円安が続く中でも、コロナ禍を経て日本人の海外旅行への意欲は確実に回復している。旅行会社大手JTBが4日に発表した見通しでは、年末年始の海外旅行者数は前年度比31.5%増の100万人に上る。
富裕層マーケティングを長く手掛ける西田理一郎さんは「空港で今、劇的な変化が起きている。退屈でしかなかった乗り継ぎ時間が、最高の体験を提供する“黄金の時間”に生まれ変わっている」という――。
■「移動時間」がどんどん進化している
新幹線の表玄関。巨大ターミナル東京駅。ここには、「乗り換え客」という巨大マーケットを狙い撃ちし、駅構内を歩く人の財布を緩める日本最大級の駅ナカ商業施設がある。
その名も「グランスタ東京」。スイーツ、弁当、総菜、カフェ、レストラン、雑貨――。一見すると普通の商業施設に見えるが、その戦略は徹底している。ターゲットは明確だ。乗り換えの合間、新幹線の待ち時間という「スキマ時間」を持て余す利用客である。限定品や土産物を充実させ、「気軽に立ち寄れる場所」としての利便性を追求した結果、この施設は圧倒的な集客力を誇るようになった。
注目すべきは、そのテナントリーシング戦略だ。
東京駅が狙うのは、近隣に住む地元住民ではない。鉄道やバスという交通インフラのハブ拠点として、日々この駅を経由する膨大な「移動者」たちだ。インバウンド観光客を含め、全国から、そして世界中から人が集まる場所――それが東京駅の最大の強みである。
地方都市との結節点として機能するこの駅は、もはや単なる「通過点」ではない。「目的地」として進化を遂げているのだ。東京駅の様変わりは、駅という空間の可能性を最大限に引き出した好例といえる。
東京駅は特殊であるが、その他のターミナルや乗降客数の多い駅ビルは、どのようになっているのか?
■「通過地点」から「買い物する場所」へ
かつては「街」に出なければ手に入らなかったものが、今や駅という「点」に集約されている。明確な目的がなくとも、天候や利便性という合理的な理由のもと、私たちは駅ビルや地下街で数時間を過ごしてしまう。
たとえば、2024年4月に新宿駅構内に開業したイイトルミネ。約100店舗のパンを扱い1000種類のパンが並ぶセレクトショップ「BAKERs' Symphony」やロス生まれの「ランディーズドーナツ」、大阪名物551蓬莱の新業態「羅家 東京豚饅」など出店ラッシュにますます拍車がかかる。キーワードは「香り」。改札階に焼き立てパンの香ばしい匂いや豚饅の匂いで足を止めさせるのだ。

またNEWoManでは、世界中の香水をセレクトした「ノーズショップ」やアクセサリーなど視覚的にキラキラと輝くテナントを集中配置し、非日常への扉を開く演出をしている。
つまり通過客を「買い物客」に変える仕掛けがテナントリーシングのコンセプトなのだ。
駅は、本来「移動」するためのゲートウェイであり、「買い物」ではなかった。しかし、「帰り道=買い物の場」という行動様式が完全に定着し、駅は今や単なる通過点ではなく現代都市生活者にとって不可欠な消費空間そのものに進化したといえる。
■いま、空港の進化がすさまじい
これは、駅に限ったことではない。最近では高速道路のパーキングエリアでも、地域の名産品を集めたショップや本格的なレストラン、さらには温浴施設を備えた施設が増えてきた。
その中でも今回は、空港で増加している贅沢空間を取り上げたい。これらの成功モデルを空の玄関口でも展開し、乗り継ぎに限らず、早めに空港に行ってフライト前の時間を楽しむスタイルが急増しているのだ。
旅行会社大手JTBが4日に発表した見通しでは、年末年始の海外旅行者数は前年度比31.5%増の100万人に上る。4~6泊が増え、ハワイ・欧州などが渡航先として人気だという。平均費用は27万5000円と、過去最高になる見通しだ。
コロナ禍を経た旅行需要の回復もあり、羽田空港や成田空港では、搭乗手続きを済ませた後のエリアに、レストラン、ショップ、カフェ、書店、さらにはマッサージやネイルサロンまで、多様な施設が充実している。
「ギリギリに空港に着けばいい」という従来の発想から、「早めに行って空港時間を楽しもう」という意識変化が見てとれる。
トランジットに限らず、空港での時間消費という概念は、国内線利用者にも広がっている。空港もまた、移動のためのゲートウェイから新たな価値の創出に全力をあげているのだ。
