ヨーロッパでは近年、「耐え難い終わりのない苦しみ」に耐えている患者が自らの命を絶つことを可能にする「安楽死」を合法化する国が増えている。
安楽死には医師が致死薬を投与する積極的安楽死(active euthanasia)と、患者が処方された薬を自分で服用する自殺幇助(assisted suicide)があるが、一般的に自殺幇助も安楽死の一種とみなされている。
現在、積極的安楽死と自殺幇助の両方、あるいはいずれか一方を認めている国は、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、スペイン、スイス、オーストリアの6カ国にのぼるが、これらの国では安楽死の報告件数が着実に増加している。
例えば、オランダでは2023年の9068件から2024年には9958件と約10%増え、ベルギーでは同期間内に3423件から3991件と約16%増加した。さらに2021年に合法化したばかりのスペインでも2022年の576件から2023年には766件と約33%増えている。(カトリック系メディアのOmnes、2025年1月24日)。
ヨーロッパで安楽死を選択する人が増えている理由や背景については後ほど詳しく述べるが、主に個人の自律性と自己決定権を重視する社会意識の変化や、高齢化と医療技術の進歩などが挙げられている。
■「人生の終わり方」を決める権利は必要なのか
つまり、重い疾患や不治の病などによる耐え難い苦痛に直面している個人は、いつどのように死ぬかを決定する権利を持つべきだという考え方が広まっているということ。
それに加えて、高齢化の進展や医療技術の進歩などによって人間の寿命が延びる一方で、それに伴う苦しみを長引かせることもあり、生活の質や死ぬ権利についての議論が活発化しているのである。
愛する人が安楽死を望む時、あるいは家族が死の望みを受け入れざるを得ない時、多くの人はこの問題に真剣に向き合うことになるが、その時、安楽死が認められているかどうかは非常に重要となる。
つまり、人生の終わり方を自分で決められる国に住んでいるのか、それとも患者や家族の要請に基づいて安楽死を実施した医師が処罰される国に住んでいるのかということだ。
超高齢社会の日本が直面する課題として終末期の医療のあり方や死のあり方といった観点で議論することは不可欠ではないかと思う。
オランダやベルギーなどでは、末期患者や精神疾患者だけでなく認知症患者にも安楽死を認めている。個人の死ぬ権利について国全体で積極的に議論し、安楽死の合法化を進めているヨーロッパの経験を参考に考えたい。
■世界で初めて認知症患者に認めたオランダ
2002年4月に世界で初めて積極的安楽死と自殺幇助を合法化したオランダは、認知症患者の安楽死を認めたのも世界で最も早かった。
2020年4月、オランダ最高裁は、事前に安楽死の要請をした74歳の女性アルツハイマー病患者の処置をした医師が殺人罪で起訴された案件で無罪判決を下した。この決定によってオランダは、進行性疾患である認知症の患者に対して、自分の意思を表明できなくなる前に書面による安楽死の申請をしている場合、安楽死が法的に認められることになった。
その後、オランダでは認知症患者の安楽死が広く行われるようになり、「地域安楽死審査委員会」(RTE)によると、2022年に全国で8720人が安楽死を受けたが、そのうち288人は認知症患者だったという。
安楽死は患者の自主的な判断を前提としているが、認知症患者は本人の判断能力が徐々に失われるので、安楽死を望む場合は、そうなる前に家族とよく話し合って決断し、申請書を医師に提出することが必要となる。
■尊重される患者の意思
オランダでは、医療機関が認知症患者への家族の接し方などについて助言を行っている。
ラドバウダム大学病院プライマリー・コミュニティ・ケア部門の研究者、ジェニファー・ファン・デル・スティーン氏は、同病院のウェブサイトでこう述べている。
「初期の認知症患者は病気の影響をよく理解しています。(中略)患者は自立と尊厳を失うことを恐れ、将来、より困窮し、家族に頼らざるを得なくなることを恐れています。家族に負担をかけたくないのです」
従って家族は患者の気持ちをよく理解し、患者の立場に立ちながら、時には勇気を持って安楽死についても話し合うことが大切である。このような話し合いを通して、患者の安楽死の要請に対して苦悩したり、患者の希望を叶える(共同)責任を感じたりする家族もいるという。
オランダが末期患者などの安楽死を合法化したのは2002年4月のことだ。
