成果を出すチームと失敗するチームの違いは何か。『そして僕たちは、組織を進化させていく』(クロスメディア・パブリッシング)を書いた斉藤徹さんは「トラブル発生時に着目する視点が異なる。
優れたリーダーは原因よりも“メンバーとの関係”に目を向ける」という――。(第2回)
■アポロ13号から学ぶ「チームのあり方」
AIの存在を想定する前に、まずは原点に立ち返って「そもそも、チームとはどうあるべきか」という問いに向き合いたい。その原理をひも解いた上で、そこにAIを“共創のパートナー”として迎え入れる形を模索していく。
題材として取り上げるのは、NASAの歴史に残る実話――「輝ける失敗(The Successful Failure)」と称されたアポロ13号の帰還ミッションだ。
1970年4月13日、アポロ13号の酸素タンクが爆発した。地上で対応にあたったのは、フライトディレクターのジーン・クランツを中心に、10~15名のフライト・コントローラーたち。推進系、電力・環境制御、通信、ガイダンス、船内操作、医学管理――各分野のスペシャリストが結集し、その背後にはエンジニアや支援スタッフを含む数百人規模のチームが控えていた。
21:07・爆発直後、錯綜と沈黙の場
爆発直後、地上の状況は混乱を極めていた。警告ランプが次々と点灯し、情報は錯綜。酸素系か水素系か、原因すら特定できない。宇宙船内でも、アーク放電によるタンク破裂が発生していたが、その事実に気づいた者はいなかった。
■爆発直後にリーダーが発した一言
警報音が響く中、クランツは冷静に、だがはっきりと指示を出した。

「みんな、まずは落ち着こう。事実を集めよう。憶測で動くのはやめよう」
その一言が、混乱の空気をわずかに和らげ、場の重心を取り戻す第一歩となった。
21:30頃・自由な対話と共創のはじまり
センターの騒動が落ち着きはじめた頃、クランツはこう促した。
「役職も部門も関係ない。気づいたことは、今すぐ話してくれ」
通常は縦割りで動く各部署が、横断的に意見を交わしはじめる。推進と電力、通信と環境制御――それぞれの知見が結びつく。一方、NASAの実験室では、宇宙船内にある素材だけで二酸化炭素を除去するフィルターの試作がはじまっていく。段ボール、ガムテープ、プラスチック袋――制約だらけの中で、創造力が最大限に引き出された。
22:00頃・指針の共有、全員の意識を統一
試行錯誤がはじまったが、クランツは一人ひとりに迷いがあることを感じ取った。そこで、彼はチーム全体に対して、目指すべき目的を宣言する。
「目的は、月に行くことではない。
彼らを生きて地球に帰還させる。それだけだ」
その一言が、全チームの行動軸を同じベクトルに向けた。「何のために今これをやっているのか」という判断基準が明確になり、迷いが減り、優先順位が自ずと整いはじめた。
■即興アイデアも形にしていった
22:30頃・信頼と裁量による自律性の発芽
「地球への帰還には電力の確保が不可欠である」――この結論をもとに、若手エンジニアのジョン・アーロンに、大きな裁量が与えられる。
彼は推進、通信の各担当と直接やり取りを重ねながら、再起動に必要な最小電力の設計を進めていった。
「この系統を切っても、通信は維持できるか?」

「こちらはギリギリ耐えられそうだ」
経験と現場知識が、横断的につながり合う瞬間だった。信頼と裁量がかみ合うことで、それぞれのチームに本来の力が戻っていった。
23:00頃・仮説から設計へ
いくつかの対策は、即興のアイデアから「手順」へと昇華されていた。試作されたCO2フィルターの装着手順が、宇宙船へ向けて送信された。手順を聞きながら、飛行士たちはガムテープを切り、袋を折り、現場の素材だけで空気清浄装置をつくり直していく。地上では、帰還軌道の補正データが完成し、燃料の噴射タイミングが秒単位で指定された。後は、それを信じて実行するだけだった。

