■広大なダムを見つめる日本人男性の銅像
今回、紹介するのは日本国内の銅像ではありません。台湾にある八田與一という日本人の銅像です。
何か考え事をしながら、遠くを見つめる八田。見つめる先にあるのは烏山頭ダムです。八田の銅像はその広大なダムに比べるとあまりにも小さい……。それも正装をしているのではなく、どうやら毎日袖を通していたと思われる作業着を着用しています。そう、八田はこのダムの建設者です。銅像のポーズのように、考えに考え抜いて、このダムを完成させたのでした。
戦前に作られた銅像ですが、なぜか戦後に八田の銅像は姿を消しました。銅像を隠したのは、なんと台湾の地域農民でした。
■台湾の人々から愛されている理由
台湾では戦後、蔣介石率いる中国国民党の軍隊が入ってきて、日本時代の人物をあがめることなど絶対にできない雰囲気になってしまいます。
なぜ、八田はこれほどまでに台湾の人々から愛され、慕われているのでしょうか。
それは、実は八田がこの烏山頭ダムを建設することによって、この平野を台湾一の穀物収穫量に導いているからです。
■「不毛な平野」を変貌させる一大事業
八田は台湾が日本統治時代の明治43年(1910)、台湾総督府内務局土木課に就職します。台湾南部には嘉南平野という広大な平野があるのですが、当時は夏季には日照りによる水不足に、雨季には洪水に悩まされており、農作物が取れない平野でした。
八田は嘉南平野を農作物が取れる平野に改善するため、当時では考えられないほどの巨大ダム建設を企画します。それが烏山頭ダム建設だったのです。八田は広大な嘉南平野すべてに水が行き渡るよう上司に提案しました。建設が予定された水路は1万6千キロメートル。
今までにない巨大な企画に、上司はなかなか首を縦に振ってくれませんでした。八田の情熱でなんとか上司から建設許可を得たものの、「建設費の半分は地域農民が負担」という条件付きでした。
ダム建設条件を地域農民に伝えると、当然のように反発をされることになります。八田は必死で地域農民を説得します。
「このダムが完成すれば、たくさんのお金が入ってくる」
「村の未来の子供たちのために、今が頑張り時だ」
■労働者のモチベーションアップに尽力
しかし、すぐに納得をしてもらえるわけではありません。
「なぜ、自分たちがお金を出さなくてはいけないのだ」
「お金が入るようになるなんて話、簡単に信じられるわけがない」
それでも八田は情熱をもって地域農民に説得を続け、ようやく了承を取りつけて工事のスタートが切られることとなりました。
工事は日本人と台湾人で進められました。八田は今までにない技術を工事に取り入れたり、アメリカから巨大重機を取り寄せたりすることで、この巨大工事を進めていきました。
それでも、これだけ巨大なダムを作るのです。当然ながら労働者は過酷な労働を強いられることになります。こうした状況を受け、八田は労働者の家族を呼び、そのために工事現場近くに村をつくることを上司に相談しました。
これだけ過酷な状況を家族と離れ離れになって頑張れるわけがない。家族がいるからこそ頑張れる。家族のためというやりがいを皆が感じることで重労働を乗り越えようと考えたのです。
また、労働者たちが娯楽などもできるように、祭りを行ったり遊び場を作ったりもしました。八田自身も家族を日本から台湾へ呼び寄せ、同じ村に住まわせたのでした。
■ガス爆発事故の遺族「ダムを完成させて」
これは、八田の「家族を大切にする」という生き方から取った行動だったのです。もちろん、台湾の労働者たちも大喜びでした。工事はこうして順調に進んでいきます。
しかし、順調に工事が進む中、大きな事件が起こります。それはガス爆発事故です。
この事故で、台湾人を含む50名以上が命を落としてしまいました。八田は事故に責任を感じ、遺族の方々へ深々と頭を下げて回りました。遺族へ謝罪をしながら「もうダムの建設を止めよう」と八田は思っていたようです。
しかし、遺族の方は次のように八田に言うのです。
「今ダムの建設を止めたら私たちの生活はどうなるのですか。
こうした遺族の方々の言葉で、ダム建設は再開されることになります。そして八田は、この事故の後に日本人と台湾人関係なく、事故で亡くなった方全員の名前が入った碑を建てました。このことからも、八田がいかに労働者を大切にしていたかがわかります。
■「家族」のリストラを命じられ、苦渋の決断
事故に遭いながらも懸命に工事を進める八田たちをさらなる事件が襲います。大正12年(1923)の関東大震災です。当時、日本は壊滅的な被害を受け、ダム建設に予定されていた予算も国の復興に向けて使用されることとなり、予算削減が余儀なくされました。