■「30分のフルコース」空港内に三ツ星レストラン
「次の便まであと2時間もある。退屈だな」――そんな溜息が聞こえてきそうなトランジット時間。だが、世界の主要空港を見渡せば、その概念は完全に過去のものとなっている。
ローマ・フィウミチーノ空港には、かつて「アッティミ・バイ・ハインツベック」という革新的なレストランがあった。以前は東京・丸の内にもあった有名なお店だ。イタリア料理界の革命児と称される三ツ星シェフ、ハインツ・ベックが手がけるこの店の最大の特徴は、わずか30分や60分という限られた時間で、至高のフルコースを味わえることだった。
テーブルに置かれた大きな砂時計が、贅沢な時の流れを演出する。店内にはフライト情報の掲示板が設置され、旅行客への心憎いまでの配慮が施されていた。乗り継ぎ便までの待ち時間という限られた制約の中で最高の料理をコースで堪能する――これこそ、「待ち時間」を「楽しむ時間」へと転換する、まさに理想的なモデルだった。

残念ながらコロナ禍で閉店してしまったが、この業態が示した可能性は、今や世界中の空港に広がっている。トランジットという「デッドタイム」は、価値ある「体験時間」へと生まれ変わったのだ。
■マクラーレンやポルシェが当たる宝くじ売り場も
世界の空港を旅すると、その国の「お国柄」が随所に反映されていることに気づく。
さらに今、各空港は単なる移動の拠点から、積極的に楽しむべき「体験施設」へと進化を遂げている。
まず、2024年に「世界で最も豪華な空港」(英国の旅行保険会社AllClearによる調査)のトップに選ばれたドバイ空港。提供する高級店の数、シャンパン・バーやキャビア・ハウスの存在、高級ラウンジの提供、空港から半径5km以内の4つ星・5つ星ホテルの有無など、いくつかの要素で評価された。
また、世界最大級のファーストクラスラウンジなどの高級ラウンジがあり、待ち時間でくつろぐならワールド・オブ・ウェルネスやタイムレス・スパでのホリスティック・スパトリートメントは最適だ。
さらに驚くべきは、マクラーレンやポルシェなど高級車が当たる宝くじが販売されていることだ。当選確率は、日本の宝くじと比べて格段に高く、トランジットの短い時間でも、思わず夢を買ってしまう旅行者は少なくない。
■ビール、美術館、スロット…“お国柄”がふんだんに
次にご紹介するのは、ミュンヘン空港。世界の航空・空港の格付け調査を行うスカイトラックス社の「ワールド・エアポート・アワード」でトップ10の常連であり、ヨーロッパで3つしかない5つ星ハブ空港(他はイスタンブールとローマ)のひとつである同空港は、効率性を追求した空港であり、高いサービス水準と旅客に優しい革新的な設備が、世界トップクラスの地位に貢献している。
その空港内には「エアブロイ」というビール醸造所兼レストランがあり、ミュンヘンらしさを存分に演出している。
空港に到着したらまず一杯――これが旅の楽しみのひとつになっているのだ。
また、トルコのイスタンブール空港では、乗り継ぎの待ち時間の長いトラベラーは、一度入国をして、ブルーモスクやトプカプ宮殿などの観光、トルコ式バスや地元レストランの体験など世界最古の都市のひとつを訪れる体験ができる。東洋から西洋への長距離移動の際に、途中でこの別世界の体験を挟むトランジットタイムは、旅に新たなコントラストを演出すること間違いなしだ。
その他にも、アムステルダム・スキポール空港には、定期的に入れ替わる名画を鑑賞できるアムステルダム国立美術館の分館があり、バンクーバー空港は、敷地内に2つも水族館がある。ラスベガスのマッカラン空港(ハリー・リード空港)には驚きのスロットマシーンがあり、ヘルシンキ・ヴァンター空港には世界初の空港内の古着屋「リラブ(Relove)」がオープンし、センスのよい古着を購入できる。
■日本は安全、治安、清潔度で世界一だが…
日本の空港はどうだろうか。生真面目で、ワクワクするような楽しみは少ないが、安全度、治安の良さ、トイレの清潔度において、日本の空港は群を抜いて世界一だ。白タクやメーターを倒さないタクシーがいない安心感もある。しかし地方空港のUber事情はよくないのも事実だ。