難問は次々と押し寄せるが、その都度、奇跡の解決策が生み出される。場の空気が少しずつ前向きになり、「なんとしても3人を帰還させる」という意思が、フロア全体に広がっていく。
■もしクランツが凡庸なリーダーだったら
爆発から87時間後・失敗から得た勝利
遥かなる機内と地上。それぞれの判断と行動の積み重ねが、ひとつの瞬間に結実した。再突入時、通信が途絶えるブラックアウトの沈黙が、予定より長く続く。誰もが最悪を覚悟しかけたそのとき、沈黙を破る言葉が静かに戻ってきた。
3つのパラシュートが開き、アポロ13号は南太平洋に着水。3人の乗員は全員、生きて地球へ帰ってきた。インタビューに応じたラヴェル船長が切り出した言葉は、この体験の意味を物語っていた。
「われわれは失敗したミッションから、最大の成功を勝ち取った」
彼らの貢献は、もはや言葉を超えていた。本来は裏方だったはずのクランツとチームメンバーに、大統領自由勲章が授与された。彼らは「タイガーチーム――危機的状況を解決するために集まった少数精鋭チーム」と呼ばれ、不可能を可能にする組織の力を世界に示したのだ。

さて、ここからひとつの思考実験をしてみよう。もし、クランツの卓越したリーダーシップがいなかったら、アポロ13号の運命はどう変わっていたのか、想像を膨らませてみたい。
爆発が起きた直後、「凡庸なリーダー」はパニックに陥っていた。NASAはじまって以来の大失敗だ。取り返しのつかない汚点を残すだろう。このとき、まず彼を突き動かしたのは「犯人探しの本能」だった。
「何が起きたんだ。原因はなんだ! 設計か? 整備か? 管制か? 誰の管轄だ!」
■犯人探しが始まるとメンバーは萎縮する
そこから一斉に犯人探しがはじまり、しばらくして原因が判明する。技師がネジを外し忘れたのだ。その結果、移動の時に無理がかかり、タンクがわずかに落下していた。その技師たちは呼び出され、罵倒され、晒し者になった。それを見た誰もが守りに入っていく。

リーダーはキーマン数名を別室に集め、緊急会議をひらいた。その間、メンバーの発言は減り、情報は部門ごとに断片化する。センター全体を凍った空気が覆い出した。20分後、対処方針と手順が決まり、ホワイトボードに示された。
「専門家の意見をもとに方針を決めた。時間がない。これを順守して、直ちに動いてくれ」
いろいろな疑問が頭をよぎったが、メンバーは粛々と従うしかなかった。各部門は作業に散るが、部署をまたぐ会話は少ない。時計の針が無情に進む中、焦る現場では不整合が噴き出しはじめた。伝達ミス、計算のズレ、船内の反応の齟齬。それらは小さな歪みの連鎖だった。整然として見える指令室で、実際には、誰の知恵も結びついていなかった。