八田は、上司から「従業員を半分解雇せよ」と通告を受けます。従業員が半分解雇される。このことはすぐに労働者に伝わり、「誰が解雇されるのだろうか」と不安な空気が流れました。
発表された解雇通告は意外なものでした。解雇された中に有能な労働者がかなりいたのです。
八田にとって、従業員は全員家族のようなものでした。それは日本人だけではなく、台湾人でも同じでした。そうした苦難を乗り越え、大正9年(1920)から続いた工事は、ついに昭和5年(1930)に終わり、烏山頭ダムは完成を迎えたのでした。
■本人の希望で座った状態の銅像が作られた
10年かかった工事の結果、嘉南平野に水が流れ込み、水不足や洪水に悩まされていた不毛の地は一転し、なんと台湾最大の穀倉地帯になります。この地に暮らす人々の生活を大変豊かにすることに成功したのです。
工事が完成した後、台湾人によって銅像が建てられました。
工事終了後、まもなく大東亜戦争(太平洋戦争)が始まり、八田も徴用されて出征します。
そして乗船中に潜水艦に撃沈され、死亡しました。56歳のことでした。
■台湾国民は教科書で八田の業績を知っている
しかし、今でも八田は台湾の人々に尊敬され、毎年彼の命日には慰霊祭が行われています。
平成23年(2011)3月11日に起こった東日本大震災では、台湾から多額の義捐(ぎえん)金が届きました。その額はなんと、200億円。それも、9割は一般の方からの義捐金です。台湾では、震災直後、緊急のチャリティー番組も行われました。
なぜ、台湾からそこまで多くの義捐金が届いたのか。私は八田與一の銅像を見るとその理由がわかるような気がします。台湾には親日の方が多いですが、それは我々現代人の努力ではなく、先人のおかげであると。八田の烏山頭ダムの業績は、台湾の教科書に記載されています。教科書にあるということは、すべての台湾国民が知っていることになります。
私たち日本人も、八田の業績を次世代の子供たちに語り継いでいきたいと思います。
遠く離れた台湾の地で今も烏山頭ダムを見守る八田與一の銅像を、1人でも多くの日本人が訪れ、その業績を感じ取っていただけることを願っています。
■夫の後を追った外代樹夫人も銅像に
八田は生前から家族をとても大切にしていました。工事現場に村をつくったエピソードからもおわかりだと思います。八田自身も自分の家族を日本から呼びました。
そんなことから台湾の皆さんは八田が妻をいかに大切にしていたかをよく知っていました。
八田與一の妻・外代樹さんは、夫・與一がダム完成後の第二次世界大戦中に戦死したことのショックから、日本敗戦後間もなくの昭和20年(1945)9月1日に烏山頭ダム放水口に身を投げ、自らの命を絶っています。
その日はちょうど、ダムの着工記念日でした。
そうしたことから八田與一だけでなく、妻の銅像も作られ、彼女の命日である平成25年(2013)9月1日に台湾で除幕式が行われました。外代樹さんの腕には四女・嘉子(よしこ)さんがしっかりと抱かれています。
八田與一
(1886~1942)
石川県河北郡花園村(現・金沢市今町)に生まれる。石川県尋常中学、第四高等学校、東京帝国大学工学部土木科を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職。28歳で当時着工中であった桃園大圳(とうえんたいしゅう)の水利工事を任されたが、これを成功させ、高い評価を受けた。31歳で外代樹(とよき)夫人と結婚。1920年から1930年まで烏山頭(うさんとう)ダム工事を指揮して完成させ、そのダムは台湾経済を支える原動力となった。1942年の第二次世界大戦中、フィリピンの綿作灌漑調査のため広島県宇品港で乗船、出港したが、その途中アメリカ海軍の潜水艦に撃沈され、死去。
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丸岡 慎弥(まるおか・しんや)
小学校教諭、銅像教育研究家
1983年、神奈川県生まれ。三重県育ち。元大阪市公立小学校15年勤務。現在、立命館小学校勤務。関西道徳教育研究会代表。日本道徳教育学会会員、日本道徳教育方法学会会員。銅像教育研究家。教師の挑戦を応援し、挑戦する教師を応援し合うコミュニティ「まるしん先生の道徳教育研究所」を運営。自身の道徳授業実践も公開中。著書に『日本の心は銅像にあった』(育鵬社)、『高学年児童がなぜか言うことをきいてしまう教師の言葉かけ』(学陽書房)など多数。
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(小学校教諭、銅像教育研究家 丸岡 慎弥)

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