一方、アジアの空港も近年、洗練度を増している。シンガポールのチャンギ空港、韓国の仁川空港、タイのスワンナプーム空港に代表されるように、機能的でデザイン性が高く、整備やショップのクオリティも高い空港が増加傾向だ。
チャンギ空港直結モール「JEWEL」中央には世界一高い屋内滝「レイン・ボルテックス」があり、空港を訪れた人はその姿を忘れることはない。
この高さ約40mの水の塔は、飛行機に乗らない人たちもよく見に来るほどのアトラクションだ。滝を囲むフォレスト・バレーは資生堂が提供する4フロア吹き抜けの屋内庭園で、6万本以上の木々が茂る大自然のような空間だ。
地上5階のキャノピーパークは1万4000m2のエンタメ空間で、入場料にすべり台、霧が出る広場、庭園、遊歩道などが含まれている。特に人気なのが地上25mの網の上を歩くウォーキング・ネットで、網の間から下が見えてスリル満点のアトラクションだ。
■派手さはなくても、外観が美しい空港
仁川空港では伝統文化体験プログラムが用意され、トランジット客が短時間で韓国文化に触れられる仕組みが整っている。また、先にご紹介したイスタンブール空港同様に、空港近くの観光スポットを周遊できるさまざまな特徴あるトランジットツアーを用意している。1時間コースから5時間コースまで、時間を持て余すことなく、トランジットを最大限満喫できる配慮が施されているのだ。
ほかの国はどうだろうか。アメリカの空港は広大なため、空港運営の効率化と利便性の向上を目的に航空会社別にターミナルが分かれているところが多くなった。仕方ないのだが、トランジットの楽しみは半減したと言わざるを得ない。また、チューリッヒ空港やマドリード=バラハス空港はドバイやアジアの空港のような派手さはないものの、外観デザインの美しさで利用客を魅了する。
空港に足を踏み入れると、トム・ハンクス主演の映画『ターミナル』(2004年)で描かれたように、行き交う荷物やカートの動き、さまざまなエアラインのCAやグランドスタッフが颯爽と歩く姿、ローカル空港で遭遇する反転フラップ式案内表示板のパタパタという心地よい音――こうした「空港の脇役」にも高揚感を引き立てる要素が詰まっている。
■「出張+観光」の動きが広がっている
これらの事例が示すのは、空港がもはや単なる「移動のための施設」ではなく、「体験を提供する施設」へと進化しているという事実だ。退屈なトランジットを「トランジットこそが楽しみ」という新しい体験価値へと転換している。通過するだけの場所だった空港が、目的地そのものへと変貌を遂げているのだ。
コロナ禍以降、ブレジャー(Bleisure)という言葉が注目されるようになった。ブレジャーとは仕事(Business)と余暇(Leisure)を組み合わせた造語で、出張の機会を活用し、出張後も滞在を延長するなどして余暇を楽しむことを指す。
たとえば1泊2日の海外出張で、台北に行くとしよう。その際にせっかく海外まで来たのに、商談が終わってそのまま日本に帰るのはもったいない。翌日休暇をとってもう1日台北に滞在するという計画を立てれば、時間もお金も有効的に使える発想だ。
ブレジャーを実践すると、台北近郊のスポットにも足を伸ばすことができるし、時間の制約で行けなかった体験の幅を広げることができる。日本に来るインバウンドトラベラーに当てはめても同じことだ。1泊2日の東京出張を1日ブレジャーで延ばすことで、鎌倉や日光まで観光し、東京だけでは味わえない深い日本を体験できる。
これは、トランジットという範囲を超えて旅の計画そのものの考え方を再設計するという発想であるが、旅中で時間を効果的に使うことは同じである。
■空港大進化の背景にある「富裕層が求めるもの」
特に注目すべきは、富裕層が求める「シームレスな移動体験」と、空港の進化が見事に合致している点だ。
ごく一部の超富裕層は、プライベートジェットを所有し、5分前に到着してシームレスに離陸する。待ち時間を極力減らすことこそが、何よりの価値だと考えるオーナーも一定数いる。だが、多くの富裕層が重視するのは、移動時間の短縮だけではない。移動そのものが持つストレスを最小化し、むしろ移動時間を価値ある体験に変えることなのだ。
なぜ、これほどまでに空港での時間消費が注目されるのか。その理由は、空港という場所が持つ独特の消費心理にある。