二酸化炭素の濃度が危険域に達しつつあるという報告が上がったが、空気清浄装置の専門チームが司令船用フィルターの転用を模索していた。軌道計算チームは帰還ルートの検討に集中し、電力管理チームも別の優先作業に動いていた。
■どこで運命は分かれてしまったのか
エンジニアのひとりが思わず叫んだ。「このペースだと、あと8時間で致死レベルに達してしまいます」しかし、この状況を打開するためのアイデアを誰も思いつかずにいた。
時間は無情に過ぎていく。宇宙船内を静かに蝕む見えない毒は、確実に蓄積し続ける。この思考実験の先には、静寂だけが待っていた。
まったく同じ人材、同じ制約、同じ絶望的状況。それなのに、片方のチームは希望の光を見出し、もう片方は死の闇へと沈んでいく。チーム全体で知恵を結集した3時間と、上層部で決断し迷走した3時間。運命を分けたもの――それは、いったい何だったのか。
実際、この「凡庸なリーダー」の行動は、思考実験にはとどまらない。例えば、1986年のチャレンジャー号爆発事故においては、前夜までに技術者が警告を発していた。しかし、上層部が技術的懸念を封殺し、政治的スケジュールが優先された結果、7人の宇宙飛行士が帰らぬ人となった。
同年のチェルノブイリ原発事故においては、指導部の官僚主義と情報統制によって、爆発発生から36時間も避難開始が遅れたことで、数十万人に被曝が広がってしまった。
この分水嶺は、特殊な状況だけではない。あらゆる組織において現れる現象なのだ。あなたがリーダーなら、爆発音が響いた瞬間、最初のアクションはなんだろうか。次の節では、この違いを構造的に解いていきたい。
■成功するチームと失敗するチームの違い
「成功に向かうチーム」と「失敗を招くチーム」のどこに違いがあるのか。この節では、それを「チームの動き方」の視点から捉え直したい。鍵となるのは、「どこから動きはじめたか」だ。
多くのチームでは『成果を出さなければ』というリーダーの焦りが、すべての行動を支配する。数字を達成しよう、結果を残そう。危機を乗り切ろう――この危機感そのものに罪はない。
問題は、その切迫感を「命令と統制」として押しつけた瞬間にはじまる。「凡庸なリーダー」の思考実験は、まさにこのモデルをなぞっていた。
彼は「原因は何か」「誰が悪いのか」と犯人探しをはじめた。その瞬間、チームの空気は変わり、関係が凍りつき、発言は減り、情報は止まった。
少人数で会議が行われ、解決プロセスは整理されたが、現場の意見を置き去りにした手順の強制によって、メンバーの思考は受動的になった。その結果、情報共有も滞り、コラボレーションが制限されてしまう。知恵の創発も起こらずに、最悪の結果を迎えてしまった。
成功への焦りが、失敗に導いてしまう。組織の現実は、皮肉な動きをするものなのだ。
■“自分ごと”にさせる発言が成功を導いた
一方で、クランツが最初にしたのは「問いを変えること」だった。
「まず落ち着こう」「憶測で動くな」「みんなで事実を集めよう」「気づいたことは言ってくれ」これらはすべて「何をするか」ではなく「どう場をつくるか」を意図した言葉だった。関係の質を整える――それが彼の第一歩だった。
その姿勢に呼応するように、チームも動き出す。自分の領域を越えて、他部署に声をかける者が現れる。新人が「こんなやり方もあるかもしれません」と提案し、それに上司が「やってみよう」と返す。役職や専門の線が溶け、メンバー全員が「自分ごと」として関わりはじめた。
そこで、クランツは、流れを変える言葉を発する。「我々の目的は、彼らを生きて帰還させること」――この宣言により、チームのパーパスが「月面への着陸」ではなく「飛行士全員の生還」へと明確に変わった。それと同時に「できるかどうか」ではなく「どうすればできるか」へ。「誰がやるか」ではなく「どう支え合うか」へ――メンバーの思考が変わった。
そして、行動が変わっていった。ジョン・アーロンのように、自然発生的なリーダーが現場に現れる。彼らは裁量をもち、判断を下し、その判断が他部署とつながり、精度が増していく。
これらの行動の積み重ねが、素晴らしい結果を生み出した。乗員は生還し、このミッションは「最も成功した失敗」として歴史に刻まれたのだ。
■「関係」を起点にするとチームは変わる
重要なのは、「何をしたか」ではなく、「どこからはじめたか」だ。凡庸なチームは「結果」からはじめていたのに対して、クランツのチームは「関係」からはじめていた。最初の一歩が、チームの「流れ」を変えるのだ。
「関係→思考→行動→結果」という正の循環(成功循環)がはじまると、やる気が高まり、チームは自走しはじめる。経営学者ダニエル・キムが提唱した「成功循環モデル」である。
それに対して、「結果→分断→猜疑心→非協力」という負の循環(失敗循環)に入ると、どんな優秀な人材でも、その持てる能力を発揮できない。これが「失敗循環モデル」である。
「関係の質」や「思考の質」――これらは目に見えず、制御も困難だ。科学的管理を追求するほど、見えない要素は軽視される。だが、チームの本質は変わらない。それは、感情をもち、思考し、関係性の中で生きる人間の集合体なのである。「やる気を生み出す循環」をつくること。これこそがリーダーシップの本質である。

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斉藤 徹(さいとう・とおる)

ビジネス・ブレークスルー大学経営学部教授

hint代表。1985年、日本IBM株式会社入社。1991年に株式会社フレックスファームを創業、ベンチャーの世界に飛び込む。30年を超える起業家・経営者としての経験の中で、最新の経営学を学び続け、新しい視点で体系化し、ビジネス界に提唱してきた。社会人向けオンラインスクール「hintゼミ」には、大手企業社員から経営者、個人に至るまで、多様な受講者が在籍し、期を増すごとに同志の輪が広がっている。企業向けの講演実績は500社以上におよぶ。「読者が選ぶビジネス書グランプリ2023 マネジメント部門賞」を受賞した『だから僕たちは、組織を変えていける』や『そして僕たちは、組織を進化させていく』(ともにクロスメディア・パブリッシング)など著書多数。

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(ビジネス・ブレークスルー大学経営学部教授 斉藤 徹)
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