■精神疾患者や未成年者も選択できるベルギー
ヨーロッパでオランダと並んで、安楽死合法化の先駆的な役割を果たしているのがベルギーである。この国では、末期患者だけでなく、精神疾患者や年齢制限のない未成年者も安楽死を選択できるようにしたことで話題になった。
34歳の女性うつ病患者のエバさんは何度も自殺未遂を繰り返した後に安楽死を選択し、家族に別れを告げ、医師から致死薬を投与されて旅立ったが、この時の様子は米国の公共ネットワークの番組「PBSニュースアワー」(2015年1月15日)でも放送された。
エバさんに致死薬を投与したのは彼女の主治医を2年間務めたマーク・ヴァン・ホイ医師で、ベルギーを代表する安楽死擁護団体の共同代表を務め、安楽死を100回以上執り行った人物として知られている。
ベルギーの調査では、安楽死は国民の圧倒的支持を得ており、多くの医師は「絶え間なく、耐え難い苦痛に苦しむ患者にとって、安らかに死を迎えるための現実的かつ人道的な手段である」と述べている(同PBSニュースアワー)。
とはいえ、安楽死の実施や手続きに関しては厳しい審査が行われている。医師と弁護士が半分ずつ合計16人で構成される公的な監視機関「安楽死管理評価委員会」(ECEC)は毎月ブリュッセルで会合を開き、安楽死を行った医師が提出した報告書を審査している。
それには患者が安楽死を申請した理由(耐え難い終わりのない苦痛を感じている、本人の自発的な意思に基づいているなど)が詳細に記されており、それが法律で定められた基準を満たしていない場合、医師は殺人罪で起訴される可能性があるという。
■なぜ欧州で合法化する国が増えているのか
ヨーロッパでは2002年に安楽死を合法化したオランダとベルギーが先駆者となり、他の国はそれに倣う形で合法化を進めている。
すでに安楽死を合法化した6カ国に加え、イギリス、フランス、ポルトガル、アイルランド、イタリア、マルタなど多くの国が法制化に向けた準備を進めたり、議論を活発化させたりしている。
特にフランスとイギリスは今年5月と6月にそれぞれ安楽死法案を可決し、現在、上院(フランスは元老院、イギリスは貴族院)で審議されている。
欧州で安楽死を合法化する国が増えている背景には冒頭で述べた社会意識の変化や高齢化などに加えて、宗教的な影響力の低下や世論の変化などがある。
たとえば、カトリック教会は歴史的に安楽死に対して強い反対の立場をとってきたが、最近は社会の世俗化もあって、宗教的な影響力が弱まわっているように思われる。
それを証するように、カトリック人口の多いスペインで数年前に安楽死が合法化され、また、同様の状況にあるポルトガルやイタリアでもこの問題について活発な議論が行われ、将来的な合法化の可能性が指摘されている。
このように様々な要因が絡み合って世論が変化し、安楽死に対する肯定的な考えを持つ人が増え、結果的に法制化を求める政府への圧力となり、合法化につながっているのである。
■「人生を全うした」と感じる高齢者
安楽死の合法化が進み、実施件数も着実に増えている欧州で、最近特に注目されているのは、「人生を全うした(completed life)」と感じている75歳以上の高齢者を対象に、「耐え難い苦しみ」や「不治の病」などの医学的要件を満たしていなくても安楽死を認めることを目指す動きである。
この運動はオランダで始まり、2020年に法案がオランダ議会に提出され、物議を醸した。提出した中道リベラル派「民主66党」のピア・ダイクストラ議員は「人生に苦しむ高齢者には、自ら選んだタイミングで死を迎える機会が与えられるべきだ」と主張した。(Right to Life news、2024年1月15日)。
しかし、キリスト教連合などの強い反対に直面して、法案は否決された。その後、民主66党は2023年11月、安楽死を希望する高齢者に終末期カウンセラーとの面談を義務付けるなどの修正条項を加え、法案を再提出した。しかし、依然として他党からの反対が多く、2025年12月現在、採決の見通しは立っていない。
加えて医療専門家や倫理学者から、「自律性のみを重視する新しい安楽死法案は既存のデューケア(ある状況下で常識的な人間が払うべきであろう注意義務や行動を指す)を危うくし、社会的に弱い立場にある個人に社会的な圧力をかける可能性がある」との懸念が示されている。
つまり、「人生を全うし、社会的な役割も終えた」と感じている高齢者の安楽死を認めるために法的要件を緩めてしまうと、社会的に弱い立場にある人々が意図に反して安楽死を強制される事態に陥りかねないということである。