旅への期待感と非日常の高揚感。そして「限られた時間」という制約。この3つの要素が組み合わさることで、人々の財布の紐は緩みやすくなる。実際、ルイ・ヴィトンやグッチ、セリーヌといったハイブランドは出国後エリアに大きな免税店を構えている。百貨店よりも割安で購入できるうえ、搭乗時刻という明確なタイムリミットがあるからこそ、「今しかない」という心理が働く。旅の始まりという特別な気分や、飛行機に乗ってしまえば帰国という心理が、普段なら躊躇するような高額商品の購入や、贅沢な食事への出費を後押しする。免税店での買い物が活況なのも、この心理メカニズムが大きく作用している。
さらに、空港という場所は、日常と非日常の境界線に位置している。自宅でも旅先でもない、中間地点。この「どこでもない場所」だからこそ、人々は普段とは異なる消費行動を取りやすいのだ。
マーケティングの視点から見ると、トランジットにおける「高揚感」×「限られた時間」のかけ算が、購買意欲を刺激する。「何となく」「ついフラッと」という非計画的な動機が多くを占めるこのインサイトは、さらに掘り下げる余地がある。
■これからは“スキマ時間”で贅沢する時代に
世界の航空各社が加盟する国際航空運送協会(IATA)の発表によると、2026年の世界全体の旅客数は前年比4.4%増の52億200万人に上り、初めて50億人の大台を突破する見通しだ。売上高も1兆530億ドル(約163兆円)を上回る。国際情勢の不安が続く中でも航空需要は依然として活況だ。
このチャンスを捉え、「エキシューマー」の発想を取り入れれば、空港・トランジットの消費マーケットは拡大のポテンシャルを秘めている。空港というハコが、新たな商業施設へと発展する大きなチャンスに恵まれているのだ。
かつての「待ち時間」は、今や価値ある「体験時間」へと生まれ変わった。国際航空需要の回復と拡大という追い風を受け、空港は新たな商業発展の可能性に満ちている。
年末年始をはじめとする繁忙期には、膨大な数の旅行者が空港を利用する。彼らは皆、特別な気分で、特別な時間を過ごそうとしている。この心理状態にある消費者に対し、どのような体験を提供できるか。それが、空港ビジネスの成否を分ける鍵となる。
空港で過ごす時間が、旅の最も印象的な思い出のひとつになる。そんな未来は、もうすぐそこまで来ている。“Transit Time is Money”――この言葉が示すように、待ち時間という概念そのものが、今、劇的に変わろうとしているのだ。

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西田 理一郎(にしだ・りいちろう)

価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役

富裕層向けブランド体験の「物語」を紡ぐナラティブ・マーケティングをプロデュース。また、情報伝達を超えた行動を仕組化し、個の全盛時代において、ラグジュアリー市場での持続的成長を実現する知の「価値共創」戦略を構築する。プレミアムブランドの世界観を体現する戦略的プラットフォームの商品化を手がけ、ミシュラン・ガストロノミーから超高級ライフスタイルまで、文化的価値を経済価値に転換するマーケティング、ブランディングを専門とする。「to create a Real LIFE 敏腕マーケターが示唆するこれからの真の生き方とは」「Life is a Journey」「食と文化の交差点 ガストロノミーへの飽くなき情熱」などのメディア掲載・連載を通じて真のラグジュアリーとは「所有」ではなく「体験」であり、その体験に宿る物語こそがブランド価値の源泉である――という信念のもと、富裕層マーケティングの新境地を開拓し続けている。主要著書に『予測感性マーケティング』(幻冬舎)、『アフターコロナ時代のトラベルトランスフォーメーション』(ゴマブックス)、『GRAND MICHELIN ミシュラン調査員のことば[特別編集版]』(アンドエト)がある。個人サイト

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(価値共創プロデューサー、ディープルート 代表取締役 西田 理一郎)
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