りをつくり、隠れ場所を細工していた。
セルジュは「シナリオ」を覚えているという。もしゲシュタポがアパートにやって来たら、父がアパートは消毒中で、家族は田舎に送ったと言って自ら捕まる。
捜索はいよいよ自宅に迫った。「1943年9月30日のことです」。80年経っても、その日付ははっきり記憶に刻まれていた。このままでは発見を免れることは困難と考えたアルノは、妻と娘、そしてセルジュを残し、出て行った。捕まり、家族はここにはいないと説明した。ドイツ人たちは完全には信用せず、クローゼットの扉を開けた。だが、仕切りには気づかず、セルジュらは難を逃れた。
■ベアテを勇気づけたゾフィー・ショルらの行動
後に分かったのは、アルノが最終的に、アウシュヴィッツ強制収容所に送られたことだった。
セルジュの一家がたどってきた歴史を聞き、ベアテは初めて自国の「過去」の一部を知ることになった。衝撃を受け、「何も知らなかったことを恥じました」と話した。
大学で歴史学を学んだセルジュは、ナチの歴史について、ベアテに話して聞かせた。母や親類にも引き合わせた。ベアテも本を読み、学ぶ姿勢を深めていった。
セルジュの話の中で、ベアテの心に特に強く刻まれたのは、1943年、ナチスへの抵抗を訴えるビラを配布したミュンヘン大学の学生、ゾフィー・ショルらの行動だったという。ゾフィーや兄のハンスらはすぐに逮捕され、処刑された。ナチ体制下でも正義のために行動したドイツ人がいたという事実は、ベアテに勇気を与えた。
2人は出会った3年後に結婚。
■元ナチ党員キージンガーが西独首相に就任
1966年、幸せな生活を送っていた若い2人の歩みを大きく変える出来事が起きた。
西ドイツ首相に、クルト・キージンガーが就任した。
キリスト教民主同盟(CDU)の政治家、キージンガーはヒトラーが政権を取った1933年にナチ党に加わった。その後、積極的には活動していなかったとされるが、第二次世界大戦中の1940年からは外務省放送局に勤務。ナチのプロパガンダ普及に一役買った人物だった。
ベアテはあぜんとしたが、すぐに決意した。「一人のドイツ人として、抗議するのが義務だと思いました。私はすでに過去に何があったかを知っている人間でした」。かつてセルジュから聞かされた、ゾフィーらの話も背中を押した。
ベアテは当時、西ドイツとフランスの若者の交流を促進するために設置された事務所で働いていた。左派系の新聞に、キージンガーの就任を批判する記事を発表して間もなく、解雇された。
記事が問題視されたと考えたベアテは、セルジュと相談し、解雇不当の訴えを裁判所に持ち込むことを決める。セルジュは「家族が不当な目にあっているのに、黙っているのはおかしい。サポートするのが当然だと考えた」と振り返る。
■「決定打」に至らない“反キージンガー”資料
セルジュのサポートは、法廷闘争にとどまらなかった。ベアテの「反キージンガーキャンペーン」も強力に後押しした。東ドイツに行き、キージンガーに関する資料を当局から見せてもらった。東ドイツにとっては、西を攻撃する材料が増えるのは好都合だった。
とはいえ、東に取り込まれたり、利用されたりする恐れはなかったのだろうか。セルジュは「我々と東ドイツは同じ意見は持っていなかったが、同じ敵は持っていたということです」と説明した。ベアテはキージンガーの件で、ナチ・ハンターの一人であるヴィーゼンタールとも相談したという。「でも、彼にとって、キージンガーは『案件』ではなかったのです」
2人は資料をもとに、さらに批判を強める冊子を自費出版した。
キージンガーの就任に、他のドイツ人も黙っていたわけではなかった。著名な哲学者のカール・ヤスパース、作家のギュンター・グラスらも反対の声を上げ、ヤスパースはそれを機にスイス国籍を取得したほどだった。ただ、キージンガーを追い落とす「決定打」には至らなかった。マスコミの反応も次第に慣れたものになっていった。「何を言っても、もう首相になっているのだから」ということだった。
ちなみにドイツの過去の責任を問う論客の一人だったグラスは2006年、自身がかつてナチの武装親衛隊員だったことを告白し、大きな論争を呼んだ。
■ボンの西ドイツ連邦議会に向かう
粘り強く反キージンガーのキャンペーンを続けながらも、ベアテは、何か強烈なものが必要だと考えるようになった。世間を驚かし、新聞やテレビが取り上げざるを得ないような、何かだ。
1968年3月、ベアテはボンに行った。まずは西ドイツの連邦議会だった。
傍聴席のベアテは緊張していた。果たしてできるだろうか。キージンガーが演壇に立った。立ち上がり、叫んだ。「キージンガー、ナチ、辞任しろ!」
キージンガーは演説をやめ、動揺した様子を見せたという。議場にいる人々の目がベアテに注がれた。守衛が走ってきて、口をふさがれ、つまみ出された。警察で事情を聴かれたが、解放された。翌日、ベアテはドイツの新聞に拳を振り上げる自分の写真が掲載されていることを確認した。キージンガーの過去に触れたものもあった。
この年7月の朝日新聞には、ナチ犯罪の裁判にキージンガーが証人として出廷したことを紹介する外電記事が掲載されていた。被告の弁護側からの申請によるもので、かつて外務省の放送局にいたため、ユダヤ人虐殺に関する外国の報道を知っていたのではないか、などと質問された。
キージンガーは、当時の外国の報道は覚えていないし、外務省の高官会議でもユダヤ人の強制移送について話した記憶はない、と証言したという。
■宣言し、そして公の場で実行した
ベアテはさらに突き進んだ。しばらく後、多くの若者たちを前にした集会で宣言した。
「公の場で首相を平手打ちします」。疑いと熱狂の声が渦巻いたというが、そこにいた者たちの中で、何人が本気でそれを受け取っただろうか。
だが、やってのけた。
1968年11月、CDUは西ベルリンで党大会を開いた。ベアテは知り合いのカメラマンの助けを借りて会場に入った。キージンガーは党幹部らが並ぶ長いテーブルの中央辺りに座っていた。テーブルのそばには警備員が立っていた。ノートとペンを手に、取材している風を装いながら、近づくベアテ。だが、今回はヤジを飛ばすだけではない。手の届く位置まで行かなければならなかった。
ベアテは、その長いテーブルの反対側に、知人を見つけたふりをした。警備員に何度か頼むと、渋々とだが、ベアテを行かせた。政治家たちが並ぶテーブルの後ろを歩き、キージンガーの背後に立てた。
「ナチ! ナチ!」。叫びながら、キージンガーに平手打ちをした。
すぐに取り押さえられ、騒然とした会場から連れ出されたが、高揚感に包まれていた。
会場に、武装した護衛官が配置されており、うち1人は銃をつかんでいたことを知ったのは、しばらくたってからだったという。
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中川 竜児(なかがわ・りゅうじ)
朝日新聞記者
1974年、愛媛県生まれ。横浜市立大学文理学部で哲学を学んだ後、2000年に朝日新聞社に入社。鳥取や大津、京都、大阪など主に関西で勤務した。2010~11年、ドイツに語学留学。金沢総局次長を経て、2021年12月からGLOBE編集部員。GLOBE特集では「変わる刑務所」「たかが髪、されど髪」「Rock is Back」「Non Alcohol 醒めゆく時代」などを手がけた。
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(朝日新聞記者 中川 竜児)

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