このように強い反対を受けている新しい安楽死法案だが、オランダ議会に複数回にわたって提出されたことで、個人の自律性の欲求、社会的に弱い立場にある人々の保護への懸念、そして終末期の意思決定における医療専門家の役割などを交えた国民的な議論に発展している。ヨーロッパでは、安楽死をめぐる議論は新たな段階に差し掛かっているのである。
■日本で法制化に向けた議論が進まない理由
ひるがえって日本ではなぜ安楽死の法制化に向けた議論が進まないのか。
そもそも日本は、積極的安楽死や自殺幇助を支持する人の割合がヨーロッパの国々と比べて非常に低い。
東京大学大学院医療倫理学の瀧本禎之准教授らが2025年1月に発表した、オンラインによる日本の医師と一般市民の積極的安楽死と自殺幇助に対する意識調査では、積極的安楽死を支持した医師は2%で一般市民は33%、自殺幇助を支持した医師は1%で一般市民は34%だった。(PubMed、2025年1月20日)
一方、オランダでは2024年の調査で、積極的安楽死と自殺幇助を含む安楽死を支持する人は80%にのぼっている(Right To Life news, 2024年1月15日)。
日本では安楽死よりも、患者の延命治療を中止することで死期を早める尊厳死の方がよく知られているが、こちらの議論もなかなか進まない。
今から13年前の2012年に、超党派の「尊厳死法制化を考える議員連盟」が、患者の延命治療を中止しても医師の責任を問わないようにする「尊厳死法案~終末期の医療における患者の意思の尊重に関する法律案」を発表した。
ところがこの法案は障害者団体などから強い反対を受けたため、国会に提出されず、議論もほとんど行われないまま現在に至っている。
法案の推進者は、「私たちは“弱者や障害者の命をとろう”というのではなく、自らの意思で死を迎えたい人たちの選択肢を認めてほしいと言っているだけです」と丁寧に説明したが、障害者団体の代表は「そうは言われますけど、そういう法律ができると、私たちに無言の圧力がかかってくるんです」と納得してもらえなかったという。
■議論を避けたままでいいのか
日本では「忖度文化」が根強いため、安楽死が法制化されると、家族や社会に迷惑をかけたくないという思いから、本人の意思に反して安楽死が選択されてしまうのはないかという懸念があるようだ。
しかしながら、もし日本で安楽死が法制化されたら、老老介護などで追い詰められている高齢者世帯の状況を改善する一助になる可能性はあると思う。「耐え難い終わることのない苦しみ」や認知症などを抱える高齢患者の中には死ぬ権利について自分で考え、家族とも話し合いたいという人がいるかもしれない。
ヨーロッパで安楽死を受ける人の大多数は高齢者であり、オランダではその85%を65歳以上(2021年)が占め、ベルギーでは72.6%を70歳以上(2024年)が占めている。ヨーロッパで安楽死の合法化が進んでいる背景には、個人の自己決定権を尊重する人々の意識の変化や高齢化の進展による終末期医療への関心の高まりなどがあると指摘されているのはそのためである。
安楽死の合法化は65歳以上の高齢者層に最も大きな影響を与える可能性があり、世界一の高齢化率を誇る日本こそ、安楽死や尊厳死の法制化に向けた議論を積極的に進めるべきではないだろうか。
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矢部 武(やべ・たけし)
国際ジャーナリスト
1954年生まれ。埼玉県出身。70年代半ばに渡米し、アームストロング大学で修士号取得。帰国後、ロサンゼルス・タイムズ東京支局記者を経てフリーに。人種差別、銃社会、麻薬など米国深部に潜むテーマを抉り出す一方、政治・社会問題などを比較文化的に分析し、解決策を探る。著書に『アメリカ白人が少数派になる日』(かもがわ出版)、『大統領を裁く国 アメリカ』(集英社新書)、『アメリカ病』(新潮新書)、『人種差別の帝国』(光文社)、『大麻解禁の真実』(宝島社)、『医療マリファナの奇跡』(亜紀書房)、『日本より幸せなアメリカの下流老人』(朝日新書)、『世界大麻経済戦争』(集英社新書)などがある。
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(国際ジャーナリスト 矢部 武)

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